126.在りし日を偲ぶ
「ようジュード、あんたも久しぶりじゃん! 相変わらず眠そうな顔してんなー。今年はちょっとは真面目に働いた?」
「さあ……俺は……いつも……真面目なつもり……だけど……副官は、去年より、二回……多く、倒れたかな……」
「ハミルトン隊長。余所の部隊のアタシが言うのも何ですけど、ジュードのサボり癖、なんか年々ひどくなってません?」
「まあな。だが誰が何を言おうと改善しないんだから、もはや手の打ちようがないよな」
「それほどでも……」
「ジュード隊長。謙遜のお気持ちはご立派ですけど、残念ながら誰も褒めてませんよ」
というロッカの冷静な指摘を聞いて、彼女の隣に座った少女がアハハと笑った。
いや、違う。確かに彼女は身長三十四葉(一七〇センチ)ほどもある姉のロッカに比べると少女のように小柄だが、歳はジュードのひとつ下だというので、既に二十歳は過ぎているはずだ。けれども姉と同じ黒に近い茶髪を頭の後ろでひとつに結い、白い歯を見せて無邪気に笑っている姿は、やはり溌剌とした少女のように若々しく見える──第四軍所属の下級将校、ラッカ・アレグリア。
幼い頃に姉と二人でルエダ・デラ・ラソ列侯国から移住してきたという彼女は、まるで今よりずっと若い頃のロッカを見ているような印象の人物だった。
歳はロッカの八つ下だというから、年齢が離れていることは確かなようだ。
が、言動はロッカよりもさらにサッパリしていて、さらに不思議なことには、ルエダ訛りもロッカほど強くはないようだった。
ラッカの言葉の訛りはむしろ、トラモント訛りに近いと感じるほどだ。
「で、ラッカ。紹介が遅くなったけど、この方が黄都守護隊の副長のアンゼルムさん。あたしたちと同じ列侯国のご出身で、お母様がルエダ人だったんだって」
「へえ……! あ、はじめまして、アンゼルムさん。姉からもう聞いてると思いますけど、アタシがハミルトン隊長の元部下でジュードと同期のラッカです。階級は士長で、今はファーガス将軍の下で面倒を見てもらってます」
「ああ、こちらこそはじめまして。実は俺はつい最近までロッカ殿に妹さんがいることを知らなかったんだが、会えて嬉しいよ。ジュードとは軍学校時代からの付き合いなんだって?」
「ええ。アタシもこいつも同じ平民組だったんで、入学当初から一緒の学級で……おまけに正黄戦争に巻き込まれたおかげでしばらくつるむことにもなって、いつの間にやら腐れ縁ですよ。しかも気づけばこいつだけあっという間に昇進して、部隊長なんかになってやがるしさあ」
「それは……ラオス将軍の……判断、だから……俺に言われても……」
「けど、あんたがハミルトン隊長にくっついて黄都守護隊に入れたのは、元を辿ればアタシのおかげだろ。正黄戦争中、みんなで黄都を脱出したあと、運よくハミルトン隊長の部隊に拾ってもらえたのはアタシがお姉に掛け合ったからだもんな。ってことはあんたの異例の昇進も、半分くらいはアタシのおかげだと思うわけ。だとしたらアタシももうちょい感謝されてもいいはずだよなあ」
「そんなに言うなら……ラッカも、一緒に……守護隊に来ればよかったのに……」
「アタシは異動したお姉の分まで、父親代わりの将軍に恩返しするために残ったんだよ! ま、アタシにとっては昇進よりもそっちの方が大事なことだし?」
「じゃあ……別に……俺が、先に昇進しても……問題なくない……?」
「そうだけど、それはそれでなんかムカつくんだよなって話!」
「理不尽……」
と、ジュードは珍しく眉をひそめて呟いたものの、彼らにとってはいつものやりとりなのか、ハミルトンたちは仲裁もせずに笑っていた。
しかしジュードも、旧知の友の前ではあんな風に感情を見せることがあるのだなと思いながら、エリクはなつかしい故郷の香りがする黄黍酒に口をつける。
時刻はそろそろ翼神の刻(二十二時)を回る頃。先に客室へ戻ったハーマンやマティルダは既に床に就いたあとだろうが、エリクたちのいる談話室は今も明々と暖炉の火に照らされて、明るい空気が場をなごませていた。
しかしこうしてかつての部下と上官が揃ったところを見てみると、ファーガス率いる第四軍はやはり家族的なつながりが強いのだなと感じる。
実は昼間、各軍の将士を収容した兵舎を見回ったときにも感じたのだが、いかにも規律立った軍隊といった雰囲気の第五軍や第六軍に比べて、第四軍の将兵はみな気さくで人懐っこく、親しみやすい印象を受けた。それは別の見方をすれば、軍隊としての気迫や緊張感にやや欠けているとも言える。
が、そんな彼らもひとたび戦場に出れば歴戦の軍隊さながらの戦いぶりを見せるのだから、そのあたりも第四軍が〝幻惑の軍〟と呼ばれる所以なのだろう。
(何よりファーガス将軍はああ見えて厳格な実力主義者だ。能力さえあれば出自を問わず、誰にでも目をかけて下さる。だから平民出身で野心のある者は皆、第四軍に入りたがると聞くし……それでいて同じ平民出身者の多い第三軍ともまた違った雰囲気なのは、やはり統帥であるファーガス将軍の人柄と、国内でも比較的温暖なヴォリュプト地方の気候が影響してるんだろうな)
思えば西をハーマンの治めるオディオ地方、東をマティルダの治めるパウラ地方に挟まれ、さらに南の国境を接するのは黄皇国と友好な関係が続くルミジャフタ、北は不干渉条約を結んだ獣人居住区となると、第四軍のいるヴォリュプト地方は四方に外敵の脅威がない、実に平穏な地域と言える。
ゆえに将兵も平時にはのびのびと過ごせて、日夜シャムシール砂王国の動向を警戒していなければならない第三軍とは自然、毛色の違う軍隊になるのだろう。もっともファーガスほどの人材があえて平和なヴォリュプト地方に置かれているのは、ほとんど国の中心に位置するあの地の統治は、東西南北どこで乱が起きようとも迅速かつ臨機応変に対応できる人物でなければ任せられないからだと聞いているが。
「ちなみにこれは前々から気になっていたのですが……ロッカ殿は女性で、しかも他国からの移民となれば、国の徴兵の対象ではなかったはずですよね。ということは志願兵として自ら軍に入られたということになりますが、どうしてあえて軍人になることを選ばれたんですか?」
「えっ? あー、それは……」
ところがエリクがこの機に訊いてみようと温めていた質問を投げかけてみると、突然場の空気が変わった。入隊の動機を尋ねられたロッカは明らかに気まずそうな様子で目を泳がせるや、まずちらりとラッカを見やり、次いで助けを求めるような視線をハミルトンへと送る。するとその目配せに気づいたらしいハミルトンは眉を寄せて妙な顔つきをするや、おもむろに黄黍酒の入った酒瓶を手に取った。
そうして自らの杯へと手酌しながら言う。
「こいつは正黄戦争が起きるずっと前……ファーガス将軍や俺がまだグランサッソ城にいた頃に、国境を越えてきたばかりで行き場もなくふらふらしてたところを、俺が拾ってやったんだ。で、働き口を探してるならと城の女中の仕事を斡旋したんだが、そいつを蹴って軍人になりたいとか言い出しやがってな」
「えっ……ということは、ハミルトン殿とはそんなに古い付き合いなのですか」
「え、ええ、まあ……あの頃は本当に黄皇国に来たばかりで、右も左も分からなくて……ただ隊長に保護されてグランサッソ城へ連れていかれたとき、当たり前のように女性の兵士がいるのを見て驚いたんです。副長ならご存知だと思いますけど、列侯国じゃ女が武器を持って戦うなんて考えられないでしょ? で、それならあたしも兵士になって、自分の身は自分で守れるようになりたいと思って……当時はまだラッカも小さかったし、なおさら力がほしかったんです」
「んで、本人がどうしてもと意地張って聞かないもんだから、仕方なくファーガス将軍に相談したら、そういうことならお前の隊で面倒を見てやれと押しつけられてな。ま、当時将軍はまだワーグマン将軍配下の一将校で、グランサッソ城も今の第四軍みたいな雰囲気じゃあなかったから、同じ平民出の俺のところに回されたのはしょうがなかったんだが……」
「ハハハ、そうだな。あの頃のグランサッソ城は魔境だった。何せ真帝派──当時はまだ皇太子派と呼ばれていたが──の貴族と偽帝派の貴族が互いに足を引っ張り合って、国境の防衛どころではなかったのだ。ま、おかげでガルはちゃっかり嫁を見つけて、ああして所帯を持てたわけだが」
「そうなのですか?」
「ああ。あいつの女房……アンジェが暮らしていた砂漠の民の集落が官軍によって滅ぼされたのも、ちょうどそこの姉妹が城に来たばかりの頃だった。あのときガルは、当時まだ皇太子だったオルランド陛下から密命を受けて、シグと共に国境の内偵に来ていたのだ。陛下は事件が起きる前から偽帝派の怪しい動きに気がついていて、やつらのもくろみを未然に阻止すべくガルを遣わされたのだな」
「もくろみ……というのは、当時の第三軍が〝砂漠の民は砂王国と通じている〟と言いがかりをつけて、彼らとの不可侵条約を一方的に破ったという?」
「おう、そうそう、それだ。連中はその計画を実行に移すためにもっともらしい理由をつけて、真帝派の俺たちがマクランス要塞から動けんように仕向けてきてな。おかげでワーグマン先生も俺もやつらの動きに気づくのが遅れたのだ。で、代わりにガルとシグとが動いてくれたわけだが、結局偽帝派の暴走は止められず……」
「まあ、ですがあのときはガルテリオ将軍もシグムンド将軍も相当やばかったですからね。おふたりがご無事だっただけでも幸運だったと思いますよ、俺は」
「将軍たちが〝やばかった〟って?」
「偽帝派の連中は当時から陛下の腹心だった将軍たちを煙たがってて、事件のごたごたついでにまとめて始末しようとしたんだよ。んで、あのふたりも砂王国側に寝返ったとか何とか言って謀反の罪を着せたと思ったら、あっという間に牢屋にぶち込んで処刑の手筈を整えやがってな」
「そんなことがあったんですか?」
「ああ。で、間一髪のところで俺とアンジェが手を組んであいつらを脱獄させたわけだが、あれがうまくいってなきゃ俺たちは、三人仲良くグランサッソ城の城門に首を並べられてただろうさ。今になって思い返してみると、我ながらとんだ無茶をしたもんだと呆れるがな。トリエの策がなければ今頃どうなっていたことか、考えたくもない」
「トリエ……というのは?」
「ん? ああ、そうか……お前たちは知らなくて当然か。トリエというのは、トリエステ・オーロリー──最近巷を騒がせているフィロメーナ・オーロリーの、腹違いの姉だ」
「えっ……」
「トリエは当時、ガルたちが国境へ行く理由を偽装するためにエルネストがつけた軍師見習いでな。まだ十歳の子供だったにもかかわらず、本物の戦場を見て学んでこいと黄都から送り出されたんだ。で、ガルたちはトリエの護衛という名目でイーラ地方に入ることができたわけだが、まさかその子供が考え出した策に救われるとは夢にも思わなかっただろうな。世が世ならあの娘は間違いなくオーロリー家の次期当主になっていた……まったく惜しい人材を亡くしたもんだ」
そう言って杯を傾けながら、ファーガスはどこか遠い目で赤く燃える暖炉の火を見つめていた。彼の口振りから察するに、フィロメーナの異母姉だという〝トリエステ〟なる人物は既に故人だということだろうか?
だがフィロメーナに姉がいたなどという話は初耳で、エリクは軽く動揺した。
まさか彼女が最愛の夫だけでなく、姉をも過去に亡くしていたとは……。
たった十歳にして窮地に陥ったガルテリオたちを救ったという逸話を聞くだけでも天賦の才を持っていたことが窺えるし、叶うことならエリクもぜひ一度会ってみたかった。が、そんな感傷に浸っている間にもファーガスはじっと暖炉の中の炎を見つめて、ほとんど独白のように言う。
「トリエだけじゃない。アンジェもラオス将軍もギディオン将軍もアレッシオもコンラートも……かつて志を同じくした者たちが、もうずいぶん逝ってしまった。ギディオン将軍はまだどこかでご健在やもしれんが、すべての身分を捨てていかれた以上、この国ではもはや死んだも同然だ。やはり時代は変わったな……」
「ファーガス将軍……」
「……いや、すまん。どうやらさすがに酔ったようだ。少し外の風でも浴びてくるか。おい、アンゼルム」
「はい」
「悪いがちょっと付き合え。ハミルトン、お前らは気にせず好きにしていろ。せっかくラッカが合流したのだ、アンゼルムの故郷の酒でも飲ませてやるといい」
「え? でも、アンゼルムさんの故郷ってルエダ・デラ・ラソ列侯国なんじゃ?」
「生まれはね。だけどうちの副長はすんごい経歴の持ち主なの。あたしもさっき、他の将軍方との宴の席で聞いたんだけどね……」
と、ロッカがまるで自分のことのように得意気に話し出したのを聞いて、エリクは苦笑しながら立ち上がった。そうして露台へと出ていくファーガスを追い、自らも硝子戸をくぐる。しかしこの状況でファーガスに呼ばれたのが自分というのは、何だか妙な取り合わせだ。エリクはファーガスの直接の部下でもなければ、さして互いを知っているわけでもない。
確かに彼は上官の親友で、他の将軍たちよりは親しみを感じているが、ガルテリオやシグムンドほど交流があるかと言われればそうでもないのだ。何しろ互いに任地が離れているから、交流を深めたくともなかなか機会に恵まれない。
そういう事情もあって今夜はせっかくならと彼の誘いに乗ったものの、まさかひとりだけ呼び出されるとは思ってもみなかった。
一体何の話をされるのかと身構えながら外に出てみれば、キンと冴えた冬の風が満月から吹きつけて、すっかり温まっていたはずの体をぶるりと震わせる。
「あの、ファーガス将軍」
「ん?」
「先程、二次会に私を招いて下さったのは故郷の品を渡すためだとおっしゃっていましたが……ひょっとして他にも何かご用でしたか?」
「話が早くて助かるな、お前は。さすがはあの臍曲がりが見込んだ男だ。扉を」
「え?」
「悪いが、そこの扉をしっかり閉めてもらえるか。何、長くはかからん。外はこの寒さだ。あまり長居をしてはふたり揃って風邪をひく」
そんなことになればまたシグにどんな厭味を言われるか分からんからな、と付け足して苦い顔をするファーガスにも苦笑しつつ、エリクは言われたとおり、たったいま自分が出てきた硝子戸をしっかりと閉じた。彼は口には出さないが、ハミルトンたちに聞かれては困る話だ、ということだろうか。
だとすればますます何の話か見当もつかないと思いながら、エリクはファーガスが目を向けている庭園を見渡した。迎賓館には客人の目を愉しませるための小さな前庭があるのだが、冬季はさすがに花をつける植物もなく、ただ形を整えられた植木だけが寂しげに佇んでいる。そういう味気も何もない庭に目をやって、ファーガスは談話室から持ち出してきた杯をなおも口に運んでいた。
「この城にはもう慣れたか?」
「ええ……おかげさまで。私もここに来てもうすぐ丸二年になりますから、今ではスッドスクード城をほとんど我が家のように感じています。他の城はグランサッソ城くらいしか知りませんが、いい城ですよ」
「だろうな。ラオス将軍が直々に人を集め、手を入れて築いた城だ。あの爺さんに俺のかわいい部下たちをごっそり引き抜かれたときはさすがに応えたが、ハミルトンもロッカもジュードもここの水に馴染んでうまくやっているようだ。隊長がシグに代わったあとも、特に問題はないようだしな」
「はい。部隊長たちの関係に若干の軋轢があることは否めませんが、隊を維持できないほど深刻なものではありませんし、この二年でシグムンド様との信頼関係も着実に築けたと思います。ただシグムンド様がああいうご性格ですので、ファーガス将軍ほど部下と近しくはありませんが……」
「フフ、そうか? あいつもお前のことはかなり買っているように見えるがな」
「そうだといいのですが、さっきラッカが将軍を〝父親代わり〟と言っていたのを聞いて、シグムンド様とファーガス将軍とでは部下との関わり方が根本的に違うのだと思いましたよ。シグムンド様はやはり貴族社会でお生まれになったお方だからか、上下関係に重きを置かれていて、どれだけ部下と近しくなろうとも、上官としての最後の一線は厳格に守っておられる節があるように思います」
「まあ、そういうやつだろうな、あいつは。上下関係に限らず、いつも他人との間には一線を引いていて、滅多なことでは内側に踏み込ませない。だがそれも軍人として見れば正しい在り方だ。いずれ戦場で部下に〝死ね〟と命じなければならんとき、あいつが守り続けた一線は大きな意味を持つ。命じる方にとっても、命じられる方にとってもな」
「……」
「その点で言えば、俺みたいなのは軍人として邪道なのかもしれん。どうも軍という場所は居心地がよすぎてな。ついつい部下どもを甘やかしてしまう」
「……いえ、私にも何となく分かります。ですがだからこそ、国から漂う腐臭に耐え難さを感じてしまうのもまた事実で……」
「うむ。中央からほど遠いヴォリュプト地方にいる俺でさえそう感じるのだ。黄都のジジイどもと年がら年中やり合わねばならんお前たちの苦労がいかばかりかは、察するに余りある。俺も第三軍にいた頃は辟易したもんだ。例の事件があって、国境から偽帝派が一掃されたあとはしばらく快適だったが、しかしただ〝祖国を守りたい〟という思いひとつ貫くのが、こんなにも難儀なことだとはな」
ため息と共に吐き出されたファーガスの嘆きは、月夜の下でほうっと微か白く染まった。エリクがこの国へ来るよりずっと以前から、祖国を守るべく戦ってきた彼の──否、彼らの言葉は、やはり重い。何しろ今をときめく将軍たちも、その栄光の陰では多くの仲間や部下を失い、今なお彼らの屍の上に立っていると言っても過言ではないのだ。そうまでして守り続けてきた国が内から崩れ落ちてゆくのを、ただただ眺めていることしかできない口惜しさ……。
それを思うとエリクは己の無力さに打ちのめされるようだった。かつて大陸の内外から『黄金の国』と誉めそやされたトラモント黄皇国をもう一度取り戻したい。
そう願って日々戦い続けているとはいえ、エリクたちの挑戦は国が腐りゆく速度にまったく追いつけていない。そう思わずにはいられないのだ。だとしてもできることから一歩ずつ、確実に進んでいくしかないことは分かっているつもりだが、やはり歯痒い。自分にもっと力があればと願わずにはいられない。
「いや、だがな……若い頃からの名残で、今もつい上の連中を〝ジジイども〟などと呼ばわっちまうが、かく言う俺も今や立派なジジイの仲間入りだ。気持ちの上ではまだまだ若いつもりでも、体の老いばかりはどうにもならん。『三鬼将』の爺さんたちを見習って、できる限り長生きしたいとは思ってるが、なんせこのご時世だしな。いつどこで天命が尽きるかは、俺にも分からん」
「ファーガス将軍、それは──」
「まあ、聞け。何もこれは俺に限った話ではない。俺が老いたということは、ガルもシグも等しく老いたということだ。ゆえに俺たちは、ここから先の時代をお前らのような若い世代に託していかねばならん。そのためなら残りの命を使って、どんな露払いも請け負うつもりではいるが……念のためにな。俺が役目をまっとうできず斃れたときに備えて、お前に頼んでおきたいことがあるのだ」
「私に……ですか?」
珍しく真面目な顔をしたファーガスからそう言われ、エリクは目を丸くした。
体ごとこちらへ向き直り、欄干に凭れかかったファーガスは姿勢こそくつろいでいるものの、眼差しは本気だと告げている。
しかし何故、彼のかつての部下であるハミルトンでもジュードでもなく自分なのか、理由が分からずエリクは束の間混乱した。するとファーガスもそんなエリクの胸中を見透かしたように、口髭をわずか綻ばせて言う。
「何、そう不安そうな顔をするな。お前はあのシグが認めた数少ない男だ。だから俺も、お前にならば話しておいて損はないだろうと思ったに過ぎん」
「……信頼しておられる、のですね。シグムンド様を」
「認めるのは癪だがな。俺は曲がりなりにも商家の息子として、物を見る目はあるが人を見る目にはあまり自信がない。人間を相手にするとどうしても好悪の情が先に立ってしまって、なかなか本質にまで目を向けられんのだ。その点、シグは常によく人を見る」
「ですが将軍が部下として見出だされたハミルトン殿やジュードは、今や立派な軍人として巣立っているではありませんか」
「まあな。だがハミルトンは俺に似すぎたし、ジュードも将校までは務まっても、一軍の将にとなると難しい。俺はあいつらを、本当の意味での〝軍人〟には育ててやれなかったのかもしれん」
「将軍……」
「ま、行く宛もなく路頭に迷っていたあいつらに居場所を与えてやれたのはよかったと思っているがな。しかし俺が心配なのは、ハミルトンやジュードよりもロッカのやつだ。アンゼルム、お前、気づいたか?」
「はい?」
「さっきハーマンやマティルダと食事をしたときのことだ。俺とハミルトンでそれとなく話題を逸らしたから、分かりにくかったかもしれんが……お前たちがシャムシール砂王国について話している間、ロッカが妙に大人しかっただろう?」
「そう……でしたか? 俺はてっきり、将軍方のお話に聞き入っておられるものとばかり……」
「いや、そうではない。さっき、ハミルトンのやつは何も知らないラッカを慮って濁していたが、ロッカがこの国へやってきたのはな。そもそも自分の意思ではなかったのだ」
「え?」
「あの姉妹は二十年前、列侯国を襲った飢饉のさなかに、祖国に騙されて砂王国に売られたんだよ。もちろん砂王国人の奴隷としてな」
瞬間、ファーガスの口から紡がれた思いもよらない真実に、エリクは図らずも息を呑んだ。二十年前、ルエダ・デラ・ラソ列侯国を襲った飢饉──
それは他でもないエリクの父のヒーゼルが、トゥルエノ義勇軍と共に立ち上がった理由のひとつでもあったためだ。




