153.彼女たちにさよならを
アルニア養蜂商会の目的はやはり黄都守護隊の秩序を狂わせ、あわよくばディーノらに反乱を起こさせることだった。さすがに反乱の実現までは難しいにしても、内側から隊の足並みを乱して弱体化を図ることで、隊長であるシグムンドを責任問題の槍玉に上げる算段だったようだ。
さすれば保守派にとっても商工組合にとっても目障りなシグムンドを始末でき、うまくすれば黄都守護隊をも乗っ取るか、解体に追いやることができる。
されどこの絵図を書いた者たちには、もうひとつ別の狙いがあった。それがかつて黄皇国中央第一軍の一翼を担っていた元将軍、ケネス・イートンの抹殺だ。
(イートン将軍といえば他でもない、かつてデレク・ネデリンの上官だった第一軍古参の将軍……ところが俺が三年前、黄都で憲兵隊長と対立したとき、マクラウドの擁護を断ったのが原因で保守派内での信用を失い、急速に凋落していった。結果将軍の座はネデリンに奪われ、イートン卿は〝勇退〟の名目で軍を退役……その後は家督も息子に譲り、現在はひっそり隠居しているものと思っていたが……)
しかしペトラの話によれば、ケネスの野心はまだ死んではいなかった。
彼は己の不徳を恥じて大人しく隠栖しているかと思いきや、自らを追放した者どもに報復すべく、水面下で不穏な動きを見せているというのだ。イートン家は今なお保守派に名を連ねており、ケネス自身、派閥の集会などにも時折顔を出しているようだが、すべては自らの裏切りを隠すため。そうやって表向きには保守派と顔をつなぎながら、裏では革新派と接触を図り、彼らの側へ寝返ろうとしている。
保守派の貴族たちが今日まで重ねてきた、数々の不正や悪行の証拠を携えて。
(……そもそもイートン卿が三年前、マクラウドに助け船を出さなかったのは、やつが卿に泣きついたと知ったシグムンド様が裏で手を回したからだ。具体的にどうやって卿を丸め込んだのか、シグムンド様は詳しく教えては下さらなかったが、恐らくはイートン家にまつわる醜聞か何かを材料に卿を脅迫したんだろう……)
でなければ当時、革新派の旗頭の側近中の側近であったシグムンドの要求をケネスが呑む理由がない。つまりシグムンドは当時から既にエリクを守るためならと、かなり危険な橋を渡っていたということだろう。そしてケネスもあの事件の記憶を辿り、今回、自らの凋落の元凶となったシグムンドに目をつけた。
保守派の悪事に関わる情報をシグムンドへ流すことができれば、以前自分にそうしたように、その情報をまた有効活用してくれるに違いない、と。
(だが仮にシグムンド様がそれらの情報を手に入れたことが知れたなら、保守派は今まで以上に全力であの方を潰しにかかるだろう。いや、あるいは今回の一件も、シグムンド様とイートン卿の接触を危惧した保守派が先手を打って、シグムンド様の失脚を急いだのかもしれない……)
しかしケネスとしては正直なところ、シグムンドと保守派が互いに潰し合ってくれればそれはそれで願ったり叶ったりであったはずだ。そもそもイートン家が落ちぶれる原因となったシグムンドを完膚なきまでに叩き潰すことができたなら、復讐が成就してケネスの溜飲も下がるのだから。されど一連のケネスの策動に気づいた保守派貴族もまた、派閥内の不穏分子であるケネスを始末するために、シグムンドを利用しようと考えた──というのが、今回の事件の始まりだったというわけだ。
「わたくしが耳にしたお父様の計画はこうです。まず、イートン卿も共同出資者となっているアルニア養蜂商会を通じて黄都守護隊に工作を仕掛け、メイナード将軍を挑発する。すると将軍は、ご自身に害を為そうとする者を突き止めるべく調査に乗り出されるでしょう。そこで商会の手の者が、今回の一件はすべてイートン卿からの指示だったと嘘の情報を握らせる。メイナード将軍とイートン卿の間には過去の確執がありますから、首謀者は卿だったという密告は、むしろ納得感をもって受け入れられるはずです。かくして将軍がイートン卿を成敗して下さればめでたしめでたし。仮に計画がうまく運ばなかったとしても、工作によって黄都守護隊が多大な不利益を被ることは確実ですから、保守派としては一挙両得というわけです。メイナード将軍が代わりに手を下して下されば万々歳というだけの話であって、卿に表舞台から退いていただく方法なんて、他にいくらでもありますものね」
昼間、淡々とそう告げながら香茶を口に運んでいたペトラの様子を思い出し、机の隅に置かれた燭台の灯の中で、エリクは羽根ペンを滑らせていた手を止めた。
黄都にいるシグムンドに当てた手紙は、既に用箋三枚にも及んでいる。
とにかく三日前の事件のあらましと自分たちが無事であること、そしてペトラから仕入れた情報をいち早く彼に伝えなければと筆を走らせていたものの、気づけば時刻は既に境神の刻(二十一時)を回っていた。
明日の早朝にクッカーニャを発つと言っていたペトラはもう眠った頃だろうか。
別れ際の彼女と交わした会話を追憶しながらエリクは一度羽根ペンを置き、書斎の天井を仰いでふーっと息をついた。そうして椅子の背凭れに身を預けながら、重く疲労を訴える目もとを軽く揉んでやる。エリクに父の計画の一部始終を伝えたペトラは「これでご恩は返しましたわ」と言うと、あれからほどなく屋敷を去った。
エリクへの挨拶を済ませたあとは、アンブランテ夫妻のもとへ謝罪に行くと言っていたから、セリオともアルニア養蜂商会にまつわる話を交わした可能性が高いだろう。しかしいくら命を救われたからと言って、そんな真似をして大丈夫なのかとエリクはペトラの身を案じた。すると彼女は意外にも笑ってこう言ったのだ。
「ご心配には及びませんわ。わたくし武芸はからきしですけれど、社交界での戦い方なら心得ておりますの。ですから自分の身くらい自分で守れます。ただ勘違いしないでいただきたいのは、あなた方に協力できるのは今回限りだということです」
と。
「アンゼルム様。助けていただいたご恩は生涯忘れませんし、あなた方の信じる理念も身をもって理解したつもりです。ですがわたくしは、保守派貴族の中核を担うネデリン家の娘──ゆえに派閥を異にするあなた方とは、狎れ合うわけには参りません。あなた方にとってお父様は、決して許すことのできない不倶戴天の敵なのでしょうけれど……それでもわたくしにとっては世界にただひとりの、大切な父親なのです。ですからたとえあなた方と分かり合えたとしても、家門やお父様を裏切ることはできません。わたくしたちは、たぶん……生まれる時代と出会い方を間違えたのですわ」
そう言って寂しそうに笑っていたペトラに、エリクはただ黙って頷くことしかできなかった。もとよりエリクも命を救ってやったことを笠に着て、彼女にこれ以上何かをせびるつもりはない。そもそもエリクはアルニア養蜂商会の名前すら知らされていなかったから、ペトラが与えてくれた情報はシグムンドを守る上で非常に重要な意味を持つものだった。
何しろ当のシグムンドは、商会の名を教えればエリクが休暇そっちのけで彼らの調査に明け暮れるだろうと言って、決して情報を下ろしてはくれなかったから。
「こちらの手巾はお借りしていきますわね」
やがて互いの香茶が空になった頃、ペトラは彼女の涙で濡れたエリクの手巾を手にして言った。
「メイナード将軍は現在、決算のために黄都に滞在していらっしゃるのでしょ? でしたらこちらの手巾は使用人に洗濯させたあと、将軍のもとへ届けさせます。お父様がイートン卿を陥れようとしている証拠を添えて」
それをもって自分たちは、保守派貴族の家の娘と革新派の軍人に戻るのだともペトラは言った。加えて自分が届ける証拠をどのように使うかは、エリクたちの裁量に一任する、とも。ゆえにエリクも、見送りに出た軒下でこう言った。
「ペトラ嬢。我々は確かに派閥を異にする者同士ではありますが、だからと言って決して助け合えないわけではありません。ですからいつか、どうしても我々の力が必要だと思われたときには、遠慮なくお声がけ下さい。あなたが黄皇国の善良な民である限り、必ずや御許に馳せ参じることを、太陽神の名の下にお約束致します」
その言葉を聞いたペトラが、白い日傘の下で見せた泣き出しそうな笑顔を、何があっても忘れないでいよう、と思う。
そう、たとえいつの日か、この手で彼女の父親を討つことになろうともだ。
「──おい、アンゼルム。いるか?」
ところが刹那、不意に書斎の扉が叩かれて、エリクの意識はようやく数刻前の回想から現在へと戻った。椅子の背凭れに頭を預け、しばし目を休めていたエリクははっと瞳を開くと、姿勢を正して「どうぞ」と返す。
するとすぐに扉が開き、入ってきたのは手燭と酒瓶、そしてふたり分の杯を携えたハミルトンだった。彼とロッカは今夜、例の事件の事後処理が粗方片づいたことを受け、町の外の野営地ではなく別荘に一泊することになったのだ。
「ハミルトン殿……まだお休みになっていなかったのですか?」
「お前こそ。さっさと寝台に戻らないとまたモニカが角を生やすんじゃないか?」
「今夜は特別に許可をもらったので大丈夫ですよ。明日、第三部隊が出立する前にどうしてもシグムンド様宛ての文を書き上げないといけないと言ったら、賢神の刻(一時)までに寝室へ戻ることを条件にお許しが出ました」
「はは、まるでガキの門限だな。で、手紙は書き終わったのか?」
「ええ。必要な部分はおおよそしたためたので、最後に少しこちらの近況を綴って結ぼうかと」
「そうか。んじゃ、ちょっくら俺の酒に付き合う時間はあるか?」
「もちろん構いませんが、ロッカ殿は?」
「あいつなら先に休ませたよ。明日から通常任務に戻るってのに、なーんか心ここにあらずって感じで、一緒に酒でもって気分じゃなさそうだったんでな」
「はあ……まあ、無理もないでしょうね……」
と、エリクが苦笑を浮かべたのには理由があった。というのも例の夜会事件のあと、ハミルトンはやはりトラジェディア地方にあるヴィーテの町の出身で、リンシアとは古い知り合いだということが本人の口から明かされたのだ。
これにはロッカも相当衝撃を受けたようで──何せ彼女はこの二十年、ハミルトンの出身はイーラ地方で、名前も本名だと信じ切っていた──以後何をしていても上の空な様子でいることはエリクの目から見ても明らかだった。
十三歳でハミルトンに拾われてからというもの、ずっと彼と行動を共にしてきたロッカとしては、複雑な心境に陥るのも無理からぬことだろう。
「ですが今回は災難でしたね。まさか警邏任務中の休息にと立ち寄った先で、あんな騒ぎに巻き込まれるとは……俺としてはおかげで助かりましたが、事件のあとも事後処理に追われて、休息どころではなかったでしょう」
「まったくだ。本来なら地方軍がやらなきゃならん仕事を、なんで俺らが全面的に肩代わりしてやる必要があるんだと、うちの部下どもも不満たらたらだったぜ。まあ、かと言って休暇中のお前に処理を任せたりしたら、それこそあとでモニカに何を言われるか分かったもんじゃないからな。触らぬ神に何とやらってやつだ」
「ハミルトン殿もモニカには頭が上がらないんですね」
「そりゃそうだろ。なんたってあいつはナンシーのお気に入りだからな。モニカの機嫌を損ねることはナンシーの機嫌を損ねることと同義であって、すなわち死だ」
「ま、まあ、確かに我々将兵の命は、ある意味医務官に握られていると言っても間違いではありませんが……」
「間違いも何も、逆らえば実際殺されるんだからまさしくそのとおりだろ。俺も一体何度ナンシーの逆鱗に触れて氷づけにされたことか……噂じゃセドリックすら傷の治療中に口論になって、いきなり傷口に指を突っ込まれたことがあるらしいぜ。お前もうっかり失言でもして、毒と薬をすり替えられないように気をつけろよ」
「……」
とハミルトンがどこまで冗談なのか分からない神妙な面持ちで言うものだから、エリクも思わず無言になって書斎机の傍を離れた。そうしてハミルトンが銀の杯を並べた卓のところまで行き、その卓を挟み込む形で置かれた長椅子に腰を下ろす。
灯明かりの中でトクトクと音を立て、杯に注がれているのはどうやら葡萄酒ではないようだ。何の酒かと尋ねると、マーサー商会が民族衣装と一緒に南東大陸から仕入れた果実酒だと答えが返った。何でも覇王樹の実と、炭酸水と呼ばれる稀少な水を組み合わせて造られた高級酒らしく、商会から借りた衣装をダメにしてしまった詫びにと、ハミルトンが自費で購入したのだという。
「うわ……これが〝炭酸〟というやつですか? 酒の中に細かい泡が……」
「おう。俺も昔ファーガス将軍に飲ませてもらったことがあるんだが、この泡が口の中で弾ける感じが意外とクセになるんだぜ。ただし一度栓を開けたらすぐに飲み切らないと、次の日には泡が抜けてただの酒になっちまうらしい。というわけで、ひとりで飲み切るにはちょいと量が多いから、お前の胃も借りにきたってわけさ」
「なるほど。ですがファーガス将軍といえば、将軍も今期の決算報告のために上洛していらっしゃるんですよね? ハミルトン殿もこれから黄都へ向かわれるわけですから、年末ぶりにご挨拶できるかもしれませんね」
「そうだなぁ。せっかく二十年もの間、将軍に口裏合わせてもらってた秘密がバレちまったんだ。今回ばかりは俺もちゃんと司令部に顔を出して、将軍に詫びを入れてくるとするさ」
そう言ってハミルトンが早速一方の杯を手に取るのを見て取って、エリクも差し出された杯に手を伸ばした。が、ハミルトンの過去についてはファーガスも承知の上だったのか、という事実を少なからず意外に思い、そこで手が止まってしまう。
ハミルトンはそんなエリクの様子に気がついたのか、ふっと笑って自らの杯を眼前に掲げてきた。それが三日前の事件からの生還を祝う乾杯の合図だと察したエリクも慌てて杯を掲げ、互いにカツンと鳴らし合う。
「あの……ハミルトン殿」
而して噂の炭酸なるものの奇妙でくすぐったいような舌触りと、酸味のきいた異国の酒の味をひとしきり堪能したあと、エリクはずっと気になっていたことを思い切って本人に尋ねてみることにした。
「話したくなければ、無理に聞き出すつもりはないのですが……ファーガス将軍とハミルトン殿は、どこから共犯なのですか?」
するとハミルトンもその質問を予期していたのか、またも不敵に口の端を持ち上げる。次いで羽毛入りの寝台のごとくやわらかな長椅子に腕と背中を預けると、悪びれもせず口を開いた。
「どこからって、そりゃもちろん最初からさ。将軍は俺が何者か全部分かった上で傍に置いて下さったんだ。あの人にゃ一生感謝しても足りないね」
「最初から……というと、ではハミルトン殿が軍に入隊したときから?」
「ああ。そもそも俺が今の名前を名乗るようになったのは、他人になりすまして軍に入ったのがきっかけでな。以来ずっとそいつの名前を借りてるわけだが、当然本人じゃないってことはすぐバレた。で、当時まだ若手の将校だったファーガス将軍に呼び出されて、洗いざらい事情を吐かされたのさ。結果、不正入隊ってことで軍から叩き出されるかと思いきや、将軍は何でか俺を気に入って、以降ずっと目をかけて下さった。もちろん俺から聞き出した秘密は全部握り潰してな」
ああ、いかにも将軍がやりそうなことだなと妙に納得してしまいながら、エリクはシュワシュワと音を立てる杯に再び口をつけた。実を言うとハミルトンとロッカは明日、黄都へ戻るペトラらに同行する形でクッカーニャを離れる。
三日前の事件で死者を出した家の者たちが葬列を組んで一斉に黄都を目指すというので、警邏任務中の第三部隊が護衛を引き受けることになったのだ。
ゆえに彼らが町を離れる前に、聞けることは本人の口から聞いておきたい。
けれど何をどこまで踏み込んで尋ねてよいものかとエリクが慎重に言葉を選んでいると、意外にもハミルトンの方から当時の状況を語り始めた。
「俺がなりすましてたのはイーラ地方の南にある、とある村の若い木樵でな。そいつの名前がハミルトンだったんだ。でもって俺は、森の中で行き倒れてたところをそいつに助けられた名もなき浮浪者で、ハミルトンはいわば俺の命の恩人だった」
「あ……だからハミルトン殿はずっと、出身は〝イーラ地方南部の村〟だと?」
「ああ。何せほら、軍の徴兵ってのは各集落の住民台帳をもとに行われるだろ? で、当然記録に残るから、本気でハミルトンになりすまそうと思ったら、出身も本物に合わせる必要があったんだよ」
「なるほど……ですがハミルトン殿は、どうしてその……恩人の〝ハミルトン〟殿になり代わろうとしたんです?」
「そりゃ、一宿一飯の恩ってやつを返すためさ。いや、実際には一宿一飯どころか十宿十飯くらいの恩があったわけだが」
「というと?」
「ちょうど俺がハミルトンのところで世話になってるとき、あいつが兵役に当たったんだよ。ところがハミルトンは人里離れた森の中で、目も足も不自由な老母さんとふたり暮らしでな。そんな母親をひとり残して兵役になんか行けるわけがないと頭を抱えてたのさ。で、そういうことなら俺が肩代わりしてやろうかと持ちかけたんだよ」
「ですが徴兵となればハミルトン殿の他にも、同じ村から兵役に駆り出される者たちがいたでしょう。同郷の者であればさすがに、あなたが本物の〝ハミルトン〟でないことはすぐに見抜いたはず……それをどうやって騙したんです?」
「いや、騙してなんかない。黙らせたんだ」
「はい?」
「兵役従事者が村を発つ前に、事情を説明して口裏を合わせてくれって頼んだんだよ。ま、もちろん〝ありえない、不公平だ〟と喚き立てる連中があとを絶たなかったんで、全員殴り倒して黙らせた。これ以上殴られたくなかったら、つべこべ言わずに俺に従えってな」
「ハミルトン殿……」
「しょうがないだろ、他に方法がなかったんだから。だがわざわざ村の司祭まで巻き込んで、神前で〝ハミルトンには逆らわない〟と誓いを立てさせたにもかかわらず、連中は軍に入るや否や俺の不正入隊を上に密告しやがった。ま、結果はご覧のとおりだが」
「つまり事情を知ったファーガス将軍が、全面的に目を瞑って下さったというわけですね……ですが村の者は納得したんですか?」
「さあ、納得したかどうかは知らないが、ファーガス将軍は〝金を握らせたら全員大人しくなった〟と笑ってたな。ただ、あとから聞いた話によると、将軍は口止め料を渡しただけじゃなく〝戦場で竜人のエサにされたくなかったら、もうこの件で騒いだり、俺を強請ろうなんて考えるな〟としっかり脅迫してたらしい」
「……この上官にしてこの部下あり、というわけですか」
「お前だって人のこと言えないだろ。だいたい、そうした縁が巡り巡って今回お前も助かったわけで、これぞ縁神の思し召しってやつだ」
「洗礼を受けた証である教章を酒代のために売り飛ばすような人が、そこまで信心深かったとは意外ですね」
「ほら、そういうとこ、お前マジでシグムンド将軍に似てきたぞ」
と渋い顔で苦言を呈しながら、ハミルトンもまた杯の中の酒を一気に呷った。
確かに主従というのは知らぬ間に性格や言動が似てしまう傾向にあるのかもしれないが、それにしたところでファーガスとハミルトンはあまりに似すぎだ。
彼らを知らない人間なら、父子と言っても信じるかもしれない。
けれども同時に、だからこそファーガスはハミルトンの過去を黙殺し、傍に置いたのだろうとエリクは思った。彼らはきっと出会う前からどこか似通ったところがあって、ファーガスはハミルトンのそんなところを気に入ったのだ。
たとえば不条理な世界に対する怒りと反骨精神、そして自由のためなら恐れの谷をも越えられる大胆な行動力。そういうところが彼らは特に似ているように思う。
ファーガスも親に決められた人生に縛られることを嫌い、クッカーニャを飛び出す前は相当な荒くれ者として名を馳せていたそうだから、ハミルトンの生い立ちを知れば当然自分を重ねずにはいられなかったことだろう。
「……ところで、ハミルトン殿」
と、事件のあと、彼の口から聞かされた真実を回想しながら、エリクはもうひとつ聞いておくべきことがある、と思い至って顔を上げた。
そこまで踏み込んでしまっていいものかどうか、迷いはやはり拭えなかったが、どうしても確かめておかなければならないような気がして口を開く。
「あれから、リンシア殿とはお会いになったんですか?」
するとハミルトンはその質問さえも予測していたというように、灯明かりの中でふっと瞳を細めて笑った。
「いや、会ってない……というか、会う気もない。この先、もう二度とな」
それを聞いて、エリクもふと気づかされる──ああ、そうか。
彼ならきっとそう答えるだろうことを、俺もどこかで分かっていたんだな、と。




