150.軍人の矜持
「アンゼルム様……!!」
背中に走った激痛に顔を歪めながら、それでもエリクは彼女に覆い被さるようにして会場の床へ倒れ込んだ。遠くでコーディの呼び声がする。
されど彼に応えるよりも早く、振り向きざま、頭上に向かって渾身の神術を放った。轟音と共に射られた雷の矢はすぐそこに迫った魔物を貫き「ギャッ!」と悲鳴を上げた異形の肢体が足もとへと落下する。
「副長……! 大変、すぐに止血を……!」
「……っ大丈夫です、俺には構わず魔物に集中して下さい……! 今はとにかく、ひとりでも多く守らないと……!」
「でも……!」
「致命傷ではありませんからご安心を……サユキ、すまないが援護を頼む……!」
「言われずとも」
と応じるが早いか、衛士から奪った剣で邪魔なドレスを切り裂いたサユキが衣装の下に隠していた鞘から暗器を引き抜き、すかさず魔物へ投擲した。すると負傷したエリクを狙って急降下していた醜耆鳥が一羽、またも悲鳴を上げて床に落ちる。
サユキの投げた黒塗りの暗器は恐ろしいほど正確に魔物の眉間を貫いたようだ。
その隙に体を起こしたエリクはまず、自身がかばった人物が無事であることを確かめた。ペトラ・ネデリン。エリクと共に床へ転がった彼女は未だ仰向けに倒れたまま、何が起きたのか分からず放心しているらしい。
「ペトラ嬢、大丈夫ですか? 動けるようなら立って下さい。とにかく今はお母上のところへ……!」
「あ……あ……だ……だけど、あなた、血が……背中から血が、たくさん……!」
「私なら大丈夫ですから、さあ、早く! 魔物の餌になりたいのですか!?」
「い……いいえ……いいえ、そんなの嫌よ……! けれど、どうして……どうしてわたくしを助けたの……!?」
ペトラは完全にパニックに陥っているようで、緊急事態にもかかわらずそんなことを尋ねてきた。今はどう考えても問答などしている場合ではないのだが、これは一旦落ち着かせないと話にならないと察したエリクは、まずため息と共に焦燥を吐き捨ててから、言う。
「ペトラ嬢、私たちは軍人です。そして軍人の務めとは、外敵や魔物の脅威からトラモント黄皇国の民を守ることにあります。他に何か特別な理由が必要ですか?」
「……!」
「我々は状況が許す限り、守るべき命を貴賤や軽重では選びません。手が届くものは可能な限り守り切る──それが軍人の使命であり矜持です。さあ、ご理解いただけたならすぐに避難を。ここは我々が抑えますので、ペトラ嬢はお母上と共に来場者の安全を……」
「いやあああああっ!」
ところがようやく落ち着きを取り戻したペトラの手を取り、エリクが彼女を助け起こした直後だった。突然甲高い女の悲鳴が聞こえて、はっとしたエリクとペトラは同時に振り返る。途端にペトラが息を飲むのが分かった。何故なら彼女の視線の先で魔物に襲われているのは、天蓋の下へ逃げ込んだネデリン夫人だったためだ。
「お母様……!!」
「くそ……! サユキ、ペトラ嬢を頼む!」
エリクはそう叫ぶが早いか、焼けつくような傷の痛みを堪えて駆け出した。
夫人のいる談話席の天蓋は複数の醜耆鳥によってズタズタに引き裂かれ、衛士たちが主家の令夫人を守るべく決死の形相で戦っている。が、彼らは身なりだけは立派に着飾っているものの、まるで実力が伴っていない。
あれは剣術の心得こそあれど実戦を知らない者の動きだ。おかげで不規則に飛び回る醜耆鳥を目で追うことすらままならず、衛士たちは完全に翻弄されていた。そしてほとんど抵抗もできないままにひとり、またひとりと血を流して斃れていく。
(くっ……仮にも一国の将軍家に仕える衛士が、一体何を……!)
「アンゼルム、上だ!」
瞬間、あと一歩で談話席まで辿り着くというところで、背後からハミルトンの警告が聞こえた。気づいたエリクは頭上を確かめるよりも早く、魔物の羽音を聞いて前方へ跳ぶ。寸前までエリクがいたはずの空間を醜耆鳥の鉤爪が襲った。
その一撃があえなく空振りした気配を感じながら、エリクは床へ飛び込んで息絶えた衛士の得物を引ったくり、即座に反転すると同時に振り向いて声を上げる。
「ネデリン夫人、こちらへ……!」
恐怖のあまり震えてうずくまっているデレクの妻を呼びながら、エリクはさらに追撃しようと追ってきた魔物をひと太刀の下に斬り捨てた。
それを目にしたネデリン夫人も、見かけ倒しの衛士などより憎き政敵の方がよほど頼りになると気づいたらしく、縋るような目で手を伸ばしてくる。
ゆえにエリクもすぐに駆け寄ろうとした。
ところが直後、真後ろで断末魔の叫びが上がったかと思えば、醜耆鳥に喉もとを掻き切られた衛士がよりにもよってエリクの背へ倒れ込んでくる。
「うッ……!?」
途端に全身を駆け巡った激痛と衛士の体重により、エリクは思わず膝を折った。
しかし完全に倒れる寸前で片膝をつき、剣を支えに何とか転倒は免れる。
「……っくそ……!」
額から噴き出した脂汗が、大粒の雫となって床を濡らした。
されど痛みで動けなくなっている場合ではない。何故ならエリクが膝をついたのを見て、自力で立ち上がろうとしている夫人の背後には、また別の醜耆鳥が──
「夫人、伏せて下さい……!」
そう叫ぶと同時に、エリクは再び祈唱を省略しての神術を放った。青い雷撃は今にも夫人に襲いかかろうとしていた魔物を打擲し、容赦なく吹き飛ばす。
だがエリクにできたのはそこまでだった。というのもエリクの意識が夫人に向いた一瞬の隙を衝き、またも死角から異形が襲いかかってきたためだ。
エリクは蹴り出された八本の鉤爪を辛うじて剣で防いだものの、そのまま刀身を掴まれて力任せに押し倒された。仰向けに倒れたエリクは何とか敵の攻撃を食い止めながら、再度神術を駆使して追い払う。ところが数瞬の死闘の間に夫人の絶叫が轟いた。エリクが自らの身を守るので手一杯になっているうちに、二匹の醜耆鳥が左右から夫人の肩を掴み、上空へ連れ去ってしまったのである。
「お母様……!!」
遠くでペトラの悲鳴が聞こえた。が、とっさに母を追おうとした彼女の腕を寸前でサユキが掴み、引き留めている。一方エリクも神術で夫人を救い出そうとして、しかし既に手遅れであることを嫌でも悟った。
何しろ夫人の体は天井を突き抜けた先まで持ち運ばれてしまい、仮に助けられたとしても、あの高さから落下したのではどのみち無事では済まないからだ。
「いやあぁ! 誰か……誰か助け──」
両肩に魔物の爪が食い込み、ドレスを血で染めた夫人の叫びはやがて砕け散る硝子の雨に呑まれた。空中でもがき暴れる彼女を見やり、ニタァと笑った二匹の醜耆鳥が、俄然示し合わせたように彼女を放り投げたのだ。醜耆鳥の行動は、まるで人間をいたぶるだけいたぶってから殺すことを楽しんでいるかのようだった。
結果、宙を舞った夫人の体は屋上に叩きつけられ、まだ割れずに残っていた硝子板を突き破って、場違いなほどキラキラと瞬く破片と共に落下した。
ところが彼女が落ちたのは硬い床の上ではなく、天井の梁から吊るされたシャンデリアの上だ。にわかに降ってきた夫人の体重を受け止め切れなかったシャンデリアは「ギッ」と不穏な音を立てるや、たちまち鎖が切れて崩落した。
落ちた先は、床を飾るトラモント模様の絨毯の上。そして当然ながらその絨毯もシャンデリアの蝋燭から火が移って燃え始め、瞬く間に炎に呑まれた。
先にシャンデリアから転げ落ちて下敷きとなり、血の海の中で動かなくなった夫人のドレスも同様に紅蓮の劫火に焼かれてゆく。
「い……いや……いやあぁぁ!! お母様……お母様ぁ!!」
母の死の一部始終をただ傍観していることしかできなかったペトラは、眼前で起きた出来事のあまりの悲惨さに泣き叫び、半ば膝から崩れ落ちた。されど完全に膝をつくことはサユキが許さず、掴んだままの彼女の腕を引っ張って会場の隅まで連れてゆく。そこでは横倒しにした食卓で即席の防壁を築いたコーディが、モニカやアンブランテ夫妻を物陰に隠して懸命に応戦しており、ハミルトンやロッカも戦いながら彼らのところまで後退していた。そうしてじりじりと追い詰められながら、醜耆鳥の脳天に一撃を叩き込んだハミルトンが苦々しげに舌打ちする。
「くそっ、こいつら次から次へと湧いてきやがる……さすがにもう持たないぞ! 誰か郷庁に応援を呼びに行ったのか!?」
「現場の指揮を執るべき主催者サマがこのザマだ、援軍は望み薄だろう。モニカ! コレはもうダメだ、あとを頼む!」
食卓の裏で身を隠しているモニカにそう呼びかけるが早いか、サユキは彼女の傍らへペトラを押し込んだ。むごたらしく殺された母の死を目の当たりにした彼女はもはや脱け殻と化し、顔中を涙で濡らしたまま人形のごとく動かない。
モニカはそんなペトラの様子を見るや、複雑な表情できゅっと唇を結んだのち、何も言わずに抱き締めた。それを彼女の返事と受け取ったサユキは迫り来る醜耆鳥の翼を斬り落とし、地に落ちて喚く魔物を踏み殺しながら言う。
「コーディ、私が援護する。ふたりでアンゼルムのところへ急ぐぞ! ハミルトンとロッカは……」
「任せて、ここは何とか死守するから!」
魔物の返り血で全身真っ黒になっているロッカの声に頷いて、サユキはコーディと共に駆け出した。会場のあちらこちらでは機転をきかせた衛士や来場者が、コーディの手法を真似て身を守っている様子が窺えるが、いずれも長く持つとは思えない。ざっと見渡す限り、生き残っているのはもともと会場にいた人数の半分か、あるいはもっと少ないか。
(これは……想定以上の大惨事だな。だがここまで大きな魔物の群が突然町中に現れたのは、まさか──)
という一抹の予感が脳裏を掠めた刹那、エリクはふっと意識が遠のくのを感じて膝を折った。いま気を失うわけにはいかないとすんでのところで踏み留まり、再び剣を支えに持ちこたえたものの、さすがに血を流しすぎたらしい。何しろ談話席で夫人を守っていたはずの衛士たちは、ものの四半刻(十五分)足らずで全滅。
以後も次々と襲い来る醜耆鳥をひとりで相手取っているうちに、体力も神力も限界を迎えていた。額からは滝のような汗が流れ、肺もひゅうひゅうと苦しげな音を立てている。周囲にはかなりの数の魔物の死骸が折り重なり、黒い山をなしているというのに、頭上では未だやかましく鳴き喚く醜耆鳥の羽音がいくつも聞こえていた。倒せども倒せども、まるで数が減っている気がしない。このままでは──
「アンゼルム様!」
そのとき耳もとで自らを呼ぶ声がして、エリクは重い頭を持ち上げた。そこには援護に駆けつけたコーディの姿があり、すぐ傍ではサユキが剣を振るっている。
「申し訳ありません、遅くなりました。すぐに傷を癒やしますので……!」
「コーディ……すまない。俺のせいだ」
「何をおっしゃるのです。アンゼルム様は夫人を助け出すために、最大限の力を尽くされました。ですから夫人のことは──」
「いや……違う。そうじゃない……」
「え?」
「魔物の狙いは……恐らく、俺だ。以前、黄都に魔族が現れたときと同じ……」
と、エリクが肩を支えられながらうめくようにそう言えば、途端にコーディの顔色が変わった。エリクの傷に癒やしの術をかけながらサッと青ざめた彼は、思わずといった様子でサユキと顔を見合わせる。
「……なるほどな。町にも手頃な人間がうようよいるにもかかわらず、わざわざ屋内の人間を食らいにくるとは妙だと思っていたが……醜耆鳥は魔物の中でも多少智恵がある。だから大群を作って押し寄せたわけか」
「ああ……あのときと違って、統率する魔族はいないらしいのは救いだが──」
「シン・ボズィ、ウヴィト、ウヴィト!」
うなだれたエリクの言葉を遮ったのは他でもない、上空を飛び回る魔物どもの大合唱だった。サユキの言うとおり醜耆鳥は魔物の中では珍しくわずかな知性を有している。去年の秋、黄都に出没した魔族に比べると片言のように聞こえるものの、ああして魔族語も話せるようだし、まったく無知性の魔物よりは魔族に近い存在なのだろう。
だとすればやつらの目当ては初めからエリクだったとしても不思議ではない。理由は未だ不明だが、魔のものたちがエリクの命を狙っているらしいことは確かなのだ。前回の襲撃時に居合わせたゲヴァルト族の傭兵は、エリクが神子の血を引く古王国の末裔だから魔物が寄ってくるのだと、眉唾ものの推論を立てていたが──
(仮にそうだとすれば、俺がここを離れさえすれば……)
わずかではあるものの、現在生き残っている者だけは救えるかもしれない。
予想が当たっていれば魔物は他の人間には見向きもせずに、逃げるエリクを追ってくるだろう。けれど、
「──いけません、アンゼルム様」
「……コーディ、」
「たとえ魔物を一時的に引き離すことができたとしても、アンゼルム様おひとりでこの数を引き受けるなんて不可能です。何よりこれほどの規模の群ともなれば、目当てのアンゼルム様を仕留めたからといって、大人しく町を去るとは思えません」
「コーディの言うとおりだ。だいたい、ここにいる魔物がお前を追って一斉に出ていったら、他の人間もやつらの狙いがお前だったことに気づくだろう。そうなればお前はもちろんのこと、シグムンド様や黄都守護隊まで割を食うに決まっている」
「……お前たち、いつの間に俺の心が読めるようになったんだ?」
「アンゼルム様が幻痛症のことを隠したりするからですよ。ですから僕たちも、アンゼルム様をお守りするには読心術を会得するしかなかったのです」
「そうか……だとすればお前たちに発作のことを黙っていたのは、やはり悪手だったな」
そう言って苦笑してから、エリクは渾身の力を振り絞り、ようようその場に立ち上がった。コーディがかけてくれた術のおかげで背中の傷の出血は止まり、痛みもずいぶんマシになっている。血を失いすぎた体は依然鉛のようだが、動けないほどではない。ゆえにまだ戦える、とエリクは思い直した。
弱気になっている場合ではない。
既に多くの死傷者を出してしまったとはいえ、まだ生き残っている人々がいるのだ。巻き込んでしまったことを悔いるのは、彼らを守り切ったあとでいい。
「……よし。サユキ、忍術の符は持ってきてあるか?」
「ああ。だがいま手もとにあるのは五枚だけだ」
「なら、それを使って俺に化けることは?」
「……なるほど。分身の術でやつらを攪乱するわけか。そういうことならひとりと言わず、五人ほどお前を増やそう」
「そんなことができるのか?」
「私が化けるよりは脆いが、他四枚の符も分身に見立てることはできる。そちらはあくまで幻で、実体は伴わないがな」
「充分だ。どこまで時間を稼げるかは分からないが……コーディ、お前はその間に生存者を安全な場所へ誘導してくれ。避難が完了し次第、神術で消火を!」
「畏まりました!」
「あとは郷庁まで援軍を呼びにさえ行ければ……」
「──アンゼルム副長!」
ところが刹那、次々と襲い来る醜耆鳥を去なしながらエリクが智恵を絞っていると、俄然、会場の入り口方面から声がした。驚いて目をやれば、なんとそこには黄都守護隊の兵装に身を包んだ数人の兵士がいる。
遠くて隊章までは確認できないものの、ここにいるということは恐らく、ハミルトンが町の外で野営させていた第三部隊だ。
「おお、お前ら、よく来てくれた! 見てのとおりだ、手を貸してくれ!」
「えっ。は、ハミルトン隊長に……ロッカ副隊長まで!? どうしたんです、ふたり揃ってその格好!?」
「説明はあと! とにかく人手が足りなくててんてこ舞いなの、手伝って!」
「え、えぇ……! 丘の上で火の手が上がってるのが見えたから、念のため様子を見に来たらなんかえらいことに……!」
「す、すぐに麓に人をやって増援を呼んできます! おい、行くぞ!」
まったく、何とも頼もしい味方の登場だった。地方軍は未だ影すら見えないというのに、町の外から異変に気づいて駆けつけてくれるとは、さすがは黄都守護隊の優秀な兵士たちだ。彼らはすぐさま班を分けると、一方は応援を呼びに飛び出していき、もう一方は迷わず抜剣して戦闘を開始した。酸鼻極まる光景を前にしても怯まぬ彼らの果敢さに、果たして何人の生存者が勇気づけられたことだろう。
「よし、これなら何とかなりそうだ……! コーディ、サユキ、頼む!」
「はい!」
醜耆鳥どもの意識が新たな人間へ向けられた一瞬の隙に、コーディは生存者を避難させるべく走り出し、サユキは筒状に巻いて腿の鞘に収めていた五枚の符を引き抜いた。次いで彼女がその符にふっと息を吹き、前方へ投擲すれば、小さく巻かれていたはずの符がたちまちひとりでに開き出す。
「リン・ピョウ・トウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン──イッタイフンジン・メイゴムミョウ。キュウキュウ・ニョリツリョウ」
やがて完全に開いた五枚の札は、空中に浮かび上がってサユキの前に整列し、淡く青い光を帯びた。手印を切りながらサギリ語で祈唱のようなものを唱えたサユキは、ほどなく五枚のうちの一枚に手を翳し、
「幻術ノ壹、併せの參、化身招来!」
と一喝する。
次の瞬間、符から発せられた光と共に一陣の風が噴き上げ、エリクの視界はほんの数瞬閃光に塗り潰された。そして風が止むのと同時に瞼を開いて絶句する。
何故ならそこには本当に、自分とまるで同じ姿をした幻が五人いた。
礼服の細かな刺繍や細工はもちろんのこと、魔物の返り血が上着に描いた模様まで鏡のように写し取ったあまりに精巧な幻だ。自分で「やれ」と言っておいて何だが、あまりにもそっくりすぎて若干の恐怖すら感じてしまう。
しかもうち四体は実体のない幻だと聞いたものの、どれがサユキでどれがただの幻なのかも判別がつかない。ゆえにエリクは思わず数歩あとずさってから、改めて五人の自分にひとつずつ目をくれた。
「え、えーと……うん。よし。計画どおりだ。で、どれがサユキなんだ?」
「「「「「それは知らない方がいい。敵を欺くにはまず味方から……とよく言うだろう?」」」」」
「五人同時に喋ると余計気持ち悪いな! ていうか幻も喋るのか!? しかもしっかり俺の声で……!」
「「「「「さすがに四体同時に別々の動きをさせるのは、この状況では難しい。というわけで今回は私の動きを忠実に真似るようにした。だから他の四体は恐らく長くは持たないが──贅沢を言っている暇はなさそうだ。来るぞ!」」」」」
と五人の自分に警告されたエリクは、はっと頭上を仰ぎ見た。そこでは醜耆鳥が明らかに殺気立った様子で鳴き喚いており、直後に群ごと突っ込んでくる。エリクとエリクの姿を借りたサユキ、及び四人の分身はその攻撃を別々の方向へ跳んで躱し、応戦を開始した。醜耆鳥はまったく同じ姿の人間が何人も現れたことで混乱しているらしく、本物のエリクだけでなく分身にも歯を剥き出して向かっていく。
おまけに他の生存者を襲っていた醜耆鳥も仲間の異様な鳴き声を聞いて異変に気づき、続々とこちらへ集まってきた。そうしてエリクの姿をした者を手当たり次第襲おうとするということは、やはり魔物の真の標的はエリクであるらしい。
(だがこいつらは、本物と分身を見分けられるほど賢くはない。分身は全員が同じ動きをしているにもかかわらず完全に惑わされている。これなら……!)
と勝機を確信し、エリクは六人の自分に群がる醜耆鳥を次々と斬り伏せた。
さらに魔物の意識がこちらに向いたことで、他の生存者が避難する隙ができる。
彼らは突如としてエリクが増殖したことに面食らっていたが、コーディの呼び声が響くとすぐに我に返った。
「生存者の皆さん、今のうちに急いでこちらへ! あとのことは我々黄都守護隊が引き受けます! 衛士の皆さんは怪我人の避難に手を貸して下さい! それから休憩室の扉の死守を……! 館の外にも魔物がいますから、窓を家具で塞いで室内に身を隠して下さい!」
コーディの適切な誘導によって人々は冷静さを取り戻し、皆が大急ぎで別室への避難を開始した。ネデリン家の衛士たちも目の前で主家の令夫人を失ったことがよほど堪えたのか、せめて招待客だけでも守ろうと必死に剣を振るっている。
会場内の空気がやっとひとつにまとまった。
あとは増援の到着まで持ちこたえることさえできれば、何とかなる。
「よし、今なら脱出できそうだ……! モニカ、俺とロッカで援護する! お嬢さん方を休憩室まで誘導できるか!?」
「はい、やってみます! さあ、ペトラさん、立って! セリオさんとリンシアさんも……! 車椅子が壊れちゃいましたけど、リンシアさん、移動できますか?」
「大丈夫です、妻のことは私が背負います。さあリンシア、こっちへ……!」
「ごめんなさい、セリオ。わたくしのために……」
「何を言うんだ、君を守るためなら私は何だってするさ! さあ、乗って!」
瞬間、セリオの言葉に涙ぐんだリンシアが頷き、彼の背中に身を委ねた。そんなふたりの様子を見たハミルトンはふいと目を逸らし、眉間に皺を寄せてから言う。
「……よし、行くぞ。ロッカ、殿には俺がつく。お前は四人を先導してくれ」
「隊長、」
「何ボサッとしてんだ、さっさと行くぞ!」
「は、はい!」
何か言いたげにしているロッカを急かし、ハミルトンたちもまた会場の奥に位置する休憩室へ向かって駆け出した。リンシアを背負ったセリオも、モニカに手を引かれたペトラも足取りは少々おぼつかないものの、この分なら無事に部屋まで辿り着ける。誰もがそう思っていた。ところがあと二枝(一〇メートル)も走れば室内へ駆け込める、というところで突然、
「うわぁっ!?」
とセリオの悲鳴が響く。そのとき前を向いて走っていたロッカも、ペトラの手を引くモニカも、背後から追ってくる敵を警戒していたハミルトンも、全員がぎょっとして振り向いた。途端に三人の視線の先で、セリオがぐらりと体勢を崩す。
血溜まりの中に倒れ伏し、既に絶命していると思われていた見知らぬ男が起き上がり、眼前を通り過ぎようとしたセリオの足をとっさに掴んだのである。
「た……頼む……助けて……!」
という男の掠れた声はしかし、セリオが床を転がる音に掻き消された。両腕を後ろに回してリンシアを支えていたセリオは当然受け身など取れるはずもなく、それでもとっさに顔面を強打するのだけは避けようと体を拈り、右肩から倒れ込む。
すると横倒しになったセリオの背中から今度はリンシアが投げ出され、盲目の彼女は何が起きたのかも分からないまま数歩先まで転がった。
全身を強く打ちつけた痛みにうめきながら、何とか腕をついて上体を起こすことはできたものの、そんな彼女の頭上に無情にも一対の羽音が迫る。
「リンシア……!!」
刹那、彼女の名を叫んだのは夫ではなかった。その声を聞き、何も映さない瞳を見開いたリンシアの細い肩へ、血に飢えた乱杭歯が、迫る。




