火を灯す娘
「その糸屑虫を育てるのか?」
「はい、桑と申します木を育てましてその葉を与えるのです」
既に糸屑虫と呼ばれる虫の食す葉の特定は出来ている。
桑だけを食す蚕、薄緑の繭を作る天蚕と呼ばれる蚕はクヌギの葉、それ等とは違いほぼ木の葉なら
何でも食す雑食も雑食、獣の死骸から枯葉まで何でも食らう森の掃除屋。
なれどイトの母方の親戚、蚕種商人 藤本 善右衛門の如く種を選別して新品種発見に力を注いだように
与える餌を厳選し、高品質なだけでなく蛆害に強く飼育成績に優れ新たなる種を生み出そうと
飼育実験から始めるのだと目を輝かせ語るグラーシア。
「先が読めぬ糸屑虫の飼育に人生を賭けるのか」
アーダルの神力であれば掌の糸屑虫をシルクを採る為の新たな種に作り変える事など造作もない。
しかしその恩恵を受けずして自らが為すと宣言するグラーシアに祝福だけで良いのかと
アーダルは重ねて訊ねればグラーシアは神の前にて言い切ったのだ。
「私が為さずして誰が成しまするか、蚕種商人の魂を持つ私だからこそ為せるので御座います」
胸を張り困難へと自らの意思で足を踏み入れようとしてするグラーシアは自らが女であろうとも
前世知識と英雄の娘である立場とキリアラナ王妃としての権力を行使する覚悟、そして化粧領と
下賜され自由に出来るシナノがあれば、断腸の思いで廃業した蚕種商の暖簾を再び掲げる事は
王家が命じた婚姻の約を一方的に身勝手な理由で衆目の中で行われ、その後も王家が要求したのは
相手を挿げ替えただけのドラゴンを一刀の下屠った"ファングルの獅子"を繋ぎ留める婚姻。
何故ならばその英雄的な名声は軍部での人望となり軍閥の求心力として機能しており
唯一の娘を下手に国内の貴族へと嫁がせれば、キリアラナ政界のパワーバランスが
一気に崩れる事になり兼ねない。
その政治的思惑と計算を嗅ぎ取ったからこそ潰えた無念が野心と芽吹いたのだ。
先の世で十分愛された、今生でそれを追い求めずとも良いではないかと
覚悟を決めたから相手が誰てあろうと粛々と受け入れ、静かに野望を滾らせる。
「判った、なれば我はそれを見守ろう」
一見、静かに穏やかに語るグラーシア…いや、イトという女の激情を神だからこそ感じ取り
安穏な生活や女の幸せを切り捨ててまで掴むそれはキリアラナ王妃としての権力では無く
その権力を行使して得るのは、もう叶う事の無い前世への未練。
壮大なる事業の先に望んだものが追憶という、娘のいじらしさにアーダルは胸塞がれる思いだ。
「グラーシア、後程マトラ神達が降臨するから席の用意を」
「え、あ、はい!承知致しました」
その熱情から逃れるように話を逸らすアーダルが創造神の到来を予告すれば、グラーシアは席をと
神を迎える為の支度をすべく慌てて一礼し、メイド達を引き連れ中座する。
そうして部屋に残されたのはアーダルとクラウド、一柱と一人の転生人のみ。
「シナノの女とは皆、あのようなものなのか?」
杯を傾け問うアーダルに、平静に見えたグラーシアに何かあったのかとクラウドは言葉に詰まった。
「あのように…とは?」
「純化する程の熱情と激情がだ、あれ程のものであればマトラ神も興味を引こうて」
神の糧は人の信仰、即ち人の情。
美醜や表に出た態度には惑わされたりはしない、その者の持つ内に籠る信仰であったり情念や
信念の純度と熱量で生きる全ての存在を計る故に神に偽りは通じない。
グラーシアの追憶と無念の上に芽吹いた野心の焔を、火の神のアーダルは好ましく取ったのだ。
「あの人、そんなに糸取りたかったのかなぁ」
「そうでは無い、あの娘はシルクの向こうに夫君と…彼方のシナノを見ているのだ」
若さ故に男女の機微に疎いクラウドに噛んで含めるようにアーダルは説いた。
「あれ程鮮明に見える位に想うておるのだ、彼方のシナノの空と山々…そして夫のケサオとかいう男と
手を取り合って励んだ家業が糸屑虫の卵の売買やシルクの元となる繭の売買らしく
それを戦争や時代の趨勢で家業を畳まねばならなかった無念、此方での婚約破棄と後の対応に失望し
ならばと無念を昇華させんとウエダなる地の再建に生き甲斐を求めたようだ」
前世を引き摺るという事は生きながらの亡霊になる事かと、アーダルの言葉にクラウドは息を呑んだ。
「面白い娘よな、普通の女子なら王太子の妃に収まり王妃になれば女としての栄耀栄華を極めたと
満足するが、アレは権力なぞ手段の一つとしか捉えておらん。王太子とやらも顔馴染み程度の情よ」
完全なる政略結婚、王家がファングルの獅子の名声と血を求めるのならグラーシアもこの婚姻を
キリアラナ王家の権力の一端を得、化粧領として得た地を前世の未練を昇華させる舞台として
その権力を存分に利用してやろうとの計算。その地位を確固たるものにすべく今は雌伏の時と
親譲りの激情を抑え、得心したと見せ掛けるべく従順な姿勢を示しているだけである。
「女は恐ろしいと人の男共は言うが…笑みを浮かべて優雅な礼を取りながら、機が熟すのを
静かに息を潜めて虎視眈々と狙いよるわ」
アーダルは火を司る神だけに我が身を顧みぬ激情を湛えた娘が気に入ったからこそマトラ神へ
一言断りを入れようとマトラ神を呼んだのだ。
「…そうなんスか、そりゃおグラさんも信濃の女性なんですねえ。
"信州人は愚にして頑"と言いますし信州女は一途なんですよ、俺ん所に伝わる火灯し山なんて話や
おグラさん所の湯の丸高原のツツジなんて昔話に出てくる女の人なんて、どっちも一途が過ぎて
恋人逢いたさに冬の諏訪湖を泳いで渡ったり、一晩で峠を往復したもんだから
ビビった彼氏に殺される結末なんですけどそれでも諦めらんねえのが信州人ってもんらしいです」
「思い定めたら一直線なのか」
「そうみたいです、しかも真面目で愛嬌に欠けるから重い」
生前読んだ、グラーシアの故郷 上田が誇る日本一の兵を女体化したノワール作品からの受け売りで
信州人は馬鹿真面目で理屈と自己の信念で動くから面倒なのではと説明した。
「その火灯し山の話が知りたいのだが」
説明に出てきた昔話の詳細が解らねばと、火と付いた話を知りたがる火の神様にクラウドは
何時も精霊達にしているように手を差し出した。
精神性を重要視する精霊に見聞きしたものや考えを伝えるには言葉で聞かせるより
思考や記憶を直接見て貰った方が早いので、触れて貰って脳内を覗かせるのだ。
「お前が良いのなら…」
大体の人間は神に触れられて思考を覗かれるとは知らぬし、知ったとしても自らの中を覗かせようと
易々と触れさせる者などいなかった為、堂々としたクラウドに躊躇いながら触れる。
昏い厳寒の湖に身を踊らせ恋しい男目指し泳ぐ娘の純情と狂気…そしてその昔話を引用した
ノワールワールドがアーダルの中に流れ込む。
「素晴らしいな…好いてしまった主君の居城に火を放って告白とは」
感動に震えるアーダルの漏らした感想にクラウドは、昔話でなくBLの方の物語を
一方的に読み取られた事を悟った。
「はぁ、ソウデスネ」
南蛮渡りの秘術によって女体化した日本一の兵君が甲斐の虎アニキに秘めたる?恋心を募らせた挙句
寝所に夜這いを掛け、何故か放火して泣きながら絶叫告白するという荒唐無稽に
ジェットエンジンを搭載して音速で走り抜けたような与太話なのだが、それを純愛と錯覚させるのが
ノワールワールドの真骨頂なのだ。
「斯様な娘がおるのだグラーシアも一筋縄では行かぬだろう、先ずはシルク生産を軌道に乗せねば
愛だの恋だの浮かれる筈はありはしまいて」
すっかり腐の毒に当てられた火の神様は、クラウドの手を握り締めて溜息をついた。




