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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第6章 たとえ明日に裏切られても
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168.光龍招来


 サユキから準備しておくよう言われたのは、一見奇妙な品ばかりだった。

 たとえば、根っこごと地面から引き抜いた生きのいい若木。

 可能な限り酒精の強いトラモント黄皇国(おうこうこく)産の醸造酒。生きたままの家畜。脱穀前の麦穂。畑から掘り出したばかりの、土のついた根菜。地下から汲み上げた水。

 縄を編むための材料と(たらい)一杯の岩塩、などなど。

 いずれも入手の難しいものではなかったが、それらが何に使われるのか、エリクらにはまるで見当がつかない。しかも当のサユキは縄の材料となる(わら)が集まると、


「私がいいと言うまで誰も声をかけるな」


 と言い放ち、寄宿舎の自室に()()もってしまった。


「と、とりあえず、言われたものは集まりましたけど……」


 と、サユキに頼まれた品々を皆が持ち寄ったのは、キムがスッドスクード城に運び込まれた翌日のこと。結局サユキは一日中部屋に籠もったまま出てこず、集めた品もこれで正しいのか確信を持てないエリクたちは、不安げに顔を見合わせた。

 そんな一同の前にサユキが姿を見せたのは正午に差しかかろうかという頃だ。

 自らの手で(あざな)ったという二(アナフ)(十メートル)ほどの縄を手に現れたサユキは驚いたことに、久しく目にしていなかった倭王国(わおうこく)の民族衣装──何でも忍装束(シノビショウゾク)というらしい──に身を包んでいた。


「さ、サユキ。お前、その格好……」

「ああ……地祇(チギ)の力を借りるなら、可能な限り狭霧(サギリ)の作法に則った方がいいだろうと思ってな。頼んでいたものは集まったか?」

「は、はい。一応、言われたものはすべてこちらに……それで、ここからどうすればいいですか?」

「キムはまだ医務室か?」

「ああ。ナンシー先生とモニカが昨日からつきっきりで手を尽くしてくれている。だが、恐らく長くは持たないと……」

「……分かった。本当は夜の方が地祇の力を借りやすいんだが仕方がない、始めよう。私は先に墓地へ行って縄張りをしておく。お前たちはキムを連れてきてくれ。あと、集めた祭具や神撰(シンセン)も一緒に運んでくるように」

「え……ぼ、墓地に、ですか?」

「ああ。この国には(クニ)(カミ)(まつ)(ヤシロ)がないからな。ならせめて死者に近い場所で儀式をした方がいい」

「で、ですが、どうしてわざわざそんなところで……?」

「どうしても何も、幽世(カクリヨ)に近い場所の方が地祇を呼び出しやすいからに決まっているだろう」

「か、カクリヨ……?」

「幽世とは〝あの世〟のことだ。狭霧国では、死者の魂は龍脈の流れに乗って幽世へ至ると言い伝えられている。だから死者が多く眠る場所ほど龍脈につながりやすい、と言えば分かるか?」

「う、うーん……分かるような、分からないような……」

「なら理屈なんてどうでもいい。すぐにキムを運んでこい。ただし余計な野次馬は連れてくるなよ。神牀(カンドコ)の気が乱れるからな」


 と、やはり最後まで分かるような分からないようなことを言い、サユキは自らが編んだ縄と四本の若木、そして岩塩をひと掴み放り込んだ地下水入りのバケツを携えるや、さっさと立ち去ってしまった。

 取り残されたエリクたちはといえば、困惑したまま顔を見合わせるしかない。


「……まあ、とにかく今はサユキだけが頼りだ。彼女を信じて、言われたとおり動く他あるまい。スウェイン、お前は第五部隊の兵と共にキムを墓地まで連れてきてくれ。我々は残りの道具を持って、先にサユキのあとを追うとしよう」

(かしこ)まりました」


 ともあれシグムンドがそう音頭(おんど)を取ってくれたおかげで、エリクたちの役割分担もすぐに決まった。指示を受けたスウェインは、昨日サユキにキムの救命を嘆願した兵士たちを連れて医務室へ向かい、エリクはサユキが〝祭具〟や〝神撰〟と呼んだ品々を載せた荷車(くるま)輓馬(ばんば)に引かせて、墓地へと急ぐことにする。


(うーん……大陸人(おれたち)の感覚で言えば、今にも落命しそうな怪我人を死を連想させる場所へ連れ込むというのは縁起が悪くて気が引けるんだが……シグムンド様のおっしゃるとおり、今はサユキを信じて任せるしかない、よな。他にキム殿を救う方法はないんだから……)


 輜重(しちょう)を引くために鍛えられた輓馬の(くつわ)を取りながら、エリクはそう思案して晴れ渡る秋の空を見やった。スッドスクード城を囲う城壁を伝ってゆくと、東のはずれにひとつ小さな外郭があって、そこが墓地になっている。

 主に事故や病、戦で命を落とした黄都(こうと)守護隊の将兵を弔うための場所だ。

 本来であれば死者の遺体は、故郷に帰して遺族のもとで弔ってやるのが一番なのだが、兵役によって黄皇国の各地から集まってくる将兵を、死者が出るたび郷里へ送り届けるというのはさすがに現実的ではない。特に戦で命を落とした者については戦場から遺体を持ち帰れないことの方が多いため、遺族には弔慰金と共に死者の遺品を送り、亡骸の代わりに弔ってもらうのが常だった。


「サユキ」


 と、ほどなくエリクらが墓地へ入れば、早くも作業に取りかかったサユキの姿がある。見れば彼女は、墓地の中央に佇む白亜の慰霊碑──遺体なき死者の魂を慰めるために建立(こんりゅう)されたものだ──を囲むように、陣張りに似たことをしていた。

 エリクたちが森から引き抜いてきた四本の若木を四隅に立てて、その木々の間に縄を渡し、一辺半葉(ハーフアレー)(二・五メートル)ほどの奇妙な空間を作っているのだ。

 さらに縄にはサユキが忍術を行使する際に使う符が何枚も吊り下げられており、彼女が何をしようとしているのかはさっぱり分からないが、只事ならぬ空気が漂っていることだけは何となく感ぜられた。


「……来たか。ああ、待て。そこより先には踏み込むな」

「え?」

「地面に水が()いてあるだろう。そこから先に入る前に、塩水を口に含め。そして一度中に入ったら、私がいいと言うまで決して声を発するな」

「え……えぇ? 塩水を口に?」


 と、コーディが困惑した様子で見やった先には、サユキが指さした塩水入りのバケツがある。バケツには木製の柄杓(ひしゃく)が突っ込まれてあり、サユキが張った縄の周囲に目をやると、なるほど、確かに円状に水が撒かれた形跡があった。


「い、いや、水を含むのは構わないが、何のためにそんなことを?」

「この注連縄(シメナワ)の内側は、私が龍脈とつながるための結界だ。だから儀式が終わるまで、他人の魂を入れるわけにはいかない。でないと気が乱れて、儀式が失敗する可能性がある……人間や吐き出す呼気や言葉は、剥き出しの魂の一部だからな」


 と、サユキが大真面目に答えるのを聞いて、エリクははたと思い至った。呼気や言葉が魂の一部というのは初耳だが、しかし言われてみれば思い当たる節がある。

 というのもつい先日、サユキがエリクたちの前で式神(シキガミ)なるものを生み出した際、彼女はそのもととなる符にふっと息を吹きかけていたはずだ。あれは式神に己の魂の一部を込めるためだったのかと思うと、途端に彼女の言い分が腑に落ちた。

 ゆえに今は粛々とサユキの指示に従うのが吉だと判断して、エリクは言われたとおりに塩水を含む。シグムンドにはいざというときの指令役になってもらわなければならないので結界の外で待ってもらい、荷車に積んできた品々はコーディとふたりでサユキのもとまで送り届けた。


「シグムンド様。イーリイ隊長をお連れしました」


 ほどなく医務室へ向かったスウェインらが合流し、今度は彼らの手も借りて、馬車に乗せられてきたキムの身柄を結界内へ運び込む。

 ナンシーやモニカも付き添いで来てくれたようだが、昨日ぶりに目にしたキムの顔色はさらに悪化し、もはや死人と見分けがつかないほどになっていた。

 果たしてこの状態から彼を救うことができるのだろうかと不安に駆られながら、エリクは担架に乗せられたキムの体を慰霊碑の前に横たえる。


 それが終わるとサユキはすぐにエリクらを結界の外へ追い出した。

 どうやら彼女は慰霊碑の土台部分を祭壇に見立てるつもりのようで、そこにエリクらが掻き集めてきた酒やら麦やらを供えている。かくてすべての準備が整うや、最後にふーっと息を吐き、サユキはエリクたちを(かえり)みた。

 こちらを見つめる表情はわずかばかり強張(こわば)って、珍しく緊張しているようだ。


「……では、これより地祇を呼び出す。儀式の間は誰も声を発するな。不安な者は(ばい)の代わりに、塩水を口に含んでおくといい」

「分かった。では、我々にできるのはここまでだな?」

「はい。あとは皆でキムの無事を祈って下さい。(アマ)(カミ)ではなく、地の底を泳ぐ光の龍に」

(光の(リュウ)、か……)


 と言われても、大陸で生まれ育ったエリクたちには光の龍がどんなものなのか、想像を巡らせるのは難しかった。

 サユキの言う〝龍〟というのは、神の力を得た巨大な蛇のごとき生き物で、龍脈はその龍が輝きながら地の底を泳ぐ姿に似ているという。


(だが俺たちは龍という生き物を知らないし、そもそも地の底にあるのは魔界だと聞かされて育った。それでも祈りが届くのかは分からないが……)


 しかし現にサユキが地祇と呼ばれる存在を操り、今日まで数々の摩訶不思議な術を使ってみせたことを思えば、彼らは確かに()()。きっと今も大地の底を輝きながら流れている。想像することは難しくとも、そう信じることは可能だ。

 ゆえにエリクは塩水を口に含んだまま、サユキに向かって頷いた。

 すると彼女も小さく顎を引き、再びキムへと向き直る。


〔……()けまくも(かしこ)神漏岐(かむろき)神漏美(かむろみ)大御霊(おおみたま)()大前(おおまえ)(おろが)(まつ)りて、(かしこ)(かしこ)みも(もう)さく……〕


 ほどなく祭壇に見立てた慰霊碑の前で手印を結び、すっと静かに瞑目するや、サユキはエリクたちの知らない言語で何事か唱え始めた。あれは恐らくサギリ語だ。

 されどいつものように、エリクたちの意識に届く手前で翻訳されない。

 ということは、彼女は今から始める儀式に集中するために、エリクらと意思疎通するための術を切ったということだ。そして次の瞬間、サユキの唱えた言葉に応じるように、四方の縄に吊り下げられた数枚の符が仄青(ほのあお)く発光し始めた。


 途端にざわりと、見えざる波紋のごとく空気が(うごめ)く。

 縄でつながれた四本の若木が身震いし、小さく葉擦れの音を立てた。

 それを聞いたサユキは閉じていた(まぶた)を開くや、腰の後ろに横差しした得物を引き抜く。直後、やにわにジャラン、と、金属が触れ合う音が響いてはっとした。

 倭王国の装束にばかり気を取られて気づかなかったが、彼女が今日、身に帯びてきたのはいつもの忍刀(シノビガタナ)ではない。

 あれはジエンが愛用していた鳴り物つきの特殊な刀、九環刀(きゅうかんとう)だ。

 幅広の刃の峰に穴を開け、九つの金環を通した刀。

 サユキはまるで何か呼び出さんとするかのようにその刀をジャラジャラと振り、大きな音を奏でながら──なんと自らの腕に刃を当て、迷いなく切り裂いた。


「……っ!?」


 と思わず声を上げそうになったらしいモニカが、とっさに自身の口を押さえる。彼女がそうして目を見張るのと、サユキの流した血が地に落ちるのが同時だった。

 (しか)して鮮血が大地を濡らした刹那、まるで下からの風に吹かれたように若木がザン!と総毛立つ。それを合図に数枚の符がさらに強い光を発し、ギシギシと縄が揺れるほど激しく暴れ出した。


(なん、だ? 急に、雲が……)


 そこでエリクはふと周囲が暗くなったことに気づき、驚いて天を見上げる。

 するとどこからともなく現れた大きな雲が、太陽を覆い隠すのを見た。

 おかげでよりはっきりと、サユキを取り巻く異変が目に見えるようになる。

 明るいうちは気づかなかったが、見れば彼女の足もともまたぼんやりと発光しているのだ。そして彼女を中心に、空気が音もなく蜷局(とぐろ)を巻き始めた。


〔我が真名(しんめい)、霧里雪娜(せつな)の名に()いて、彼の者に宿(やど)せし禍事(まがごと)罪穢(つみけがれ)(はら)(たま)え、清め給えと申す事の由……地に満ちし八百万(やおよろず)神等(かみたち)共に聞こし()せと、伏して(ねが)(たてまつ)る〕


 さらに腕から血を流しながら、サユキはその血をキムに振りかけるようにしてサギリ語を唱え続ける。かくて彼女が再び目を閉じ、手印を結び直した瞬間、足もとの光は噴き上がる閃光へと姿を変えた。驚愕するエリクらの視線の先で、サユキの背中は光の柱に呑み込まれる。それを見たエリクたちがあっと息を飲めば、柱は生き物のごとくうねり、ゆっくりと鎌首をもたげた。


 あれは──あれこそが光の龍か。


 全身に鳥肌が立つのを感じながらエリクがそう理解した直後、龍は昏睡したままのキムを見下ろし、まるで口づけでもするようにゆっくりと近づいた。

 そうして龍の鼻先が彼の胸もと──ちょうど傷のあるあたりだ──にそっと触れるや否や、光はますます強さを増し、エリクたちは目を開けていられなくなる。

 ゆえに思わず腕を(かざ)した刹那、不意にエリクの鼓膜を(くすぐ)る声があった。




 ときがきた ときがきた


 賢者のむすこ 守護者のむすめ


 なにをもたらす? なにをみちびく?


 星はどちらにおちるのか?


 かれらのねがいはかなうのか?




 男であり、女であり、若いようであり、年老いているようであり。

 そんな声がひそひそとエリクの耳もとで笑っている──誰の声だ?

 そう思い、とっさに振り向いた途端に、視界を塗り潰していた光が収束した。

 はっとして目をやれば、結界の四隅に立った若木の葉がすべて枯れ落ち、縄に吊られた符も焼け焦げて煙を上げているのが見える。


「サユキ」


 と、思わず彼女の名を呼びかけて、エリクは自分がまだ塩水を口に含んだままなのに気がついた。そういえばサユキは「儀式が終わるまで口をきくな」と言っていたが、これはもう終わったものと見なしてよいのだろうか?


「……ナンシー、モニカ」


 ところがエリクが塩水を吐き出すべきか、はたまた飲み込むべきかと迷っていると、しばし黙然と立ち尽くしていたサユキが医務官のふたりを呼んだ。

 次いでこちらを振り向いた彼女の頭上から、にわかに髪紐(かみひも)が切れ落ちる。

 直前までひとつに(くく)られていた黒髪がほんの一瞬宙を舞い、彼女の肩や背に流れた。よくよく目を凝らして見れば、サユキは髪を結うのにも自分で編んだ縄を使っていたようで、それが光の中で焼き切れてひとりでにほどけたらしい。


「キムの容態を診てくれ。恐らく呪印……呪刻(カース・エンブレム)は消えた」

「ほ、本当!? あっ……!」

「いや、もう喋っても問題ない。塩水を口に含んである者は捨てずに飲み込め。もう結界は切れたから、入っても差し支えない」


 うっかり声を漏らしてから慌てて口を押さえたモニカを見て、サユキは儀式の終わりを宣言した。そこでエリクは塩辛い水をひと思いに飲み下し、モニカも胡桃色(くるみいろ)の髪をぱっと揺らして駆け出していく。


「ナンシー先生!」

「ええ……確かに神術が拒絶されなくなったわ。おまけに傷もほとんど癒えてる。まさかこんなことが本当に可能だなんて……信じられない」


 と、ほどなくキムの状態を確認したナンシーがそう告げたのを聞いて、じっと固唾を飲んでいた第五部隊士から歓声が上がった。彼らもすぐにキムのもとへ駆け寄るや、抱き合ったり声を上げたりして儀式の成功を喜んでいる。

 ナンシー(いわ)く、キムの容態はまだ予断を許さないらしいが、呪刻が消え去った今ならば最善の治療が施せるだろう。


「シグムンド将軍。今すぐキムを医務室へ連れて帰りたいのですが構いませんか? 急いで適切な処置をすれば、助けられる見込みはあると思います」

「ああ、ぜひ頼む。スウェイン、キムの搬送に手を貸してやれ。サユキもよくやってくれた。だが、君の傷も早急に手当てせねばならんな。コーディ」

「は、はい!」


 皆より一拍遅れて塩水を飲み込んだコーディは、シグムンドに呼ばれるや弾かれたように駆け出して、傷ついたサユキの腕を取った。

 彼女が自ら切りつけた傷は思ったよりも深く、今も鮮血が流れ続けている。

 先日も腕を骨折したばかりなのに──と、それを見たエリクはついまた苦言を呈しそうになり、すんでのところで飲み込んだ。

 仲間が傷つくのはやはり耐えられないが、しかしあれは恐らく儀式を成功させるため、ひいてはキムを救うために必要なことだったのだ。

 幸いコーディの神術があれば痕が残らない程度の傷のようだし、ならば今は叱るよりもねぎらわなければ。そう思ったエリクはキムを乗せた担架がスウェインたちによって運ばれていくのを横目に見ながら、サユキへと声をかけた。


「ありがとう、サユキ。お前を信じてなかったわけじゃないが、まさか本当に忍術で神刻(エンブレム)を消し去ることができるなんて驚いたよ。あとのことはナンシー先生に任せれば大丈夫なはずだ」

「ああ……だが、キムを助けたのは私じゃない。ジエンだ」

「え?」

「恐らくこの世で最もキムを救いたがっていたのはあの男だろう。だから、()()を使ってジエンの魂を龍脈から呼び出した。今ならまだ間に合うと思ってな」


 そう言ってサユキが目を落としたのは、彼女の手の中にあるジエンの九環刀だった。〝今ならまだ間に合う〟というのは、ジエンの魂が星界に──否、龍脈に乗って幽世へ行ってしまう前なら呼び出せる可能性があった、ということだろうか。

 そういえば以前ゲヴァルト族のベルントが、死者の魂はただちに天樹に召されるのではなく、しばらくの間は地上に留まり、遺された者たちを見守るのだと言っていた。あれは彼らの一族にのみ伝わる言い伝えなのかと思っていたが、キムを救ってくれたのがジエンの魂だというのなら、あながち迷信ではないのかもしれない。


「あ……で、ではやはり、気のせいではなかった……ということなのでしょうか」

「うん?」

「アンゼルム様には聞こえませんでしたか? 僕は光の龍が消える直前、ジエン副隊長のお声を聞いた気がするんです。〝生きられよ〟と……」

「ほう……奇遇だな。実を言えば、私も同じ声を聞いた。幻聴かとも思ったが、君も同じものを聞いたというのであれば、あるいは……」

「……ええ。私も確かに聞いたので、間違いありません。ジエンは死してなおキムの無事を願っていました。そして、恐らくは……」


 と、何か言いさしたきり、サユキは手の中の刀を見つめて黙り込んでしまった。

 そんな彼女の様子も気がかりだが、エリクが何より気になったのは、シグムンドやコーディも聞いたという(ジエン)の声だ。


(みんなは光の中でジエン殿の声を……? なら、俺が聞いた声は一体……)


 エリクがジエンの声の代わりに聞いたのは老若男女、複数の人間が(ささや)()うような声だった。しかも彼らが唱えていたのはキムの無事を祈る言葉ではなく、不思議な歌のようだった……と思う。


(あれは誰の声だったんだ? 何となく、森で木と向き合っているときに聞く声と似ていたような気もするが……)


 ──斬らないでくれ。


 時折、エリクが自らの剣を試すために森へ向かうと、木がそう語りかけてくるように感じることがあった。あくまでもそんな風に感じるというだけで、実際に耳で聞いているわけではないと思っていたのだが、あの男とも女とも、若いとも老いているともつかない声は、先程聞いた歌声に似ているような……。


「さ、サユキさん!?」


 ところがそのとき、物思いに(ふけ)っていたエリクの意識をコーディの悲鳴が引き戻した。はっとして顔を上げれば、直後、エリクの肩にもたれかかってきた人影がある。深緑の外套(マント)に力なく顔をうずめているのは言わずもがな、サユキだ。


「さ、サユキ? お前、いきなりどうし──」

「……疲れた。少し、休む……」


 と独白のごとく呟くが早いか、サユキはずるりと滑り落ちるように体勢を崩し、地面に倒れ込むかに見えた。エリクはそれをとっさに抱き留めたが、慌てて声をかけたときには彼女は既に意識を失っている。


「お、おい、サユキ! しっかりしろ、サユキ……!」

「し、シグムンド様……!」

「うむ……どうやら眠っているだけのようだが、あのような埒外(らちがい)の力を使ったあとだ。正直、体にどんな変調を(きた)すか分からん。念のため彼女も医務室に運び込んだ方がよいだろう」


 思わず動転しかけたエリクやコーディとは裏腹に、さすがシグムンドは冷静だった。言われてよく観察してみれば、確かにサユキの顔色や呼吸に目立った異変はなく、ただ眠っているだけのように見える。されど神々の力のかけらである神刻をひとつ消し去るほどの、未知なる力を使ったあとだ。


 とすればきっと心身を消耗したに違いないと思いながら、エリクは彼女を抱き上げた。キムもサユキも無事に目を覚ましてくれるよう、光の龍に祈りながら。


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