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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第6章 たとえ明日に裏切られても
173/175

171.その絵の中に見えるのは ☆


     挿絵(By みてみん)




「で……俺は、なんで……さっきから……アンゼルムに、睨まれてるわけ……?」


 と、ジュードが不思議そうに尋ねるのを聞いてコーディは苦笑し、サユキはニヤリとしながら「気にするな」と言った。いや、これは無言の抗議なのでぜひとも()()()()()()()のだが、サユキに面白がられるのも(しゃく)なので今は言うまい。

 レーガム地方中部、プリタ山脈の麓の集落、ドナテロ村。

 キムを襲って逃亡した謎の集団を追跡すべく、山沿いに進軍していた第四部隊とエリクらが合流したのは、サユキが目覚めた晩から六日後のことだった。

 一行が第四部隊を追ってきたのは他でもない、


「カプラ(さん)へ行ってくれ」


 というシグムンドの密命を受けたためだ。

 カプラ山といえば、キムが亡きジエンの家族がいると言っていた山。あの山に集落があるなどという話はエリクも聞いたことがないのだが、シグムンド(いわ)く、


「それがどうやらあるらしい」


 とのことだった。


「私もざっと調査した限りでは、アルタグ(そん)なる集落の情報は発見できなかったのだがな。数日前、医務室でキムから指示を受けていた第五部隊士を問い詰めたところようやく白状した。何でもカプラ山には、アルハン傭兵旅団の関係者が隠れ住む小さな村があるらしい。正黄(せいこう)戦争の終結後間もなく、先代隊長(ラオスどの)とキムの密約によってひそかに作られた村だそうだ」

「ラオス将軍との密約……? ということは実質的なレーガム領主だった将軍が、存在を黙認していた集落ということですか?」

「うむ。課税地総鑑に名前が載っていなかったのもそういうことらしい。ラオス殿は集落の存在を秘匿し、税を免除して傭兵団の関係者……すなわちアルスラン獅子王国の遺民を守る代わりに、キムに黄皇国(おうこうこく)への臣従を約束させた。無論強要したわけではないが、キムもラオス殿の提案を受け入れて、黄都(こうと)守護隊の一員となることを(がえん)じたそうだ」

「で、ですがプリタ山脈の奥地がいくら未開拓の秘境とはいえ、陛下が治める天領の一部であることには変わりありませんよね? そこに将軍の一存で移民の隠れ里を作ってしまわれるだなんて、さすがに『黄帝(こうてい)の父』でも許されない大問題なのでは……?」

「いや……どうだろうな。確証はないが、私は陛下も同様にアルタグ邨の存在を黙認されたのではないかと思う」

「つまり、ラオス将軍から事前の打診があったはずだと?」

「うむ。どうやら私が思っていた以上に……陛下とキムは、ラオス殿を介して深い交わりを持っていたようだからな」


 とエリクたちがスッドスクード城を発つ前日、シグムンドが何やら思案顔でそう零していたのが気にかかる。が、何はともあれそういうわけで、エリクたちはアルタグ邨なる集落の実態を調査すべく派遣されてきたのだった。

 その任務をシグムンドがわざわざ副長のエリクに託したのは、アルタグ邨の実状を把握しつつ、村の存在は引き続き秘匿したいから、ということらしい。


 というのも先代隊長(ラオス)が極秘に他国の民を(かくま)い、税も取らずに天領に住まわせていたなどという事実が明るみに出れば、国を挙げての大騒ぎになることは目に見えているからだ。クッカーニャ事件以降、しばらく大人しかった保守派もこれを聞けばさすがに黙ってはいないだろうし、最悪の場合、黄都守護隊の存続に関わる問題になりかねない。ゆえにシグムンドも手放しに信頼できる者以外には、アルタグ邨の存在を知られたくないということなのだろう。


(とりあえず今はまだキム殿の意識も回復しておられないし……この問題をどう処理するかは一旦あと回しにして、まずは必要な情報を集めるのが先決だ。何よりジエン殿のご家族が本当にカプラ山に住んでいるなら、早く訃報を届けないと。ジエン殿と最後の別れをさせてやってほしいというキム殿の願いを叶えないことには、ご遺体も弔えないしな……)


 と、村の東に(そび)()つ山々を見やりながら、エリクは神妙な顔つきでそう思案した。ここで第四部隊と合流したのは、今から登るあの山にジュードも同行してもらうためだ。というのも幼い頃から黒竜一家(さんぞく)の一員として育ったジュードは、隊内でも特に山登りの知識や技術に秀でており、プリタ山脈を横断するのに彼ほど頼りになる同行者はいない。


 もっとも部隊の方は引き続き領内を警邏(けいら)し、キムを襲った集団を捜索する必要があるから、以後の指揮は副隊長であるクラエスに一任する形になるだろう。


「じゃあ……装備も……揃ったし……そろそろ、行く……?」

「ああ、そうしよう。けどサユキ、お前、本当に大丈夫なんだろうな? 病み上がりにいきなり登山なんて……」

「だから問題ないと言っているだろう。そもそも今回の任務についてきたのも、二日も寝込んで(なま)った体を慣らすためだ。私もジュードと同じ山育ちだし、軽い登山程度ならむしろ体力を取り戻すのにちょうどいい」

「まあ……冬山なら、ともかく……今の時期なら……ギリギリ……問題……ないんじゃない……? いざとなったら……俺が……背負って運ぶし……」

「い、いや、いくらお前でも人ひとり背負って山を登るのは無理があるだろ……」

「そう……? たぶん……イケると思う……けど……サユキ……軽そうだし……」

「ほらな、ジュードもこう言ってる。無論、私もそこまで世話になるつもりはないが、仮に想定外の事態が起きたとしても、こいつと一緒なら何とかなるだろう」


 と腕を組んだサユキがさも当然そうにそう言えば、隣でジュードもこくこくと頷いた。まったく麗しい信頼関係だが、しかしこのふたりはいつの間にここまで親密な仲になっていたのかと、エリクは眉をひそめてしまう。いくらジュードが()(おう)(こく)(じん)養父(ちち)に育てられたからと言って、あまりに親しくなりすぎではなかろうか。

 どちらも黒髪黒眼で全身黒ずくめのふたりが並んでいると、エリクにはもはや彼らが仲睦まじい兄妹のように思えてくるのだった。


「はあ……分かったよ。そういうことなら、とりあえずジュードを信じよう。万が一のときには俺やコーディもいるわけだしな」

「いや、(まか)り間違ってもお前らの世話にはならないから安心しろ」

「……」

「え、ええと……では、早速出発しましょうか。第五部隊の皆さんも、よろしくお願いします」


 と、再び無言の抗議を送るエリクと、そっぽを向いてそれを無視するサユキを取りなすように声を上げたのは言わずもがなコーディだった。すると傍らに控えていた五人の第五部隊士が、浮かない顔ながらもこくりと頷く。彼らは他でもない、数日前、キムを救ってくれとサユキに懇願していた兵士たちだ。

 否、より踏み込んだ言い方をするならば、かつてアルハン傭兵旅団と呼ばれた組織に属していた元傭兵──すなわち、アルスラン獅子王国の遺民たち。

 といっても獅子王国がエレツエル神領国(しんりょうこく)に滅ぼされたのはもう六十年も前のことであるから、正確には彼らは遺民の二世、三世なのだろう。


(だが彼らは見たところ、今も祖国に対する強烈な愛国心を持っている。だから同じ遺民の隠れ里であるアルタグ邨についても、シグムンド様から問い詰められるまで決して他言しなかったんだろう。アルスランの血を守るためには、どうしても村の存在を隠し通さなければならなかった……城を出る前からみな憂鬱そうな顔をしているのも、本心では〝部外者を集落に入れたくない〟と思ってるからだろうな)


 既に国家という()りどころを失った彼らにとって、祖国の血を守るためには、可能な限り閉ざされた環境で外界と交わらずに暮らす他ない。

 そうしなければあっという間に他民族の血と文化とが入り混じり、アルスラン人という民族は地上から消滅してしまうためだ。エリクの故郷(ルミジャフタ)で暮らすキニチ族もまた同じ理由で密林の奥地に()()もっているのを知っているから、エリクにも彼らの理屈や気持ちは理解できる。されど彼らがキニチ族と決定的に異なるのは、帰るべき故郷を失って久しいこと。だというのに彼らが未だ祖国の血を守り、もはや一種の信仰とも呼べ得るほどの愛国心を手放さずにいるのは何故なのだろう。


 何よりエリクが気になるのは──



『キム様は我らアルスランの民に遺された最後の希望です。たとえ次なる王が無事現れようとも、キム様なき祖国の再興など考えられません……!』



『王だ。俺は、迷わず王を選ぶ。俺にとっての王とは、すなわち民だが』



 ──王。アルスランの民。祖国の再興。


 それらの単語を並べてみると、まさかという予感が脳裏をよぎる。

 無論、エリクが立てた推論について尋ねたところで、今日まで頑なに秘密を守り続けてきた彼らが答えることはないだろう。

 けれどもしこの仮説が正しいとしたら、サラーレでキムを襲ったのは……。


「なあ、ジュード。警邏中、モルゲンリック教に関する情報は何か掴めたか?」


 と、エリクが声を低めて尋ねたのは、プリタ山脈の横断を開始したその日の夜のこと。ドナテロ村の山道から山脈に入ったエリクたちは、秋の色彩に染まった山の中をひたすらに東進し、現在、既に道なき道の先にいた。村の山道は村民が(たきぎ)となる木を切り出したり、狩りへ行く際に使われるものであるため、あまり山深くまでは伸びていなかったのだ。結果、一行はジュードの先導の下、人が歩けそうな道を探してはひたすらに東へ進むという手順を繰り返す他なかった。


 第五部隊士によるアルタグ邨までの案内はカプラ山に到着してからでないと期待できないため、それまではジュードの導きだけが頼りだ。彼は山脈の中で最も高いカプラ山の峰を目印に、時折先行したり、高所から周囲の地形を確認したりして、山に不慣れなエリクたちでも進める進路を示してくれた。


 急な斜面や崖を上り下りしなければならない場面では命綱もつけずにひとりでするすると先へ行き、続くエリクたちのために綱をかけたり足場を用意したりしてくれるのだからまったく頼もしい。さらにサユキも必要とあらばジュードを手伝い、木から木へ跳び移りながら安全な道を探したり、方角を確かめたりしていた。


(ふたりとも、まるでこの山で生まれ育った尾長猿(チュエン)みたいだな……)


 と、彼らのあまりの身のこなしにエリクなどはもはや笑うしかなかったが、ともあれおかげで日が沈む前に人心地つける野営地を確保できたのだから大助かりだ。

 水場が近く、地面も平らで、野営するのに最適な窪地(くぼち)辿(たど)()いたエリクたちはそこで火を熾こすと簡単な夕食を取り、あとは銘々体を休めることにした。

 慣れない山歩きですっかり消耗したコーディは早くも寝入っているし、サユキもさすがに病み上がりの登山は疲れたのか、先に横になって休んでいる。

 また同行している第五部隊士も、最初の数刻は自分とジュードが見張りを請け負うと言って休ませた。かく言うエリクも森を歩くのには慣れているとはいえ、起伏の激しい地形を一日中歩き回るのはさすがに骨身にこたえたが、身を横たえる前にどうしてもジュードと情報を共有しておきたかったのである。


「んー……それが……俺の方は……キムを襲ったやつらの……情報も……モルゲンリック教の、情報も……全然、なんだよね……クラエスは……襲撃犯は……事件のあと、すぐに……タリア湖を渡って逃げたんじゃないか、って言ってたけど……」

「そうか……だとしたら、西側を回って下さっているハミルトン殿の情報に期待するしかないな。だが、もしあんな異様な教団(しゅうだん)が領内に現れたら、とっくにあちこちで噂になっていそうなものだと思わないか?」

「うん……〝未曾有(みぞう)の大戦勃発による、世界の終焉〟……だっけ? 俺たちが……聞き込み、した限りでは……その予言の噂すら……誰も知らない……って……感じだったけど……」

「……。ということはやはり、今回の事件とモルゲンリック教は無関係の可能性が高いな。最初はてっきりあの教団が、ほとぼりが冷めるのを待って黄皇国に戻ってきたのかと思ったが……」

「でも……サユキが……サラーレで見つけた、不審者は……モルゲンリック教の、名前……出してたんだよね……?」

「ああ。けど今のところ、モルゲンリック教とキム殿の接点は何もない。サユキのところに不審者の詳しい情報を聞きに来たジエン殿も、教団のことは特に気にかけてなかったらしいしな」

「じゃあ……例の、不審者は……たまたま……モルゲンリック教の話を、してただけ……ってこと……?」

「うん……あるいはやつらは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とかな」


 と、目の前で揺れる焚き火を見据えながらエリクが言えば、ジュードは隣で少し不思議そうな顔をした。

 どうやら彼はいまいちピンときていないようだが、モルゲンリック教が広める怪しげな教えに対して神経を尖らせているのは何も黄皇国だけではない。


 ──エレツエル神領国。


 東の海の向こう、二十二大神の復活と神の世の再来を国策に掲げるかの国もまたモルゲンリック教の存在を知れば、決して放ってはおかないだろうことは容易に想像できた。何せモルゲンリック教は特定の神ではなく、聖女ラムシアなる預言者を信仰の対象とする極めて特異な教団だ。預言者とは神の声を聞く選ばれし能力(ちから)の持ち主だが、しかしあくまで神託を受ける立場の者であって神ではない。


 つまり、ただの人間なのである。しかもエマニュエルの歴史を(ひもと)けば、公的な記録に残る本物の預言者の数よりも、預言者を(かた)って富や権力を得ようとした詐欺師の方が圧倒的に多いことは周知の事実。ゆえにエレツエル神領国は、自国が公認した預言者以外は本物として認めないという厳格な方針を長年貫いていた。


 とすれば当然、真実も定かならぬ予言をばら()き、人々の不安を煽って戦力を募る自称預言者とその一味をかの国が放っておくわけがない。

 そう仮定すると、サユキがサラーレで目撃した不審者の正体とはずばり、モルゲンリック教を追ってきたエレツエル人だったのではなかろうか。それなら彼らが教団の名を唱えていた理由にも、ジエンが彼らの(なま)りを気にしていた理由にも──そしてキムが襲われた理由にも、恐らく説明がつく。いや、()()()()()()……。


(やつらはモルゲンリック教の痕跡を追ってきた先で偶然、滅ぼしたはずの大国の生き残りを発見。よって急遽、ラムシア暗殺のために持ち込んだ呪刻(カース・エンブレム)を転用してキム殿のお命を狙った……と考えれば、話の辻褄(つじつま)は合うだろう。そもそもキム殿は、以前からずっと神領国に追われる立場だったんじゃないか? だから身を隠すために名前を変えて黄皇国に潜伏し、ジエン殿と共にエレツエル人の動向を警戒していたんだとすれば……)


 考えれば考えるほど、バラバラだった点と点とが結ばれていくような気がする。

 そうして出来上がった一枚の絵はまだ(あら)いものの、エリクの中ではほとんど確信に近いものとなってゆく。だがそうなると気になるのは、神領国の刺客と思われる輩がキムを襲撃する前に、エリクらの様子を(うかが)っていたらしいことだ。

 あれさえなければ、恐らくこちらが彼らの存在に気づくことはなかった。

 だというのに一体何故、彼らは発覚の危険を冒してまで接近してきたのだろう?

 あのときエリクらはキムとは別行動を取っていたし、他にエレツエル人に目をつけられる(いわ)れなど何も思い当たらないのだが……。


「うーん……まあ、ともかく……そっちは……キムが……無事に……目を覚ましたら……詳しく……話……聞けるかもだし……俺たちは、まず……その……アルタグ邨……とかいう村を……見つけないと、ね……」

「そうだな……ここでいくら憶測を重ねても、答え合わせのしようがないしな」

「うん……けど……それは、それとして……」

「ん?」

「アンゼルム、さ……サユキと……仲直り……できて、よかったね……」


 と、そこでまったく慮外な言葉をかけられて、エリクは思わずぽかんとしながら隣のジュードを(かえり)みた。すると彼もまた、エリクの方を向いて意味深な微笑を浮かべている。子供のように膝を抱え、火掻き棒代わりの長い枝で、焚き火の燃えさしをつんつんつつきながら。


「……いや、ジュード。お前には今朝のアレが、無事に和解した上司と部下のやりとりに見えたのか?」

「え……? 違うの……?」

「まあ、一応普通に口をきいてもらえるようにはなったが……今日だってあいつはお前にべったりで、俺は露骨に避けられてたろ」

「そうだった……?」

「そうだよ。だいたいここ最近のあいつときたら口を開けばジュード、ジュードってお前の話ばっかりで、あれじゃ一体誰の従者なんだか……」

「……。アンゼルム……もしかして……妬いてる?」

「え?」

「俺に……やきもち……焼いてたり、する……?」

「……い、」


 いきなり何を言い出すんだ、と返そうとして、しかしエリクは衝撃のあまり言葉が出てこなかった。ヤキモチ? ヤキモチって何だ?

 もしかしなくても嫉妬(チャファ)のことか? と、混乱した頭は一時的にハノーク語を理解できなくなり、ルミジャフタ語に置き換えてみたところで改めて衝撃を受ける。


(嫉妬だって? 俺が? ジュードに?)


 否定するためにそう自問して、されどどういうわけだか、エリクはそれを笑い飛ばすことができなかった。仕方がないので、少し離れたところで横になっているサユキの後ろ姿をちらりと見やり、冷静になって考えてみる。


「……なるほど、そうか。このモヤモヤして釈然としない感じが俗に言う〝嫉妬〟というやつか……」

「え……? 何……その、初体験……みたいな感想……」

「いや……言われてハッとしたんだが、俺、誰かに嫉妬なんてしたのは子供の頃以来かもしれない」

「えぇ……」

「昔ルエダ・デラ・ラソ列侯国(れっこうこく)からルミジャフタへ移住したばかりの頃、幼馴染み(イーク)に父さんを取られたような気がしてしばらく()ねてたことがあったんだが、たぶんあのとき以来だな……」

「じゃあ、今も……サユキを……俺に取られるかも、って……思ってる……?」

「ああ。というよりむしろ、既に取られたような気がしてる」

「ふふ……まあ、確かに……サユキは……俺に、なついて……くれてるけど……あれは……フレッカーの件が、あるからで……アンゼルムから……取り上げたりは、しないから……安心して……」

「……けどお前にその気はなくても、サユキの方から第四部隊に異動したいと言い出すかもしれないだろ。本人がそう望むなら、俺が邪魔するわけにもいかないし」

「大丈夫……サユキは……そんなこと、言わないよ……」

「なんでそう言い切れるんだよ?」

「それは……アンゼルムにも……いつか……分かる日が、来るんじゃない……? というか……なんで……アンゼルムが、気づいてないのか……俺にとっては……(こん)(せい)()最大の、ミステリー……」

「こ、今世期最大って、お前な……人世期(じんせいき)が始まってから、もう何百年経ってると思ってるんだよ。だいたい、俺が気づいてないって何の話──」

「──あ……蝶々……」

「おいジュード、話を逸らすな。というかそれは蝶じゃない、()だぞ!」


 などという不毛な会話により、最後は話をうやむやにされてしまったが、とにもかくにもその晩は何事もなく朝を迎え、エリクたちは翌日もまた山脈の横断に挑んだ。さらに翌日も、翌々日もひたすらに東を目指して歩く。歩く。歩く。

 かくて一行が目的地であるカプラ山の麓へ辿り着いたのは、ドナテロ村を出発してから四日後のことだった。当然ながらここまでの道中、仲間以外の人影は一度も目撃していない。唯一目につくものはといえば、気を抜くと自分たちが文明の中で暮らす人間(いきもの)であることを遠く忘れ去りそうになるほどの、雄大な自然のみだ。


「ほ……本当に、この山に人が住んでいるのですよね……?」

「……はい。ここから先は我々が案内を担います。(むら)へ辿り着くには、目印を探す必要がありますので」


 とコーディの疑問に答えたのは、同行している第五部隊士の中では最年長の、ケルサンという名の班長だった。聞けばカプラ山の山中には、村に出入りする同胞が道に迷わぬよう、アルスランの民にだけ伝わる目印が用意されているらしい。

 しかも目印は村の存在が万一()れた場合に備えて、不定期に場所を変えているとか。まったく大した念の入れようだなと半ば呆れながら、ともかくもエリクらは、先行するケルサンたちの後ろについていくことになった。


(しかし目印とは言うが、それらしいものはどこにも見当たらないな。彼らは一体何を目指して進んでるんだ? まさか俺たちを村へ入れたくないばかりに、騙されてたりはしないよな……?)


 アルスランの民にしか分からない、というからには露骨な人工物などを目印にしているわけではないのだろうが、そう仮定したところであまりに何もなさすぎる。

 エリクは山中を進む間、先を行く第五部隊士の様子を注意深く観察したものの、いくら視線の先を追っても目印らしきものは見つけられなかった。たとえばさりげなく切り落とされた木の(こずえ)だとか、幹につけられた傷だとか、そういったものも特に見当たらない。ゆえに進めば進むほど、どんどん疑念が膨らんでいく。同じ黄都守護隊の仲間として、今日まで共に戦ってきた彼らを疑いたくはないが、彼らも彼らで同胞を守らねばならない以上、エリクたちを(たばか)ろうとしないとも限らない──


「──! おい、コーディ! 止まれ!」


 ところが麓から山を登り始めて二刻(二時間)ほどが過ぎた頃、突然列の最後尾を歩いていたサユキが鋭い声を上げ、一同はびくりと立ち止まった。

 中でも名指しで呼び止められたコーディは、驚いた様子でサユキを振り返る。

 が、折悪しくも木の根が派手にのたくって足場が悪い地形でのことだったので、彼は振り向きざまに体勢を崩しかけ、慌てて手近な木の幹に(すが)った。


「ど、どうかされましたか、サユキさ──うわあぁっ!?」


 そうしてたたらを踏むように、数歩先へ進んでしまったのがまずかったらしい。次の瞬間コーディの体は突如宙へと舞い上がり、エリクたちの視界から消失した。


「なっ……!? こ、コーディ!?」

「ヒ、ヒィ……!? な、なな何ですかこれは!?」


 けれども直後、消えたと思われた彼の声が頭上から降ってくる。

 見ればそこには、ひと際高い木の枝から垂れた(つた)に片足を絡め取られ、逆さ吊りになったコーディの姿があった。あれはまさか、(くく)(わな)、だろうか?


「くそっ、だから止まれと言ったのに……!」


 他方、サユキは苦々しげにそう舌打ちするや、即座に刀を抜き放った。

 いや、待て。蔦を切ってコーディを助けるつもりなのかもしれないが、あの高さから救出するには慎重を要する。下手をすれば頭から地面に真っ逆さまだ。

 ゆえに一旦サユキを制止しようとして、しかしエリクもすぐに彼女が抜刀した真の理由に気がついた。……何だ、この音は?


「カランカランカラン、カランカランカラン……!」


 動転したコーディが樹上でもがくたび、山中に響き渡る金属音。音の出処(でどころ)は遠いようだが、かなり甲高くここまで届く。あれは誰がどう聞いても人工物が奏でる音色だ。すなわち、侵入者(えもの)が罠にかかったことを知らせる音色……。


「アンゼルム!」


 刹那、サユキの警告を聞くと同時にエリクも(つるぎ)に手をかけ、引き抜きざまに鋭く()いだ。すると剣先が何かに触れた感触があり、どこからともなく飛来した矢が弾かれて、あらぬ方角へと飛んでいく。


「侵入者だ!」


 されど木立の間から上がったその声を聞いた頃には、一同は完全に包囲されていた。黄皇国ではまず見かけない──どこかサユキの忍装束にも似た作りの──衣服に身を包んだ男たち。彼らは手に手に弓を構え、(やぶ)の向こうからエリクらの心臓を狙っている。間違いない。


 彼らこそがキムとジエンが守り続けた、アルスラン獅子王国の遺民(たみ)だ。


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