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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第4章 迷い子たちのバラッド
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109.ミッション・スタート


 サユキが調べたところによると、まずグアルティエロ・ラヴァッレなる人物は、ひと月ほど前から黄都(こうと)を離れているらしかった。

 理由は〝体調を崩したことによる療養のため〟。

 黄都ソルレカランテの北方には、貴族の保養地として有名なクッカーニャという町がある。ラヴァッレはそのクッカーニャにある別荘で、しばし公務を離れて静養したのち、ロマハ祭までには黄都へ戻ると公言しているらしかった。


 まあ、実際、ロマハ祭当日にソルレカランテの本邸で舞踏会を開く計画を立てているからには、主催者として戻ってくるつもりはあるのだろう。だが彼がよりにもよってこのタイミングで黄都を離れているというのがどうもきな臭い。

 そこでエリクはサユキを使ってより詳しくラヴァッレの身辺を探ってみたわけだが、案の定、彼の身の回りは叩けば叩くほど埃が出た。


 たとえば、ラヴァッレはトラモント商工組合(ギルド)に登録のある国内外の商団に積極的な投資を行っている。ところがこれらの商団の中には、組織としての実態が怪しいものがいくつか紛れ込んでいた。サユキが突き止めたクーデール商会というのもそのひとつで、組合に登録された情報によれば、遥か西の華封(かほう)諸国内に本拠を置く国外の商人組織ということになっている。


 彼らは主に黄皇国(おうこうこく)内で取引される専売品──国が認めた御用商人のみが扱うことを許される、金や塩や鉄といった特定の商品──を購入し、国外へ輸出するという事業を行っているようだった。専売品は国の認可のない者が国内で勝手に売買することこそ禁じられているものの、国外での売買までは制限されていないからだ。


 ところがクーデール商会が買いつけた専売品と、実際に輸出された品物の量を比較してみると、誤差というにはあまりに大きな隔たりがある。

 彼らが購入した量に比べて輸出された量がどう見ても少なすぎるのだ。

 ならば国外へ持ち出されず、商会の手もとに残っているはずの品物は今どこにあるのか。単なる輸送の問題で、商会支部の金庫に保管されているだけという話ならまあ、さしたる問題はない。しかしサユキが念入りに調査したところによれば、


「やつらは手もとに残した専売品を恐らく反乱軍へ流している。というより、そもそもあの商会自体が反乱軍によって運営されている組織だと見た方がいいだろう。ラヴァッレがよく出入りしているという会員制クラブには、どうも裏取引に使われる隠し部屋があるらしい。やつらはそこに物品を運び込み、足がつかないルートに乗せ換えて、闇市で軍資金を稼いでいる……といったところだろうな」

「なるほど……確かに救世軍の主な財源については以前から、協力者による献金と密売による利益だろうと言われていた。今回の調査で、そのための事業の一端をラヴァッレが担っている可能性が高まったということか」

「で、ですがそうなると、クーデール商会が国外に輸出したことになっている物資の行方も怪しいですよ。専売品の輸出には高額な関税がかかりますから、本当に他国へ持ち出しているのなら、よほど法外な値で売らない限りほとんど利益が上がりません。ですが商会の正体が反乱軍だとすると、そんな無駄な出費を重ねる理由がありませんから……」

「ああ。場合によっては一度海上に出したものを、別の場所で荷揚げして密売ルートに乗せている可能性もあるな。国内から国内へ運ぶだけなら輸送費もそうかからないし、密売品の取引相場は、ものによっては正規の市場価格よりも遥かに高い傾向がある。そういう品目に絞って闇市に流せば、高い関税を払ってもお釣りが来るほどの利益を上げられるだろう」


 そうした違法な売買にラヴァッレが一枚噛んでいるとなれば、今回彼がエリクに招待状を送りつけてきた背景には、やはり救世軍の影がある──と思っていた方がいい。とすればラヴァッレがこの時期にあえて雲隠れしているのも、突然の招待を不審に思ったエリクから面会を求められ、直接追及を受けるのを避けるためなのではないかと思われた。


(それもこれも全部、フィロメーナの差し金……なのか? だが果たして本当に、彼女自ら舞踏会の会場に現れるつもりなんだろうか……)


 事前にサユキから報告があったとおり、例の噂は既に黄都中に広まっている。

 街を歩けばロマハ祭の準備で浮き足立つ民の間を、武装した憲兵が物々しい形相で哨戒(しょうかい)する姿をあちこちで見かけた。そんな敵地の只中へ、彼女は再び命懸けで飛び込んでくるつもりなのかと思うと胸が騒ぐ。ましてやその目的がシグムンドの予見していたとおり、自分との接触を図るためだとしたら──


「……なあ、サユキ」

「なんだ」

「例の、ラヴァッレが出入りしているという会員制クラブ……あそこにクーデール商会が商品を(おろ)しているという情報は確かなんだな?」

「ああ。実際に商会の会章を掲げた馬車が出入りしているところを目撃したし、支部の事務所にもクラブへの納品記録があった。品目は主に食料品と嗜好品ということになっていたが、果たして木箱の中身は記録どおりなのかどうか、答えはやつらが搬入した荷を改めればすぐに分かるだろう」

「じゃあ裏取引が行われているという隠し部屋の場所を特定することは可能か?」

「時間さえあれば。方法としては隠れ身の術を使って内部へ潜入し、隠し部屋に出入りする人間を見つけるか、あるいは店の関係者を拉致して吐かせるかだな」

「そうか……とすれば、ラヴァッレと救世軍の接点を暴く証拠を手に入れるのはさして難しくなさそうだな……まあ、そのあたりの話はまた屋敷に戻ってからするとして、ときに、サユキ。ひとつ相談があるんだが」

「……なんだ? 急に(かしこ)まって」

「いや、一応事前に伝えておいた方がいいかと思うことがあって……あー、通常、トラモント黄皇国の舞踏会では、参加者はまず最初に、一緒に会場入りしたパートナーと踊るというマナーがあるらしいんだ。だが、ほら、俺たちの今回の目的はあくまでフィロメーナの噂の真偽を確かめることであって……第一お前は大陸の舞踏とは縁がないだろうし、つまり、俺たち──踊らなくてもいいよな?」


 と、エリクが笑っているつもりでまったく笑えていない笑顔でそう言えば、隣の座席に腰かけた銀髪の少女が長い睫毛(まつげ)を上げてこちらを見た。背中までさらさらと流れる癖のない髪は、既に日が暮れた街を走る馬車の中だというのに、わずかなランプの明かりを弾いて星の川のごとく瞬いている。蒼い瞳を縁取る睫毛の一本一本すらも、神の手によって生み出された繊細な銀細工のようだ。


 当代稀に見る、できすぎた人形のような美少女。

 そんな少女が至近距離からじっと自分を見つめてくるものだから、エリクは余計に緊張して、普段どおりに振る舞えない自分自身にどぎまぎした──頭では彼女の正体がサユキであることをちゃんと理解しているはずなのに。


 そこはラヴァッレ邸へ向かうメイナード家の馬車の中。

 時神(じしん)の月、時神の日、いよいよ運命の日を迎えたエリクは慣れない仮装に身を包み、サユキと共に舞踏会の会場を目指していた。馬車の外では先程から、いくつもいくつも打ち上げられては夜空を照らす花火の音が響いている。今夜は街を挙げてのお祭で、貴族街の外でも市民向けの様々な催しものが行われているようだ。


 おかげで祝祭に沸く黄都の賑やかさが、馬車の中にいても伝わってくる。

 道行く貴族たちの馬車も、普段誰もが乗っている家紋つきの箱馬車ではなく、座席に天蓋がついているだけの開放的な馬車が多かった。

 平時であればあまりに無防備が過ぎるからと、決して貴族が乗り込んだりはしない馬車だが、今夜ばかりは皆が思い思いの仮装を見せびらかすために、あえて視界を遮るもののない馬車を選んできているのだろう。


 まあ、確かにあれだけばっちり仮装をしていれば、堂々と姿を晒していても正体が誰だか分からないから狙われる心配もない。

 エリクも既に何台もの馬車と擦れ違っているが、ああ、今のは誰々の家の馬車だなと見抜けたものは一台もなかった。何しろ皆が皆、仮面や扇で顔を隠している上に、馭者(ぎょしゃ)や馬まで仮装している始末だから正体を探る手立てがないのだ。

 まったく大した道楽だなと内心苦笑しながら、かく言うエリクは家紋を隠しただけのメイナード家の箱馬車でラヴァッレ邸を目指していた。


 何しろ会場入りする前から仮装舞踏会のお約束である仮面をつけて控えているのは億劫だったし、衣装こそ数百年前の王侯貴族を模倣したものを着ているが、髪は隠さず赤いままだ。仮装舞踏会では参加者が奇抜な色に染められた(かつら)で頭を飾ってくることも多いと聞いたから、今夜ばかりはいつも悪目立ちする赤髪も、そのままにしていた方がむしろ場に溶け込めるだろうと判断した。


 つまり今現在、エリクは服装以外は何の仮装もしていないということになる。

 だから会場まで姿を隠して行くために箱馬車を選んだわけだが、問題は隣で人形のように座っているサユキだった。何しろ彼女の()()は仮装であって仮装でない。

 というのも銀髪の少女の姿は彼女が忍術によってまとっている幻で、実際にはいつもどおりの格好をしてそこに座っているだけなのだ。


 しかしまさか忍術ひとつでまったくの別人になりすませてしまうとは。

 カルボーネ事件の際に見た〝隠れ身の術〟とやらも人智を超えたものだったが、改めて忍術とは魔法なのだと思い知らされた。彼女の見事な化けっぷりには、生まれながらに人を化かす異能を持つという狐人(フォクシー)狸人(リーレン)も脱帽だろう。

 だがエリクはサユキのまとった幻にはっきりと見覚えがある。


 彼女は自らの仮装にメイナード家の初代当主であるアンゼルム・メイナード──その娘であるシェーン・メイナードを選んだのだ。今のサユキの姿はまさに、初代当主一家の肖像画に描かれた少女のそれ。数日前、彼女がメイナード邸の談話室に飾られたあの肖像画を熱心に眺めていたのはこのためだったのかと、エリクは改めて純白のドレスに身を包んだ少女の姿をまじまじと眺めた。が、星の精霊を思わせる可憐な容姿とは裏腹に、まるで抑揚を感じない冷たい声で少女は言う。


「ああ……お前が構わんと言うのなら、私も別に構わない。逆に踊れと言われれば踊るまでだ。好きにしろ」

「え? いや、けど、お前は俺と違って舞踏の稽古はつけなかっただろ。だったら黄皇国の舞踏なんて踊りようがないじゃないか」

「別に稽古などつけずとも、見ていれば自然と覚える。基本的な動きだけなら真似るのは造作もない」

「み、見ていれば、って……そもそもお前は、一度も稽古を見に来てないだろ。夜の間は俺がラヴァッレの調査を頼んでたんだから──」

「いや。見てた」

「え?」

「早めに調査が終わったときはいつも、稽古とやらを見学させてもらっていたぞ」

「は……!? い、いつ、どこで!?」

「あのハインツ・ヒューとかいう男の屋敷で、お前がトラモント人の姫にしごかれているのを、隠れ身の術を使って見てた」

「な、なんでわざわざそんなことを!? 俺は見に来いなんてひと言も……!」

「当日会場に潜入するなら、舞踏会とやらにまつわる知識を事前に集めておくに越したことはないだろう。そう思って、情報収集のつもりで見学に行ったんだが……まあ、面白いものが見れた、とだけ言っておく」

「あああああ……! そういうことは先に言ってくれ……!」


 ふいと窓の外を見やったサユキから衝撃の事実を聞かされて、エリクは文字どおり頭を抱えた。できることなら今すぐにでも闇に葬り去りたいあの地獄の光景を、サユキにまで見られていたなんて一生の不覚だ。


 おかげで多少は舞踏らしい動きができるようになったとはいえ、そこへ至るまでの過程はできれば思い出したくもない悪夢に近かった。これではリリアーナやハインツに弱みを握られたも同然だと、ただでさえ参っていたのに。


「……だが意外だな。普段は取り澄ました顔で何でもこなしてみせるお前にも、あそこまでできないことがあるとは」

「い……いや……だから、あれは、練習相手に問題があったのであって……相手がリリアーナ将軍でさえなければ、俺だってもう少し……」

「あの千鳥足でか?」

「う、うるさいな! 今まで舞踏なんかとはまったく無縁の人生を歩んできたんだからしょうがないだろ! 逆にお前はなんで見ただけでアレができるんだよ!?」

「長年の鍛練の賜物だ。大抵の人間の動きは、きちんと観察していれば真似られるようになる。()()(シノビ)十八番(おはこ)なんでな」

「末恐ろしいにもほどがあるだろ……最初に出会った頃は冗談だろうと思っていたが、そのうち本当に寝首を掻かれそうな気がしてきたよ」

「お望みとあらばそうしてやるが?」

「いや、悪いが遠慮させてもらう」

「別に遠慮する必要はない。私を信用できないと思うのなら、追い出すなり首を()ねるなり好きにしろ。忍は雇い主に忠誠を捧げるものだが、雇い主が忍に忠義を示す必要はない。というより、そんな前例は倭王国(わおうこく)でも聞いたことがない。不要だと言われれば影も形もなく消える……忍はそういうものだ」


 依然として窓の外を向いたまま、淡々と告げたサユキの横顔が、遠い花火の光でパッと金色に照らされた。されど夜空から降り注ぐ黄金の光は、彼女のまとう影の色をかえって暗く、深くするような気がする。思えばエリクがサユキと出会ってもう半年になるが、彼女は未だに自分の過去や心の内を明かそうとはしなかった。


 無論、エリクも本人が話したくないと言うものを無理に聞き出すつもりはない。

 しかしおかげで彼女が何を考えているのか、今も推し量れないことがたびたびある。だが唯一出会った頃からはっきりと感じているのは、サユキが自分の命や人生というものにまったく頓着していないこと。そして他人と信頼関係を結ぶことを、どうも最初から諦め切っているらしい、ということだ。


(確かにサユキは言動が飛躍しすぎていて、ときどきヒヤッとさせられることはあるが……それでも根は悪いやつじゃないし、従者としての能力も申し分ない。だから今となっては俺やコーディはもちろん、シグムンド様でさえサユキには一定の信頼を置いている。なのに、サユキは……)


 どうも彼女は根っこのところで、今もエリクたちを信用してくれていない。

 というより、こちらからの信頼を心の底で拒んでいる……といった方がより実態に近いだろうか。まるで誰かを信じた結果、裏切られることを恐れているかのような、いつでも捨てられる準備をしているかのような、そんな印象を受けるのだ。

 そうやって常に他人と距離を取り続けるのは、シノビとして生きていく上で身を守るための智恵なのだろうか。

 あるいは未だ明かされぬ彼女の過去に、その理由が隠されているのだろうか。


「サユキ」

「……なんだ」

「やっぱり会場に着いたら、一曲だけ踊ろうか」

「……は?」


 とエリクが持ちかけたところで、ようやく彼女がこちらを向いた。あからさまな不審顔で見つめてくる銀髪の少女は、やはりどう見てもサユキとは別人なのに、眉間に刻まれた気難しげな(しわ)の様子に、エリクはやっと彼女の面影を見つける。


「別にいいんだろ? 踊るも踊らないも俺の好きにして」

「……お前が踊れと言うなら付き合うが、急になんだ。さっきまでは心底踊りたくなさそうにしていただろう」

「ああ、まあ、そうなんだが……稽古の最中に、リリアーナ将軍がおっしゃっていたんだよ。舞踏というのはただの貴族の道楽じゃなくて、共に踊る相手と心通わせる手段でもあるってな」

「……それでどうして私と踊ろうという発想になる?」

「お前のことをもっとよく知りたいからだよ。そしてお前にも俺のことを知ってほしい。そうすれば今よりさらに強固な信頼関係が結べるんじゃないかと思ってさ」

「そんなものを結んで何になる? お前と私は、互いの利害が一致しているから主従関係にあるだけで──」

「だけどお前は今回もカルボーネ事件のときも、俺の抱えた問題には何も触れずにいてくれるじゃないか。俺が置かれた状況について、薄々勘づいてるからというのももちろんあるんだろうが……俺はそういうお前の気遣いを、とても有り難いと感じているんだよ」


 窓の外で再び花火が上がった。

 ぱっと射し込む夜空の光が、こちらを見つめるサユキの蒼い瞳を照らし出す。

 そこに映る自分が今度はちゃんと笑えているのを見て取って、内心ほっとしていると、不意に視線を逸らされた。

 サユキは再び窓の方を向いてしまって、表情が(うかが)えない。


「……別に、私には関係のない話だから聞く必要を感じていないだけだ。第一お前から直接聞き出さなくとも、事情を知る方法はいくらでもあるだろう」

「果たしてそうかな。俺の抱える秘密について、隊内で知っているのはシグムンド様とコーディだけだ。あとは他の誰にも……スウェイン殿やジュードにさえ話してない。けどシグムンド様は部下の秘密を軽々しく人に話してしまうようなお方じゃないし、コーディだって俺の許可なく話すわけにはいかないと言って拒むだろう」

「だが後者は、喉もとに刃物を突きつけて吐けと言えば吐きそうだが?」

「サユキ。何度も言ってるが、コーディだって一応お前の上官なんだからな?」


 本人がこの場にいないのをいいことに、とんでもないことを口走るサユキを、エリクは半ば諦めの境地へ至りつつ(いさ)めた。困るのはサユキが実際に必要だと感じたら、本当にコーディを捕まえて刃を突きつけかねないことだ。


 対するコーディも多少脅されたくらいではさすがに口を割らないだろうが、そうなるとサユキも拷問すら辞さない姿勢を取りそうで、ふたりを監督する立場にあるエリクとしては頭が痛かった。せめてコーディがサユキに対してもう少し上官らしい態度を示してくれればいいのだが、彼の性格を思うと無茶な相談だろうし。


「まあ、とにかくそういうわけで、お前が俺をどう思ってるのかは知らないが、少なくとも俺はお前を信頼してるし、公私共に助けてもらってる……と思ってる。だからもし俺で力になれることがあるなら、俺もお前を助けたいと思ってるんだ。別にお前なら他人(ひと)の力なんか借りなくたって、多少の問題は自力で解決してしまうんだろうが……それでも、もしものときには今の俺の言葉を思い出してほしい。お前はもうひとりじゃないんだってな」


 サユキの事情を知らない以上、エリクからかけられる言葉は多くなかった。

 されどどうにか(ひね)()したいくつかの言葉はまぎれもなく、エリクの胸奥から出た本音だ。そのうちのほんのわずかでも彼女に届けばいいと願う。

 今すぐには無理だとしても、いつかサユキが黄都守護隊を自分の居場所だと感じてくれる日が来るならば。


「……お前は(モアエア・)本当に(ンツォヌ・)変な男だな(ヒネンア・トコドアナ)

「え? 今、なんて言ったんだ?」

「そんなに踊りたいなら好きにしろ、と言ったんだ。ただし公衆の面前で恥をかく結果になっても、私は助けないからな」

「えっ。い、いや、そこは助けてくれてもいいだろ……? 一応今夜はパートナーという形で出席するんだし……」

「だが会場に入ったらフィロメーナを探し出すために別行動するんだろう? だったら私は用が済んだら他人のふりをさせてもらう」

「い、いや、けどお前さっき、シノビは雇い主に忠誠を捧げるものだって──」

「ああ。だからフィロメーナを見つけ出すという忍務を最優先に遂行させてもらうと言ってるんだ」

「……極力恥をかかずに済むよう善処するよ……」


 自分から誘ってしまった手前やはりやめようとも言えず、エリクは悲壮な覚悟を決めた。刹那、見計らったようにふたりを乗せた馬車が門をくぐり、庭園らしき場所へと進入する。どうやらいよいよラヴァッレ邸の敷地に入ったようだった。

 ここまで来てしまったら、本当にもう逃げられない。

 激しい後悔と不安の念に(さいな)まれながら、しかしこのときエリクは知らなかった。


 窓の外を見つめるサユキが人知れず、ほんの微かな笑みを浮かべていたことを。


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