85 借りを返しに
「どうしたの? 考え事?」
「……いえ、なんでもないわ。ちょっと昔のことを思い出していただけ」
しばらく棒立ちしていたエリシアは、クロエの声で我に返った。
過去のことを振り返るのはもう終わり。今は前を見据えるだけ。
エリシアの目に、凛々しさが戻った。
「もう準備はいいか?」
グリモアの呼びかけに、二人は頷く。
最初は乗り気ではなかったクロエだったが、エリシアの強い想いを感じて考えが変わっていた。
それにティアマトはいずれ戦わなければならない相手だ。
グリモアが言うように、戦うなら早ければ早い方がいい。
向こうもまさか出会ったその日に乗り込んでくるとは思わないだろうから、今がまさに最高の出陣タイミングだった。
「よし、ならば行くぞ。私の肩に掴まってくれ――《шавв》!」
三人は王城内のパーティー会場に移動した。
ライナと王子(王女)の結婚式場になる予定だったあの場所である。
しかし、あの時と違って中は暗く、賑やかさもない。
パーティーが開催されていないので当然だが、それにしたってあまりに静かすぎる。
扉を出て通路に出ても、人の気配が微塵もしなかった。
「不気味だな。これほどまでに静かだと」
傍から見れば、三人は城の侵入者だ。
なのに兵士の一人も出てこない。
おかげで楽に歩みを進められているが、グリモアの言うようにやはり不気味だ。
何か良くないことが起きる前兆のような……と、誰かが思ったその矢先。
「……ようこそ、ボクの城へ」
三人の前に、黒いフードの男――ティアマトが現れた。
空気が一気に強張り、エリシアとグリモアは臨戦態勢に入る。
一方、クロエは、
「待って。こいつは本物のティアマトじゃない。魔法で作った分身だよ」
一目で正体を見破った。
幻影魔法『《корёг》』で作られた分身は自我を持ち、見た目も本物とそっくりになるのだが、仕事をサボるためによくこの魔法を使っていたクロエは、分身特有の微妙な違いを見分けられるようになっていたのだ。
褒められることではないけれども。
「さすがだね。そう、ボクは分身だ。けど、コイツだけは本物だよ」
分身ティアマトは、植物の種のような黒い小石を取り出した。
「それは……?」
「コイツは闇魔法の魔石。クロエ、キミが産まれた時に持っていた物さ」
「ボクが……産まれた時……!?」
「そしてこれほど高純度な魔石があれば、こんなことだって出来るようになる」
ティアマトは魔石に魔力を込め始めた。
すると魔石が黒く発光し、
「《生命創造》」
二体の異形が出現した。
二足歩行の大ウツボではなく、ゲートを守っていた門番と同じタイプだ。
体は普通の異形と比べて小さいが、強さは比べ物にならない。
「むっ、あれが我が主の言っていた異形とやらか……!」
「そういえばグリモア師匠は異形とは初対面でしたね。ぜひとも味わってください、ボクの研究成果を……いけ、異形達!」
二体の異形はそれぞれ、クロエとグリモアに飛びかかる。三人の位置はバラバラになってしまった。
「キミの相手はこのボクだ。確か今はエリシアという名前なんだっけ?」
「……貴方とは言葉を交わす必要はないわ」
エリシアとティアマトの戦いが始まった。
先制を撃ったのはティアマト。闇弾の応用で闇の刃を造り出し、ひたすら攻撃を続ける。
たまらずエリシアは回避に専念するが、四回目の攻撃でついに被弾。
しかし即座に治癒魔法を発動し、傷を塞ぐ。
そんな攻防が何度も続いた。
「さすがの回復力だね。でも、回復しているだけじゃあ勝てないよ」
「ご心配なく。そろそろ決めてあげるわ」
エリシアとてただ黙って防御に専念していたわけではない。反撃の隙を伺っていたのだ。そして、今がまさにそのチャンスだった。
「《極光》ッ!」
指で描いて出現させた光輪から、極太の光線が発射される。それは細い通路を埋め尽くす回避不能の攻撃だった。
「くっ、夢幻世界の魔法か……!」
「偽物に用は無いわ。消えなさい」
ティアマトの分身は光線に焼かれ、消滅。影となって本人の元へ戻っていく。
「時よ戻れ、《парадигм》!」
「上級攻撃術、序列の八十番――《холе》」
時を同じくして、別の場所での戦いも終わっていた。
バラバラに散っていた三人が、再び集結する。
「ふん、あんなもの肩慣らしにもならなかったな」
「そう? グリモア、結構危なさそうだったけど」
「あ、あれは魔法を無効化されたのに少し驚いただけだ! 断じて危ない場面などなかったぞ!」
「はいはい、ともかくみんな無事で良かったわ。早く本物がいる場所に急ぐわよ」
本物のティアマトは、おそらく玉座の間にて待ち構えている。
準備運動も済まして万全となった三人は、城の最上階を目指して再び歩みを進めた。




