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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第5章 あの朝を抱き締めて
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133.知らないことだらけ


 ことの発端は昨日の午後に(さかのぼ)る。まず、スウェインが〝どうやらセドリックは現在休暇中らしい〟という情報を得たことが今回の事態発覚につながった。というのも昨日の午後、スウェインがシグムンドの使いの帰りに本棟を目指して歩いていると、途中で第三部隊長のハミルトンと行き合い、こう声をかけられたそうだ。


「実は俺も今からシグムンド将軍のところに行こうと思ってたんだが、ちょうどいい。今は決算だ何だで将軍もお忙しいだろうから、頃合いを見て伝えておいてほしいことがあるんだよ。本当はセドリックに直接文句を言ってやりたかったんだが、野郎は休暇中でしばらく留守だっていうんでね」


 と。このときのハミルトンの用件とは、最近第二部隊に配属となった新兵が、他部隊の兵との間でたびたび問題を起こして困っている。

 それもこれも部隊長であるセドリックの指導が(あら)いためだと思われるので、彼の監督不行き届きをシグムンドからも注意してやってほしい、というものだった。

 話を聞いたスウェインは内容を了承し、その晩、公務を終えて隊舎へ戻るシグムンドを部屋まで送り届ける際にハミルトンから上のような報告があったことを告げた。が、途端にシグムンドが足を止め、眉をひそめてこう聞き返したことで事態が発覚したらしいのだ。


「……妙だな。セドリックからはここ数ヶ月、休暇の届など出ていないはずだぞ」


 と。そこで顔を見合わせたふたりは執務室へ取って返し、セドリックからの休暇届が本当に提出されていなかったかどうか、別の書類にまぎれている可能性も踏まえて確認したらしいのだが、やはり届は見つからなかった。

 で、念のためにスウェインが第二部隊の隊舎へ(おもむ)き、セドリックを訪ねてみると当然のように留守だったらしい。これを受けて第二部隊所属の主立った将校に聞き込みをしたところ、彼らは口を揃えて、


「隊長なら、しばらく休暇で不在にするって聞いてましたけど……」


 と答えたという。だが休暇を取ったセドリックがどこへ、何をしに向かったかという消息を知る者はなく、彼の部下たちは〝どうせまた黄都(こうと)の実家にでも呼び出されたのだろう〟と思っていたのだそうだ。だがそれなら今までどおり、セドリックから事前の連絡があったはずだとシグムンドは言う。

 少なくとも今のセドリックに(ハインツ)からの呼び出しを隠す理由はない、と。


「セドリックも席次こそ低いとはいえ、ハインツと同じ皇位継承権者だ。ゆえに彼が黄都へ赴く際には、必ず私に一報を入れるよう言ってあった。ソルレカランテでは彼もまた皇家の後継者問題に巻き込まれる可能性が大いにあるのでな。私としても万一の事態に備える必要があったのだよ」


 というのがシグムンドの証言だ。そしてセドリック自身もそのことは重々承知しており、シグムンドに迷惑をかけることだけはしないと常々公言していたらしい。

 というのもセドリックは、近衛軍時代にもシグムンドの部下だった経歴があるから、ああ見えて彼にだけは従順なのだ。ゆえに未だセドリックとの関係が険悪なエリクも、彼のことはシグムンドに任せておけばいいと思っていた。


 だがそうやって彼と極力関わらないようにしていたことが、今回の騒動の一因と言ってもいい。おかげでエリクは用がなければセドリックのもとを訪ねることもなく、彼がきちんと隊務をこなしているかどうかも書類の上だけで判断していた。

 おまけにここ最近はエリクもシグムンドも、皆が決算業務に追われて軍事方面には目が向かず、そちらは部隊長たちに任せきりになっていたのだ。新兵の受け入れと振り分けは夏に入る前に何とかすべて片づいたから、あとのことは部隊長たちがうまくやってくれるはずだと丸投げしてしまったのが問題だった。


「確かに部隊長たちは皆、軍務に手が回らない我々の分までよくやってくれていたが、しかし彼らも自隊以外のことにはなかなか目を配れないという点をもっと考慮すべきだった。おかげで誰ひとりセドリックの行方を知らないとなると、いよいよ手がかりなしだな」

「はい……仮にセドリック殿が、シグムンド様の公務の妨げになるのを嫌って今回は声をかけなかったのだとしても、代わりにブレント殿へ行き先を告げるくらいの配慮はするでしょうし……」

「そ、そもそも本当に休暇を取られるおつもりだったなら、せめて届くらいは出していかれますよね? でないと無断欠勤になってしまいますから……」

「だがやつからの届があった記憶は誰にもない。もし私たちの目に留まる前に別の部署へ回した書類にまぎれてしまったのだとしても、三日もあれば誰かが気づいて持ってくるはずだ」

「つまりセドリックは、初めから届を出さずに行方を(くら)ませた可能性が高い、ということだな。そしてそれが彼本人の意思で為されたと仮定した場合、理由として最も有力なのは──先日のギディオン将軍の報か」


 と、嘆息と共に吐き出したシグムンドが執務席に深く身を(もた)せたのを見て、エリクも思わず息を詰めた。一昨年の秋、公衆の面前で主君(オルランド)痛諫(つうかん)したのが原因で、近衛軍団長の座を追われた老将ギディオン・ゼンツィアーノ。

 彼は軍を退役してほどなく、爵位も財産も手放して黄都から姿を消したと聞いていたが、そのギディオンの消息についてつい先月、衝撃的な報せがもたらされた。


 というのも春先に北のトラジェディア地方で起きた救世軍による暴動の現場で、賊軍側の指揮を執るギディオンの姿が目撃されたというのだ。

 初めは誰もが他人の空似か何かの間違いだろうと耳を疑ったが、問題の報告を中央にもたらしたのは他でもない皇女のリリアーナ・エルマンノだった。

 トラジェディア地方を守る中央第二軍の長として暴動の鎮圧に動いた彼女は、撤退する救世軍の殿(しんがり)剣戈(けんか)を交え、しかしすぐに追撃をやめたのだ。

 そして理由をこう報告した。


「中央軍の到着を知って退却を開始した賊軍の後尾には鬼がいた。かつて陛下や私に降りかかった凶刃を幾度となく払いのけてくれた、剣の鬼が……」


 と。それはリリアーナ率いる第二軍どころか、黄皇国(おうこうこく)軍全軍の戦意を失わせるほどの激震をもたらす知らせだった。

 『剣鬼(けんき)』ことギディオン・ゼンツィアーノが祖国の敵に寝返った──二十年以上もの間、比類なき忠臣として皇家に剣を捧げ続けたあのギディオンが、だ。


「……アンゼルム。君はギディオン将軍が事実上陛下に罷免(ひめん)されたという報せが最初に届いたときのことを覚えているか?」

「はい。当時セドリック殿は、今すぐ上洛して陛下に再考を促すべきだと……中立派貴族の重鎮であるギディオン将軍を全力でお守りすべきだと、シグムンド様に直談判しておられました」

「ああ。だが結果として私は彼の意見を聞き入れず、その後、将軍の件はクェクヌス族の蜂起によってうやむやになった。もしセドリックがあの件を今も悔やんでいたとしたら……」

「ま、まさか……シグムンド様はセドリック隊長が、ギディオン将軍に続いて反乱軍側につかれたとお考えなのですか?」


 青い顔をしたコーディの問いかけに、シグムンドは答えなかった。が、彼の沈黙は恐らく肯定だ。されどエリクはにわかには信じられなかった。少なくとも自分の知る限りセドリックにそんな兆候は見られなかったし、そもそもセドリックが救世軍に寝返れば、黄都にいる(ハインツ)と彼の家族を危険に晒すことになる……。


「シグムンド様、さすがにその可能性を追うのは早計かと存じます。セドリック殿は確かに国家への忠誠は希薄ですが、実兄であるハインツ殿を差し置いて救世軍に(はし)るとは思えません。仮に事前の相談があったのだとしてもハインツ殿なら必ず止めたでしょうし、どうしてもセドリック殿が考えを改めないようなら、早急に報せて下さったでしょう」

「ああ……だが昨今黄都では、ハインツを玉座に担ぎ上げようとする動きがあることは君も知っているだろう。セドリックがそれを阻止するために独断に走ったと仮定すればどうだ?」

「ど、どういうことです?」

「つまり身内から逆臣が出たとなれば、連座刑に処される可能性のあるハインツを次期黄帝(こうてい)の座に就かせることはできなくなる。とすれば当然彼を脅迫している過激派貴族たちも、あの一家からは手を引かざるを得ないはずだ」

「で……ではまさか、セドリック隊長はご家族を守るために……?」

「だがその方法では過激派の暴走は止められても、結局一族を別の危険に巻き込むことになるだろう。だとすればやり方があまりに杜撰(ずさん)で非合理的だ」

「確かに一見すればサユキの言うとおりだ。しかしセドリックはハインツ以外の肉親を保守派に謀殺されている。より正確には、当時まだ〝偽帝派(ぎていは)〟と呼ばれていた一味にな」

「……え?」

「彼が革新派を自称して(はばか)らないのも、今の粗暴な性格になったのもあの事件が原因だ。セドリックは黄皇国に心底失望している。おまけに現在救世軍を率いているフィロメーナ・オーロリーは彼の義従妹(いとこ)であり──昨年我が軍によって討たれたジャンカルロ・ヴィルトは、セドリックの無二の親友だった」


 瞬間、シグムンドが硬い声で(つむ)いだ衝撃の事実に、エリクは言葉を失った。

 オーロリー家の先代当主エルネスト・オーロリーの甥であるハインツとセドリックが、フィロメーナと親類関係にあるという話は分かる。だが救世軍の創設者であり指導者でもあったジャンカルロが、彼の親友だったというのは初耳だ。


「そ……そのお話は確かなのですか、シグムンド様」

「無論だ。ジャンカルロとセドリックは近衛軍時代からの付き合いでな。兄のハインツもジャンカルロとは親しかったが、同年のセドリックの方がより近しく交わっていたようだ。義従妹のフィロメーナがジャンカルロの婚約者だったことも大きいのだろう。おかげでジャンカルロの訃報が届いたときには、セドリックもずいぶん荒れてな……実はあのときも似たようなことがあったのだ」

「そ、そうなのですか?」

「ああ。まあ、前回はセドリックの無断欠勤が続いていると聞いて様子を見に行ったら、部屋に()もって酒浸りになっていたというかわいいものだったがな」


 となおもため息混じりにシグムンドは明かしたが、その話もエリクにとっては寝耳に水だった。しかし思えばあのときは、エリクもジャンカルロと行動を共にしていたはずのイークの身を案じるあまり仕事が手につかなくなっていた覚えがある。

 ゆえに身近で起きていた異変にさえまるで気づかなかったのだろう。


(そうか……だとすると当時シグムンド様は俺だけでなく、セドリック殿への心配りまで……だが今の話が事実だとすれば……)


 セドリックにはギディオンやハインツの件以外にも、救世軍に寝返る動機があるということになる。いや、むしろ彼の置かれた境遇を思えば、今まで軍人として国のために働いていた事実の方が驚きだと言っていい。

 目下黄皇国を牛耳る保守派に家族を鏖殺(おうさつ)され、唯一生き残った兄すら権力争いに巻き込まれ、かつての上官も、義従妹も、親友さえも反乱に奔ってしまった。

 となればシグムンドが、セドリックもまたフィロメーナやギディオンに追従したのではないかと危惧する理由も分かる。そしてもし彼の懸念が当たっていれば──


「……そういえば」


 ところがエリクが最悪の想定を前にして立ち竦んでいると、先程から何事か考え込んでいたスウェインがふと声を漏らした。次いで顎に当てていた手を離し、すっと顔を上げた彼は、執務席にいるシグムンドへと目を向ける。


「シグムンド様。ヒュー隊長の行方についてもうひとり、何か知っていそうな人物に心当たりがあるのですが」

「ほう。誰だ?」

「医務室長のナンシー・プレスティ殿です。確か以前、ヒュー隊長の無断欠勤についてシグムンド様に報告を上げてきたのも、彼女だったと記憶しています」


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