25 引きこもり聖女はサボリを極める(8)
エリシアの悲痛な叫びを背中越しに聞きながら、クロエはクアラベルの前に立った。
「こっちに来る気になったのかい?」
「……」
クロエは力なく頷いた。
「じゃあ手始めに私の縄をほどいてもらおうかねェ」
またもクロエは力なく頷き、縄の結び目に手をかけた。
これをほどけば、みんなは助かる。自分は……どうなることやら。
さっきは死ぬわけではないと言ったが、それだって分からない。
なにせ相手はクアラベルという危険な人間だ。
もしかしたら死ぬより辛い目に遭わされるかも知れない。
飼い殺し、そんな生易しい表現で済むかどうか……。
ああ、こんなことならもっと本を読んでおけばよかった。
クロエは後悔と言うより、もはや諦めの境地に至っていた。
するとその時、クロエの耳にある音が聞こえてきた。
ダッダッダッダッダッ……。
その音は、だんだん大きくなってきている。いや、近づいてきていると言ったほうが正しいかも知れない。
まるで足音のようだ。しかも一人だけでなく、二人いる。
ザッ……。
そして音が鳴り止んだ時、この場に居た全員がある一点に視線を送っていた。
そこには、二人の聖女が立っていた。一人はいかにも強気そうな赤髪。もう一人は頑張って強気を演じていそうな、ちょっと気弱に見える小柄な聖女だった。
「今度はこっちが遅れてしまいましたわね」
赤髪の聖女が、膝を付いているエリシアの肩に手を置く。
「ライナ……ユノ……」
二人の姿を見て、エリシアの顔に少しだけ光が戻った。
左右の目を一度づつ擦り、気丈に立ち上がる。
「エリシア様。なんだかすごく大変なことになってませんか?」
ユノが一歩前に出て、手に持っているモップの先端をクアラベルに向ける。
「ええ、実は大礼拝堂に爆弾が仕掛けられているの」
「あと少しで爆発するけどねェ……!」
勝利を確信した風に笑うクアラベルだったが、その余裕はすぐに引っ込んだ。
遅れてやってきた二人……ライナとユノもまた、同じように互いの顔を合わせて「ニッ」と笑っていたのだ。
「その爆弾とはもしかして」
「これのことですか?」
瞬間、二人の法衣の中から何かがバラバラと落ちて出てきた。
なんとそれは、すでに解体済みの爆弾の残骸だったのだ。
「なにッ――!」
笑みが消えるどころか、顔を引きつらせるクアラベル。
なぜ? どうして? まさか……。
疑問、焦燥、困惑といった感情が、表情にも現れている。
「大礼拝堂をウロチョロしてたネズミ共を駆除するついでに見つけましたわ」
「ですから爆発する心配はありません! 皆さんの安全も保証されています!」
ユノが言い終えると同時に、時計の長針と短針が「12」に重なった。
特に何も起こらない、実に平凡な正午の訪れだった。
「わたし達……お手柄ですか?」
「ええ、お手柄よ……大手柄よ!」
「えへへっ~」
エリシアに褒められ、ユノは無邪気な笑みを浮かべていた。
「くっ、こうなった以上は……!」
だが次の瞬間、クアラベルは力づくで縄をほどいていた。
クロエが中途半端に結び目を触っていたせいで、縄の締りが弛まっていたのだ。
「「姐さん!」」
デイスとマイスが、歓喜の声を上げる。
脱出を果たした後のクアラベルは、とにかく迅速だった。
コートの下に隠し持っていた小型ナイフを取り出し、足の縄を切り裂く。
これでクアラベルを拘束する物はなくなった。
その圧倒的な長脚を存分に振るい、一瞬でデイスとマイスの元へ駆け寄る。
「こうなったら、もうずらかるよ!」
そして両脇に簀巻き姉妹を抱え、軽快に跳躍して本棚の上に飛び乗った。侵入してきた天窓から逃げるつもりだ。
「まずい! 逃げられるわ!」
「ライナ様、炎魔法で撃ち落せませんか!?」
「もうやろうとしてますわ……!」
ライナの手の平の上では、炎の球が錬成されつつあった。
しかし、この短い時間では十分な大きさにすることは叶わない。
そうしている間にクアラベルは天窓の縁に掴まっていた。
このまま黙って逃走劇を見届けるしかないのか?
その時、クロエが叫んだ。
「誰か、あいつらを捕まえてー!」
その声に、応えた者がいた。
「――承知しました」
それは、クロエの分身だった。
彼女は素早い身のこなしで一気に本棚に登り、跳躍。
そしていつの間にかユノから拝借していたモップで、クアラベルの後頭部を思いっきり殴りつけた。
「ぎゃっ!?」
天窓から落下していく盗賊達。
それが床まで落ちるや否や、分身クロエはすかさずクアラベルの背中に跨り、ひじの関節を極めた。
「あれ? そう言えばモップが……」
いつの間にか空になっていた手の平を見つめるユノ。
「とにかく、よくやったわ!」
エリシアはすぐさま縄を持って、クアラベルをぐるぐる巻きにしていく。さらに念の為、布を噛ませて喋れないようにもする。これで三本目の簀巻きの完成だ。
「いやぁ、一時はどうなることかと思ったよ」
事が終わり、クロエは他の四人の聖女の元へ駆け寄った。この四人とはもちろん、クロエの分身も含めての四人だ。
「そうですね! 何はともあれ、皆さんに怪我がなくてよかったです!」
ユノが分身クロエにモップを返してもらいながら言う。
「ううん、実はボク怪我しちゃったんだよ。でもエリィが治してくれたから平気だけどね」
「だからって油断はできないわよ。ちゃんと傷はふさがってる?」
エリシアはクロエの方を向いて言った。ただしそれは白いローブを着た方……分身クロエの方だった。
「そっちはボクじゃないよ! ……あ、いや、ボクだけど。てか、わざとやったでしょ!」
「ええ、わざとよ」
「もー……」
片方のクロエは頬を膨らませ、もう片方のクロエは眉一つ動かさない無表情を貫いていた。
それを見比べたエリシアは、思わず「ふふっ」と息を漏らす。それにつられて、ユノもまた「あはは!」と笑い声を上げていた。
なんとも微笑ましい光景。
しかし、この輪から一歩引いて睨みを利かせていた者がいた。
そう、ライナだ。
「……あの。そろそろ言わせてもらいますわね?」
腕を組み、非常にムスッとした口調のライナ。彼女の視線は、二人のクロエにあった。
「なぜ貴女が二人いるんです!?」
「えっ、今さらそんなこと聞くの!?」
「今さらも何もありませんわ! わたくし、ここに来た時からずっと気がかりでしたの!」
「き、気がかりだったんなら……言えばよかったんじゃない?」
「状況が状況だけに言う暇がなかっただけですわ!!」
ライナの声は、次第にヒートアップしていく。
その原因は、彼女だけがクロエの闇魔法を知らないことにあるだろう。
「分かった分かった、教えるから大声は出さないでよ~」
「ふん、それでいいのですわ。さっさと教えて下さいまし」
「実はこっちのボクは、闇魔法で創った分身なんだ」
「分身? あ、偽者とはそういう意味……って、闇魔法!? なんだかよく分かりませんが、危険な香りがしますわ!」
「大丈夫、使い方を誤らなければ危険はないよ。というか、魔法なんて大体そんなもんじゃない?」
「むぅ。確かにわたくしの炎魔法も、加減を間違えば自分自身がやけどしてしまいますからね」
腑に落ちないながらも、若干は納得するライナ。
「……さて。名残惜しいけど、そろそろもう一人のボクともお別れにしよっか」
クロエは、もう一人のクロエと目を合わせた。
「キミには色々助けられたね。ありがとう、もう影に戻っていいよ」
「いやです」
「…………。……え?」
クロエは自身の耳を疑った。
い・や・で・す? 承知しました、じゃなくて?
「あの、もう一回言ってくれるかな」
「いやです」
「いやいや、名残惜しいのは分かってるよ。けど、キミが居たら色々問題があるの!」
「では、貴女がいなくなれば問題がなくなるのでは?」
「それ……本気で言ってる?」
コクリ。
分身のクロエは小さく頷いた。
――注意せよ。意志の弱き者は、影に身体を乗っ取られる(幻影魔法《корёг》の項より)。




