88 引きこもり聖女は外を歩きたい
「がはっ……! そ、それは魔法ではなく、ただの物理攻撃……」
ティアマトの頬にめり込んだ拳は、板から飛び出た勢いも相まって凄まじい威力を生み出した。
脳が揺らされ、視界も揺らぐ。体がのけぞる。足がふらつく。上下左右が反転したかのような錯覚に陥る。
飛びそうになる意識を、ティアマトは耐える。
耐えに耐え、ついには意識を取り戻した。
「ふふふ……ははははッ! 耐えた! ボクの勝ちだ!」
そして、お返しとばかりにクロエの両肩をがっちりと掴んだ。
ティアマトにとっての勝利は、相手を倒すことではない。
倒さずとも、体を乗っ取ることが出来ればいい。
そのためには体の中の魂が邪魔だ。
幸い、闇魔法には魂を追い出すのにうってつけの魔法がある。
師匠に感謝しなくては。
早くもティアマトの口元から笑みが漏れ出す。
「《гхост》!」
勝った……!
ティアマトは高らかに笑った。
この魔法をかけられた者は、肉体から魂が抜け出して霊体となってしまう。
……はずだった。
「なぜだ!? なぜ何も起こらない!?」
魂が抜け出せば、肉体は即座に抜け殻となって地に倒れるはずだ。
しかしクロエは、未だに二本の足で地に立っていた。
ティアマトは目の前の光景が受け入れられず、ついに狼狽えた。
「言ったでしょ? 101番目の魔法が使えるようになったって」
クロエは両肩に乗った手を丁寧にほどきながら、言った。
「あり得ない。闇魔法に101番目の魔法など存在しない!」
「そう、これは闇魔法じゃない。これは……ボクの魔法だ」
クロエが使った魔法。それは、クロエ自身も魔力と魔石の魔力が合わさって創り出された、一発限りの超大技――名付けるならば『魔法剥奪』だった。
効果は文字通り、相手の魔力を根源から奪い去って魔法を永久に使えなくさせる。
その圧倒的な効果の代償に、手の中の魔石は粉々に砕け散り、クロエの魔力もすっからかんになっていた。
「ははは……キミはボクの想像以上だ」
ティアマトは、そう言い残して地に伏した。
ちょうど夜が明け、一筋の朝日が薄暗い広間を照らした。
◆
その後、地下牢に囚われていた城の人達はみな無事に救出され、入れ替わりでティアマトが収監された。魔法を失った彼の顔は、年齢以上に老けてしまっている。魔法の力で無理やり若返った代償――というわけではなさそうだ。
一方で、クロエ達はというと。
「わ、わ、我が主よ。ななな、何を緊張しているのだ?」
「いやいや、ききき、緊張なんか、し、してないよ」
玉座の間の扉の前で、クロエとグリモアが揃ってガチガチに緊張していた。
なぜここまで緊張しているかというと、この扉の先にクロエの家族がいるからだ。
国王。王妃。そしてセシルを始めとする王女達。
戦いが終わり、エリシアはすべてを打ち明けたのだ。
クロエが国王夫妻の間に生まれた本当の長女であること。
ティアマトの魔の手によって、エリシアと共に孤児にされたこと。
最後にエリシアは、今まで黙っていたことを謝った。
それに対してクロエは「謝らないで」と言い、次に「ありがとう」と感謝した。
「クロエ……」
エリシアは、涙を堪えることが出来なくなってしまった。
笑顔には笑顔で返したい。けど、どうしてか大粒の涙ばかりが頬を伝う。
そしてエリシアは、クロエを強く抱きしめていたのだった。
そんな経緯があり、クロエ達は玉座の間の前に集まっていた。
「ほら、しっかりしなさいよクロエ」
あれだけ感情が溢れ出ていたエリシアも、時間が経っていつもの冷静さを取り戻していた。
「け、けど、手と足が震えて仕方ないんだよ……」
「じゃあ深呼吸でもしたら?」
「「すー……はー……」」
クロエとグリモアは、息を合わせて深呼吸をする。
「ってか、グリモアには緊張する要素ないでしょ」
「何を言っている。我が主と私は一心同体、我が主がガチガチな時は私もガチガチになるのは当然だろう」
相変わらず変な会話だが、一応緊張は解けたようだ。
また緊張しないうちに、エリシアは扉に手をかける。
「あ、待って、まだ心の準備が――」
そう言うクロエだったが、国王と王妃に目が合った瞬間、運命の鼓動を感じた。
間違いない、自分はあの二人から生まれてきたのだと。
そして運命の鼓動を感じたのは国王と王妃、それに王女達も同じ。
居ても立ってもいられず、みな席を飛び出してクロエの元へ駆け寄った。
「無事で本当に良かった! どれ、もっと顔を見せてくれ!」
「貴女が生きてくれていたこと。ここまで大きく育ってくれたこと。神様に感謝しないといけませんね」
「う~ん、我が妻に似てとても美人だな!」
「あっ、貴方ばかりずるいわ! 私にも顔をよく見せて頂戴!」
「い、痛い……」
クロエは二人に揉みくちゃにされてしまう。
国王と王妃といえど、やはり人の子、子の親ということか。
その反面、セシル達はまだ緊張しているのか親と比べると大人しめだった。
「本当に驚きました。まさか私に姉がいただけでなく、貴女が私の姉だったなんて」
「ボクも同じだよ。あの時会った王子……じゃなくて王女様が、ボクの妹だったなんて思いもしなかったよ」
「ええ、あの時は本当に……本当に申し訳ないッ! 貴女を呼び捨てにしただけでなく、あろうことか年下と勘違いしてしまった!」
「いやいや、全然気にしてないよ。知らなかったなら仕方ないって」
「ありがとうございます。ところで姉上は、これからどうなさるつもりですか?」
「……それは」
クロエは言葉を詰まらせた。
そう、この謁見は、ただ家族の再会を喜ぶためだけに行われているのではない。
むしろここからが本題。
クロエはこのまま城に残るか、それとも大聖堂に帰るかの二択を選ばなければならなかった。
どちらを選ぶにしても、心苦しい。
悩み、悩み、大いに悩み続け、ついに出した答えは――。
「ボクは、大聖堂に帰るよ」
クロエは、後ろに立つエリシアとグリモアの顔を見ながら言った。目の前にいる彼らは紛れもなくクロエの本当の家族なのだろうけど、クロエにとってはあの二人も家族、いや、それ以上の存在だった。
「ごめんね、セシル。ボクには待っている人がいるんだ」
「謝らないでください。姉上の選んだ道です」
「ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」
クロエは皆と手を握り合った。
王も王妃も、妹達も、クロエの未来を祝福した。
別れるのは寂しいが、永遠の別れというわけではない。
いつの日かまた会うことを約束し、クロエ達は玉座の間を後にした。
◆
「本当によかったの? 城に残れば毎日楽して暮らせたかも知れないのに」
城の出口付近。
エリシアはふと歩みを止めて言った。
「いいの。ボクにはまだやりたいことがいっぱいあるんだから」
「そうだぞ。我が主はこんな小さな箱庭に収まるような器ではないのだ」
「へぇ、グリモアもたまには良いこと言うじゃん」
「うむ。私は我が主を信じ……って、さっき『たまには』と言わなかったか?!」
グリモアはショックのあまり、その場に膝を付いた。
これでもう三日は食事が喉を通らなくなることだろう。
「ところで、やりたいことって?」
「ボク、外に出てみたいんだ」
「「……!」」
その言葉を聞いて、エリシアとグリモアは最大級に驚いた。
あの引きこもりのクロエが、自ら外に出たいと言うなんて……何か良からぬことの前兆かと思ったほどだ。
もちろん二人は耳を疑ったが、クロエの言葉と目は本気だった。
城の中と外の境界線にクロエは立ち、空を仰ぐ。
あと一歩、前に踏み出すだけでいい。
あと、一歩……。
しかし、熱意と裏腹に足は思うように動いてくれない。
前に踏み出すことを、体中が拒否している。
すごく簡単なことなのに、どうしても出来ない。
……引き返したい。
「何を怖がっているの? 私達がいるから大丈夫よ」
「頑張れ我が主! 一歩踏み出して、この手を取るんだ!」
心が折れかけた、その時だった。
エリシアとグリモアが外に飛び出し、クロエに手を差し伸べた。
もう迷いは消えた。
クロエは一歩踏み出し、二人の手を取った。
鉛のように重かった体は軽くなり、心に絡まっていた鎖は一気に弾け飛ぶ。
――なんだ、簡単だったじゃないか。
二人のおかげで、ついにクロエは外に出ることが出来た。
窓を通さずに見る外の世界。何もかもが新鮮に感じる。もっと歩いて肌で感じたい。
そう思ったクロエは、ふとこんなことを口に出していた。
「そうだ、大聖堂まで歩いて帰らない?」
さっき外に出られたばかりなのにずいぶん調子がいい、と二人は笑う。
だが、せっかくクロエがやる気になったのだ。行ける所までとことん行ってみるというのも悪くない。二人はクロエの提案に乗ることにした。
澄み渡る青空。
燦々と輝く太陽。
今日は絶好の散歩日和だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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