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第1話『prologue』

 そう、あれはよく晴れた良い天気の日。まるで恋が始まってしまいそうな快晴の下、私は静かに絶望したことを覚えている。


 忘れもしない、9歳の時であった。私はとある事情で普段なら絶対に入れないであろう、王宮へと足を運んだ。


 お城のような外見に、中には煌めくシャンデリア。真っ赤な絨毯は踏んでしまうのが惜しいほど隅々まで手入れされていた。

 自分の背丈を越える大きな扉を片っ端から開きたい衝動に駆られる。見るからに重そうなので非力な私が開けられるとは思えないけれど。


 初めて訪れる王宮を見て、私はキラキラと目を輝かせた。自分の家とは比べものにならないほど豪華で、眩しい。物語の世界に入り込んだような幻想的な光景に幼い私の心はあっという間に虜になった。

 お城を探検してみたいという子供ながらの好奇心をくすぶらせながら、案内人の後を付いて行くと大きな部屋に案内された。

 ここでお待ち下さい、と声をかけられてはっと我に返る。


 浮かれている場合ではないわ。そうよ、私は今日、王子様とのお見合いに来たのよ。


 気合いを入れ直すためにぐっと拳を握った。滅多に近寄れない王宮に訪れるだけの事情、それは第二王子とのお見合いである。


 王族が齡10歳という若さでお見合いをすることはこの国では私より幼い子供すら知っている常識だ。実際に第二王子のお兄様に当たる王太子も既に10歳の頃、婚約者を迎えた。


 ちなみに、王子の婚約者候補は私だけではない。沢山いる美少女の中から一人だけ王子の御眼鏡にかなった者のみが王子の婚約者と名乗ることが許される。名誉が欲しい、金が欲しい、地位が欲しいと喚く貴族たちは(こぞ)って娘を王子の婚約者にさせたがった。彼らの娘は本当に不憫だと思う。酷い時にはわざわざ美しい子を養子にし、自分の娘だと言って王族に嫁がせようとするらしい。なんとも胸くその悪い話である。


 そんなわけで、私も今日は家の名を背負ってここに来ている。他と違って婚約者になれなかったからと落ちこぼれだのなんだのと捨てられる訳ではないが、期待はされていた。


 王族とのお見合いは自分と相手の二人きりで行われる。もちろん、御付きの人とか警護とかは居るんだけど実際話すのは王子と自分だけ。だからヘマをすることは許されないし、逆に自分をアピールできる唯一の場でもある。


 この時間に命を賭けると言っても過言ではない。むしろ、自分を王子が見てくれるのはここしかない。千載一遇のチャンスとはまさにこの事。しかもこのお見合いを出来るのは位の高い高貴な貴族だけである。招待状が届けば王子と面会できるのだ。ある意味私達、地位の高い者の特権。


 これを今使わずにいつ使うのだ、と言わんばかりの修行……いや、レッスンを私もさせられた。対面はたかが10分程度だと言うのに、この半年散々マナーを叩き込まれた。正直鬼だ。きっと私を殺そうとしているんだわ、なんて思ったのも一度や二度ではない。最後の方は最早ゾンビと化した。


 しかし、まぁ、親が期待してしまうのも分からなくもなかった。なにせ、私は可愛い。菫色の大きな瞳にふんわり巻いたアイスグレーの艶のある髪。

 世の男はメロメロだわ、と鏡の前でほくそ笑んだのは5歳の時だったと思う。


 王子様だって男の子。そこらの貴族の美少女だって地位も容姿も私には敵わない。王子様もきっと私を好きになるわ。


 その時まで私は世間知らずのクソナルシストだったのだ。





 王子の居る部屋に案内されて、扉の前に立った。ドキドキとうるさい胸を押さえている間にも重そうな扉が開かれ、視界が一気に明るくなる。礼をする前に王子を見ないように、頭を垂れ、膝を折ってドレスを少し持ち上げた。


 半年のレッスンも馬鹿にはできないな、とこの時初めて思った。案外身体が勝手に動いてくれる。


 十分礼をした後、顔を上げて王子を見た瞬間、脳が痺れた。恋とか、そんな可愛いロマンチックなものではなく━━━。

 なんというか、記憶が掘り起こされているような不思議な感覚。今まで忘れていたものがじわりじわりと思い出されていくような、ここまで出てるんだけど! と言いたくなるようなもどかしい感じ。


 私は━━この王子を()()()()()

 金髪の、人とは思えない美しい顔。さらさらの髪は照明を反射し、尚更輝いて見えた。白い肌に埋め込まれたようなサファイアの瞳が輝く。


 この人は━━。


 思い出そうとしたところで自分が名乗って居なかったことに気付く。

 なんて無礼なことをしてしまったの!


 内心焦りまくっている中、王子は笑顔を絶やさずじっとソファーに座っていてくれた。目が合うとコテンと首を傾げて優しく微笑む姿はまるで天使。私は胸が射抜かれるような衝撃を受けた。


 あぁ、恋をしてしまったわ……!


 固まっている私を見ても、王子は慣れたようにじっとしている。大方、王子に見とれて固まったとでも思われているのだろう。

 一瞬でピンク色になってしまった頭をフル回転させて言葉を紡ぐ。


 必ず王子様の婚約者になってみせる!


「お初にお目にかかります、第二王子殿下。わたくしはタイバス家長女のベルティーアと申します」


 ベルティーア……?

 自分の名前なのに妙に違和感を覚えた。


 私の失礼な態度を咎めることなく、王子も立ち上がって、美しく礼をした。


「初めまして、ベルティーア嬢。

 私は、ヴェルメリオ王国第二王子、ディラン・ヴェルメリオと申します」


 ヴェルメリオ王国、第二王子、ディラン。


 この3つが頭の中で理解できた瞬間、ピンク色に染まった脳は冷え、危うく発狂しそうになった。


 麗しい笑顔で挨拶をなさる王子にこの世のすべての女性がメロメロになるだろう。

 ここは令嬢として白い頬を紅くさせて照れたように俯くくらいするべきなのに、できない。



 だって、私は思い出してしまった。

 自分の前世とともに、この世界のことを━━━。


 痛む頭を誤魔化すようにニコリと一つ笑顔を浮かべた。


  ☆



 お見合いをなんとか終わらせて屋敷へ帰る。会話の内容はよく覚えていない。王子の話に相槌を打つだけの首振り人形にはなってなかったはずだ。とにかく、自分を抑えるので精一杯だった。

 帰った瞬間両親が期待した顔で私を出迎えてくれたが、私の暗い顔を見て静かに部屋へ連れていってくれた。


 私は一日深い眠りについた。



 前世の私は日本在住の女性であった。齡は20前後。多分学生。友人は多い方ではなかったようだが、一人だけ、短い生涯を共に過ごした子がいた。

 彼女の名前はどうやっても思い出せないけれど、サバサバした性格の可愛い感じの女の子で幼い頃から仲の良い幼馴染のような存在だった気がする。


 いや、違う。アイツとは幼馴染などではない。言うなれば腐れ縁のようなものだ。家が隣で、幼稚園から大学までたまたま同じだっただけである。親友と呼ぶよりは悪友の方が似合っている関係だった。

 好きではないが……嫌いでもない。いい奴だとは思うけど、何分私に当たりが強い。強すぎる。

 お陰様で何事にも動じない防弾ガラスのハートを手にしてしまった。


 でも、そうは言っても私達は常に二人だった。隣にいるのが当たり前。頑固でプライドが高いせいで周りから孤立してしまう彼女を何かと気にかけていたのは確かである。今思えば私も彼女に思い入れをしていたのかもしれない。もう少し私に優しくして欲しかったとは思うけれど。


 ちょっぴり寂しく感じたのは気にしないことにした。


 さて、そんな悪友に失恋の慰めとして薦められて始めた乙女ゲームが、これである。

『君と奏でる交声曲(カンタータ)

 略して『キミ奏』


 因みに私達はハマりにハマった。グッズを買い漁るほどに。


 舞台はヴェルメリオ王国。魔法を使える唯一の一族としてヴェルメリオ家が治めている大国である。

 そのヴェルメリオ王国には、王都に大きな学園がある。その名も聖ポリヒュムニア学園。


 聖ポリヒュムニア学園には、普通貴族が教養として通うのだが、稀に庶民が入学できる場合がある。

 それは、特別な物事に秀でた者。料理が上手いとか、歌が上手いだとか。この上手いのレベルは王宮に仕えられるレベルのものである。半端ない。


 ヒロインは万人を魅了すると噂されるほど音楽の才能に優れていた。

 ヒロインの才能に目をつけたプラータ家の当主は庶民の彼女を養子に迎え、学園に入学させる………そこから物語は始まる。


 ここで、本当に申し訳ないのだが、私は攻略対象者を二人しか知らない。

 ハマりにハマったゲームだったが、ハマったのはゲームにではなく攻略対象であるヒロインの幼馴染の騎士様、アスワド・クリルヴェル様にハマったのである。むしろアスワド様しか攻略してない。


 アスワド様は、艶やかな青みがかった黒髪と青緑の瞳をもつ好青年(イケメン)。剣術に優れ、幼馴染のヒロインをいつも気にかけるお兄さん的な存在。

 容姿はもちろんのこと、アスワド様には欠点がない。欲目かもしれないが、堅実で、優しくて、紳士なお方。ヒロインに一途な姿は心を射たれた。語りたいことは沢山あるけど、時間が足りなくなるので割愛させて頂く。

 要はめっちゃタイプだったのだ。


 ちなみに悪友の推しは、第二王子。


 そのため、私は誰が攻略対象なのか詳しく知らない。悪友に第二王子の素晴らしさを語られたくらいである。


 知らないものはこの際しょうがないが、問題はここではない。

 問題なのは、ヒロインのライバル……ライバルというか恋を邪魔する人物が私、ベルティーア・タイバスであることだ。

 ヒロインを苛めに苛め倒し、自尊心の塊である、いわゆる悪役令嬢と呼ばれる奴である。それが、私。

 絶望だ。なんで、私がヒロインの手伝いをしなくちゃならないんだ。というか、そこはヒロインに転生させてくれる所だろう。訳が分からない。


 しかも、私、ベルティーアはハッピーエンドでもノーマルエンドでもバッドエンドでも消えて終わる。

 というか、私の最後はあまり詳細を語られていない。『それからベルティーアを見た者は誰も居なかった……』というよく分からない最後を迎える。

 冗談じゃない。


 悪友曰く、ベルティーアが輝くのは彼女の婚約者である第二王子を攻略しようとしたときらしい。私の騎士様のときはただのいじめっ子みたいな感じで立ちはだかるから、王子ルートで彼女が何をしているかなんて知らない。

 だけど、正直私はベルティーアが嫌いではない。なぜならベルティーアが出てくるイベントではアスワド様の好感度が二倍増しで上げられるからだ。


 ベルティーアは王子を見た瞬間一目惚れをし、必ず婚約者になろうと金と権力をフル活動させて無理やり王子の婚約者になる……らしい。

 悪友の話なんて半分以上聞いてないからあまり覚えてない。


 思い出したときはヒヤリとした。だって、私一目惚れしてたもの。危ない。


 どうやら、ベルティーアは自分から婚約に漕ぎ着けたらしいので、何もしなければ私は王子の婚約者に選ばれることはないのだ。


 だったら物語も変わってくる。

 なんだ、なにも怖いことはない。だったら、この美貌で騎士様と青春しちゃおうか。


 そんな風にニヤニヤしたのはつい最近のことだったと思う。神様、私の何がいけなかったの? そう思わずにはいられない状況だった。


 目の前には金髪碧眼の美しい方。


「こんにちは、三日ぶりだね。ベルティーア」



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