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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編終了後番外編 <侯爵様の日常> (一話完結済)
36/49

ジョエル、来訪


 その日は、雲ひとつない好い天気だった。

 青い空に浮かぶ太陽は、痛いくらいの日差しで照りつけてくる。

 青年は若干長めな小麦色の髪を微風に靡かせ、垂れた目で聳え立つ邸を仰いだ。

「……セシル君に会うのも久々だな」

 呟いて小さく笑う。

 青年――ジョエルは、セシルとカイル、それにウォーレスの同期で、彼らは共に王宮で従騎士をしていた。現在もジョエルは王宮に残り、近衛騎士として仕えているため、城を去った同期達と会う機会は少ない。

 ジョエルはキング邸の正面玄関の前に立つと、ノッカーで自身の来訪を告げた。

 すると、すぐに扉は開かれ、執事が満面の笑みで出迎えてくれた。

「ようこそおいでくださいました、ジョエル様。セシル様は庭園でお待ちしておりますゆえ、ご案内致します」

「ああ、ありがとう」

 人好きのする笑みを浮かべたジョエルに、執事は朗らかな笑みを返して先を歩き始めた。




 ジョエルがセシルの婚約を耳にしたのは、彼らが婚約発表した数日後のことだった。

 公爵家の末子のジョエルは、父伝にそのことを聞いた。どうやら、父の開いた夜会で色々あったそうだが、詳しい話はそのうち王宮にも流れてくるだろう。……尾ひれ背びれをつけて。

 そうして婚約の話を聞いた日、ジョエルはセシル宛に手紙を書いた。内容は、婚約を祝いたいから非番の日に邸へ行く、というものだが、本音は根掘り葉掘り聞きたいこともあったからに他ならない。


 しばらく歩くと、徐々に目的の庭園が見えてきた。

 瞳に映った光景に、ジョエルは首をわずかに傾げる。

(……卓の用意をしているのは……セシル君じゃないか? ということは、一緒に茶菓子を並べているのは婚約者殿だろうか?)

 なぜに使用人の仕事を彼らがしているのか、ジョエルにはまったくもって理解できなかった。もしや、使用人不足で困っているのだろうか。

 しかも、庭園に普通植えるのは観賞用の薔薇といった香る荘厳な花であるのが通常なのに……なぜかその庭園には食用花や香草が植えられていた。まぁ、確かに香草も香るだろうが、それとこれとは違う気もする。

 謎が謎を呼ぶ様子に、つい眉間に皺が寄るが、執事の「セシル様、エステル様、ジョエル様がいらっしゃいました」という声がしたため意識をそちらへ向けることにする。

 ――久しぶりに目にする同期は、幸せそうに笑っていた。手を伸ばせば届くような、親しみやすさを感じる。

 ジョエルは目を丸くした。

記憶にあるセシルは、美しくもどこか近寄りがたい雰囲気があったのだ。近寄れば棘で怪我をする、そんな印象だった。

 驚愕し呆けていると、セシルとエステルがジョエルに歩み寄ってくる。

「久しぶりだな、ジョエル。今日はありがとう」

 セシルの差し出す右手に、ジョエルは己の右手で答えて握手した。表情筋をなんとか駆使して愛想笑いを浮かべる。

「婚約、おめでとう、セシル君。君の溺愛っぷりは王宮にも届いているよ」

 正直に告げ、ついでエステルへと視線を移す。

 セシルとつないだ手をほどくと、エステルの手を持ち上げた。

 そこで、ふと違和感に気づく。

(手袋?)

 今日は快晴ゆえに気温は暑いくらいだ。なのに、なぜか彼女は手袋をしていた。それも少しばかり厚手の。

(ああ、もしかして日焼け防止か)と思い至り、ジョエルはエステルの手の甲に口付けを落とす。

 わずかに身じろぎした彼女に口角を上げて自己紹介を始めた。

「初めまして、エステル嬢。公爵家末子のジョエルと申します。以後、お見知りおきを」

「エステル・コーネリア・クラークと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 挨拶が終わると、ジョエルはエステルの手を解放する。その隙を縫うように、セシルがエステルの手をとった。

 ついで、セシルはエステルの手袋を剥ぐ。そして浮かべたのは、会心の笑みだった。

「ね? だから手袋は必要だって言っただろう?」

 明らかにエステルに向けての発言。エステルはセシルの言葉に困惑を隠せない。

「せ、セシル様。ジョエル様の前で、失礼です」

「エステル、ジョエルは女たらしなんだ。いくら手の甲でも、孕みかねないだろう?」

「セシル様、それは無理です」

「だが、どこぞの宗教の聖母はそういった行為をせずして神の子を産んだという。油断は禁物だと思うんだ」

 二人のやりとりに、ジョエルは顔を引き攣らせた。今やっと、セシルの中での自分への評価が”女たらし”だとわかった。

エステルの『ジョエル様の前で、失礼です』発言には、(裏でこのやりとりをやっても失礼だろう)と内心突っ込む。

 なおも続く二人の世界に、ジョエルは馬に蹴られまいと、大人しく卓に設置された椅子に座って観察を決めた。



(エステル・コーネリア・クラーク、か)

 その名前を、何度耳にしただろう。

 それは、セシルの口からではない。カイルの――彼女の元婚約者の口からだ。

(セシル君とカイル君、か)

 卓に並べられた菓子を勝手につまみながら片肘をついて眺め、なんともなしにセシルと出逢った時のことを思い描いた。


 ――正直、出逢った当初はセシルよりもカイルに好感を持った。

 ジョエルには、セシルがいつだってのらりくらりと曖昧な――どこか冷たく醒めているような笑みを浮かべ、物事をかわしていく様が狡猾に見えたのだ。一方、カイルは騎士になろうと一生懸命で、いつだって真面目で真っ直ぐ、そして誠実だった。

 付き合いが長くなると、セシルのその印象も少しずつ緩和されていったが、それでも、ふとした時見せる彼の美しくも冷ややかな笑みに、何度背筋が凍りついたか知れない。

(……今では、残念な美形に様変わりしてるけれど)

 人は変われば変わると、思った。

 思考に耽っていると、セシルとエステルの間で何かが決着したらしく、エステルがジョエルに笑んだ。

「それでは、ごゆっくりどうぞ。私は失礼しますね」

 そうして、会釈して去っていった。



 セシルはジョエルの座る向かい席に腰をおろす。

 ジョエルは肘をついたままセシルを上目で見つめ、感想を述べた。

「幸せそうだね、セシル君」

 その言葉に、セシルは綻ぶ花も嫉妬するような笑みを浮かべた。

 ジョエルは婚約ほやほやのセシルに当てられまいと、苦笑するにとどめる。


 結局、惚気を聞くまいと必死になったジョエルが会話の主導権を握ることで、しばらくの時間を思い出話や王宮の現状について費やすこととなった。



 ……それは、従騎士時代の話をしている時。

 ジョエルの脳裏に、カイルが浮かんだ。

 ゆえに、心内にあった疑問を無意識のうちに口にしていた。

「エステル嬢の、どこに惹かれたんだい?」

 口にしてすぐ、その質問は過去カイルにもしていたものだと思い出した。

 苦い気持ちを押し隠し、セシルを見つめる。

 質問を向けられたセシルはしばらく俯き瞑目して考え込んでいたが、やがて顔を上げた。

「全部」

「…………。」

 ジョエルは(訊いて損した)といわんばかりに言葉を失ったが、考えなおしてみる。

(……ああ、もしかしたらボクの質問の仕方が悪かったのかもしれない。前触れなしにふった話題だしな)

 そうだ。そうとしか考えられない、と自分に言い聞かせ、ジョエルは再度質問を試みる。

「じゃあ、彼女はどんな女性だい?」

 すると、セシルはパッと表情を明るくし、明朗に語り始めた。

「可愛らしくて愛らしくて、笑めば花が綻んだように可憐で、あたたかい心を持っていて、優しくておちゃめで思いやりがあって純粋で……」

 イーミルが聞いたならば、「だから抽象的すぎる!」と突っ込んだだろうが、ジョエルは付き合いよく、淹れたての茶が冷めるまでの時間を惚気に付き合った。突っ込む隙がなかった、とも言える。

 やがて、語ったセシルが喉を潤すために茶を口に含んだ時、ジョエルは機会とばかりにうんざりと漏らした。

「……十文字以内で簡潔に述べてくれたまえ」

 ジョエルのささやかな反撃に、けれどセシルは小さく微笑む。

「――鏡のような女性、だな」

 刹那、ジョエルは既視感をおぼえた。

 その違和感をつきとめようと、「……鏡って?」と続きを促す。

 セシルは睫毛を伏せて答えた。

「初めてエステルと逢った時、衒いのない――嘘のない笑みを向けてくれたんだ」

 セシルの言葉に怪訝な表情を返したジョエル。セシルは苦笑した。

「その時の私は……酔っていて、心に仮面をつけることも煩わしく感じていた」

 ふと、ジョエルはセシルの貴族に向ける視線を思い出す。

 ――ジョエルは従騎士時代、宮廷愛に興じていた。年上の人妻との恋。その行為は貴族の間では普通だったし、ジョエル自身も”当たり前のこと”だと捉えていた。

 けれど。

 ジョエルが宮廷愛に身を投じている最中。

 普段、人当たりの良いセシルからジョエルに向けられる目は、凍てつくほど冷ややかで、距離を感じさせられた。

 今ならわかる。のらりくらりとかわしていたセシルは、騎士道に染まりきった心を隠すためにそうしていたと。かつて女性関係が華々しいと噂されていた彼は、本当はカイル以上にそういったことに潔癖だったのだと。

「今思えば、きっかけはその時だった。彼女の笑みに、一目で恋に落ちていた。その後は……気がつけば彼女をさがしていて、会えた時は一緒に茶を飲んだ。一緒に過ごす時間が積み重なっていく度に彼女の人となりを知って、より愛おしく想うようになった」

 続けたセシルの声音は、とても優しい響きを持っていた。

「私が彼女を男爵令嬢としてではなく”エステル”として見ることで、彼女も私を”セシル”という人間に接していてくれた」

 この言葉に、ジョエルは違和感の正体に気づいた。

(……そうか、そういうことか)

 既視感の正体は、カイルとの思い出の中。




***   ***   ***




 それは、カイルとエステルの婚約が決まった時のことだった。

 カイルと相部屋になった時期、偶然カイルの婚約は成立した。だから、相部屋仲間を茶化す気持ちから暇つぶしとばかりに話をふる。

「やっと愛しの君と婚約したんだってね、カイル君」

 口端をあげてニヤリと笑いながら言うと、カイルは毒のない笑みで短く「ああ」と答えた。予想外の反応に、ジョエルは内心驚く。

 しかしそれを表に出すことなく、冷やかすように話を継いだ。

「王族の姫君からの縁談もあったのに、それも蹴ってエステル嬢を選んだということは――傾国の美女さながらの妖艶な女性かい? それとも、自分が守らなければ手折れてしまうような儚くも可憐な女性かい?」

 冗談半分、本音半分だった。

 カイルは侯爵家嫡男としての己を自覚し、自戒していた。ゆえに、ジョエルは地位のために王族の姫君との縁談を取り結ぶと思っていたのだ。恋愛と結婚は違う。彼もそうだと。

 ちなみに、カイルが誰と婚約するかは一部の従騎士達の間で賭けの対象になっており、四割は”王族の姫君と婚約派”、五割は”幼馴染の令嬢と婚約派”、残り一割は穴馬に期待した”その他の女性派”だった。ジョエルは”王族の姫君と婚約派”であったため、その損害は大きい。

 だからこそ、今現在からかっていたりするのは秘密だが。

 カイルは尋問するようなジョエルの視線に身じろいだ。

 視線をさまよわせた後、躊躇いがちにようやく口を開く。

「…………。いや、色気は……」

「なんだい。急に頬を染めて。これから自分ががんばるとでも言うつもりかい」

 ジョエルの容赦ない突っ込みに、より顔を赤くしたカイルは、勢いよく顔を上げた。

「結婚したらの話だっ」

「……結婚したら……へー」

 いつも聡明なカイルが、妙に墓穴を掘っていく様子が楽しくてしょうがなかった。

 睨むカイルに、ジョエルは嘆息しながら肩を竦めることで主張を続けるよう促した。

「……おぼえてろよ、ジョエル。とにかく! 儚くはない。簡易ドレスを着て本格的に香草を育てるくらいだしな。まぁ、菓子を作りすぎたあげく、それを食べ過ぎて、胃薬を処方されることはしばしばあるようだが」

 直後、ジョエルは生あたたかい目でカイルを見つめた。

「…………エステル嬢は、お馬鹿さんなんだね」

 だが、欲目か、カイルは即座にそれを否定した。

「馬鹿じゃない。捨てるのは生産者に失礼だと、自己処理しているだけだ。使用人達や邸を出入りする者にも配っているらしいしな。……おいしいと評判だ」

「……作り過ぎないってことが大切なんじゃないかい?」

「比較したいらしい」

 やはり欲目だろうカイルに、ジョエルは堂々と溜息をついた。

「じゃあ、どんな女性なんだい?」

 そう問うと、カイルは顔を歪めて微笑んだ。その表情が、泣く寸前のものなのか、幸せで浮かべたものなのか、ジョエルには判断できなかった。

「――望みを叶えてくれた女」

「は?」

 目を瞬くジョエルに、カイルは言い方をかえる。

「真実の鏡、というか」

「……はぁ?」

 やはり意味を捉えきれないジョエルが首を捻ると、カイルは静かに話し始めた。

「――俺は、幼い頃から、次期侯爵として扱われてきた」

 それがどれほどの重圧なのか、公爵家出身といえども末子のジョエルには理解できない。ゆえに、続きに耳を傾けた。

「だから、この世界から”カイル”という人格を切り離さなければならないと、思っていた」

 彼の言葉に、ようやくジョエルは相槌を打つ。

「今の言い方だと、まるで死ぬその時まで”カイル”はこの世にいることが許されない、みたいだね」

 カイルは”正解”というように、儚く笑った。ジョエルは思わず息を呑む。

「そんな俺を、寸前で救ってくれたんだ。――ずっと、夢見てた。”カイル”を見てくれる存在を。カイルという人格を守ってくれたエステルを、今度は俺が守りたいんだ」

 そう言って、カイルは愛しくてたまらない、と物語る穏やかな笑みを浮かべた。

 初めて見た、カイルのそんな表情。

 ――その日は、ジョエルの中でカイルへの評価が変わった日になった。




***   ***   ***




「幸せ、なんだね」

 気がつけば、ジョエルはもう一度、そうセシルに囁いていた。

 セシルは目を細めて、とろけるように優しく笑む。

 そこへ、足音と芳しい香りが近づいてきた。

「あ、お邪魔してすみません。新しいお菓子が焼けたので、いかがかな、と思いまして……」

 気遣うように眉尻を下げて微笑むエステルに、セシルが駆け寄る。

「ありがとう」と言って焼きたての菓子がのった皿を受け取り、セシルは唯一人だけに向けることを許す、甘い微笑をこぼした。


 それは、まるで、あの日のカイルの笑みのようで。

 セシルの変化に嬉しく思う一方で、カイルを思えば胸が痛んだ。

 ゆえにジョエルは、至福の時を過ごすセシルとエステルを眺めながら、悲しげに目を細めた。




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