09 交渉成立
「碧色様を呼んだのは他でもなくてねぇ。そのインチキ導師へ復讐したいんだわ。衛兵たちじゃ精々、痛め付けて拘束程度。そんな生温い方法じゃ、到底納得できなくてねぇ」
ドミニクの目には薄暗い光が宿っている。
「これ以上ない程のむごい仕打ちを与えた後、奴の息の根を確実に止める」
背筋が寒くなるほどの気迫を受け、頬を冷や汗が伝い落ちた。
「とは言っても、そんなのは理想論でしかないんだけどねぇ」
その場の空気がふっと和らぎ、先程までの刺々しさは鳴りを潜めた。
「碧色様もお察しの通り、敢え無く返り討ちに遭ったってわけなんだわ」
口元へ、開き直ったような笑みを浮かべるドミニク。それを見ながら、不意に湧いた疑問をぶつけてみる。
「俺たちの前から逃げた後、何があったんだ? あんたは隊長なんて呼ばれてるし、表の三人は知らない顔だらけだ」
終末の担い手は、ドミニクの顔の広さも利用しようとしていた。彼がどこかから仲間を集めたのは想像に難くない。
「あの導師は絶対に生きてると思ってたからねぇ。ツテを頼って、別団の傘下へ入ったってわけ。隊をひとつ任された後も、奴を追い続けてたんだけどねぇ……」
そうして、弱々しい笑みを見せてきた。
「ようやく奴を見付けたら、お頭が尻込みしてねぇ。結局は喧嘩別れ。俺は慕ってくれた仲間を連れて、根城へ攻め込んだってわけ」
その顔には疲労の色が濃い。
「ところが魔獣の群れに襲われてねぇ。根城へ着いた時には、三十六人の隊が二十五人。突然、あんたの顔が浮かんでさ……」
「そいつは有り難い話だな」
「碧色様を呼ぶために五人を割いた。二十人で乗り込んだら、奴は大型魔獣を飼い慣らしてたんだよねぇ……全く歯が立たないどころか、仲間の半分が捕まっちまった。仕方なく、尻尾を巻いて逃げ出したよ」
「仲間が捕まったっていうのに、らしくねぇな。家族同然の仲じゃなかったのかよ」
痛いところを突いてしまったのか、歯を食いしばり、あからさまに苦々しい顔を見せた。
「仲間の命と引き替えに、金を要求されている所さ……王城に保管されている金品を盗んで、一億ブラン用意しろってね」
「一億? ふざけやがって」
冒険者がそれだけの金を稼ぐとしたら、ランクEが一気にSまで上り詰めるほどの額だ。
「そんな金、とても用意できやしない。奴を叩き潰す以外に方法がないんだよねぇ」
「それで俺を頼ったとしたら、随分お粗末な考えだったな。俺には何の旨味もねぇ。そんな状態で簡単に手を貸すと思うか?」
すると、ドミニクは口端をもたげて笑った。
「碧色様。俺の交友関係を甘く見てるんじゃないの? こう見えて、大陸中に散らばる賊たちへ顔が利くんだよねぇ。確か、行方不明のお兄さんを探してるって話、だよねぇ?」
まるで心臓を鷲掴みにされた気分だ。その言葉だけで鼓動がひとつ高鳴った。
「礼はしっかりとさせてもらうよ。俺のツテを頼って、最低一年間はお兄さん捜しを手伝おうじゃないの」
俺を試すような視線が腹立たしい。思いも寄らぬ好条件に迷いが生まれてしまう。
だが、それを見逃さなかった。ドミニクの瞳の奥へ潜んだ、薄暗くて底知れぬ闇を。
「とは言っても、断るなんて無理だろうけどねぇ……これで帰るなんて言われちゃあ、シャルロットがどうなっても知らないよ?」
「は?」
途端、背筋を悪寒が這い上がった。鞘に収めたままの剣。その柄を強く握り締めた時だ。
「俺に何かあっても同じことなんだよねぇ。表の部下がすぐに合図を送るよ」
「くそっ。ふざけやがって!」
吐き捨てるように言い放つと、ドミニクは勝利を確信した顔で微笑んだ。
「交渉成立と。まぁいいじゃないの。碧色様にも悪い話じゃないよねぇ?」
こうなれば覚悟を決めるしかない。どのみち、シャルロットの件が嘘だとしても、あの導師は確実に葬らなければならない。
「わかった。仕方ねぇから手を貸してやる。ただし、シャルロットには絶対に手を出すな。あいつに何かあれば、インチキ導師より先にてめぇらを皆殺しにするからな」
「怖いねぇ。それは碧色様の態度次第だ。大人しく力を貸してくれれば、絶対に危害を加えないと誓おうじゃないの。となれば早速、準備と行こうかねぇ。で、他のお仲間はどうしたんだい? 紅の戦姫に二物の神者。後は魔導師のお嬢さんか」
「あいにく、今は全員別行動。一緒に行くのは俺だけだ。悪いな」
明らかに落胆の表情を見せているが、それも当然のことか。
「ザコは粗方始末してくれたんだろ? 直接対決なら負けねぇよ」
寺院での奉仕活動はあったが、俺も漫然と過ごしていたわけじゃない。シルヴィさんに稽古を付けて貰い、基礎から鍛え直した。
老剣士コームとの戦いが常に頭の片隅にあった。彼をねじ伏せられないくらいでは、これから先を勝ち抜くことなどできない。
「がうっ!」
俺の想いを後押しするように、ラグが吠えた。
「ザコは減ったけどねぇ。念のため、ギルドへ討伐申請を出しておいて正解だったわ」
「討伐申請? 確かに冒険者どもが食い付いてくれれば、人手の確保には困らねぇな」
「敵の根城はここにも近い。見過ごすわけにはいかんでしょ? もう、五日前になるかねぇ。お国からの報酬って形で、根城周辺の魔獣討伐依頼が貼られてる。いざとなれば、国王軍が動くことも見越してるってわけ」
なかなか頭の切れる男だ。まぁ、そういった魅力がなければ部下も付いてこないが。
「なるほどな。となれば、そいつらが根城を見つけ出すより先に動く必要があるわけか」
「そういうこと。インチキ導師がいるのは、モントリニオ丘陵の奥にある洞窟。ここから歩いて四時間半ってところだねぇ」
「また洞窟か。それにしても、良くそんな場所を突き止めたな」
「王都で、奴が物資を買い込む姿を偶然見付けてねぇ。後を付けたってわけ」
「王都に? 随分と雑な警備だな」
とは言いながらも、ドミニクたちも入り込める程だ。王城への警備は厚いが、街は生誕祭で賑わっている。お尋ね者のような凶悪者でもない限り、咎められはしないだろう。
「どうやら洞窟の中は、大森林から地底湖で繋がっていたようだねぇ。俺たちを襲ってきた魔獣は水に濡れた軟体生物だった。刃が滑って通りにくい厄介な相手だよ。魔導師がいれば心強かったんだけどねぇ」
「軟体の水棲魔獣か……大森林を逃げた時もそいつを使ったわけか。まぁ、刃が通らないっていうなら俺には別の方法もある。刃へ魔法が通せることを忘れたのか?」
「そういやそうだったねぇ。碧色様にはくだらない話ってわけだ」
そこでようやくドミニクは安心した顔を見せた。腰を上げ、ゆっくり近付いてくる。
「時間もないからねぇ。とっとと始めようか」
「闇夜に乗じるつもりならやめておけよ。ただでさえ森の中なんだ。分が悪過ぎる。夜明けと同時に少人数で攻めるのが一番だ」
そこまで言って、急に不安が過ぎった。
「空からも見張られてるんだろ。俺たちの動きが伝われば、捕まっている仲間は助からないと思った方がいい」
「それは覚悟の上さ。あいつらが捕まった時点で、半分諦めてるからねぇ」
ドミニクは苦い顔をしながら、建物の外へ視線を向けた。
「表の三人から、ふたりを連れて行こうじゃないの。奴等は一番腕が立つ」
屋外へ連れ出され、改めて三人を紹介された。俺を案内してくれたジョスは弓矢を操る斥候役。長剣を携えたふたりは、ナタンとヤニック。共に二十二歳ということだが、彼等はどことなくアルバンとモーリスを彷彿とさせた。
ドミニクたちの戦力をアテにしているわけじゃないが、力量を測りかねている。ムスティア大森林での戦いを参考とするならば、ナルシスと同等か、それ以下程度に考えておいた方が無難だ。
「即席パーティだし、とりあえずこんなもんか。で、誰を連れて行くんだ」
俺の言葉に、ドミニクは三人の顔を眺めた。
「そうだねぇ。ヤニック、おまえが残れ。傷付いた奴等の看護を頼むよ。伝令係は、あの子に任せておけば問題ないからねぇ」
隣り合う建物の陰から覗いていた小さな人影。その姿が隠れるように消え、足跡が次第に小さくなっていった。
「あんな子どもまで?」
思わず軽蔑の視線を投げると、ドミニクは困ったように歯を見せて笑った。すると、ヤニックが不機嫌そうな顔をする。
「何も知らない部外者のクセに」
「そうカッカするなって。仕方ないだろ」
隣に立つナタンが、苦笑しながら彼の肩を叩く。そのまま、こちらへ視線を向けてきた。
「あの子は親に捨てられてね。身寄りがないのは不憫だと、隊長が引き取ったんです」
「そうなのか……」
年齢も構成もバラバラなドミニクの一味。全員が複雑な事情を抱えているのだということだけはハッキリとわかった。





