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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第6章 たとえ明日に裏切られても
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167.呪われし神刻


「一体どういうことなの。第五部隊にも同行した医務官がいたはずでしょう?」


 と本棟一階にある第一医務室でナンシーが声を荒らげたのは、サラーレから戻ったキムが、第五部隊士の手によって運び込まれた直後のことだった。

 医務室の寝台に寝かされたキムは依然昏睡しており、上体から(おびただ)しい血を流している。脱がされた服の下にはしっかり包帯が巻かれているのに、その包帯が鮮血で真っ赤に染まっているのだ。つまり止血がなされていない。

 見たところキムは謎の襲撃者によって、左肩から右脇腹にかけてを袈裟斬りにされたようだが、サラーレからスッドスクード城へ移送されるまでの三日間、ずっとこんな状態だったのかとエリクは目を疑った。


「そ、それが……医務官殿にも必要な処置はすべて施してもらったのですが、傷を縫合しても出血が止まらず……仕方なく最後は傷を焼いたものの、やはり効果がありませんでした」

「縫合も焼灼(しょうしゃく)止血も試したのに血が止まらないですって? そんなことあるはずがないでしょう。だいたい、何故真っ先に神術治療を試みなかったの? 同行した医務官も水術使いだったはずよ」

「いえ、もちろん神術による治療も試みました。しかしそちらも効果がなく……正直、我々ももはやどうしたらよいやら……」

「ああ、そう、分かった、百聞は一見に()かずよ。コーディ、悪いけどちょっと手伝って。私たちでキムの体を支えるから、モニカ、あなたは急いで包帯をはずしてちょうだい」

「はい……!」


 蒼白な顔色で立ち尽くすばかりの第五部隊士はあてにならないと判じたのか、ナンシーが苛立った様子で指示を出せば、モニカが素早く従った。

 が、血まみれの包帯がはずされるや否や、一同は思わず絶句する。

 何故ならキムの傷の状態は、あまりにも凄惨だった。

 先刻の隊士の証言どおり止血のために傷を焼いた形跡はあるものの、斜めに走った創傷は健在で、それを火傷の上から縫い合わせてあるのだ。しかも亜麻糸によってぴったりと傷口が閉じられているにもかかわらず、皮膚の間からは未だ鮮血が滲み出しており、キムの上半身は目も当てられないほどに腫れ上がっていた。

 先程から彼が意識のないまま、滝のような汗を流しているのもそのためだ。恐らくはひどい火傷と傷周りの炎症が原因で、かなりの高熱を発しているのだろう。


「これは……確かに傷は縫合されているようだが……」

「この状態で何故出血が止まらないの……? とりあえずモニカ、吸い飲みをお願い。まずは水と鉄強壮剤を飲ませてちょうだい。失血と脱水が進みすぎて、かなり危険な状態よ。あと、氷嚢(ひょうのう)を作るから豚の膀胱(ぼうこう)も出しておいて」

「はい……!」

「で、ですが、本当に一体どういう状況なのでしょう……止血のために焼いたにもかかわらず、傷が塞がらないなんてことがあるのですか?」

「現状では何も分からないわ。だけどもしかすると、傷に出血毒の類を仕込まれたのかも。だとしたら……」


 とコーディの問いに答えながら、ナンシーはキムの傷に右手を(かざ)した。

 彼女の手の甲に刻まれた青い波濤(はとう)型の神刻(エンブレム)──蒼淼刻(フラッド・エンブレム)が淡く輝き出し、彼女の祈りに呼応した神気がキムに向かって流れ始める。

 ところが次の瞬間、予期せぬ現象が起こった。ナンシーの集めた神気が仄青(ほのあお)く光を帯びて、いよいよ癒やしの力を発揮するかに見えた直後「バチン!」とすさまじい火花が弾け、見えざる力が神術を弾き返したのだ。


「きゃっ……!?」

「ナンシー先生!」


 激しい閃光と衝撃に虚を突かれ、驚いて体勢を崩したナンシーを傍にいたエリクがとっさに支えた。されど先刻、第五部隊士が言っていたとおりだ。


 この傷には神術の効果がない。というよりも、神術がかけられない。


「な、何、今の……一体何が起きたの……!?」

「ふむ……私は神術に関しては門外漢だが、しかし今の現象は、キムの体が神術に対する拒絶反応を示したかのようだったな」

「ま、まさかキム殿は神術を受けつけない体質でいらっしゃるとか……? そんな人間がいるなんて話は聞いたこともありませんが……ナンシー先生、これまでキム殿に神術による治療を行ったことは?」

「いいえ、ないわ。キムは私の知る限り、文字どおりの医者要らずだったから……彼が病気や怪我をしたなんて話は一度も聞いたことがないの。現に彼の搬送を待つ間、全医務室の診療記録を当たったのだけど、キムは黄都(こうと)守護隊の設立から今日まで一度も、城内では医療行為を受けていないみたい」

「えぇっ!? ということは六年間、一度も……!?」


 ナンシーが放った信じ難い言葉に一同は揃って驚愕したものの、いや、キムならばありえない話ではないかもしれない、とエリクはすぐに思い直した。

 何しろ隊内でも最強の名を(ほいしまま)にするキムが、病気はともかく戦いで負傷するところなどエリクには想像できない。実際サラーレで魔物と戦い続けた数日間も、キムは掠り傷ひとつ負った気配がなかった。ならば六年間一度も医務官の世話になったことがないというのも、あながち不自然な話ではないのかもしれない。

 だが問題はそのせいで、今の一連の現象がキムの特異体質によるものなのか、はたまた襲撃者たちによる何らかの工作の結果なのかが分からないということだ。

 とはいえ仮に後者だとしても、一体どうすれば神術を跳ね返すような仕組みを作れるのか、まるで検討もつかないのだが……。


「ときに、諸君。君たちはキムの傭兵時代から行動を共にしている兵だな?」


 ところが刹那、考え込んだエリクの傍らで立ち尽くす第五部隊士に、シグムンドがそう尋ねた。現在医務室にいるのは室長のナンシーと助手のモニカ、そして状況確認にやってきたシグムンド、エリク、コーディ、サユキの他、キムを運んできた数名の第五部隊士のみだ。しかし何故シグムンドは彼らがキムの傭兵時代からの仲間だと気がついたのだろうと不思議に思い、エリクもすぐにはっとした。


(そうか、(なま)りだ)


 彼らの話すハノーク語は、トラモント訛りとはまた違う、独特の抑揚を帯びている。キムやジエンも同じ訛りで話すので、エリクはとうに慣れて違和感を覚えなくなっていたが、シグムンドは耳聡(みみざと)く聞き逃さなかったのだろう。


「は、はい……確かに我々は全員、アルハン傭兵旅団の出身ですが……」

「ならば君たちは今の現象について、何か知っているのではないか。キムが癒やしの術を受けつけんのは、彼自身に何らかの問題があるためか? それとも襲撃者どもが彼に対し、何かしらの奇術でも使ったのか」


 シグムンドがさらにそう問い重ねれば、途端に沈黙した第五部隊士たちは困惑したように目配せし合った。が、やがて彼らの中でも年長と(おぼ)しい壮年兵が逡巡(しゅんじゅん)を帯びた眼差しでキムを見やり、言う。


「いえ……実は、その……キム様のお背中に……」

「……背中? 背中がどうかしたのかね」


 とシグムンドが聞き返したものの、彼はやはり何かをためらい、最後には口を(つぐ)んでしまった。そんな隊士らの反応を見たエリクらは顔を見合わせたが、彼らから事情を聞けないのなら直接確認する他ない。ゆえにエリクはコーディに声をかけ、ふたりで左右からキムの体を起こしてみることにした。が、コーディが寝台の反対側に回るのを待ち、エリクがキムの上半身に手をかけようとした、瞬間、


「──触るな」


 医務室にひと際低い声が響き、エリクとコーディはぎょっとして手を止めた。

 そうして見やれば、なんといつの間にか意識を取り戻したらしいキムが、浅い呼吸を繰り返しながらエリクたちを睨んでいる。


「き、キム殿! 目を覚まされましたか……!」

「……ここは……スッドスクード城、か……?」

「そうです。覚えていらっしゃいますか? キム殿はサラーレで謎の集団に襲われて、負傷されたためにここへ……第五部隊の兵たちが、キム殿を守りながら城へ連れ帰ってくれました」

「そうか……だが……ジエンは、どうした?」

「じ……ジエン副隊長は……」

「あいつは……やつらの襲撃から、俺を守ろうと……〝名前持ち(ネームド)〟の前に飛び出して……あれから……どうなった?」

「……キム。ジエン殿は君をかばって殉職された。襲撃者どもの指揮官を道連れにした、忠烈な最期だったそうだ」


 刹那、口ごもったエリクやコーディに代わってジエンの訃報を伝えたのは、他でもないシグムンドだった。するとキムは今にも閉じてしまいそうだった瞳をわずか見開き、それきり何も言わない。

 ジエン・ダオレンが死んだ。つい数日前まで彼と行動を共にしていたエリクは最初にその報に接したとき──否、今もまだ信じられない気持ちでいっぱいだった。

 確かにジエンは隊内でも最高齢の将校だったが、既に(よわい)六十を過ぎているとは思えないほど矍鑠(かくしゃく)として、キムとも渡り合うほどの武芸を誇っていたのだ。


(そんなジエン殿が、わけの分からない連中の襲撃で命を落とされるなんて……)


 エリクに言わせれば彼もまたキム同様、戦場で果てることなど想像もできない武人だった。されどキムの身柄と共に運ばれてきたジエンの遺体を見れば、彼が壮絶な最期を遂げたことは一目瞭然だ。何故ならジエンの体は神術の炎に焼かれ、どんなに目を凝らしても生前の面影を見つけられないほどの消し炭にされていた。

 が、彼の死に際に居合わせた隊士の話では、ジエンは全身を燃やされながらも怯まず敵へ向かってゆき、襲撃者たちを指揮していた男に抱きついて、死なば諸共と焼き殺したのだという。


「……そうか。そろそろ引退したらどうだと勧めるつもりが……どうやら、ひと足遅かったな……」


 やがてキムは右腕で目もとを覆うと、独白のように呟いた。キムとジエンは、アルハン傭兵旅団で二十年以上も共に戦ってきた仲だと聞いている。

 とすればキムにとって、ジエンは十代の青年の頃から背中を預けてきた戦友であり、ふたりの年齢差を思えば、ときには父のように感じたこともあっただろう。

 そのジエンが死んだ。最後の瞬間まで、キムに変わらぬ忠誠を捧げて。


「……キム隊長。ジエン副隊長のためにも、まずは隊長のお怪我の治療をしないといけません。でも様子がおかしいんです。まるで傷が治ることを拒絶しているみたいで……ナンシー先生の神術もダメでした。癒やしの術をかけようとしても弾かれてしまうんです。原因にお心当たりはありませんか?」


 と、そこで身を乗り出してキムに尋ねたのはモニカだった。

 彼女はぽろぽろと零れる自身の涙を懸命に拭うと、医務官としての務めを果たすべく、冷たく濡らした手拭いでキムの汗を拭いてやっている。するとキムは未だ目もとを覆った腕の下から彼女を一瞥(いちべつ)したのち、譫言(うわごと)のように唇を動かした。


「……娘が……」

「え?」

「ジエンにも……お前くらいの、孫娘が……最後に、会わせてやるべきだった……カプラ山の……アルタグ(そん)に……」

「アルタグ邨……?」

「名前は、シーファ……シーファ・ダオレン……せめて……家族に……あいつと、最後の別れを……」

「キム、ジエンさんの家族のことは分かったわ。だけど、今はモニカの質問に答えてちょうだい。このままじゃあなたの命も危ないの!」

「……呪刻(カース・エンブレム)……」

「え?」

「やつらに……呪刻を、刻まれた……恐らくは、それが原因だ……」

「そんな、まさか……呪刻ですって!?」

「だが……俺のことは、いい……他にも……やつらの襲撃で、負傷した兵が……そちらを、優先しろ……」

「何をおっしゃるのです、キム様! キム様の御身に万一のことがあっては、ジエン様が浮かばれません! 何よりキム様を失ったなら、我々は……!」

「……心配、するな……すぐに、次の王が……現れる……お前たちは……そのときまで……黄都守護隊で……」

「キム様!」

「オルランド殿を……頼れ……ラオス・フラクシヌスの……名を借りて……遺された……民を……頼……む──」


 キムの言葉はそこで途切れた。彼は再び意識を失い、額に乗っていた腕がずるりと落ちる。途端に第五部隊の兵たちが、口々にキムの名を呼んで泣き崩れた。

 寝台に(すが)りつきながら声を上げて泣く彼らを見やり、エリクはまるで整理のつかない頭で懸命に思考する。


「ナンシー先生、このままではキム殿が……呪刻とは何のことですか? それが傷の治療の妨害を?」

「……」

「ナンシー先生?」

「……シグムンド将軍。現在黄都守護隊に、聖刻(ホーリー・エンブレム)の使い手は存在しますか? 神術兵、あるいは軍属聖職者の中に」

「いや、私の知る限りはいない。聖刻は数ある神刻の中でもかなりの稀少種だ。身近に使い手がいれば存在は嫌でも耳に入る。だが生憎(あいにく)と、私も本物の聖術使いに出会ったことは未だかつてない」

「そうですか……アンゼルム、手を貸して」

「は、はい?」

「キムの背中を確認したいの。彼の体を横向きにしてくれる?」


 筋骨隆々のキムの巨躯(きょく)は、女性であるナンシーやモニカの力では簡単に動かせそうにない。ゆえに手を貸してくれ、ということだろう。当のキムには「触れるな」と言われたが、今は彼の命に関わる緊急事態だ。ゆえにエリクはコーディと目だけで合図を送り合い、すぐにナンシーの指示に従った。そうしてキムの体を慎重に横ざまにした直後、あまりの光景に思わず絶句してしまう。


「こ、これは……」


 あらわになったのは、キムの広い背中を覆い尽くすほど赤黒く広がった醜悪な紋様だった。死神マヴェットの神璽(みしるし)墜落の星(クリエスト)》を思わせる逆五芒星と、それに絡みつくようにうねりながら、いびつな円を描く(いばら)。その荊はところどころ燃えているようにも、血が滴っているようにも見えておぞましい。

 そんな禍々(まがまが)しい紋様が、まるで押されたての烙印のごとくキムの背中に広がり、皮膚を(ただ)れさせているさまは、見ていて吐き気がするほどむごたらしかった。


「ま、まさか、これが……呪刻、ですか?」

「そうよ。私たちが普段使っているような天界の神々の力のかけらではなく、魔界の神々が地上に残した神刻……あまりに危険な呪いの力を帯びているからと、太古の昔に狩り尽くされて、ほとんどが破壊されたと言われているけれど、時々こんな風に()()()()が発見されることがある……」

「で、では呪刻とは、言うなれば邪神の神刻……ということですか。ですが曲がりなりにも神刻ならば、神刻師(シャーマン)の力で解刻(ディタッチ)できるのでは?」

「いいえ……私も文献で読んだ知識しかないのだけれど、呪刻は解刻しても通常の神刻石(エンブレムストーン)には収められないらしいわ。呪刻を収めるには封呪石(ブレストストーン)と呼ばれる特殊な神刻石が必要で、適切な手法で封印しないと解刻したあとの呪刻はどこに飛んでいくか分からない……つまり、無差別に人間を呪っていくってことね」

「そ、そんな……!」

「唯一聖神カドシュの力があれば呪刻を消し去ることができるというけれど、さっきシグムンド将軍がおっしゃったとおり、聖刻は滅多にお目にかかれる神刻じゃない。要するに、現状──キムを救う手立てはないわ」

「な……」

「見たところこの呪刻は、死神(マヴェット)の力が具現化したもの……だとしたら、キムの命を奪うまで呪いは解けない。一度負った傷が癒えないのも、癒やしの力を持つ神術が拒絶されるのもそのせいね」

「で、では……僕たちはキム隊長が息を引き取るのを、黙って見ていることしかできないということですか? それじゃあジエン副隊長は、何のために……」


 そう言いかけたところでコーディの瞳からもついに涙が溢れ、モニカも泣きながら両手で口を覆った。キムに縋る第五部隊士の泣き声はいっそう悲痛さを増し、エリクも茫然と立ち尽くす。


(どうして……一体、どうしてこんなことに……)


 ジエンの死という事実すら未だ受け入れられていない思考は、もはや現実についていけずに凍りついた。キムたちを襲った謎の集団の正体も目的も、キムが最後に残した言葉の意味も、何ひとつ考えられない。だって、これほど唐突に仲間との別れが訪れるだなんて想像もしていなかった。そうでなくともキムやジエンとは、つい数日前まで共にサラーレで戦っていたというのに……。


(……ん? なんだ……?)


 ところがそのとき、エリクは放心しながらも、ひとまずキムの体を仰向けに戻そうと手を伸ばしたところで気がついた。

 呪刻に呪われたキムの背中は、やはり直視することがためらわれるほど凄惨なありさまだったが、しかしふと気になったものがある。というのも赤黒く浮かび上がる呪刻の後ろから、わずかに覗く何かが見えたのだ。

 それはキムの浅黒い肌に浮かんだ黄金色(こがねいろ)の、何らかの図形の断片のような──


「──呪印を滅する方法なら、もうひとつある」

「……え?」


 と、エリクが呪刻の後ろに隠れた何かに気づいた、刹那。

 不意にそんな声が上がって、一同は驚愕と共に振り向いた。

 そこでじっとキムの背中を見つめているのは、サユキだ。

 次いで彼女はふと目を上げると、エリクと視線が()()った途端にふいと顔を背けてしまったが、顔色と声色は普段のまま淡々とこう告げた。


「……私も本物を見たのは初めてだが、呪印とは(アマ)(カミ)が『(カム)遣らいの(ヤライノ)大戦(オオイクサ)』で振るった(まが)つ力の残穢(ざんえ)だと聞いている。つまり巫印(ふいん)は巫印……天ツ神の神力(じんりき)から生まれたものだ。ならば、相反する力である(クニ)(カミ)の力、すなわち地祇(チギ)をぶつければ消せるはず……」

「ちょ、ちょっと待って、サユキ。あなたが何を言っているのか、よく分からないのだけど……」

「……要は、お前たちが〝神刻(えんぶれむ)〟と呼ぶソレは、天の力を媒介するものだ。対して私が使う忍術は地の力を借りたもの。天と地の力はぶつかれば打ち消し合う性質を持っていて、(たと)えるなら火と水の関係に近い。少量の水は大火の前では蒸発するのみだが、逆に小火は大水を浴びれば鎮火するといったような……」

「じ、じゃあ、サユキちゃんの力が水だとして、呪刻を火に譬えるなら……呪刻よりも大きな力をサユキちゃんがぶつければ消火できるかもってこと?」

「理屈の上ではな。私も試したことはないが、他に方法がないというのなら……」


 と、サユキが目を伏せながら言ったところで俄然(がぜん)、彼女の手を取りひれ伏した人影があった。皆がぎょっとして視線を注いだその人影とは他でもない、滂沱(ぼうだ)たる涙で顔を濡らした第五部隊の兵たちだ。


「お、お願いします……お願いします! たとえわずかでも可能性があるのなら、どんな方法でも構いません! どうかキム様をお助け下さい……!」

「い、いや、私は……」

「キム様は我らアルスランの民に遺された最後の希望です。たとえ次なる王が無事現れようとも、キム様なき祖国の再興など考えられません……! ですから、どうか……どうかお願いします……!」


 これにはさすがのサユキもどう反応したものかと、ひどく困惑した様子だった。

 されどキムを救える唯一の道がそれだけだというのなら、エリクたちも黙って見ているわけにはいかない。


「シグムンド様」

「ああ。サユキ、先刻君が論じた方法をぜひ試してもらいたい。キムは黄都守護隊の創設以来、類稀なる精強さで隊を牽引してきた功労者だ。ここで彼を失うわけにはゆかぬ」

「……分かりました。ですが私はあくまで(シノビ)であって、地祇の扱いを正しく学んだ方術師(ホージュツシ)ではありません。國ツ神に仕える(カンナギ)としての方術師は衆生救済のために方術を修めますが、忍の使う方術は他者を欺き、殺めるための〝外法(げほう)〟……ですからキムを救える確証はありません」

「構わん。たとえ可能性はわずかでも、指を(くわ)えて事態を傍観しているよりは遥かにマシだ。やってくれ」

「……御意」


 シグムンドの答えを聞いたサユキは拱手(サリュート)の姿勢を取ると、(うやうや)しく頭を下げた。

 初めの頃はトラモント黄皇国(おうこうこく)の作法など何ひとつ知らなかったはずのサユキも、今や黄皇国式の敬礼がすっかり板についている。

 本人は認めたがらないが、やはり彼女ももう立派な黄都守護隊の一員なのだ。

 そう思ったら、エリクは無性にサユキに礼が言いたくなった。けれど告げればまた彼女に嫌がられてしまうだろうかと思案して、迷った末に口を噤む。


「よし。では、必要なものがあればただちに手配しよう。皆はサユキの指示に従ってくれ。プレスティ君とモニカは準備が整うまでの間、キムの延命措置を頼む」

「はい……!」


 混乱と悲愴に染まっていた皆の表情に、ひと筋の光が射したようだった。

 気がかりなことは多々あるが、今はキムを救うことが最優先だ。

 絶対に死なせはしない。

 いつか黒竜山の麓で、彼の言葉に導かれた日のことを思いながらそう誓った。


 最期の瞬間までキムへの忠義に命を燃やした、ジエンのためにも。


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