17 九十九の闇魔法
ある日クロエが偶然手にした謎の本、『гримойре』には、全部で九十九の闇魔法が記されている。
基本的な攻撃魔法や、分身を創り出すという少し変わった魔法、果ては拷問用の恐ろしい魔法まで……本当に多種多様。
しかし、やはり九十九種類もあるため、「どうやって使うのコレ!?」と頭を抱えたくなる魔法も中にはある。
要するに玉石混交なのだ。
「何やってるの、クロエ」
エリシアが書物庫を訪れた時、クロエはいつものように闇魔法の研究をしていた。
なので「何やってるの」という問いの答えは出ているも同然だが、今日のクロエはいつもと違い、研究が上手くいっていない様子だった。
「いやぁ、実はさ――」
クロエは先日あった『血染の月』の時に発動した闇魔法、『《холе》』の実験をしていた。
あの時は壁を挟んだ向こうにいるゾンビを倒すために使ったため、実際の効果は直接目にしていない。
得られたのは、ゾンビを倒したという結果だけだった。
「――だから、ちゃんとこの目で確認しておきたいんだよね」
「それで魔導書とにらめっ子してたわけね」
「うん。でも、なかなか上手くいかなくてさ。ほら見てよコレ」
クロエは空中に向かって『《холе》』と唱えた。
「ちょっとクロエ!? な、なにしてるの!?」
「大丈夫だよエリィ、すっごく小さいから」
「小さいって、どういう意味よ――……ほんとだ、すっごく小さいわね」
エリシアは慌てて止めに入ったが、それは杞憂に終わった。
クロエの言う通り、空中に現れたのは本当に小さくて黒い渦のような物だった。
まるで黒いタンポポみたい。エリシアはそう思った。
「あ、指は近づけないで。小さくても吸引力は結構あるから」
「確かに、触るのは不味そうね……」
見た目が黒いタンポポとは言え、やはり闇魔法は闇魔法。
その恐ろしさを再認識したエリシアは、思わず背筋が冷たくなった。
「けど、こんなに小さい渦がゾンビ達を吸い込んだと言うの? とてもそうは思えないわ」
「そこなんだよねぇ、問題は」
クロエとてこんな小さい渦がゾンビ達を吸い込んだとは思っていなかった。
それにクロエは、術者自身だからこそ分かる確かな手応えを、『血染の月』の夜に感じていたのだ。
ゾンビの群れを退けたのは、こんなちゃちな魔法じゃない。
そう思えるだけの根拠、そして確信を。
――もしかして、何か条件がある?
クロエの脳裏に、そんな考えがよぎった。
『《холе》』は今までの闇魔法とは一線を画す上級魔法、それも魔導書のだいぶ後半に載っている魔法なのだ。
だから、ただ詠唱するだけでは駄目なのかも知れない。
だとすればその条件とは……時間?
それともちゃんと敵がいないと駄目とか?
まさか、ボクの魔力が足りない!?
「ねえ、考え中の所悪いんだけど」
「……え?」
クロエはエリシアに話しかけられたことで我に返った。
「そもそもの話、なんであの日ゾンビが書物庫を襲ったのかなって」
「と、言うと?」
「ゾンビは本能的に神聖な場所を避けるのよ。でもあの日は違った。それで私、一つの仮説を立ててみたの」
エリシアはそう言って、クロエの持っている魔導書を指差した。
「その魔導書が、大聖堂の神聖なオーラを相殺、打ち消してるんじゃないかって」
「…………」
クロエは口をつぐんだ。
そして目線を落とし、手に持っている魔導書を見つめた。
クロエは感知できないが、この魔導書は常に邪悪なオーラを放っているらしい。エリシアいわく。
それが影響した結果、書物庫周辺だけが局地的に神聖さを失った。
むしろ邪悪なオーラが勝り、ゾンビをわらわらと引き寄せてしまった。
あり得ない、とは断言できない話だ。
――じゃあこれが元凶!?
「ああいえ、気にしないで。所詮ただの想像よ」
「ははは、そうだよね……とりあえず気を取り直して、別の魔法を試してみよっか」
クロエはエリシアに、好きな数字を選んでと言った。
選ばれた数字のページにある魔法を実験しよう、そんな考えだ。
「それじゃあ、12で」
「分かった、12だね…………げっ」
12ページ目を開いたクロエの顔が強張った。
そのページに載っているのは、初歩的洗脳術、序列の十二番『《ихяя》』。
以前エリシアに(無断で)使ったことのある魔法だ。
あの時は気づかれなかったけれど、さすがにまた使ったらバレる気がする。
触らぬ神に祟りなし、クロエは別の数字を選ぶよう提案した。
「仕方ないわね。じゃあ13でいいわよ」
「13だね。おっけぃ」
クロエは右隣りのページに目を移した。
そこに載っているのは、今まで一度も使ったことのない魔法。
こんな機会だからこそ、試すのにはピッタリだ。
「えーと、なになに……初歩的忘却術、序列の十三番《ргет》。つまらぬ事を記憶から葬り去りたい時に、この術を詠唱せよ。さすれば術者は、直ちに対象を忘却するであろう。闇は、そなたの味方だ――」
「つまり、記憶を消す魔法ってこと?」
「うん、そうなるね」
「やっぱり恐ろしいことしか書いてないのね、その本……」
「いやいや、こんなのまだ序の口さ」
なぜか得意げに話すクロエ。
するとエリシアは、あることに気がついた。
「でもその魔法、記憶を消せるのは術者自身……つまりクロエの記憶が消されるわけよね。そんなの、どうやって使うわけ?」
「ちっちっちっ……、甘いよ、エリィは」
クロエは小粋に人差し指を左右に振る。
「どんな魔法にも使いみちはあるんだよ。それを見つけてあげるのが、ボクの役目さ」
「けど、デメリットしかないじゃない。その魔法」
「逆に考えるんだよ。忘れることが、却ってメリットになることをさ」
途端、クロエは「あ、そうだ!」と言い放った。
そして本棚から一冊の本を取り出してくる。
「例えばだよ。対象をこの『読み終わった小説』にして、さっきの魔法を使えば……」
「なるほど。もう一度、新鮮な気持ちで読み返せるわけね」
「そう、そのとおり! じゃあ早速使わせてもらおうかな!」
「あ、そうだ。忘れると言えば、私、クロエにこれを伝えるの忘れてたわ」
「ん? なに?」
「明日は『礼拝の儀式』の日よ。だから今日は早く寝なさい」
「…………」
クロエの動きが固まった。
それから一歩遅れて、バサッ――読み返そうとしていた本が床に落ちる。
「れ……れいはいのぎしきぃ? そ、そんなの忘れちゃったから知らないなぁ、ははは……」
「そう。なら仕方ないわね。たぶん明日になったら追い出されるだろうけど、忘れたなら仕方ないわね」
「あぁ! 思い出した! 思い出したから、それだけはご勘弁を~~!」
エリシアに泣きつくクロエ。
最初に替え玉作戦を失敗してから、三回目の礼拝の儀式が迫っていた。




