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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第6章 たとえ明日に裏切られても
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166.もう少しだけこの場所で


 スッドスクード城の行政区には、文化棟と呼ばれる建物がある。


 城で生活する者たちが毎朝礼拝に(おもむ)く聖堂や、その聖堂で聖務に従事する聖職者のための聖務室、軍に入りたての新兵が座学に励む講義室、軍楽隊が日々楽器の練習に勤しむ音楽室などなど、名前のとおりスッドスクード城内の文化的な活動を支える建物だ。そして目下、そんな文化棟のすぐ脇に、目に(くま)を浮かべながら歩く哀れな青年の姿があった。


「ジュード隊長~、どこですか~? ジュード隊長~! 今日こそは溜まった書類に署名していただかないと、我々の業務が進まないんですよ……ですからそろそろ出てきて下さい、ジュード隊長~……」


 という憐憫(れんびん)を誘う呼び声は、待ち人の姿を見つけられぬまま徐々に遠ざかっていく。あれではまた第四部隊副隊長(クラエス)が倒れる日も遠くないなと思いながら、サユキは呆れ顔で眼下に見える黒い人影に目をやった。

 そこは文化棟に併設された、小さな聖堂の屋根の上。

 黄都(こうと)の中心に鎮座する大聖堂に比べると華美な装飾もなく、ずいぶん質素な(おもむき)のその屋根の上にジュードはいた。すぐ下を歩いていったクラエスの呼び声はしっかり聞こえていただろうに、何の反応も示さずに日向(ひなた)でぼんやり空を眺めている。


「おい、ジュード」


 そうして彼がクラエスを完璧に無視するつもりだと察したサユキは、聖堂の屋根より数段高い文化棟の屋根の上からひらりと隣へ舞い降りた。するとジュードは、死角から突然降ってきたサユキに驚くでもなくのんびりこちらを振り向いて、


「あ……サユキ……何か用……?」


 と、いつもの眠たそうな目で尋ねてくる。


「いや、確かに用はあるんだが……それよりお前、クラエスが呼んでいただろう」

「うん……呼んでたね……」

「隊務が滞っているんじゃないのか。放っておくとまたクラエスが倒れるぞ」

「大丈夫……あと、三刻(三時間)くらい……休んだら……戻るから……」

「三刻後には終業の(かね)が鳴ってるが?」

「俺、さ……夜にならないと……やる気、出ないんだよね……」

「お前、致命的に公人に向いてないぞ」

「そんなことより……俺に用って、何……?」


 明らかな正論を〝そんなこと〟で片づけられて、サユキは数瞬沈黙した。が、この男には何を言っても無駄だなと諦めのため息をつき、鐘楼の壁に身を(もた)せる。


「……実はお前に()きたいことがある。答えたくなければ無視してもらって構わないが」

「いいけど……何?」

「お前の育ての親……名はフレッカーといったか。前に、フレッカーは狭霧国(さぎりのくに)から来た(しのび)だった可能性が高いと言っていたな」

「うん……たぶん……九割くらい……そうだと、思う……俺も……サユキから……色々聞いて……分かったけど……フレッカーも、きっと……〝ヌケニン〟……ってやつ……だったんじゃないかな……」

「……だから狭霧にいられなくなって、大陸へ渡ってきたということか?」

「そう……だと思う……俺たちが、黒竜山を……下りて……黄都に、移り住んだあと……フレッカーは……いつも……周りを警戒……してたんだよね……まるで……誰かに、追われてるみたいに……」

「それは……黒竜一家の残党を警戒していたわけではなく、か?」

「俺も……当時は……そう、思ってたんだけど……今にして思えば……フレッカーは、義足になっても……山賊ごときを……怖がらなきゃいけないほど……弱くはなかったし……だとしたら……もっと、別の何かを……警戒してたんじゃないかなって……」

「……そうか。ちなみにお前は、フレッカーの本名は知らないのか?」

「うん……知らない。俺が、物心……ついた頃には……みんなから、フレッカーって……呼ばれてて……俺も、そう呼んでたから……」

「なら、フレッカーがお前の前で忍術を使ったことは?」

「あー……あれがニンジュツ……だったのかは、分からないけど……昔……一度だけ……フレッカーが……〝オリガミ〟を……見せてくれたことなら、ある……」

「オリガミ……というと、まじないとしての〝降り神〟か」

「そう……紙を折って……作った、生き物に……命を……吹き込むやつ……フレッカーは……アレを、俺にも教えたかったみたい……だけど……どんなに、修行しても……やっぱり……俺には、できなくて……」


 青色の瓦屋根に腰を下ろしたまま、ちょっと視線を落としてそう呟いたジュードを見やり、まあ、そうだろうなとサユキは思った。降り神は忍術における基礎中の基礎であり、ゆえにフレッカーもそこから教えようとしたのだろうが、生憎(あいにく)ジュードの生まれは大陸だ。これは一年以上の歳月を黄皇国(おうこうこく)で過ごして得た確信だが、大陸の人間はやはり地祇(ちぎ)と交信する能力が著しく低い。


 しかしそれはそもそも地祇の存在を知らないからだとか、幼い頃から修業をしていないからだとか、そういう次元の話ではなく、恐らくは民族としての〝血〟の問題だろうとサユキは見ていた。何故なら以前黄都で遭遇したゲヴァルト族なる民族は、地祇の力を当然のように操っていたからだ。


 聞けば彼らは遠い昔、世界の四分の三を支配したという巨大国家『ハノーク大帝国』の支配を受けなかった民族らしい。そして遥かな昔から大陸との交流を持たなかった狭霧人(さぎりびと)にも、まったく同じことが言える。つまり大帝国の血を引く民族は地祇と交わる能力がなく、彼らと同化していない民族だけが方術(ほうじゅつ)──天神ではなく、地祇の力を借りる術──を使えるのではないか、というのがサユキの仮説だ。


(ならば大帝国の末裔がどれだけ修業を積もうとも、方術が使えないのは無理もない。狭霧人なら方術という言葉を知らずとも、物心つく頃には〝盛り塩〟や〝照る照る坊主〟といった方術(まじない)を使えるんだがな)


 狭霧国ではそれくらい、地祇と共に生きるのが当たり前だった。

 されど地祇の存在すら知らずに生きてきた者たちに〝彼らの気配を感じ、交わりを持て〟と言ったところで、およそ不可能であることはフレッカーも早々に理解したはずだ。ならば他に彼の正体を特定する方法は……と思案したのち、サユキはふと思い立って、さらにジュードへの質問を重ねた。


「ではフレッカーは降り神を作る際、どういう手順を踏んでいたか覚えているか? たとえば自らの血を混ぜた墨汁を使って、紙に符紋(ふもん)を書いたりは?」

「えぇ……自分の血を混ぜる、って……バイオレンスだね……」

「霧里流忍術では血を使うのは基本中の基本だ。……だがその反応ということは、お前はやらされなかったようだな」

「うん。紙に何か書いたりも、特に……ただ……折り紙を、折って……紙の中に、自分の髪を入れて……で、シンゴンを唱える……って感じ……」

真言(しんごん)……そうか。ということは、フレッカーはやはり百鬼(なぎり)の出身だな。私が生まれ育った一門とは敵対する連中だ」

「え……じゃあ、サユキも……俺のこと……殺す……?」

「何でそうなる。私はもう霧里の忍じゃないし、お前も端から百鬼の鬼ではない。ならば殺し合う理由などないだろう」

「そっか……よかった……俺……たぶん……サユキには、絶対勝てないから……」

「忍術が使えないからか?」

「そう……じゃなくて……サユキを……斬ったりしたら……アンゼルムが……泣いちゃうし……」

「……どうしてそこでアンゼルムが出てくる?」

「……? だって……アンゼルムだよ……?」

「理由になってない」

「うーんと……なんていうか……うまく、言えないけど……アンゼルムって……人一倍、お人好しで……目に映るものは全部……守ろうとする、みたいな……ところがある……でしょ……? まるで……そうしないと……死んじゃうみたいに……」

「……」

「たぶん……助けられるはずの人に……何もできないのが……許せない……っていうか……人が、傷つくのを……見るのが、苦しくて……仕方ないんだろうね。だから……サユキが、死んだりしたら……アンゼルムは……泣いちゃうかな、って……思うと……俺は、サユキのこと……絶対に……斬れない、かな……」

「……だが、お前が死んでもアンゼルムは泣くだろう」

「……そうだね。そうだったら……ちょっと……嬉しいかも……」


 そう言ってふっと微か笑ったジュードの横顔を一瞥(いちべつ)し、サユキは思わず目を伏せた。そもそも自分はフレッカーの正体など突き止めてどうしたかったのだろうと自問して、ひどく自虐的な気分になる。


(もしもジュードの育ての親が霧里の生まれだったなら……今度は何故一門を出奔(しゅっぽん)したのかと尋ねるつもりだったのか?)


 そしてその理由が霧里を否定するものだったなら、自分の罪も少しは軽くなるのではないか。たぶん、サユキはそう願っていた。

 フレッカーが故国を捨てた理由を知れば、自分も自分を許せる理由を──死ななくてもいい理由を見つけられるのではと期待したのだ。

 けれどもそんな都合のいいものが、そうそう転がっているわけがない。

 そもそもサユキが犯した罪は、いくら霧里の掟を否定したところで変わらない。

 頭ではそう分かっているのに、せっかくの休暇を潰してまでジュードを探し、無意味な質問を投げかけた自分がひどく愚かで滑稽に思えた。


(だいたい……もとはと言えばあの男が、余計なことばかり言うから)


 と、内心悪態をついたところで、サユキの脳裏を今し方、ジュードから聞いたばかりの言葉がよぎる。


 ──サユキが死んだりしたら、アンゼルムは泣いちゃうかな、って……。


(……だから何だ)


 ときっぱり言えたなら、こんな風に柄にもなく悩んだりせずに済むのだろうと思う。なのに言えない。言えないのだ。口を開こうとするたびに、アンゼルムと共に過ごした日々や、サラーレでコーディから投げかけられた言葉たちが喉に(つか)えて。


「……サユキ」


 ところがサユキがそんな葛藤を抱えて黙りこくっていると、不意にそう名前を呼ばれた。気づいてふと顔を上げれば、依然として屋根に腰を下ろしたままのジュードがこちらを向いて、ぽんぽんと自分の隣を叩いている。


 ……どうやら〝座れ〟ということらしい。


「あのさ……サユキ……アンゼルムと……何か、あった……?」


 ほどなくサユキが促されるまま腰を下ろすと、ジュードはいかにも忍の子らしく単刀直入に尋ねてきた。おかげでサユキは一瞬答えに詰まったものの、観念して嘆息をついたのちに、言う。


「別に、何も……何もない」

「そう……?」

「ああ。ただ、私が……自分の心の置きどころを見失った。それだけの話だ」

「……そっか。見失っちゃったか……」


 果たして真面目に聞いているのか、はたまた他人事だと思っているのか、ジュードの反応はいまいち判然としなかった。されど次の瞬間、サユキもまるで予測していなかったことが起きる。というのも、ジュードの手がにわかにサユキの頭へ伸びて、ぽん、ぽん、と軽く二度ほど叩かれたのだ。


「……ジュード」

「うん……?」

「お前……何のつもりだ?」

「いや……だって、サユキ……珍しく……落ち込んでる……みたいだから……俺でよければ……話……聞くよ……?」

「……隊務(しごと)をサボッて暇だからか?」

「うん……そうとも言う……けど、俺……こう見えて……口は堅いし……」

「いや、こう見えても何も、むしろ見てのとおりだが?」

「そう……? それは、ちょっと……意外……」

「……」

「何より……サユキが……アンゼルムにも……言えないようなことなら……同じ、日陰者の俺の方が……話しやすいかな、って……」


 ──日陰者。


 確かに言い得て妙だな、とサユキは思った。自分は常に周囲から愛され、堂々と日向を歩いてきたアンゼルムのような人間とは違う。どんなときも闇に生き、闇を友とし、闇そのもののように生きてきた。だがジュードはどうだろう。

 彼も百鬼の後継者として陰惨な過去を背負ってきたようだが、今では日向に腰を下ろし、燦々(さんさん)と降り注ぐ日の光を享受しているように見える。対するサユキが座っているのは、今も斜めに落ちる鐘楼の影の中だ。自分はやはりここにいた方が落ち着くし、影の外の世界はまぶしすぎて、今更出てはいかれない、と思う。けれどもしばし声を呑み、黙り込んだのちに、怯える自分を(なだ)めすかしてサユキは尋ねた。


「……ジュード。お前は、何ともなかったのか?」

「え……?」

「フレッカーは正黄(せいこう)戦争のさなか、お前を守って死んだと聞いた。そのとき、お前はどう思った? 自分もあとを追うべきだとは……思わなかったのか?」

「うーん……俺の場合は……そういうんじゃ、なくて……ただ……ただ……怒ってた、かな……」

「……怒っていた? お前が?」

「うん……そもそも、俺が……山賊をやめて……軍に……入ったのはさ……ドルフを……許せなかったからで……あいつみたいな……平気で、他人を……食いものにするような、やつを……皆殺しにしたかった……からなんだよね……」

「……昔のお前もなかなか〝ばいおれんす〟だな」

「そう、かも……だから……当時は……偽帝軍(ぎていぐん)のことも、許せなくて……絶対……全員、殺してやる……って……そればっかり……考えてた……」

「……そうか。なら、戦のあとは? 日常に戻ってからも平気だったのか?」

「うん……俺には……同期の、ラッカたちが……いてくれたし……何より、ハミルトンが……ほっといてくれなかったから……」

「ハミルトンが?」

「そう……俺たちが……黄都を、脱出して……転がり込んだのが……ハミルトンの隊……だったから……終戦後も……〝俺がまとめて面倒見てやる〟って……言われて……ちょっと……うざいな、って……思うくらい……絡まれた……」

「……なるほど。で、余計な雑念に悩まされている暇もなかった、ということか」


 と、サユキがジュードの言わんとしているところを察して尋ねれば、彼はこくりと頷いた。当のハミルトンが聞いたなら「うざいとは何だ!」といきり立って騒ぎ出しそうな言い草だが、まあ、彼のそんな振る舞いがジュードを()()()()()のはまぎれもない事実なのだろう。


(……そもそもハミルトンにも後ろ暗い過去がある。やつがロッカを拾って副官にしたのも、世間から虐げられる姿に自分を重ねたからだろうし、だとすればジュードに構い続けたのも、フレッカーを失って行く宛を失くしたこいつを、放っておけなかったからかもな)


 と、クッカーニャで知ったハミルトンやロッカの経歴に思いを()せながら、サユキはじっと遠い城壁を見つめた。……ならば、アンゼルムはどうなのだろう。

 ジュードは先刻、彼のことを〝目に映るものは何でも守ろうとする〟と評した。

 サユキもその意見には同意するし、守るべき人々が傷つくことをアンゼルムが極端に恐れるのは、きっと彼の幼き日の体験が原因なのだろうと思う。

 虚偽の罪を着せられて処刑台に上げられた父親や、自らを犠牲にしても我が子を守ろうとした母親。彼らが理不尽に傷つけられ、人々の怒号を浴びるさまを間近で見ていながら何もできなかった苦い記憶が、今も彼を(さいな)(つづ)けている……。


『恐らく私は今も、あの日の自分を許せていないのだと思います。大切な人々を誰も救えず、守れず、ただ怯えて泣くことしかできなかった無力な自分を』


 メイナード邸で彼の告白を聞いた日。

 サユキは言葉にこそしなかったが、こう思った。


(お前が自分を責める必要など、どこにもないだろう)


 何せ当時のアンゼルムはあまりに幼く、両親を苦しめたのもまた、彼の(とが)ではなかったのだから。


(……なら、私は?)


 すべては不可抗力だった。世の中というものがあまりに不条理すぎたのだ。


 そう言ってこの身を()く罪の意識を世界に押しつけられたなら、少しは楽になるのだろうか?


「だけど……俺も、さ……」

「……ん?」

「会える、ものなら……もう一度……フレッカーに……会いたいな、って……思うこと……あるよ……倭王国(わおうこく)では……人は、死んだら……カクリヨへ……行って……先に死んだ人たちと……会える……って……言われてるんだよね……?」

「……ああ、よく知っているな。確かに狭霧の死生観は、大陸とはまるで異なる。そもそもこの世に魂の実が()る天の大樹なんてものはない。人は死ねばみな幽世(かくりよ)へ行って、そこで現世(うつしよ)に遺してきた人々を見守りながら暮らすと言われている……だから自分も死んだ(あかつき)には、先に逝った者たちと会えると信じられているんだ」

「その話が、本当なら……俺も死ねば……フレッカーに、会えるのかな、って……漠然と……考えることは、ある……まあ……当分は……死ぬ予定、ないけど……」

「……フレッカーに会うために、自ら死のうとは思わないのか?」

「うん。だって、死ねないよ……俺には……まだ……やらなきゃいけないこと……あるし……何より……フレッカーの分まで……ちゃんと、生きないと……」

「……フレッカーの分まで?」

「そう……フレッカーが……俺を、守ってくれたのは……俺に……生きてほしかったから……だと、思うし……なら……しっかり、生きてから……死なないと……カクリヨで……フレッカーに、怒られる……と……思うんだよね……」


 ──幽世でフレッカーに怒られる。瞬間、ジュードがぽつりと告げた言葉が、痛みのない刃のごとくスッとサユキの胸を()いた。


『なあ、紗雪(さゆき)日高見(ひたかみ)家の天下統一以来、世は泰平を享受している。その泰平を人知れずお守りするのが、日高見家御庭番(おにわばん)たる霧里の役目……と、中忍(じいさま)方は口を揃えて申されるがな。ならば我らとて日頃の影働きの慰めに、多少の幸いを願っても罰は当たらないだろう』


『だから、きっと無事に帰ってこい。私にとっては忍務の成否などより、お前が息災でいてくれることの方がよほど大事だ。お前には人並みに生きて、人並みの平穏を享受してほしいのだよ。この泰平の世に、()を滅し公儀に身命(しんみょう)を捧げよ、なんて血生臭い思想は、もはやそぐわんのだからな』


 そう笑って頭を撫でてくれた兄の手の感触が(よみがえ)り、図らずも息が詰まる。


(兄さん──)


 そんな優しい兄を死なせてしまった自分が許せなかった。

 今すぐ幽世まで会いにゆき、無知で愚かだった己の過去を泣いて詫びたかった。

 けれども我が身は兄の命と引き換えに長らえたのだ。

 そう思うと、自死など選べるはずもなかった。

 ゆえにサユキは死に場所を求めた。兄や自分を裏切った一門の手にかかるのではなく、せめて兄の死に報いることができるような、意味のある死に場所を。


(だが、こんな妹でも……兄さんはやはり〝生きろ〟と叱るのだろうか)


 そう思いながら、抱えた膝に顔をうずめた。

 兄のいない世界で生きるのはたまらなく苦しいのに、それでも死ぬるべきではないと、本当は頭のどこかで分かっている。


(なら、私は……どうすればいい?)


 サラーレを離れる前から堂々巡りを繰り返す自問の答えは、まだ見つかりそうになかった。されどもう少しのあいだ黄都守護隊(ここ)で生きてみれば、いつか答えに辿(たど)()くことができるだろうか。


「……サユキ」

「……何だ」

「決めるのは……あくまで、サユキだから……これは……俺の……個人的な意見、だけど……俺は……サユキに、会えて……嬉しい、よ……おかげで……知らなかった……フレッカーのこと……色々、知れたし……」

「……」

「そのお礼……じゃないけど、さ……俺も、サユキに……何か……してあげられたらな、って……思ってる……あと……できれば、アンゼルムを……あんまり……泣かせないであげて……くれると……もっと嬉しい、かな……」

「……だから、なんでそこでアンゼルムが出てくる?」

「えぇ……だって、俺……アンゼルムの……マブダチ、だから……たぶん……」

「たぶん?」

「うん……俺の片想い、だったら……どうしよう、って……思ってるとこ……」


 と、ジュードがいつもの真顔で言い出すものだから、サユキはつい可笑(おか)しくなって、ふ、と笑いを零してしまった。

 こんな風に笑ったのはいつぶりだろうと苦笑しながら、しかしつまらない話に付き合ってもらった礼にと、自分も彼の悩みに助言してやることにする。


「安心しろ。お前たちは十中八九、相思相愛だ。アンゼルムの従者として、私が保証してやる」

「ほんと……?」

「ああ、さっきも言っただろう。お前が死んでもアンゼルムは泣くだろう、と」

「そっか……よかった……じゃあ、これで……アンゼルムにも……心置きなく……色々、できるね……」

「色々?」

「うん……夜中に……部屋に、忍び込んで……寝起きドッキリ……仕掛けたり……紙牌(アール)の……イカサマで……お金を……恵んでもらったり……?」

「……ジュード。少なくとも狭霧では、それを〝マブダチ〟とは言わないぞ」


 今更ながら、フレッカーはこいつにどんな教育を施したんだとサユキが内心危惧した刹那、不意にちかりと陽光が射し、いつの間にか雲間に隠れた太陽が再び顔を覗かせた。ふと(かざ)した手の下から見上げた太陽は先程よりもずっと傾き、サユキを覆っていた影も気づけば横へと逸れている。


(ああ……どうりで、あたたかいと思った)


 そう思いながら、日の光に温められた屋根瓦に指先でそっと触れてみた。

 ところが直後、ようやく束の間の安寧を得たサユキの耳に、遠くからバタバタと駆けてくる足音が聞こえる。


「じ……ジュード隊長! ジュード隊長、本当に大変です! いるならすぐに出てきて下さい!」


 次いで響き渡ったのは、聖堂の屋上にいるジュードに気づかず、先刻真下を通りすぎていったはずのクラエスの声だった。見れば駆け戻ってきたクラエスは血相を変えており、さっきとは明らかに様子が違っている。ゆえにサユキが、


「おい、ジュード」


 と呼びかければ彼も頷き、ふたりは同時に地上へ飛び降りた。すると突然目の前に現れたふたりにぎょっとしたクラエスが、悲鳴と共に急制動をかける。


「うわっ、じ、ジュード隊長!? おまけにサユキも……! ふたりとも、どこにいたんですか!?」

「どこって……そこの……屋根の上、だけど……」

「はあ!? であれば私、さっきもここを通りましたよね!?」

「そんなことより、どうした。ひどい形相(かお)をしているが何かあったのか?」

「あ、ああ、それが大変なんだ! 少し前、メイナード将軍から緊急の通達があって……!」

「将軍から通達……? 内容は?」

「と、とにかくまずは隊長も軍議室へ急いで下さい! 私も詳しいことは分かりませんが、何でもサラーレに駐留している第五部隊が正体不明の集団に強襲されて、イーリイ隊長が重傷──さらにダオレン副隊長が、殉職されたそうです……!」


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