19 引きこもり聖女はサボリを極める(2)
一方その頃、ライナとクロエ(分身)は大浴場を目指して長い廊下を歩いていた。
「貴女、お風呂には月一回しか入らないそうね。わたくしがキレイサッパリ洗い流してあげるから覚悟なさい!」
「承知しました」
「ちょ、ちょっと!? 服は脱衣所で脱いでくださいまし!」
「承知しました」
廊下でいきなり法衣を脱ごうとしたクロエ。
さすがのライナも、これには面食らってしまった。
だがクロエが奇行に走った原因が、闇魔法にあることなどライナには知る由もない。
……違和感はより濃くなったけど。
そんなハプニングを挟みつつ、二人はようやく大浴場――の、脱衣所にたどり着いた。
中ではいつもどおり、クロエの法衣をひん剥くための聖女が数人配備されている。
しかし今回に限っては、彼女達の出番は無いに等しかった。
「よく来たわねクロエ……さぁ、おとなしく服を脱がされなさい!」
「承知しました」
「――――っ!!」
クロエの言動に面食らったのは、彼女達とて例外ではなかった。
いつもならこの後、風呂に入りたくないクロエを相手に数分間の格闘が始まるところだ。
なのに、今回はいったいどうしたことか。
まったく逃げる気配がなく、ましてや両腕を広げて待機状態にあるのだ!
「ええと、じゃあ……脱がします……ね」
思わず丁寧口調になる聖女の一人。
あれよあれよという間にクロエの身ぐるみが剥がされ、代わりに一枚のタオルが巻き付けられる。
その間、彼女達はずっと呆気にとられていた。
「あら、もう準備が出来ましたの? では早速参りましょうか」
別の場所で着替え終えていたライナが、クロエを浴室へと誘う。
それに対してクロエはやはり「承知しました」と答え、素直に付き従った。
「むぅ、なんだか調子が狂いますわね……」
そう言いつつもライナはクロエを連れ、浴室へ。
広々とした浴槽にはたっぷりと湯が張られており、辺り一面に白い湯気がもくもくと立ち込めている。
どこに出しても恥ずかしくない、聖女達ご自慢のお風呂だ。
しかし、湯船に浸かるのは身体を洗ってから。
こればかりは時代、場所、身分、種族を問わず絶対の規則である。
ライナもそれに従い、クロエを鏡台の前に座らせた。
「さて、始めますわよ」
粗布に石鹸をこすりつけ、徐々に泡立てていくライナ。
そしてクロエの背中に粗布を当てた瞬間、彼女は高らかにこう言い放った。
「このわたくしに背中を流してもらうこと、とくと光栄に思うがいいですわ」
「承知しました」
「しょ、承知しましたって……本ッ当に調子が狂いますわ。こういう時はね、『ありがたき幸せ』とでも言うものですわよ」
「……承知しました」
クロエの後ろで、ライナはガクッとひざを崩した。
本人としては冗談を言ったつもりだが、この様子だと伝わっていないらしい。
というか、軽くあしらわれた気分だ。
謎の敗北感、屈辱感がライナを襲う。
だがここは我慢我慢。ライナはひたすらクロエの背中をごしごし洗う。
(それにしても、本当に綺麗なお髪ですこと……)
間近で見て初めて分かった。
クロエの髪は、貴族令嬢であるライナも認めざるを得ないほど美しい。
世にも珍しい銀髪もさることながら、特に目を見張るのがその艶やかさだ。
クロエが入浴するのは月に一度、今日のような礼拝の儀式がある日だけだったはず。
ということは、髪を洗うのも月に一度のはずだ。
そうだというのに、クロエの髪は油っこさだとか、ボサボサ感だとかが全くない。
(…………)
ライナは気づかないうちに、クロエの髪に見惚れていた。
(…………はッ!)
そしてもう一つ気づかないうちに、クロエの背中は赤くなっていた。洗い過ぎていたのだ。
あわわわわわ……。
ライナは慌てる、しかし失敗は認めたくない。
「さ……さぁて、これくらい念入りに洗っておけば大丈夫ですわね! さ、流しますわよ!」
じゃばーん!
ライナは桶を持ち、さっさとクロエの背中を流した。
その時クロエは、擦れた場所が染みたのか、全身をビクッと震わせていた。
「思ったより時間を使ってしまいましたわね……仕方有りません、髪は洗わなくてもよさそうですし、もう湯船に浸かっちゃいましょう」
ライナはクロエを立たせ、肩を両手で掴み、浴槽まで連れて行く。
が、肝心の浴槽寸前まで来た所で、クロエはお湯に足の指先をピチャピチャ浸けるばかりで入ろうとしない。
(……もしかして、水がお嫌い? それでお風呂にも入らない、と……?)
ライナはそう考察した。
もしそうなら、無理をさせるのは良くない。
たぶんエリシアなら無理矢理にでも入浴させる所だろうが、ライナ的には別にそこまで……だった。
「入りたくないなら強要はしませんわ。どうします?」
ライナはクロエが小さく頷いたのを見て、浴室を後にした。
その後、白い聖衣に着替えたクロエは、一人で大礼拝堂への廊下をゆく。
「……クロエ?」
その道中で、一人の聖女とすれ違った。クロエとは対照的な、すっきりと切り揃えられた黒髪。エリシアだった。
「頑張ってね……って、今さら言わなくても分かってるよね、クロエは」
エリシアはエールを送った。
が、それに対してクロエは頷くのみで、何の言葉も交わさず通り過ぎていった。
「クロエ……?」
振り向き、クロエの背中をふと見たエリシア。
その目には、若干の疑いの念がこもっていた。
◆ ◆ ◆
礼拝の儀式を目前に控えた大礼拝堂は、静かな熱気に包まれていた。
同じ空間に集った一千人の信徒達が、今か今かと『歌姫』の登場を待ちわびているのだ。
やがて期待が最高潮に達したその瞬間、バルコニー奥の扉がゆっくりと開かれる。
そこから真っ白な聖衣に身を包んだ少女――クロエが現れると、信徒達はみな口を閉じ、視線を上にいるクロエへと送った。
クロエは手すりの前に立ち、ざっと信徒達の顔を見回した後、すぅーっと息を深く吸う。
するとその時だった。
突然、人混みの中から二本の鉤爪ロープが投げられ、バルコニーの柵に引っ掛けられる。
なんだなんだ……? 信徒達がどよめき出したが、その中の誰かが状況を理解する前に、事は終わった。
「よっと!」「やぁっ!」
二人のフードを被った怪しい人影が、ロープを伝ってバルコニーの上に降り立つ。
声からすれば女だった。しかし、その風体は明らかに聖女のそれではない。
そして、後は一瞬だった。
「――大人しくしてるデス」
二人のうち片方がクロエの耳元でそう囁くと、残りの片方がクロエを担ぎ上げ――奥の扉の向こうへ姿を消した。
「なに、今の?」
「新しい催し?」
「違う、あれは……誘拐だァァ!」
辺りがどよめく中、信徒の一人が声を荒げた。
それは、事が終わってから十数秒も経った後のことだった。




