58 出来損ないの魔導書
朝、クロエが目を覚ますと、高い所にあるはずの天井が低く感じられた。
圧倒的既視感。数日前にもこんなことがあった気がする。
程なくして目のピントが合うと、ライナが顔を覗き込んでいるのが映った。
「おはようクロエ。今日も遅い目覚めですわね」
「……どうしたの。何か用?」
「これを見てくださるかしら」
そう言ってライナは、黒い本を取り出してきた。
クロエもむくっと起き上がり、その本をじっと見てみる。
「この本はいったいどういう本ですの?」
「うーん、分からないなぁ。ちょっと貸してみてくれない?」
クロエは手を伸ばして本を取ろうとする。
しかしライナは手を引っ込めて、本を取れないようにしてきた。
「さ、触っちゃ駄目ですわ!」
「なんで?」
「とにかく、絶対に触っちゃ駄目なんですの!」
「わ、分かったよ。触らない触らない」
「ほっ……」
安心するライナの姿を、クロエは不思議そうに見つめる。
他人には触らせたくないほどに大事な本なんだろうか。
「けど、近くで見てみないと分かる物も分からないよ。表紙は真っ黒いし、タイトルも掠れてて読めないし……」
「タイトル? まさか貴女、この本のタイトルが見えてますの!?」
「え? もしかしてライナには見えてないの?」
「ええ、そうですけど……」
「そっか、なるほどね」
黒い本には心当たりはないが、タイトルが見える・見えないの特徴には心当たりがある。
そう、魔導書だ。今は失われているが、あの魔導書には『гримойре』というタイトルがあった。
そしてそのタイトルが見えていたのはクロエだけだった。
ライナが持っている黒い本も特徴が同じ。
もしかしたら、その本も魔導書なのでは?
クロエはそう考える。
「グリモアにも見せてみようよ。何か知ってるかもしれないしさ」
「あー、闇魔法の始祖だとか仰ってたあの……けどわたくし、あの方はどうも苦手ですわ」
ライナはグリモアのことが苦手。
なんというか、案の定という気がしたクロエだった。
「ふむ。これは闇魔法の魔導書だな」
テーブルに置かれた一冊の黒い本。
グリモアはそれを見てすぐに魔導書だと断言した。
「本当に!?」
「ああ。間違いない」
「じゃあ、もう魔導書は――」
完成ってことでいい?
だって魔導書そのものが見つかったわけだし。
クロエはそう考える、が。
「しかしこの魔導書は恐ろしく出来が悪い」
グリモアが言うには、この魔導書は魔導書と呼ぶことすらおこがましいとのこと。タイトルが掠れていて読めないことがいい証拠だそうだ。
「そういえば我が主、何か言いかけてなかったか?」
「え! いやいや、何も言ってないよ」
「そうか?」
「そうそう」
面倒くさがりなクロエでも、魔導書作りに掛ける情熱は本物だ。
素材を集める手間が省けるのはもちろんいいけど、どうせなら最高の魔導書を作りたい。
喉元まで出かけた言葉は、再び腹の奥底へと沈んでいった。
「さて、どのくらい酷いものか実際に読んでみようか」
グリモアはテーブルの上の魔導書に手を伸ばす。
だがクロエの時と同様、ライナが止めてきた。
「だ、駄目! 触っちゃいけませんわ!」
「む? なぜだ?」
「それは、そのぅ……」
「話さなければ何も分からないぞ?」
「そうだよ。一人で抱え込んでちゃ駄目だよ」
「わ、分かりましたわ……」
クロエにも促され、ようやくライナは話す気になってくれた。
「実はその本、呪われていますの。何度捨てても、何度燃やしても……元通りになって必ず返ってくるんですわ! 最後に触れた人の元へ!」
「……へぇ」
それを聞いたクロエは感心するような声を漏らす。
「ということはライナが絶対触らせようとしなかったのって、ボク達のためだったんだね」
「うっ、実際その通りですけど……貴女に面と言われたら何だかむず痒いですわ」
「でもボク、そういうの嫌いじゃないよ」
「あーもうむず痒いですわ! だから言いたくありませんでしたの!」
憑き物が落ちたように声を張り上げるライナをよそに、グリモアがクロエの肩を小突く。
振り向いてみると、グリモアは何か言いたげな様子だった。
「あの魔導書もどき、なかなか面白い代物だな。もしかしたら紙の素材として再利用できるかも知れないぞ」
「本当に? 中身はもう書かれてるんじゃないの?」
「少し手を加えれば大丈夫だ」
「そっか、じゃあライナからあの本を譲ってもらって……」
「いや待て、ただ頂戴するだけではもったいない。ライナは優れた炎使いなんだろう? ついでにアレの処理もしてもらおうじゃないか」
「ああ、アレね」
「二人でコソコソ何を話してるんですの?」
ライナが怪しんできた。
二人は話を切り上げるのと同時、ライナに話を持ちかける。
「ねえライナ。あの本、ボク達なら何とか出来るかも知れないんだ」
「本当ですの!?」
「うん。でもその代わりにさ、一つ頼みを聞いてくれないかな」
「ええ、いいですわよ」
「ありがと。じゃあこっち付いてきて」
クロエとグリモアは、ライナをある場所へと連れて行く。
そこはグロテスタスの鉢植えを置いている書物庫最奥だった。
決して陽の光は届かず、空気は常にじめじめしている。
だがグロテスタスはその環境を糧に――とても大きく成長していた。
「なっ……なんですの、これは……」
ライナはこの世ならざる光景を目の当たりにし、思わず卒倒しそうになる。
辺り一面を覆い尽くす、無数の紫色の触手。
うねうねと蠢く様が地獄の様相を加速させている。
最初は鉢植えにちょこんと植えられていたのが、たった数日でこうなってしまったのだ。
「頼みっていうのは……ライナの炎魔法でこれを燃やしてほしいんだ」
さすがのクロエも、この時ばかりは申し訳無さそうに言っていた。
おまけ
グリモアの他人の呼び方と敬意度
我が主>>>名前呼び>あの人間>貴様>我が下僕




