129.奈落のごとく ☆
「申し訳ございません、アンゼルム様。あと一日……あと一日早く私が太陽の村に入っていれば、きっとカミラさんを止められたはずです。黄皇国のために日夜ご尽力下さっているアンゼルム様に代わって、カミラさんのことは私が責任を持って見守るとお約束致しましたのに……本当に申し訳ございません……!」
と、床に手をついて謝罪するサバンに、頭を上げてくれ、と言うべき場面なのは分かっていた。分かっているのに、声が出ない。立ち上がれない。まるで応接室の腰かけに魂ごと深く嵌まり込んで、抜け出せなくなっているみたいだ。
「か、顔を上げて下さい、サバンさん。カミラさんのことは、決してサバンさんのせいではありませんよ」
「ああ、コーディの言うとおりだ。自分の家族や生活もある中、貴殿はむしろよくやってくれた。我が副官に代わって礼を言おう」
ところがエリクが身じろぎひとつできずにいると、代わりにコーディがサバンへ駆け寄り、シグムンドもねぎらいの言葉をかけた。そう言われてようよう頭を上げたサバンはしかし、床に座り込んだまま立ち上がらない。
いつもの大きな鍔広帽を胸に押し当て、うなだれた頬は涙で濡れているようだ。
彼が自分を責める必要などありはしないのに──と、頭の中ではそう思っているにもかかわらず、なおも声が出ないのは何故だろう。
スッドスクード城本棟一階にある応接室。現在エリクはそこでシグムンド、コーディ、サユキと共に、ルミジャフタから戻ったばかりのサバンと向き合っていた。
事態は概ね事前にコーディから聞かされたとおりだ。
年明け早々、城を離れられないエリクに代わってカミラの様子を見にルミジャフタへ向かったサバンは、一日違いで郷を出た彼女と入れ違いになった。
サバンがルミジャフタに着いたときには、既に郷中がカミラの失踪に気づいて大騒ぎになっており、族長が必死の捜索を行っていたという。
「して、アンゼルムの妹の行方について、何か分かっていることは?」
「それが、手がかりになりそうなものはまるで何も……カミラさんは誰にも行き先を告げずに、人目を忍んで村を出たようなのです。村内に彼女の姿が見当たらないと分かった直後から、族長様もあちこち人をやって探させていましたが、残念ながら消息は掴めず……そこで族長様から、この件をすぐにアンゼルム様へ伝えてほしいと仰せつかって参った次第です」
「では、太陽の村から当城へ至る道中にも情報はなかったということだな」
「はい……私も道すがら、彼女らしき少女を見かけなかったかと尋ねながら戻って参りましたが、少なくともレーガム方面へ北上する街道沿いの町や村では、有力な情報は得られませんでした」
「と、ということは、カミラさんは西方へ向かわれたのでしょうか……アンゼルム様と同じ赤い髪となれば、見かけた人がいれば少なからず記憶に残っているはずですよね。我が国ではまず見かけない髪色ですから……」
「そうだな。何よりアンゼルムが村を出てまず向かったのがルエダ・デラ・ラソ列侯国だと知っていれば、彼女も列侯国を目指そうと考えるのが自然だろう。何しろアンゼルムが黄皇国へ戻った際に出した手紙は、村に届かなかったそうだからな」
「つまりアンゼルムの妹は、そもそも兄が黄皇国にいることすら知らない、と?」
「ああ。だが彼女が陸路で列侯国を目指したとなると……」
顎に手をやったシグムンドがそこで言葉を呑んだのを聞き、エリクもすぐに彼の言わんとすることを察した。要は、カミラは北西のイーラ地方から国境を抜け、ラムルバハル砂漠を越えて列侯国へ向かう針路を取る可能性が高いということだ。
されどラムルバハル砂漠は砂賊の巣窟たるシャムシール砂王国の領土であり〝死の砂漠〟の別名で呼ばれるほど危険と隣り合わせの地。
おまけにカミラは列侯国で傭兵をしていた父が故郷へ戻ってから生まれた子だから、エリクのように竜人に対する知識や交渉の術も持っていない。
そもそも今までグアテマヤンの森の外へは一歩も出たことのない彼女が、異国の地でたったひとり、どうやって無事に旅をしようというのか。確かにカミラは神術が使えるし、幼い頃、自分やイークを真似て剣術を学んでいた経験もある。
けれどもあの平和な郷で育った彼女に実戦の経験などあるはずもなく、身につけた武芸はあくまで護身術の域を出ないものだ。
そんな妹が──世間知らずで身を守る術にも乏しい十六歳の少女が、あちこちで争乱の巻き起こる今のトラモント黄皇国に、たったひとりでいるだって?
そう考えただけでエリクは胸が軋り、今にも叫び出してしまいそうだった。
叶うことならすぐにでも城を飛び出して、妹を探しに行きたい。そうして無事に再会できたなら、三年も孤独な想いをさせてしまったことを詫び、もう二度と彼女を置いてはいかないと跪いて誓ってもいい。何故なら自分は約束したのだ。
あの晩、妹を〝白き魔物〟から守るために命を落とした父に──カミラのことは何があっても俺が守るよ、と。
「……郷に……」
「え?」
「私が傍にいられなくとも……郷の中にさえいれば、少なくとも妹は安全だと思っていたのです。以前ほど万全ではないものの、ルミジャフタには今も魔物や余所者を遠ざける結界があって……族長や郷の大人たちも、幼くして両親を亡くしたカミラを我が子のように気にかけてくれていました。だから、今の黄皇国に呼び寄せるよりは、郷に置いていた方がカミラのためになると……そう信じていたかった。けれど、やはり間違っていたんです。私が……私がもっと早く、その誤りに気がついていれば……」
「アンゼルム様……」
ようやく絞り出せた言葉は、自分でも笑い出したくなるほど情けない泣き言だった。本当はこのままではいけないと気づいていたくせに、今はこうするのが最善だと自分を騙し続けるために、何度も胸裏で重ねてきた言い訳。
それを改めて口にしてみると、自分がいかに愚かな選択をしてきたのか思い知らされた。自分はただトラモント黄皇国に──シグムンドの傍にいたいがためにカミラを置き去りにしている現実を、体のいい理由を並べて誤魔化していただけだ。
イークとの敵対を隠すためだとか、妹の安全のためだとか、さもカミラのことを一番に考えているかのような、さもしい善人面をして。
「──私が」
ところがエリクが深くうなだれ、額を押さえて何も言えずにいると、不意に誰かが傍で立ち上がった気配があった。見れば隣に腰かけていたはずのサユキが席を立ち、いつもと変わらぬ表情でエリクとシグムンドを振り向いている。
「私が今から国境へ向かう。そうすれば、お前の妹がマクランス要塞を越える前に足取りを掴めるかもしれない。要塞までは急げばひと月足らずで行けるはずだ」
「だが、サユキ。君もレーガム地方より西へはまだ一度も足を踏み入れたことがないだろう。いくら優れた間諜の腕があろうとも、まるで土地勘のない異国の地で、そう易々と彼の妹を見つけられるとは思えん」
「しかし」
「それなら今すぐグランサッソ城へ早馬を飛ばし、ガルテリオ様に協力を仰ぐ方がまだ現実的だろう。マクランス要塞からラムルバハル砂漠へ入るには、必ず軍の検問所を通らねばならない。つまり彼女が国境を抜けようとするならば、検問で発見できる可能性が高いということだ」
「で、では、今すぐに早馬を出しましょう! ガルテリオ将軍ならきっと力を貸して下さるはずですし……!」
「ああ、そうだな。だがひとつ確認しておくべきことがある。アンゼルム、君はどうしたい?」
「……え?」
「もしも君が今すぐ妹を探しに行きたいというのなら、君自身がグランサッソ城への早馬として発っても構わん。ただしその場合は軍を辞めてもらう形にはなるが」
「し、シグムンド様……!? 突然何をおっしゃるんです!?」
と動揺した声を上げたのは、サバンの傍らから立ち上がったコーディだった。
当のエリクはといえばあまりに唐突な提案に思考が追いつかず、目を見張って固まってしまう。そうして何も言えずにいると、腰かけに深く身を凭せたシグムンドは腕を組み、深々と嘆息したのちに言葉を続けた。
「サバン殿。貴殿が当城を目指して太陽の村を発ったのはいつのことだ?」
「え、ええと、確か豊神の月の……愛神か泰神の日だったと思われます」
「であればアンゼルムの妹が失踪して既に二ヶ月だ。そして今すぐグランサッソ城へ早馬を飛ばしたとしても、マクランス要塞に通達が行くまでには最短でひと月半はかかる。一方太陽の村から国境までの距離は約三〇〇〇幹(一五〇〇キロ)……旅慣れない少女の足でも、まっすぐ国境を目指せば二ヶ月あまりで辿り着ける距離だろう。とすれば検問で彼女を引き止められるかどうかは紙一重だ。万一それが叶わねば、次は列侯国まで探しにゆかねばならなくなる。そうではないかね?」
「た……確かにギリギリの計算ではありますが、しかし普通に考えれば、カミラさんも国境を目指す道中でアンゼルム様の消息を尋ねながら北上するのではありませんか? とすれば最短日数でマクランス要塞に到達するとは考えにくいかと……」
「では彼女があちこち寄り道をしながら国境を目指すとして、検問に姿を現すまで何ヶ月かかる? その間、いつ現れるとも知れない妹を待って国境に滞在するのであれば、アンゼルムを我が隊の副官として留め置くのは無理がある。副官が長期不在のままでは、軍務にも政務にも支障が出るからな」
シグムンドが淡々と語る現実は正論としか言いようのないもので、エリクはますます返答に窮した。確かに妹を探しに行くことが許されるなら、今すぐにでも国境へ飛んでいきたい。既にトラモント黄皇国を出たあとだというのなら、彼女を追ってもう一度列侯国へ帰ってもいい。二度とあの国の土を踏んではならない──と遠い昔、侯王一派から一方的に課せられた罰など知るものか。
されどシグムンドの言うとおり、妹を探しに行くのなら自分はもう黄都守護隊にはいられない。私情によって何ヶ月も公務を放り出すような人間に国仕えなど不可能だ。何より軍に身を置いたまま妹と再会すれば、否応なしに彼女を救世軍との戦いに巻き込むことになる……。
(だが、ここで俺が軍を辞めたとして……そうしたらイークはどうなる?)
今ならまだ、救世軍を止められるかもしれない。フィロメーナは既にジャンカルロの後継者として名乗りを上げ、黄皇国への反撃を開始したものの、総勢二十万からなる官軍の前では彼らは未だ取るに足らない弱小勢力だ。
力や物量の差は歴然で、しかもこちらには自分という切り札もある。
エリクが官軍に身を置いていると知れば、状況次第ではイークも考えを改めて、フィロメーナの説得に力を貸してくれるかもしれない。
何より最悪、対話による和解は不可能でも、場合によってはイークを危険から遠ざけることだってできるかもしれなかった。エリクは救世軍と戦う覚悟こそ決めたものの、だからと言って心まで敵対したわけではないのだ。叶うことなら彼らにこの戦いから手を引かせ、何とか救い出したいと今でもそう思っている。けれど妹を連れて故郷に帰るとなれば、もはやその糸口を探ることすら叶わない……。
(第一、イークの正体が官軍に知れ渡ったとき、黄皇国からルミジャフタへ向けられる敵意を防ぐには俺が盾にならないと……今、俺が軍を離れれば、のちのち保守派の連中に〝それも郷からの指示だった〟なんて事実を捏造されかねない。そうなれば郷も戦火に巻き込まれることに……ただでさえ《金神刻》や黄金郷の噂で狙われ続けてきた小さな郷だ。今までは黄皇国との友好な関係と森の結界に守られてきたが、どちらも一度に崩壊したら……)
エリクは昔、父のいた義勇軍の砦が味方の裏切りによって火の海と化した、悪夢のような光景を目の当たりにしたことがある。あれと同じことが今度は故郷で起こるかもしれないという想像が、ぞっと全身に粟を立てた。
もしもそんなことになったりしたら、いくら妹を無事に連れ帰ったところで意味はない。自分が今、故郷と黄皇国の友好をつなぎ止める楔としてここにいる以上、軍を離れることなどできはしない。
(結局、俺は……黄皇国に仕えることを選んだ時点で──)
あの瞬間、すべての運命は決してしまった。もはや引き返そうにも道はない。
夢を取るか、家族を取るか。最初に選択を迫られた時点から、恐らく自分は間違えた。カミラがいるのは奈落のごとく切れ落ちた、後ろへ続く道の先だ。
そこへはもう、どうしたって手が届かない。
「私、は……私は……妹を探しには、行けません」
「アンゼルム様」
「もちろん、行けるものなら今すぐにでも飛んでいきたいのが本音です。ですが私にはまだ、この国でやるべきことが……」
「そのやるべきことというのは、君の親友を止めることかね? あるいは君が人柱となって、我が国の悪意から故郷を守ることか?」
「……どちらも、私が軍に身を置き続けなければ叶わぬことです。あの日……昨年の天燈祭でフィロメーナとイークを逃がしてしまった罪は、何と引き替えにしても償わなければなりません。何よりこれまでシグムンド様から賜ったご恩を、私はまだ何も返せていない状態で……」
「そんなものは返してもらわなくて結構。以前にも言っただろう。私は見返りを期待して君を助けたわけではないとな」
「シグムンド様、」
「何よりフィロメーナの件は私も立派な共犯だ。君が彼女を逃がすために手を貸したことを、未だ上に報告していないのだからな。とすればあの日の過ちを償うべきは私も同じ──つまり君の分まで私が償えば済む話だ」
瞬間、まるで〝朝が来れば太陽は自ずと昇るものだ〟というような、至極当たり前の摂理を語るのに似た口調でシグムンドは言った。
その言葉が信じられずに目を見張り、エリクは思わず顔を上げる。そうして振り向いた先ではシグムンドが、いつもと変わらぬ素振りで座っていた。
依然として腕を組み、革張りの椅子に背を凭せた姿は優雅ですらある。
けれども彼は分かっているのだろうか。否、彼ほど頭の切れる男が分かっていないはずがない。自分が今、一体何を言っているのかということを。
「君の故郷の件にしても案ずるな。太陽の村はトラモント人にとっても、長年心のよりどころとなってきた誇りであり聖地だ。そこに手出しをするような真似は誰にもさせぬ。私の黄臣としての矜持に懸けてな」
「で……ですが、シグムンド様、」
「第一、太陽の村へ至るために必ず通らねばならぬヴォリュプト地方はファーガス殿の管轄だ。いかにだらしのないあの御仁でも、我が国の建国に助力した太陽の村へ害を為そうという者をそう易々と通しはすまい。仮に陛下からの勅命であったとしても、ファーガス殿なら迷わず追い返すさ。あれはそういう御仁だからな」
「し、しかしそんなことになればシグムンド様やファーガス将軍のお立場が……」
「我々の立場などこの国では既にないも同然だ。上に楯突いたことも一度や二度でないことは、君もよく知っているだろう。何より君は〝受けた恩を返し切れていない〟と言うが、上官として言わせてもらえば二年もの間、君は我が国のために出来得る限りの貢献をしてくれた。それでもまだ足りぬと報恩をせびるほど、私は狭量ではないつもりだがな」
そう言って横目でちょっとこちらを見やったシグムンドは、口の端を上げて笑った。その笑顔に〝ゆえに迷わず行け〟と言われた気がして、エリクは思わず言葉を失う。ああ、そうだ。きっと彼なら──シグムンドなら本当にそうしてのけるのだろう。エリクが今日まで背負い込んできたものを代わりに背負い、清算するということをたったひとりでも。
(シグムンド様のお言葉に嘘はない。この方ならきっとイークのこともフィロメーナのことも、最大限救おうと尽力して下さるだろう。だが……)
だからと言って、どうして甘えることができようか。
今日まで自分を守り導き、さらには身動きが取れないほどに積み重なった重い荷を、すべて代わりに背負ってやるなどと手放しに言い出すこの人に。
(俺は、本当に……この方が与えて下さった恩に報いることができただろうか?)
シグムンドは見返りを期待してエリクを助けたわけではないと言った。
けれどたとえそうだとしても関係ない。何故ならエリクもまた、シグムンドが喜んでくれると期待して報恩の道を歩んできたわけではないからだ。ただ自分がそうしたいからそうしてきた。そしてシグムンドから受けた恩義に報いると同時に追いかけてきた。自分がいま誰よりも尊敬し、憧れている彼の背中を。
(だから俺はここから離れ難いと……許される限り、シグムンド様のお傍で働きたいと願ってきたんだ)
されどそのシグムンドが「行け」と言う。
既に黄皇国での使命は果たしたのだから、次は妹のために生きてやれと。
しかし黄都守護隊にはまだコーディがいて、サユキがいて、今日まで共に戦ってきた部隊長たちや、自分を慕ってくれるたくさんの部下もいる。
彼らを置いて自分だけが安穏とした生活に戻るだなんて、果たしてそれが正しい選択なのだろうか? 彼らの戦いはこれからも続いていくと知っているのに、すべてをシグムンドに押しつけて、国を守るための最前線から退くことが……。
「……申し訳、ありません、シグムンド様。お気持ちは、身に余るほど光栄で有り難いのですが……少しだけ、考える時間をいただけませんか」
「アンゼルム」
「シグムンド様のおっしゃりたいことは、分かります。分かっているつもりです。ですが、今の私にとって、黄都守護隊は……」
そこまで言いかけて、しかしその先は言葉が続かなかった。
今、胸の内にあるこの気持ちに名を与え、はっきりと形にしてしまったら、とても平静ではいられなくなる予感がしたからだ。するとシグムンドもそんなエリクの心中を察したのか、短く息をつくと「分かった」と低く告げた。
次いで腰かけに預けていた体を起こし、改めてこちらを顧みる。
「では取り急ぎ、グランサッソ城への早馬だけでも出すとしよう。君もそれについては異存はないな?」
「……はい、ありがとうございます。ガルテリオ様には──」
「案ずるな。あの方には私から文を出しておく。君は、今日のところはひとまず休暇を取りたまえ。今の状態では業務など手につかんだろう」
「ですが、今はただでさえ立て込んでいる上に急ぎの案件も……」
「そちらはスウェインたちに任せれば問題ないと言ったはずだ。代わりに君は、サバン殿を宿泊所まで送って差し上げなさい。彼も遠路を急いだあとで疲れていることだろう」
「い、いえ、シグムンド様。一介の商人ごときに、左様なお気遣いは……」
「貴殿の身分が何であろうと、我が副官のために何度も骨を折ってくれた恩人に対して礼を欠くのは士としてあるまじきことだ。何よりアンゼルムも太陽の村の近況など、他にも貴殿から伺いたいことが山とあるはず。ここは私の顔を立てると思って、どうか受けてもらいたい」
「あ……有り難きお言葉。では畏れながら、お言葉に甘えさせていただきます」
未だ床に膝をついたままのサバンはそう言うと、恐縮したように帽子を抱えて頭を下げた。実を言うと彼とシグムンドを直接引き合わせたのはこれが初めてだ。
いくらエリクの上官とはいえ、由緒正しき翼爵家の当主の前ではさすがに萎縮せざるを得なかったらしく、サバンはここまでずっと肩身が狭そうにしていた。が、シグムンドからねぎらいの言葉をかけられるや、終始強張っていた彼の表情がいくらか色を変えたように見えるのは、きっとエリクの気のせいではないだろう。
「よし。ではコーディ、サユキ。君たちは執務室へ戻り、引き続き業務を遂行してくれ。アンゼルムが不在では進められない案件があれば、そちらは一旦私かスウェインに預けるように」
「は、はい、畏まりました!」
「アンゼルム。答えは明朝まで待つ。今日のうちにじっくりと考えなさい」
「……はい。お気遣い感謝致します、シグムンド様」
顔を上げられないまま礼を述べれば、隣でシグムンドが頷いた気配があった。
かと思えば彼はほどなく立ち上がり、最後に一度だけ、ぽん、とエリクの肩に手を置き立ち去っていく。心配そうな顔色をしたコーディも、いつもどおりだが何か言いたげなサユキも、シグムンドに続いて部屋を出ていった。
あとに残されたのはうなだれたままのエリクとサバンのみだ。
「……では、参りましょうか、アンゼルム様」
そのサバンからそう声をかけられて、エリクはようやく気がついた。
ああ、そうか。シグムンドは彼を宿泊所まで送れと言っていたが、恐らく真の目的は自分を軍務から遠ざけながらも、ひとりにしないためだったのだろう、と。




