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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
27/49

11. 侯爵様と男爵令嬢 (1)




 紅の生地を惜しげなく使った豪奢な椅子に腰掛けるのは、四十を幾何いくばくか過ぎた貴人。

 公爵位をたまわる壮年の彼は、白いものがまじり始めた口髭を撫でながら、二通の封筒を見比べた。

 にんまりと笑うように目を細めると、目尻の皺が深く刻まれる。

「……あの二人が揃うのは、あいつらが王宮で従騎士をしていた頃以来か」

 二通の封筒の送り主は、次期侯爵と現侯爵。この両家は互いを代々敵視していたため、行事の参加は決まってどちらかが出席すれば、もう片方は欠席していた。――だが、今、不測の事態がおきた。

 片や計画したような早急な返事を寄こし、片やその計画をつぶすために急遽参加を表明するような返事を寄こしたのだ。

 公爵はくつくつと喉の奥で笑う。

 彼からすれば、双方とも誠実で眉目秀麗な若造である。好戦的な姿は見られず、これまで暗黙の了解に従って、衝突を避けていた二人。そんな二人が、はじめて正面からぶつかるのだ。気にならない筈がない。

「――さて、何がおこるものやら」

 公爵は独りごちると、椅子から腰をあげ、今夜の夜会会場へと歩を進めた。




***   ***   ***




「大丈夫?」

 ウォーレスの声に、セシルは苦笑を浮かべた。

 風邪は完全に治っておらず、熱は解熱剤で抑えている。ゆえに、万全の状態というわけではなかった。

「なんとかしてみせる」

 口の端を上げたセシルを見て、ウォーレスは嘆息する。王宮で従騎士として長くあったのだ。……どうせ止めても無駄だとウォーレスにはわかっていた。それでも止めるのは、人情というやつだ。

「行こう」

 そう言ってセシルがキング家の紋章色である濃青の外衣を纏うと、ウォーレスもそれに倣った。



 ――そうして、二人は公爵領キング家別邸を後にした。




***   ***   ***




 シャンデリアの灯りに照らされた夜会会場は、眩いばかりに輝く。非現実的な空間のように白く、わずかな暖色で浮かび上がる世界は、エステルにとって異世界のようにしか感じられなかった。

 一流の演奏家たちが奏でる音色は、一夜の恋のための夜会曲とはまったく異なるものだ。

 並ぶ豪華な食事も酒もなにもかもが、公爵主催というにふさわしい一級品ばかりで、逆にそれがエステルの気分を沈ませる。

(……ここまで来たら、逃げられない)

 わかっている。わかっているけれど……心がまだどこかで躊躇っていた。

 会場内にいる貴族たちから、射貫くような視線を感じる。

 エステルが戸惑いを押し隠そうとし、拍子にぴくりと身体が震えてしまった。

 腕を絡めていたカイルがそれに気づく。彼は空いている方の手で、エステルの頭を撫でた。

 見上げると、灰青の瞳とぶつかる。

 わずかな切なさを秘めた青は、慈しむように細められていた。

 ――既視感。きっと、昔と同じようで違う瞳。……昔は、切なさを秘めてはいなかった。

 エステルは気づいた。

(……カイル様は、今この場でも、私が誰を望んでいるのか知っているのね)

 カイルの手をとった今でも、心が定まっていないことを、彼は気づいている。もしかしたら、結婚しても心はセシルに囚われたままかもしれないことも承知の上で。

(それでも、カイル様は婚約を望んだ……)


『――エステル、私は、あなたが好きだ。傍にいてくれ』


 ふいに、セシルの言葉が脳裏に過ぎる。

 ……傍にいたかった。もし、男爵家のことがなければ、彼の傍にいることを選んだ。けれど。


『――エステル、俺を利用すればいい』


 記憶に刻まれたカイルの言葉が、胸に突き刺さる。

 今、カイルが身に纏う衣はハーシェル家の紋章色である紅。そして、エステルのドレスはかの家との繋がりを示すような淡紅。

 結局、エステルが選ぼうとしているのは、カイルを利用することなのだ。

 ――胸が、痛かった。カイルに申し訳なく想う気持ちと、それでもセシルを求める気持ちが複雑に絡み合う。

 いっそすべてを捨てられたら、望みを叶えることができるだろうかと、悪魔の囁きが聞こえた気がした。

 しかしそれは、あまりに無責任すぎる思考。これまでエステルは、貴族として領民に支えられて生きてきたのだ。対価は、払わねばならない。

 自分を嫌悪する感情に唇を噛むと、カイルがそっと親指の腹で唇をなぞった。

「血が出る」

 そう言って唇を解放させ、「公爵様のところへ行こう」と微笑んだ。



「お久しぶりです、公爵様」

 カイルが礼をとるのと同時に、エステルもドレスの裾をつまむんで礼をとる。

「カイルか。久しいな」

 渋く、太い声が顔を上げるよう二人を促した。

 命令通り顔を上げれば、麗しい大貴族だと一目でわかる壮年の男が目の前に立っていた。歳は若くないだろうが、公爵という地位にふさわしい紳士だ。

 エステルと公爵は初対面というわけではないが、会った事があるのはカイルと婚約していた頃に片手で数えられるくらいである。多くの貴族を束ねる彼が自分のことをおぼえているとは、エステル自身毛頭思ってはいない。ゆえに、再度膝を折った。

「エステル・コーネリア・クラークと申します」

 エステルが自己紹介すると、公爵は口髭をなぞる。物珍しそうに彼女を見る目は、何かを期待しているようだった。

 カイルがエステルの手をとって挨拶をはじめる。

「公爵様、本日はお招きいただき、恐悦至極にございます」

 だが、公爵は面倒くさそうに手を振った。

「社交辞令はいい」

 ついで、にやりと口端を上げて促す。

「で、お前からはかつてない程の早急な返事がきたな。その理由は?」

 カイルは「公爵様は本当になんでも先を読んでしまいますね」と苦笑し、内ポケットから一枚の紙を差し出した。

 公爵がそれを受け取り、開くのを見届けると、カイルはエステルの腰へと腕をまわす。拍子にエステルがびくりと身体を震わせれば、カイルの瞳はまた切ない色に彩られた。

 カイルは真摯な表情で、公爵と向かい合った。

「彼女――エステルと、先日婚約致しました。つきましては公爵様にも承諾を――……」


 そこまでカイルが口にした時。


 会場が妙にざわめく。

 かつてないそれに、公爵は会心の笑みを浮かべてカイルの言葉を手で制し、続きを遮った。

 エステルは首を傾げ、カイルは眉間に皺を寄せてざわめきへと視線を向ける。


 人垣が割れた。

 前代未聞の事態に、会場内にいた貴族が皆、目を丸くして道を譲っていった。


 ――その正体を目にした時、エステルとカイルは驚愕に目を見開く。

「――セシル」

「――セシル、様」

 二人が同時に名を呼ぶと、現れた青年から挑戦的な笑みがこぼれた。




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