76 勇者伯
ライナが二人を連れ込んだ先は、狭くて薄暗い物置のような部屋だった。
「も、申し訳有りませんわ。ちょっと気が動転してしまって……」
「気持ちは分かるよ。ボクだってあんな場面は逃げ出しちゃうと思うし」
「そもそも、なぜ王子とやらと婚約する話になっているんだ。何か心当たりはないのか?」
グリモアの問いに、ライナは首を横に振る。
だがその途中で何かに気づいたようで、ハッと顔を見上げた。
「いえ、心当たりなら……なんとなくですけどありますわ」
「あるの?」
「ええ。まず聞きますけど、わたくしの家がどの爵位をいただいているかご存知かしら?」
「……男爵?」
「わたくしも低く見られたものですわね」
「あそっか、王子と結婚するくらいだしね。ということは一番高い……えーとなんだっけ」
「公爵というやつだろうか」
グリモアがそう言うと、クロエが「そうそうそれそれ」と合わせた。
「いえ、それも違いますわ」
「え、でも一番高いのが公爵なんでしょ?」
「……わたくしの家は、勇者伯という位置に属していますの」
「ゆうしゃはく?」
聞き慣れない、というか初めて聞く言葉だった。
「勇者伯というのは魔王と戦った勇者に与えられる爵位ですわ。大聖堂に聖剣が奉られているのは知っているでしょう? あの剣を握っていたのが、わたくしの先祖らしいですわ」
「エッ、うそ!? そうなの!?」
クロエは王子がライナに婚約を求めた時よりも驚いている。大聖堂に奉られた聖剣……知っているどころの話ではない。あの一件で、クロエは大きく成長できたのだから。
「そして勇者伯は普通の貴族とは違う、ヒエラルキーの階層から外れた特別な存在でして。王家に何かあった場合……例えば王や王妃がなんらかの理由で不在となった時、臨時で代わりを務める取り決めなどがありますの」
「じゃあ、何かあったってこと……?」
「それは分かりませんわ。ですけどこれほどまでに急な話になったのであれば、確実に何かがあったと考えてよさそうですわね。あ、この話は他言無用でお願いしますわよ!」
ライナが言い終えるのと同時、外から大声が聞こえてきた。
「探せぃ! 一秒でも早くライナ嬢を見つけるのだ! 見つけた者には褒美を出すぞォォォ!!」
セシルから「爺」と呼ばれていたアノ人の叫び声だ。せわしなく走るたくさんの足音も聞こえる。
「やっぱり、出てきたのはまずかったらしいね」
「そ、そのようですわね」
「あとこの際から聞くんだけど。ライナの本心はどっちなの?」
「どっち、とは……?」
「だから、王子と結婚したいのかしたくないのかだよ」
「わたくしは、そのぅ……勇者伯の人間としての務めを……」
「ボクはライナの心に聞いてるんだよ。家とかどうとかじゃなくて、ライナがどう思ってるかを聞かせて」
クロエはライナの手をそっと握った。
それからしばらくして――。
「わたくしは…………アタシは、まだ結婚なんてしたくない! もっとみんなと一緒にいたい!!」
それは今まで被っていた「お嬢様の仮面」を脱ぎ捨てたような、極めて自然体な言い方だった。
クロエはそれを聞くと、ほっと一息ついて手を放した。
「やっぱりそうだったんだ。もうごまかしたりしないでよ?」
「うぅ……けどなんかズルいわ。まるで誘導じゃない」
「え、そんなつもりじゃなかったんだけど……迷惑だった?」
「そんなことないわ」
「そっか、それならよかった」
クロエは笑みをこぼした。
それからライナはすくっと立ち上がり、
「そうとなればやることは決まったわね。さっさとこんな所から抜け出して、アタシ達の大聖堂に帰るのよ!」
と拳を握りしめた。
「よし、じゃあ足音も収まったし、ボクは外の様子を見てくるよ!」
「任せたわ! グリモアはもしものためにここで待機よ!」
「むっ……仕方ないな」
そしてクロエは外に行き、部屋にはライナとグリモアが残った。なかなか珍しい組み合わせだ。
「そういえば貴女とは二人っきりで話したことはあまりなかったわね」
「ゼロというわけではないが、その話し方のせいでまるっきり初対面だな」
「あら。戻した方がいいかしら?」
「ふん、別にどうだっていい」
「じゃあ気楽な方にす――むぐっ?!」
「静かに」
グリモアがライナの口をふさいだ。
外からゆっくりと、一つの足音が近づいてくる。
カツ、カツ、カツ、カツ……。
「そーれにしてもどこへ行ってしまわれたんじゃライナ嬢は」
例の「爺」の声だ。無駄に声が大きいのですぐに分かった。
「そういえばあの部屋はまだ調べておらんかったな」
また一歩、また一歩と「爺」は近づいてくる。
「ライナ嬢。居るなら返事をしてくだされ」
ギイィィィ……。
部屋の扉が開く。
「ンンン? ……なんじゃ、ここにもおらんかったか」
「爺」は部屋を去っていった。
◆
「やれやれ。我が主は自分が何の魔法を使ったかさえ覚えていないようだ」
「ここは……大聖堂の書物庫!?」
ライナは心底驚いていた。
いきなり口をふさがれたと思ったら、今度はいきなり景色が変わったのだから。
この薄暗くて紙のにおいが充満した場所は、間違いなくいつもの書物庫だ。
「そうだ。魔法を使って城から移動してきた」
「ああ、あの板から出てきたのと同じやつね」
「理解が早くて助かる。我が主とは大違いだな」
「あんた、クロエを本当に慕ってるの? っていうか、その魔法があるなら偵察なんていらなかったじゃない」
「そうだな。まったくの無駄だな」
「……じゃあなんで止めなかったのよ」
「ふふふ。我が主が楽しそうにしてたからな」
グリモアは不敵に笑う。
やっぱりこの二人のことはまだまだ分からない、とライナは思うのだった。




