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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第5章 あの朝を抱き締めて
147/175

145.〝ハミルトン〟と〝ラウノ〟 ☆


     挿絵(By みてみん)




 トラモント黄皇国(おうこうこく)の貴族には『家禄(かろく)』と呼ばれる制度がある。

 家禄とは、爵位に応じて支払われる国から貴族への給金のようなもので、貴族であるというだけで無条件に大金を得られる上流階級の特権だ。

 一七〇年ほど前に統治体制が封建制から中央集権制へと移行した黄皇国では、貴族たちが銘々治めていた土地をもとの持ち主である黄帝(こうてい)が一括管理するようになった代わりに、領地(くいぶち)を失った家門には毎年一定の俸禄が支払われるようになった。


 これが家禄制度の始まりだ。そして黄都守護隊(こうとしゅごたい)内では意外と忘れられがちだが、実はハミルトンも貴族としての爵位を持っている。

 ──エルキン華爵(かしゃく)。それがハミルトンの正式な肩書きだ。

 彼はファーガスに実力を見込まれて出世した平民出身の軍人だが、正黄戦争(せいこうせんそう)ののち、黄都守護隊創設に向けて動いていた先代守護隊長ラオス・フラクシヌスから引き抜きの声がかかるとこんな条件を提示した。すなわち、兵卒上がりの自分に爵位を与えて下さるのなら黄都守護隊への異動を呑みましょう、と。


「もちろん隊長は半分冗談のつもりだったみたいなんですけどね。そしたらラオス将軍が、本当に貴族との養子縁組話を持ってきちゃったんですよ。先代のエルキン華爵は正黄戦争で真帝軍(しんていぐん)側についてた貴族だったんですけど、あの戦争で正統な跡継ぎをみんな亡くされてて……で、自分の代で家名が途絶えてしまうって嘆いてたところに将軍が養子縁組の話を持ってきて下さったものだから、もうとにかく大喜びで。おかげで隊長も引っ込みがつかなくなっちゃって、仕方なくエルキン家の養子になったんですよね」


 かくして引き抜き話を断れなくなったハミルトンは黄都守護隊の一員となり、エルキン華爵の死後、彼の家督と爵位を相続した。

 が、本気で貴族になりたかったわけではないハミルトンはそれらを持て余した結果、エルキン家の屋敷を「管理できないから」という理由で売り払い、他の財産も大半を処分して、解雇した使用人たちに分配してしまったようだとロッカは言う。


「まあ、だけど爵位を継いだからには、黙ってても高額な家禄が入ってくるじゃないですか。だから隊長はお金の使い道に困って、孤児院に寄付を……でも、どうして選んだ先がヴィーテの町の孤児院だったのかは、あたしにもはっきりとは分かりません。ただ当時、何となく気になって理由を尋ねたら、いつもの調子で〝ヴィーテには馴染みの女がいるからさ〟って言われて……」


 しかし女好きのハミルトンは行く先々にいわゆる〝馴染みの女〟がいて、その言葉は大抵の場合、行きつけの娼館の女のことを指す。ゆえにヴィーテの町にはきっと孤児院出身の娼婦でもいるのだろうと解釈したロッカは、例によって彼の股ぐらに一発蹴りを見舞っただけで、それ以上深くは()かなかったのだという。


 されど話を聞いて気になったエリクが尋ねてみたところ、セリオ(いわ)く、なんとリンシアはヴィーテの町長夫妻の娘であるらしい。

 ところが生まれつき盲目で体も弱かったことから一向に貰い手が見つからず、かくなる上は修道院にでも入れるしかないかという話が持ち上がったところでセリオと出会い、互いに恋に落ちたのだそうだ。


「つ、つまりリンシアさんはロッカ副隊長がおっしゃるような、その……しょ、娼館勤めの女性ではないということですよね。だとすればハミルトン隊長が〝馴染みの女〟と呼んでいらしたのは、リンシアさんとは別の方である可能性が高いと思われますが……」

「確かに野暮で無教養な隊長が、いいとこのお嬢さんとお近づきになるなんて考えられないもんね。だけどそうなるとリンシアさんが言ってた〝ラウノ〟って何者? っていう疑問が……」

「……単純に考えれば、ハミルトンの声や喋り方がラウノとかいう男によく似ていた、ということだろう。だがそうだと仮定すると、リンシアを前にしたときのハミルトンの反応が不可解だな」

「う、うん……ハミルトン隊長、リンシアさんを見て明らかに動揺してたよね? 初対面のはずなのに〝どこの誰だ?〟とも訊かれなかったし……」

「……あの状況でリンシア殿の名前も訊かずに立ち去るというのは、確かに不自然だよな。ただでさえ美人には目がないハミルトン殿が……」

「あっ、やっぱり副長もそう思います? 例の奥さん、同性のあたしから見てもすんごい美人だと思うんですよ! 儚げで線が細いところなんて、もういかにも隊長好みですし……なのにそんな美人を前にして、隊長がさっさと立ち去るなんて絶対に変だと思うんです。うちの隊長は相手が人妻だろうが何だろうが、美女の前では必ず鼻の下を伸ばしてデレデレしますから!」

「ろ、ロッカ副隊長はハミルトン隊長に対して、絶対的な信頼を寄せる先を間違えていらっしゃるような気がしますが……」

「だがハミルトン殿とはかれこれ二十年近い付き合いになるロッカ殿が言うなら間違いない。やはりハミルトン殿は、ラウノという人物のことはともかく、リンシア殿のことは何か知っている可能性が高いだろう」


 という議論をエリクたちが額を突き合わせて交わし出したのは、クッカーニャの高台にある別荘へ戻ってからのこと。すっかり取り乱してしまったリンシアを休ませるべく自分たちの別荘へ帰ると言い出したセリオを見送ったのち、エリクもロッカを連れて別荘へと戻り、そこで先程の出来事について皆と話し合っていた。


 ハミルトンたちがやってくるまで海水浴に興じていたコーディ、サユキ、モニカは全員が一度風呂に入り、着替えも終えてしっとりと髪を濡らしている。が、彼らが入浴を終えるまで一刻(一時間)あまりの時間がかかったというのに、すぐに戻ると言っていたハミルトンが再び姿を見せる気配がないのが気がかりだった。

 ロッカが言うには、エリクが借りている別荘の場所は既にマーサー商会の事務所で確認しており、ハミルトンも把握しているらしいのだが。


「だ、だけど結局、ラウノさんって一体誰なんでしょう。リンシアさんはずっと探していた人だっておっしゃってましたけど……」

「そうだな。セリオ殿もまるで覚えのない名前だと言っていたから、リンシア殿に確かめるしかないんだが、さすがに人前で聞き出すのはな……」

「ああ。先程もリンシアは、ラウノとは誰だという質問にはだんまりを決め込んでいたからな。(セリオ)の前では答えにくい相手……とすると、過去に情を通じた男という可能性もなくはない」

「さ、サユキさん……ここにいる誰もが思っていても敢えて言わずにいたことを、どうしてそうズケズケと……」

「は? 誰も言おうとしないからこそ、代わりに私が言ってやったんだろうが」

「あ、あの、でも、もし……もしもですよ? その場合、ラウノさんというのがハミルトン隊長のことだったとしたら、どうします……?」

「つまりハミルトン殿は、過去に偽名を使ってリンシア殿と会っていた……と言いたいのか、モニカ?」

「い、いえ、そうじゃなくてですね……アンゼルムさんは、ハミルトン隊長のご出身がトラジェディア地方の西部だってこと、ご存知ないですか?」

「えっ……えっ? な、何言ってんの、モニカちゃん。うちの隊長は生まれも育ちもモニカちゃんと同じイーラ地方だよ? で、十五のときに徴兵されて、当時グランサッソ城にいたファーガス将軍のところに……」

「そ、そうなんですか? でも隊長、前に〝自分はトラジェディア地方の西にある田舎で育った〟って……具体的な町や村の名前までは教えてもらわなかったんですけど、確かにそう言ってました。隊長って昔から暑さに弱くて、夏はよく体調を崩して医務室にいらっしゃるので、もしかして北のご出身ですか? って訊いてみたことがあるんですよ。そうしたら〝よく分かったな〟って……」


 トラモント黄皇国の北辺に位置するトラジェディア地方には、夏でも涼しく過ごしやすいと言われる土地がいくつかある。ゆえにモニカは、ハミルトンはそういった地域で生まれ育ったがために暑さに弱いのではないかと推察して尋ねてみたのだそうだ。するとハミルトンが驚いた様子で肯定したので、モニカも自身の出身がトラジェディア地方と領境を接するイーラ地方東部なのだと明かし、お互いの出身地が意外と近かったことで話が盛り上がった。そのときの会話は今も記憶にあるし、ナンシーも一緒に聞いていたから間違いないはずだという。


 されどロッカはハミルトンと知り合った当時から、出身はイーラ地方南部の小さな村だと聞かされていて、今日までそれを疑ったことは一度もなかったそうだ。


「つ……つまりハミルトン隊長は、ロッカ副隊長とモニカさん、どちらかに嘘をついたということでしょうか? トラジェディア地方で生まれ育って、あるときを境にイーラ地方へ移住した、という可能性もありますが……」

「だがロッカは、ハミルトンは()()()()()()()イーラ地方だと聞かされていたんだろう? だとすればやはりどちらかの話が嘘ということになる。そして、仮にモニカが聞いた方の話を真とすると……」

「う、うん……もしかしてハミルトン隊長って、ヴィーテのご出身なんじゃないかなって……で、本当の名前はラウノっていうのかも……」

「じ……じゃあ、今の名前の方が偽名ってこと?」

「ぎ、偽名かどうかは分からないです。だって黄皇国には、国に仕官したり賜姓(しせい)を受けたりしたときに、名前を変えることがあるんですよね? アンゼルムさんがそうだったみたいに……」


 確かにモニカの言うとおりだ。実は彼女はつい先日まで〝アンゼルム〟という名前がエリクの本名だと思っていたらしいのだが、倒れたエリクが医務室へ運ばれてきた際、シグムンドが「エリク」と呼びかけているのを聞いて初めて、黄皇国の上流階級にはそういった風習があることを知ったのだという。


 そもそもトラモント貴族は〝幼名〟と〝成名〟というふたつの名を持つことが多く、十五で成人するまでは幼名で呼ばれ、大人になった証として成名を授かる。

 出世や祝いごとに乗じて改名するのにも似たような側面があり、主に新興貴族や平民出身の諸官が上流階級への仲間入りを果たした証としてこの風習に則ることが多いのだそうだ。とすれば一兵卒から身を立てたハミルトンもまた、験担ぎとしてどこかで名を変えた可能性はゼロではない。


 しかしもしそうだとしたら、ロッカと出会ったときには既に改名していたというのはいくら何でも早すぎるのではないか?


 以前聞いたファーガスの話では、ロッカが国境を越えて黄皇国へ逃げ込んできたのが十二の頃。とすればハミルトンも当時はまだ十五、六歳であったはずで、十五で徴兵されたというロッカの証言が正確ならば、軍内でどれだけ頭角を現していたとしても、階級はせいぜい兵卒より一段上の上級兵士程度だったことだろう。


(班長や従士といった上級兵士はむしろ平民出身者が担う階級で、正直その気があれば誰でもなれる。そんな役職に就いたからと言って喜んで改名するほど、ハミルトン殿もうぬぼれてはいないだろう。とすれば、もし〝ラウノ〟がハミルトン殿のことを指すならば、やはりどちらかが偽名……あのハミルトン殿が名前を偽っていたなんて、考えたくないモニカの気持ちも分かるが……)


 だとしてもやはり、ハミルトンが徴兵された直後に改名した可能性は限りなく低い。そもそも大した理由も口実もなく平民が貴族の風習を真似たりしたら、当時は今よりずっと激しい非難に晒されただろうし、ファーガスも上官として止めたはずだ。だが仮にラウノとハミルトンが同一人物で、どちらかが偽名だとしたら?

 それならリンシアを見るなり逃げ出した理由にも、出身地が曖昧な理由にも説明がつくのではないか? すなわちハミルトンは名前だけでなく出自も偽っていて、唯一己の過去を知るリンシアと出会ってしまったがために取り乱した、と──


「──アンゼルム様、ご歓談中に失礼致します」


 ところがエリクの胸裏を不穏な予感が満たした刹那、談話室の扉が叩かれ、コーディやモニカがびくりと肩を震わせたのが分かった。呼びかけてきたのは恐らく、休暇中のエリクを世話するためにマーサー商会がつけてくれた臨時の執事だ。

 商会は貸別荘を利用する客のために、必要に応じて使用人の貸し出しまでやっていて、現在この屋敷には執事を含め、数人の使用人がついてくれている。

 おかげでエリクはここでの衣食住について何不自由なく過ごせているわけだ。

 まったく至れり尽くせりだなと主君(シグムンド)や商会の配慮に感謝の苦笑を浮かべつつ、エリクはこのあたりでは珍しい籐編(とうあ)みの椅子から腰を上げた。そうして自ら扉を開けて出迎えれば、()(ため)(がお)をした初老の執事が紳士然と背筋を伸ばして言う。


「来客中にお邪魔をして申し訳ございません。ですが今し方、別のお客様がお見えになりまして……」

「ひょっとしてハミルトン殿ですか?」

「ええ、そう名乗っていらっしゃいました。お通ししても?」


 と、執事が尋ねるので、エリクは思わず皆と目配せし合ったのち、辛うじて頷いた。正直なところ、あんな話をしたあとでどんな顔をしてハミルトンを迎えればいいのかという迷いはある。されどここで追い返すわけにもいかないし、ハミルトンも明らかに不審な挙動をしていた自覚があるだろうから、まずは彼の出方次第だ。


 そう思ってエリクたちが出迎えた彼は何とも形容し難い、複雑で奇妙で困惑したような顔つきで現れた。果たしてそれは一体どういう感情の表れなんだと思いながら、しかしひとまず皆で何事もなかったかのように声をかければ、ハミルトンはそんな一同を見回してしばし逡巡(しゅんじゅん)した末に、言う。


「……おい、アンゼルム」

「は、はい。どうかされましたか、ハミルトン殿?」

「いや、実はな……俺、お前に謝らなきゃならないことがあるんだよ」


 ──謝らなければならないこと。

 皆の前へ戻るなり発せられた彼の言葉に、緊張が走った。

 普段は大味な言動ばかりしているハミルトンがこんな風に(かしこ)まって謝罪をするということは、やはり何かしらのやましい事実を今日まで隠していたのだろうか?

 そう推理したエリクたちが固唾(かたず)を飲んで見守る中で、談話室の長椅子に深く腰かけたハミルトンは、深刻な表情でため息をつくなり軍服の(ふところ)へ手を入れた。


 そうしてエリクたちの前へすっと差し出されたのは一通の──招待状だ。

 封筒の口に押された封蝋には、(もみ)の葉に囲まれて翼を広げる(ハチクイ)の紋章が浮き上がっている。そしてエリクはその紋章に嫌というほど見覚えがあった。

 ゆえに声にならない驚きと共にハミルトンを見やれば、顔中を冷や汗にまみれさせた彼が、()()った笑みを(たた)えて言う。


「……悪い。実はこの別荘まで来る途中で、ペトラ・ネデリンとかいうお嬢さんに捕まってな。そっからなんやかんやあって、お前をネデリン家主催の夜会に連れていくと約束させられちまった。さっき浜辺でお前らと一緒にいた、アンブランテ夫妻も同伴でな」


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