72 夢は起きた瞬間に内容を忘れる
「……はっ!?」
いつもの書物庫、いつものソファの上でクロエは目を覚ました。
何かすごく大変な夢を見ていた気がするが、起きた瞬間にすべて忘れてしまった。
夢あるあるの一つだ。思い出そうとしても欠片すら出てこない。
「まあ……どうでもいいか。どうせ夢だし」
クロエはソファから立ち上がった。いつもならここで二度寝の態勢に入るところだが、最近はあまりしない。調べ物に夢中だからだ。
目的もなく、ただ貪るように本を読んでいるクロエではあるが、最近になってどうしても知りたい情報ができたのだ。
まあ、あまりしないというだけで、たまに二度寝はするけども。
とりあえず今日はちゃんと起きたので、さっそく目的の本棚に向かった。
そこに集められているのは、本ではなく新聞の切り抜きノートである。
ここ数十年の、大聖堂や周辺地域で起きた様々な事柄がまとめられている。
クロエが探しているのは、約一〇年前の記事。
一〇年前。そう、ベルディアの村を魔物が襲った事件についてだ。話によれば、その魔物は討伐されておらず、村を滅ぼした後に姿をくらませたらしい。
なので情報が欲しかった。それに情報が掴めれば、ばったり出くわしたときに役立つ。討伐もできれば、姉妹や村民の無念を晴らすこともできる。
……まあ、極力出くわしたくはないけど。
「えーと、この辺だったかな」
クロエは指でノートの背表紙をなぞっていく。情報を探し出すのはいっけん簡単そうに見えて、実はそうはいかない。
誰がまとめているのかは知らないが、毎月数冊の勢いでノートが増えているので、総じてかなりの量となっている。
一〇年前の切り抜きノートに限定しても、本棚の横一列を埋め尽くすくらいには量があった。
膨大な情報の海から、一つの小石を見つけ出す。
この作業をクロエは……まったく苦にせず行っていた。
本好きのスキルは、切り抜きノートにも発揮されていたのだ。
むしろ情報にリアルさがあって、ついつい時間を忘れて読んでしまう。
没頭しすぎると、目的の情報があっても「ふんふん、そんなことがあったんだ」と読み飛ばしてしまいそうだ。
なので決して気は抜かず、かと言って読み物を楽しむ心は忘れず、今日も熱心にページをていねいにめくっていた。
「……あ、これってもしかして」
開始から数時間後の夕方。クロエの手は止まり、目はある記事に留まった。
『オーリス』という単語があった。
これは事件のあった村の名前だ。
読み進めると、こんなことが書かれていた。
『夜中に突然、二足歩行をする大ウツボのような魔物に襲われたなどと生存者は供述している。おそらくこの生存者は精神が錯乱していると思われ、早急な鑑定を要す――』
後半に書かれていることはどうでもいい。
それより『二足歩行をする大ウツボ』という言葉が引っかかった。
確かに目を引く言葉だが、そういうことではない。
どこかで自分もそんな魔物に出会った気がする。
いや、正確には魔物ではなかったかもしれない。
けど、たしかに『二足歩行をする大ウツボ』には出くわした記憶がある。
精神が錯乱したわけではなく、絶対に。
しかし、『いつ』『どこで』見たのか――肝心な部分は思い出せずにいた。
「我が主よ、いったい何をうんうん唸っているのだ?」
声がして振り向くと、グリモアが首をかしげていた。
クロエはノートを閉じ、やけに神妙な感じでこう言った。
「ねえグリモア。二本足で歩く大ウツボって、どんな魔物?」
「……どうやら我が主は疲れているようだ」
グリモアはクロエの頭を本気で心配した。
何を読んでいるかという質問に答えず、いきなり突拍子もないことを言ったので当然ではある。
「あれ? グリモアでも知らないの?」
「まったく、また変な本を読んだようだな。とりあえず言えるのは、そんなおかしな魔物は存在しないということだけだ」
「おかしいな。ボクはどこかで見た気がするんだけど……あ、別に大ウナギでもいいんだよ?」
「はぁ。夢で見た話はまた今度にしてくれないか?」
溜め息をつくグリモア。
「夢……?」
一方でクロエは、今のグリモアの言葉に引っかかりを感じていた。
まったく関係ないことのように思えて、核心に迫っているような……。
あとちょっとで思い出せそう。喉元まで出かかっている。
「ウツボだのウナギだの、我が主は魚でも食べたいのか? どちらも結構なゲテモノ寄りの魚だが、疲れは取れそうな――」
「そうだよ! 夢だよ!」
唐突にクロエは叫んだ。
夢幻世界や異形のことを、完全に思い出した瞬間だった。
同時に新たな事実にも気づいた。ベルディアの村を襲ったのは、異形だ。
これで夢幻世界に行く理由ができた。
クロエは、がぜんやる気が出てきた。
「な、なにをいきなり大声で。おかげで肩がビクッとなってしまったではないか」
「ありがとうグリモア。おかげで全部思い出せたよ」
「そ、そうか? よくわからないが、それなら良かった」
「うん。異形を見たのは、夢の中だったんだ」
「ゆ、夢……?」
「じゃあボク、寝るね」
「あ、ああ……」
グリモアはまったく話に付いていけないが、クロエが満足そうなので「ヨシ!」ということにした。考えを放棄したとも言える。




