122.魔追い役選抜戦
というわけで、今年の年末年始はシグムンドも黄都へ帰らないことになった。
いや、何が〝というわけ〟なのかは正直なところ、エリクにもよく分からない。
ただエリクが例の見合い話を断る手紙を書いてからというもの、シグムンドは、
「多忙を口実に問題を先送りしたからには、私も当面の間それらしく振る舞わねばなるまい。でないとあの晶爵は性懲りもなく言い寄ってくるであろうからな」
と妙に張り切り出し、ついには〝近頃活発化しつつある反乱勢力への備え〟という名目で、毎年参加していたはずの年始行事も欠席すると言い出したわけだ。
話を聞いたスウェインなどは何もそこまで徹底されなくてもと呆れていたが、シグムンドも例の見合い話には相当悩まされていたということだろう。加えて恩師であり上官でもあるオズワルドの仲介を無下にしたわけだから、黄都で顔を合わせるなりまたこってり絞られては堪らないと思ったのかもしれない。
が、国中の黄臣が新年を祝うべく集まる席に参加しないということは、遠方から遥々帰省するガルテリオらにも会えないということだ。いくら頻繁に文でやりとりしているとはいえ、実際に会うのと会わないのとではわけが違うだろう。
エリクはもともと、今年は毎年城に留まるハミルトンやジュード、キムと共に残ろうと思っていたから別にいい。だがシグムンドには主人の帰りを待つ屋敷の使用人たちもいることだし、やはり帰省された方がよろしいのではと勧めたものの、
「たまには屋敷の者たちにも、主人のいない六聖日を自由に満喫させてやってもいいだろう。ガルテリオ様とお会いできないのはいささか心残りだが、まあ、別に六聖日でなければ会えないということもない。来年、あの方が所用で黄都に戻られることがあれば、そのときご挨拶に上がるとするさ。何より二ヶ月近くも黄都に拘束されて、やれ夜会だ会議だと面倒ごとに振り回されずに済むのなら、それに越したことはないからな」
などと得意の理屈を捏ねて、シグムンドは結局首を縦に振ろうとはしなかった。
ひょっとすると黄都へ帰りたがらない一番の理由はサボりなのでは? と疑いたくなる程度には頑なに。
「まあ、いいんじゃないか、たまにはそういう年があってもよ。反乱軍や魔物が好き勝手暴れ回ってるせいで領内が不穏なのは事実だし、いくら将軍だって、毎年黄都のジジイどもの脂ぎった面を拝みながら新年を祝わされてりゃ嫌気も射すさ。今年は本隊が城に留まるおかげで俺らの部隊が多めに休暇をもらえるってんで、部下どもも喜んでるし」
「とか何とか言って、隊長は将軍が直々に新年の宴を開いて下さるって言葉に釣られただけでしょ? 酒が飲めれば何でもいい、が隊長のモットーですもんね」
「いいや、違うぞ、ロッカ。俺は酒さえ飲めりゃあいいなんて単純な男じゃない。うまい酒といい女、どっちも揃って初めて文句なしだ」
「ドヤ顔でしょうもないこと言いながらかっこつけるのやめてもらえます?」
「でも……クラエスは、ほんとに……実家に……顔……出さなくていいの……? 妹とか……婚約者とか……クラエスに会えるの……楽しみにしてるんじゃ……?」
「ええ……まあ、そうなのですが、今年は例の贈収賄疑惑のほとぼりがまだ冷めていないので、黄都へは帰らない方がいいと兄から連絡がありまして」
「兄上……というと、長兄のアダム殿か?」
「いえ、エグレッタ城にいる四番目の兄です。かく言う兄も今年は黄都には帰らないと言っていたので、私も城で大人しくしていようかと……」
「く、クラエス副隊長のご実家は今まさに、騒動の中心ですからね……胸中お察し致します」
「ははは、ありがとう。そう言うコーディ君もまだお父上や兄上方と色々あるみたいだし、お互い苦労するねえ」
「え、ええ、本当に……ははははは……」
と、コーディとクラエスが肩を並べて苦笑してみせたのは、スッドスクード城北側の城壁の上。そこで胸壁代わりの矢狭間に肘を預けながら、ふたりの会話を何気なく聞いていたエリクは、以前黄都で聞いたハインツの苦労話といい、シグムンドに降りかかった例の見合い話といい、貴族には貴族の悩みがついて回るのだなと改めて考えさせられた──が、それにしても、寒い。
地表からの高さが二枝(十メートル)近いスッドスクード城の城壁は、壁上に上がるとびゅうびゅう音を立てながら凄絶な寒風が吹きつけてきてとても寒い。
厚手の外套に襟巻きまでつけて、完全防寒の体でいるにもかかわらずだ。
今日は雪が降っていないだけマシだと思ったんだけどな……と、体の芯まで冷えるのを感じて身震いしながら、エリクはなおも怒号轟く壁下を見下ろした。
そうして見やった先では総勢三百名ほどの黄都守護隊の兵士たちが、鬼のような形相で激しい取っ組み合いを繰り広げている。と言っても調練のような得物を所持しての衝突ではなく、全員が素手で相手と組み合ったり、投げ飛ばしたり、足払いをかけたりと体術の限りを尽くした闘争を開始してから早一刻(一時間)。
しかし戦力は拮抗しており、これはまだまだ決着がつきそうにないなと、エリクは凍えながら腕を摩って苦笑した。
実は眼下にいる彼らは黄都守護隊を構成する六つの部隊から五十名ずつ選び抜かれた精鋭たちで、目下互いの隊旗を狙い、熾烈な肉弾戦を展開しているのだ。
だが一体何のために戦っているのかと言えば、答えは単純明快。
彼らは三日後に迫った境神の月、境神の日──すなわち魔追いの日に、魔物役をやらされるのはどの部隊かという命運を懸けて死闘を繰り広げているのだ。
「おい、てめえら、もっと腰を入れて防衛しろ! 三年連続で負けたりしたらタダじゃおかねえからな!」
と少し離れたところで同じように勝負を見守りながら、ブレントの隣でセドリックが声を荒らげている。相も変わらず由緒正しき詩爵家の生まれとは思えないほど荒っぽく、兄のハインツとは似ても似つかない暴言を連発しているが、まあ、それも今日ばかりは仕方がない。というのも普段は馬上での訓練ばかり受けている第二部隊は歩兵としては練度が低く、ゆえに他部隊からの集中攻撃に晒されて、昨年も一昨年もこの『魔追い役選抜戦』に敗れているのだ。
ちなみに負けるとどうなるのかというと、三日後の祭日である魔追いの日に、木枯らし吹き荒ぶ寒空の下、冷水を浴びせかけられた上に容赦なく城から叩き出される。その拷問のような大役を引き受けたくないがために、彼らはああして血眼になり、何とか他の部隊を出し抜いてやろうとしているわけだ。
「はあ……しかし今や隊の伝統行事となりつつあるとはいえ、ラオス将軍もよくこんな手法を思いつきましたね。魔追いの日の儀式でウィンベリーをぶつけるのではなく、キンキンに冷えた水を浴びせると脅して兵たちを奮起させるとは……」
「ああ、いかにもあの鬼将軍らしい発想だろ。そうして部隊同士を戦り合わせりゃいい訓練になるし、戦術を考える頭も鍛えられるし、部隊の結束も高まるしで一石三鳥だとか言って笑ってやがったけどさ。ありゃどの部隊が負けたところで自分には何の被害も及ばないからこそできた悪魔の所業だと思うぜ、俺は」
「では今年からは、本隊が負けたら俺だけでなくシグムンド様にも水を被っていただくことにしますか?」
「あははははっ、そんなことになったら本隊からは選抜戦に立候補する有志がいなくなっちゃいますよ? 万が一にも負けたりしたら、魔物役を押しつけられるよりもおっかない目に遭わされるって」
「だからいいんじゃありませんか。そうすれば本隊の兵もより本気になって、死兵のごとき力を発揮してくれそうですし」
「なるほど。つまりそいつも本隊の勝率を上げるための──ひいては自分の身を守るための策ってわけか。さすが副長殿は腹黒いねえ」
「戦略家だと言って下さい」
とエリクがハミルトンに言い返せば、コーディやロッカが可笑しそうに笑った。
魔追いの日とは本来、二十二大神のひと柱にして世界の境界を守る神パトゥアの加護を願い、魔物や穢れ、厄を魔界へ追い払うという祭日だ。
一般的には美しい青色の木の実であるウィンベリーを聖なる神の血に見立て、それを魔物役となる人や物や動物にぶつけて、家や集落の境界から外へ追い出すという儀式がこの日の願掛けになっている。
が、そこを敢えてウィンベリーではなく、青く染色した色水で代用しようと言い出したのが先代守護隊長のラオスであったらしい。理由はハミルトンが前述したとおり。加えて儀式用に大量のウィンベリーを買いつけるより、少量あればこと足りる青の染料を使った方が安上がりだという事情もあったとかなかったとか。
おかげで各部隊の代表たちは仲間の期待と声援を一身に背負い、勝てば称讃、負ければ罵詈雑言の嵐が待ち受ける戦いへと毎年身を投じることになるのだった。
ちなみに選抜戦の内容は六つの部隊が入り乱れる六つ巴の戦いとなっており、自隊の隊旗を真っ先に奪われた部隊が負けとなる。さらに勝負は全員素手で行われるが、相手を殴ったり蹴り飛ばしたりするのは厳禁、神術も禁止、されど他隊と協力したり策略を巡らせたりするのは許容されるといったルールもあり、実を言うと毎年この時期限定の娯楽のような側面も持ち合わせていた。
現に領民まで見物にやってくる聖戦大会ほど大規模なものではないものの、試合中は城外に人が集まり、思い思いの声援や歓声を上げている。
出場者の応援にやってきた将兵や観戦に来た城の文官、ほとばしる男たちの汗に黄色い声を上げてはしゃぐ女中たちにとってみれば、娯楽の少ない城の中での貴重な楽しみのひとつなのだ。
「あ。しかしシグムンド将軍と言えば、アンゼルム。お前も聞いたか? もうすぐ黄都を目指す第四軍がうちの城に到着しそうだって話」
「ああ、ええ、一応小耳には挟みました。シグムンド様のご親友であるファーガス将軍の軍ですからね。魔追いの日の準備と平行して、第四軍を迎える支度もしっかり整えなければと話し合っていたところで……」
「いや、それがよ。何でも今朝そのファーガス将軍から使いがあって、別段示し合わせたわけでもないのに、同じく上洛中の第五軍、第六軍と途中で合流しちまったんだとさ。で、どうせ通り道は一緒だから、三軍揃ってしばらくスッドスクード城で世話になる、よろしく、って伝言があったとかなかったとか」
「ええっ、そ、そうなのですか、アンゼルム様!?」
「いや、俺も聞いてない……サユキは?」
「聞いていれば真っ先に伝えている。私たちは朝から選抜戦の準備に追われていたから、ちょうど執務室をはずしている最中に連絡があったということだろう」
と、なおも眼下の戦いの行方を見下ろしながら、サユキは涼しい顔でそう答えたが、エリクはまったく予期していなかった知らせにたちまち頭が痛くなった。何せ黄皇国の南部一帯をそれぞれに治める中央軍が、三つも同時に来城するのだ。
まあ、彼らはあくまで黄都を目指す通り道としてスッドスクード城を通過するだけだから、そう長く城に留まるわけではない。が、遠方からの行軍と冬の寒さで疲労している将兵を、しばし安全な城の中で休ませる必要はある。
よってエリクたちも彼らを迎え、二、三日のあいだ城に逗留させる用意は進めていたのだが、まさか三つの軍に同時に来られるとは思ってもみなかった。
この時期はエリクも毎年シグムンドに伴われて黄都へ向かっていたから、彼らを迎える支度はいつも城に残るハミルトンらに任せきりにしていたのも大きい。
だからいまいち勝手が分からず、実を言うと必要な物品の買いつけやら収容場所の確保やらで、先日からずっとバタついているのだ。
「ハミルトン殿……こういう事例は以前にもありましたか?」
「いや、三つの軍が間を置かず立て続けに来るってことはあったが、同時にってのはさすがに初めてだな。そのせいかシグムンド将軍も渋い顔して、ファーガス将軍が仕組んだ嫌がらせじゃないかってボヤいてたぜ」
「あ、あのおふたりって、顔を会わせるたびに啀み合っていらっしゃいますけど、本当にご親友なんですよね……?」
「まあ、親友だっつってんのは主にガルテリオ将軍で、ファーガス将軍の方は昔から〝ただの腐れ縁だ〟って言い張ってるけどな」
「けど今回ハーマン将軍やマティルダ将軍と合流しちゃったのは本当にたまたまみたいですよ? あたしも今朝、ファーガス将軍のとこにいる妹から手紙を受け取ったんですけど、やっぱり向こうも反乱軍が蜂起してから領内が不穏で、将軍が不在の間の諸々を調整してたら出発が遅くなったって……で、例年よりも上洛の日程がズレ込んで、他軍とばったり会っちゃったってことみたいです」
「えっ。と、というかロッカ副隊長、妹さんがいらっしゃったんですか? しかも第四軍に?」
「あれ、言ってなかったっけ? まあ、妹の方はまだ下級将校で、軍でもほとんど名前が売れてないしね。でも一応黄都の軍学校も卒業してるのよ。そこのジュード隊長と一緒に」
「え!?」
「うん……ラッカは、学校の同期生……だったから……正黄戦争のときも……一緒に……黄都から脱走した……〝マブダチ〟……? っていうやつ……らしい……」
「どうして疑問形なんです? ラッカ士長はご友人らしいご友人がほとんどいらっしゃらないジュード隊長が、珍しく何年も親しくされている方じゃありませんか」
「そうだけど……マブダチ……? っていうの……俺……よく分かんないし……」
「ですがそれなら今年は我々もロッカ殿の妹さんにお会いできそうですね。ファーガス将軍からの知らせと一緒に手紙が届いたということは、そのラッカ殿も上洛の軍に同行されているということですよね?」
「ええ。ほら、あたしももともと第四軍の出身なんで、将軍のご厚意であの子も毎年上洛のお供をさせてもらってるんですよ。そうすれば年に一度はお互いの顔を見れるからって……なので第四軍が城に到着したら、副長たちにもぜひ妹を紹介させていただきますね」
そう言って嬉しそうに笑ったロッカは、エリクも初めて見る姉の顔をしていた。
普段はどちらかと言うとだらしのない兄に振り回されるしっかり者の妹という感が拭えない彼女にも、こんな一面があったのかと内心意外な思いがする。が、思えばそもそもロッカは何故、姉妹揃ってトラモント黄皇国で軍人をやっているのだろう。彼女の訛りはどこからどう聞いてもルエダ・デラ・ラソ列侯国のそれだ。
エリクも幼少期を列侯国で過ごしたために多少訛りが残っていて、入隊から間もない頃、ロッカに「副長ってもしかして列侯国のご出身ですか?」と尋ねられたことがあった。そのときに彼女も生粋のルエダ人だと知って意気投合したのだが、そういえば黄皇国軍に入った詳しい経緯までは聞いていない。
本人から聞き出せたのは、列侯国での暮らしに困窮して『黄金の国』と謳われるほど豊かな黄皇国へ移住してきた、という簡単な来歴だけだ。
だがルエダ・デラ・ラソ列侯国では、女が武器を取るという風習はまずない。
トラモント紳士たちの擁護によって女性の地位がある程度約束されたトラモント黄皇国とは裏腹に、列侯国では女の身分は著しく低いのだ。
ゆえに貴族の娘であっても、女に生まれたからには自由などない。親が定めた相手と結婚し、貞淑と家を守り、ひとりでも多くの子を生んで、夫となった相手には生涯服従を誓うこと。それがルエダ人の女に課せられた絶対的な使命だ。
だから女が武器を取って戦うなどということは、かの国の常識と倫理に照らしてありえない。が、母がそういう列侯国の息苦しさを嫌って異邦人の父と結ばれることを望んだ過去を知っているだけに、かの国で生まれ育ったはずのロッカが何故軍に身を置いているのか、エリクは改めて気になった。
しかしせっかくならこの機に尋ねてみようか、と思ったところで、
「──はあ!? おい、ジュード、どうなってる!? お前の隊がうちの隊を攻撃し出したぞ!?」
と、にわかに矢狭間から身を乗り出したハミルトンが悲鳴じみた声を上げ、エリクも再び眼下へ目をやった。すると先程まで第三部隊と協力して第二部隊を攻めていたはずの第四部隊が、気づけば第三部隊の背後へ回り、強襲をかけている。
いかにも奇襲や夜襲など、変幻自在の戦いを得意とする第四部隊らしい動きだ。
それを見ていよいよ始まったか、と察したエリクが胸壁に腕を預けると同時に、第二、第三、第四部隊の混戦から少し離れたところで、本隊と共に第五部隊を押さえていたブレント配下の第一部隊が突然、反転した。
「ちょ……ちょっと、隊長!? 今度は第一部隊が──」
「よっしゃあ! てめえら、そのまま脳筋どもをぶちのめせ!」
かと思えばロッカの悲鳴を遮って、向こうでセドリックが喚き出す。彼の号令を聞いてか聞かずか、さっきまで第三、第四部隊の猛攻に押されまくっていた第二部隊が一気に気勢を盛り返し、反転してきた第一部隊と共に第三部隊へ殺到した。
つまりハミルトン麾下の第三部隊は現在第一、第二、第四部隊に三方から攻められている状態だ。一方、事前にブレントと手を組んで、毎年無差別に狙った部隊を潰滅させる第五部隊──彼らはあまりの強さと冷酷さからこの時期、隊内で『死の嵐』の異名を取る──を食い止める手筈となっていた本隊は、唐突に彼らの前に置き去りにされ、一対一で嵐に挑まねばならない状況に追い込まれていた。
これはかなり分が悪い戦いだ。何しろ黄都守護隊内最強の名を恣にするキムに日夜鍛え上げられている第五部隊は、たとえ得物を取り上げられようと、白兵戦での強さはやはり頭ひとつ抜けている。よって今の本隊は、血に飢えた獅子の眼前に放られたか弱き仔兎も同然だ。が、エリクは動じない。
何故なら第一部隊の裏切りは、戦いの前から既に予期されていたからだ。
「おい、ブレントの旦那、こりゃ一体どういうことだよ!? なんであんたまでセドリックの野郎と一緒になって……!」
「すまぬ、ハミルトン……なれど将たる者、勝利のためにはときに清濁併せ飲むことも必要なのだ」
「いやなんかかっこつけて誤魔化そうとしてるだろ!?」
「残念ですが、ハミルトン殿。ブレント殿はセドリック殿に買収されました」
「何!?」
「三年連続での敗北を回避すべく、セドリック殿が詩爵家の財力にものを言わせて個人契約している牧場から、優良な軍馬を第一部隊に融通するという条件で我々を裏切るよう持ちかけたんです」
「そ、そんな……! でも副長はどうしてそのことを……!?」
「サユキに密偵させて掴みました」
「職権乱用!?」
「で、第一部隊に途中で裏切られては、いかな本隊と言えども第五部隊を相手に単独で踏み留まるのは厳しいので……」
「じゃあ、いっそ……俺たちも……ハミルトンを、裏切って……本隊が、倒される前に……第三部隊を潰そう……って……なったんだよね……」
「お・ま・え・らあああああああ!!」
というハミルトンの怒号が谺する間にも、三つの部隊に囲まれた第三部隊はみるみる追い詰められ、ここからの巻き返しはもはや不可能と思われた。
最初に第二部隊を討つための共闘を持ちかけてきてくれたハミルトンには申し訳なく思うが、かのエディアエル兵書に曰く『兵は詭道なり』だ。
何よりエリクには本隊の指揮官として、大切な部下たちを極寒の空の下、容赦なく冷や水を浴びせかけられるという不幸から守る義務がある。そう、これはあくまで部下たちのために取った苦肉の策であって、こんな真冬に濡れ鼠にさせられるなんてまっぴらごめんだ、という保身から出たものではない。断じて。
「おい、ジュード! アンゼルムはともかくとしても、お前まで何あっさり寝返ってんだ! 正黄戦争のとき、ボロボロになって逃げ込んできたお前らを誰が救ってやったと思ってんだ!?」
「それは……今でも感謝……してるけど……でも、今回は……アンゼルムが……協力したら……手料理……ご馳走してくれる、って……言うから……」
「そ、そういえば、ジュード隊長……以前、周りがバタバタ倒れていく中でおひとりだけ、アンゼルム様が調理された謎の物体を〝おいしい〟と言って完食されていらっしゃいましたよね……」
「うん……アンゼルムの……作る、料理は……食べると……舌がピリピリして……毒草……みたいな風味もあって……おいしいよ……?」
「こんのバカ舌どもがあああああ!」
せっかく自分の料理をおいしいと言ってくれているのに〝バカ舌〟とは失敬な、とエリクは内心憮然としたが、そうこうするうち壁下ではいよいよ『魔追い役選抜戦』の決着がつこうとしていた。ハミルトンが選りすぐった第三部隊の精鋭たちは次々と旗の周囲から引き剥がされ、ついに彼らの旗へ敵兵の手が届く。
最終的に第三部隊の隊旗を奪ったのは、連敗阻止の宿願を掲げた第二部隊の兵士だった。それを試合会場で見届けたシグムンドが「そこまで」と声を上げれば、第二部隊の将士がわっと沸き立ち、泣きながら抱擁を交わし合う。
彼らのあの反応を見るに、やはり真冬に城中の人間から追い回され、冷や水を浴びせられるというのはよほどの苦行であったようだ。今年はそんな苦しみを背負わなくていいのだという第二部隊の喜びが、壁上にもひしひしと伝わってくる。
が、彼らの喝采するさまを見下ろして「チッ」と舌を鳴らしたのは、面白くなさそうな顔をしたサユキだった。
「本隊が無事に旗を守り切れたのはいいが、聖戦大会に続いてまた第二部隊の勝利か。気に食わないな」
「まあそう言うな、サユキ。今回の選抜戦は勝ち負けよりも、貧乏籤を引かないことが最重要課題だった。その課題が達成できたんだから、今は素直に喜ぼうじゃないか。というわけでハミルトン殿、今年の魔物役はどうぞよろしくお願いします」
「お前ら……あとで覚えてろよ……」
と恨みがましい声色で答えたハミルトンはしかし、力なく胸壁に突っ伏し、既に悲壮な覚悟を決めている様子だった。他方、秘密協定により無事苦行の回避に成功したエリクとジュードは顔を見合わせて頷き、互いの健闘を讃えて掲げた手と手を叩き合う。かくして迎えた魔追いの日、スッドスクード城には第三部隊の阿鼻叫喚が響き渡ることとなったが、それはまた別の話。
ほどなく暦は月を跨ぎ、黄暦三三四年最後の月──翼神の月がやってくる。




