100.最後の嘘
翌朝、明け方にも官軍が攻めてくるだろうというエリクの予想は的中した。
坑道でドルフ一味の大半を討ち取った黄都守護隊は、ここぞとばかりに作戦の総仕上げに臨んでくるはずだ。何しろ戦闘で消耗し、想定外の事態に狼狽しているであろう敵に態勢を立て直す暇を与えず攻め立てるのは戦の定石。いわゆる兵法でいうところの〝治を以て乱を討ち、静を以て譁を討つ〟というやつだ。
されど黄都守護隊が作戦の駒を最終段階まで進めてくるということは、もうひと押しで勝てるという確信を得た何よりの証拠。とすればそのときこそ敵が最も油断している瞬間であり、逆襲の好機だというのがエリクの見解だった。
「──反乱軍に告ぐ! 貴様らの退路は既に断たれた! これ以上の抵抗は諦め、大人しく降伏せよ! さすれば寛大な措置により、極刑だけは免じるとの将軍のお達しだ! それでもなお頑迷に抗い続けるならば、我らはただちに門を破り、最後のひとりまで逃がすことなく殲滅するぞ!」
と、朝焼けの空の下、固く閉ざされた山門の麓で馬に乗った将校が叫んでいる。
ドルフはあの顔に見覚えがあった。
黄都守護隊の兵服とはまた違う、地味な色合いの軍装は地方軍のものだ。ブライアン・ハーリー。他ならぬ第三郷区地方軍カルボーネ分隊の分隊長だった。
今からおよそひと月前、留守中を狙ったドルフらに閉め出され、人質となっていた老父をも失った男が、ついに村へ舞い戻って喚いている。その姿はまさに虎の威を借る狐。村へ至る唯一の山道を塞ぐように展開した黄都守護隊の後ろ盾を得た途端、威勢のいい言葉を並べ立てる男の姿が、ドルフにはひどく滑稽に見えた。
「おい、赤髪の。ここまではてめえの読みどおりだ。どうやらやはり連中は、おれらが救世軍の名誉に懸けて人質には手を上げられねえと高を括ってやがるらしい」
「……当然だな。官軍は常に、救世軍は救民救国の志に反する行動はできないという思い込みの下で動いている。とすれば──救世軍が救うべき民を戦場に駆り出すなんて発想は、そもそも出てくるはずもないだろう」
淡々とそう吐き捨てたエリクが山門に併設された物見櫓から見下ろした先には、門の裏側で待機する数十人の人影が見えた。
あの陣列に加わっているのはすべて、ドルフらが人質に取っていたカルボーネ村の村人だ。彼らは手に手に地方軍の倉から押収された武器を持ち、蒼白な顔色で門が開くのを待っていた。というのも彼らはこれから、ドルフたちが村から逃げおおせるための血路を開く役割を担っているのだ。
(クク……武器だけ持たせて鎧も着せず、村人を官軍に突っ込ませるたァとんでもねえ奇策を思いつくもんだぜ。身を守る術を何にも持たねえ村人を黄都守護隊が攻撃したとなりゃ、確実にシグムンドの沽券に関わる。だから官軍も村人には手を上げられねえ。とすりゃ、おれたちはその混乱に乗じて逃げるまでだ。まったく大した逆転の発想だぜ)
と、既に作戦の成功を確信しながら、ドルフは傍らに佇むエリクの横顔を盗み見た。が、彼は現在赤い髪が目立ちすぎるからという理由で、外套のフードを目深に被っているため表情までは分からない。
されど恐らく、胸中では悲壮な覚悟を決めているのだろう。何しろこれは、官軍は村人を攻撃できないという前提があるから成り立つ策ではあるものの、だからと言って村人からただのひとりも犠牲者は出ない、という確証があるわけではない。
官兵が何かの弾みでうっかり村人を傷つける可能性は排除しきれないし、そもそもドルフは村の男どもを作戦に従わせるため、依然として女子供は人質に取っていた。村人が少しでも妙な素振りを見せたら、山門からほど近い小屋に押し込めた残りの人質は皆殺しにするとあらかじめ脅しつけてある。
作戦を確実なものとするためにそうすべきだと提案したのもまたエリクだが、しかしいくら自身が生き延びるためとは言え村人を脅迫し、危険に晒す決断を下したことを、この男が何とも思っていないはずがなかった。
何よりここで村人から犠牲者を出すようなことがあれば、たとえ生きて脱出できたとしても、エリクは二度と救世軍を名乗れなくなるだろう。
「……ドルフ」
「何だ?」
「昨日も確認したが、仮に策が成功したとしても無事に脱出できるとは限らない。官軍の妨害を掻い潜り、生きて山中へ逃げ込める確率は正直五分といったところだろう。それでも本当に……やるんだな?」
「ハッ、何を今更。まさか土壇場になって怖じ気づいたんじゃねえだろうな? たとえそうだとしても、無策で敵のど真ん中に突っ込むよりはよっぽど勝算があるだろう。おれァとっくに覚悟を決めたぜ」
「……そうか。では、始めるとしよう」
フードの下のエリクはそう言ってついに踵を返した。門の向こうに黄都守護隊本隊の旗幟がたなびいていることを確認したふたりは櫓を下り、それぞれの位置に就く。エリクは武器を手にした人質たちの先頭へ。ドルフは手勢を率いて人質集団の後方へ。一味はこれから門を開き、まずエリクの演説でシグムンドを誘い出す。
総大将であるシグムンドが隊列の頭にいてくれた方が村人たちをけしかけた際、敵軍がより大きな混乱に陥る可能性が高まるからだ。というのはエリク曰く、シグムンドならば村人たちの姿をひと目見ただけでこちらの意図を見抜くはず。
となればやつ自身の口から即座に彼らへの攻撃を禁ずる命令が発せられ、兵士はそれに従わざるを得ない。が、そこへすかさず村人たちが突っ込めば、シグムンドを守ろうとする兵士と命令に従おうとする兵士の間で混乱が起きる。
あとはその混乱の只中へドルフが突っ込み、敵を掻き乱しながら逃げるだけだ。
敵兵の海を生きて抜けられるかどうかは運次第。
されどドルフには、必ず生きて再起を図る覚悟と秘策がある。
(黄都守護隊の副長殿が目立つ赤髪で助かったぜ。逃げるついでに野郎の外套を剥ぎ取ってやりゃ、敵の目はおのずとやつに向く。一味の生存確率を少しでも上げるために、野郎にゃ上手く囮になってもらわねえとな)
ニヤッと細く口角を上げながら、ドルフは未だ門の上に待機している手下の人数を確かめた。彼らが携えている弓矢は敵を牽制するためのものではない。
エリクが少しでもおかしな動きを見せたら、即座に射抜くためのものだ。
当人にもそれは伝えてあるが、しかしエリクもまさか作戦に従おうが従うまいがどちらにせよ射たれるとは夢にも思っていないだろう。門上の射手たちには、すべてが計画どおりに進んだらやつの足を射てとひそかに命じてある。そうしてエリクが動けなくなったところで外套を奪い、やつを置き去りにして逃げ出す算段だ。
そうとは知らないエリクは作戦実行の準備が整うと、いよいよフードをはずして開門を命じた。門の後ろに張りついていたドルフの手下が互いに目を見合わせて頷き合い、丸太を束ねて造られた分厚い扉を押し開く。
低く重たい軋みを上げて、ついに村への入り口が開いた。
が、間近にいたブライアンが無抵抗での開門に喜色を滲ませたのも束の間。
そこに佇むエリクを見やり、馬上のブライアンが緩みかけた頬を強張らせる。
「あ、あなたは……」
「二日ぶりですね、ハーリー分隊長。あなた方の軍門に降る前に、メイナード将軍とお話がしたいのですがお取り次ぎ願えますか」
「……」
非常に追い詰められた状況であることをまったく感じさせないほどに、エリクの声色は落ち着き払っていた。
そんなエリクの様子を緊迫した面持ちでしばし見つめたブライアンは、ほどなく何も言わずに馬首を返す。そうして背後の山道を埋め尽くす軍兵の狭間に彼の姿が吸い込まれたかと思えば、ややあって隊列が割れ、一本の道ができた。
その道を黒馬に跨がったひとりの男が悠然とやってくる。
傍らで翻る旗に踊るは、盾に巻きつく青蛇の紋章。
祝福されし青蛇。他でもないメイナード翼爵家の家紋だった。
つまりあの馬上の男こそが、件のシグムンド・メイナード。
ドルフは今にも舌なめずりしそうな心境で、人質集団の前方に立った初老の男を凝視した。なるほど、いかにも老獪そうな、油断ならない目つきをした男だ。
「……シグムンド様」
「私を呼んだそうだな、アンゼルム。思ったよりも元気そうで何よりだ」
「ええ、おかげさまで。ご覧のとおり、どうにか首はつながっております」
「それは重畳。無事門は開いたようだが、大人しく降伏する気になったのかね?」
「いいえ。ここにいる者たちは皆、官軍に降るくらいなら、最後のひとりになるまで戦い続けようという気概に溢れております」
エリクがなおも平静な言葉つきでそう答えれば、シグムンドがふっと憫笑に似た笑みを湛えた。されどやつのすぐ傍には、杖を携えた護衛の兵士が控えている。
あれはどう見ても神術兵だ。恐らくはエリクの神術を警戒し、いつでも術壁を展開できる構えを取っているのだろう。
「そうか。ではやはり我々は、相容れるわけにはいかないのだな」
「ええ、誠に残念ながら」
「ならば双方気の済むまで殺し合うとしよう。しかし、アンゼルム。最後にこれだけは言わせてくれ」
「何でしょう?」
「まさか君にここまでの腹芸ができたとはな。正直、驚いたぞ」
「お褒めに与り光栄です」
エリクは微か笑ってそう返すが早いか、再び外套のフードに手をかけ、被り直した。事前に示し合わせた〝突撃〟の合図だ。
機は熟した。ドルフは満を持して、人質集団の背後から吼え立てた。
「よし行け、野郎ども! 女子供を救いたきゃ、死ぬ気で暴れてきやがれ!」
ひと月近い監禁生活で、骨と皮だけになった村の男たちが腹の底から雄叫びを上げる。文字どおり決死の突撃を試みる彼らの眼には、ある種狂喜にも似た生への執着がぎらついていた。村人たちの熱狂はやがて肉の洪水となり、門前に佇んだままのエリクを呑み込んで、黄都守護隊へと吶喊していく。
(今だ)
村人たちはそのまま官軍へと雪崩れかかった。あとに残ったのは立ち尽くしたエリクだけだ。瞬間、ドルフは門上の弓手たちへ視線を走らせ、手を上げる。
「やれ! 計画どおり、野郎の足を──」
「──雷霆瀑」
顔中の筋肉を愉悦という愉悦にまみれさせたドルフの最後の号令は、直後、旭日にも勝る強烈な閃光に掻き消された。次いではたたいたのは、轟音。
驚愕に目を見開いたドルフの眼前で、昨日坑道で見たのと同じ雷の滝が降った。
天より生まれた青い光の奔流は、一片の狂いもなく門上で弓を構えた山賊たちの頭上へ降り注ぎ、押し潰す。
「……馬鹿な」
一瞬の出来事だった。ドルフがたった一度の瞬きをする間に、門上にいた手下は全滅した。それだけではない。見る者の視界を奪い尽くした雷光が去ったかと思えば、その向こうにいたはずの──門を出て黄都守護隊に襲いかかったはずの村人たちまで、忽然と消えているではないか。
「大儀だった、アンゼルム」
代わりにドルフの視線を奪ったのは、馬上ですらりと剣を抜き放った、シグムンド・メイナード。
「これにてカルボーネ村住民の保護は完了した。もう何も遠慮は要らぬ。──全軍、突撃。あの卑劣な山賊どもを、ただちに殲滅せよ」




