03 主人とメイドの関係
「おまえの名がバティストだと聞いた時、まさかとは思ったが。さすがに驚いた」
アランさんはしみじみとつぶやき、薬湯の入った木製カップを口へ運ぶ。
「うちの父も頑固職人ですからね。仕事場へ入れてもらうことすらできませんでしたけど、まさかアランさんが出入りしていたなんて」
初めて仕事場へ入ったのは15の時だったか。家では酒を飲んでダラダラしているだけのダメ親父が、ハンマー片手に鉄を黙々と打っていた。その背中へ漲る気迫に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えている。
「なんだか凄い偶然ですね。親方とリュシアン君は、出会うべくして出会ったわけですね」
カウンターの向こうで大袈裟に驚いてみせるブリスさん。わざとらしさの漂う反応だが、この場の空気を和ませるには丁度いい。
「リュシアン。おまえが先生の息子だとわかっていれば、取って置きのやつがしまってあったんだ。先生の下で修行を終えた時、独り立ちの記念に頂いた名剣だ。家宝にしようと思っていたが、眠らせておくには勿体ない」
「なんだ、そんなもんを隠してやがったのか。おまえは昔っからそうだ……鍛冶の自信作も、酒も、出し渋るのは悪いクセだぜぇ」
ルノーさんが呆れ顔でアランさんを見ている中、俺はブリスさんと顔を見合わせた。
口元を引きつらせた間抜け顔を見る限り、自白した形跡は微塵もない。ここは素直に白状して、謝るしかないだろう。
「アランさん。家宝にしようと思っていた名剣って、倉庫にあったやつですよね?」
「どうしておまえがそれを?」
「おふたりが出掛けた後、ブリスさんが見せてくれて。一目で気に入ってしまい、無理矢理に譲って貰ったんです。すみませんでした」
予想外にも、アランさんの厳つい顔が晴れやかなものへ変わった。
「そうか、そうか! いや、それなら良い! あるべき所へ収まるのが一番だ」
「でも、リュシアン君。その、恒星降注が手に入ったんだから、あの剣はもう必要ないってことだよね?」
この野郎。余計なことを言いやがって。
思わずブリスさんを睨んでしまった。
「重ね重ねすみません……あの剣ですけど、先日の魔獣討伐で粉々になってしまって」
アランさんとブリスさんが固まった。まぁ、ここまでは想定内だ。
「どうも無茶な使い方をしてしまったみたいで……本当にすみません」
「おい。ちょっと待て」
狼狽したアランさんが、カウンターから身を乗り出してきた。なんか怖い。
「俺の目に狂いがなければ、あれば竜骨剣だったはずだぞ。それが粉々なんて、おまえは何と戦ったんだ!?」
「あの……ちょっと巨大なトカゲと……」
「それはもう、惚れ惚れするお姿でした」
背後から、シルヴェーヌさんの声が飛んだ。
「あの剣でなければ打ち倒せないほどの強敵でした。むしろ、あの剣に巡り合わせて頂いたこの工房に、感謝しなければなりません」
彼女が深々とお辞儀をしたせいで、親方と弟子の視線が一点へ釘付けになっている。
目を逸らしたアランさんは、咳払いを漏らす。
「とにかく無事に済んだことだし、何も気にするな。ブリスの奴が剣を売ったと言うんなら、俺がとやかく言うことじゃない」
腕を組んでどっしり身構えているが、そこまで大切にしていた剣ともなれば相当なショックだろう。しかもあれは竜骨剣。まともに取り引きされれば百倍の値は付くに違いない。
ふと見れば、ブリスさんの顔が血の気を失っている。自分が犯した罪と損失を思い、言葉を失ってしまうのは仕方のないことだ。
「でも……」
「ごちゃごちゃ、うるせぇ!」
口を開いた途端、アランさんに一喝された。
「牡鹿の。こいつの気持ちも汲んでやれ」
ルノーさんが苦笑混じりにつぶやく。
「先生と呼ぶ人の息子が命を落としたとなりゃ、顔向けできなくなる所だったんだ。剣一本で命拾いしたってんなら安いもんだろ」
その微笑みは深い優しさに満ちている。
「本当に恩義を感じてるなら、その剣で碧色の名を轟かせてみやがれ。そうなりゃ俺たちも本望だ。応援してるぜぇ。一層、頑張れよ」
「本当に……ありがとうございました!」
深々と頭を下げた時、寺院の前で女将さんと交わした言葉を思い出した。
「そうだ。今回の御礼に、明日にでも牡鹿亭へいらして来てください。女将さんが腕によりを掛けて食事を振る舞ってくださるそうです。ぜひ、奥様がたも一緒にと。支払いは済ませてありますから、気兼ねなくどうぞ!」
今回の一件を聞きつけた女将さんから、絶対に伝えるよう言われていたのを忘れていた。危うく大目玉をくらうところだった。
そうしてシルヴェーヌさんと共に工房を後にした。沈み行く夕日が目に染みて、なんだか涙が零れそうだ。
「これもご主人様の人徳。一層、冒険者活動にも身が入りますね。それと同じくらい、ベッドの中でも身を入れて頂きたいものです」
「それはもういいじゃないですか。っていうか、いつまでその設定を続けるんですか」
「あら、ご主人様もまんざらではなさそうでしたが? 先程はあんな辱めまで。思いがけない行為にアソコが濡れ……むぐっ!」
一歩後ろを歩く姿を振り返り、慌てて口を塞いだ。これ以上喋らせるのは危険だ。
「宿に戻るまで卑猥な発言は控えろ。これ以上、表で騒ぐようなら、金輪際おまえの相手はしてやらないからな。わかったか」
目を見開き、無言で何度も頷いている。
「黙って後ろを付いてこい。おまえはメイドなんだ。それを忘れるなよ」
もう、主人とメイドの関係を貫くしかない。
そんなどうでもいい決意を胸に、薄闇に包まれた街中を歩いていた時だった。
「リュシアンさん!」
「がう、がうっ!」
ラグが嬉しそうに鳴き、冒険者ギルドの木製扉が開いた。現れたのはシャルロットだ。
「教会での奉仕活動、お疲れ様です。リュシアンさんには、私が奉仕してあげますね」
ここにも同じようなのがいるんだが。
白い歯を見せた人懐こい笑み。悪意もなく、可愛げがあるだけまだマシか。
苦笑を返した直後、あの人が割り込んできた。
「あいにく、ご主人様への奉仕は間に合っておりますのでご遠慮願います」
「へ? わぁっ! シルヴィさん!?」
明らかに動揺しているからやめてやれ。
「ど、ど、どうしたんですか!? なんなんですか、その格好は!?」
驚きと怯えが入り交じった顔で、じりじりと後ずさりしている。
「シルヴェーヌ、おまえは下がれ」
眼前に立つその肩を掴み、隠すように背後へ引っ張った。そうして、改めてシャルロットを見る。
「驚かせて悪い。あんな格好をしているが、色々と世話を焼いてもらってるんだ。で、どうした。何かあったのか?」
「あの……先日、父からもお願いがあったと思いますが、もうすぐ奉仕活動が終わりますよね。その後の王都訪問の件ですけど」
「あぁ、護衛任務のことか。任せとけって」
シャルロット本人からも聞いていたが、王都アヴィレンヌに用事があるため、一緒に連れて行って欲しいと頼まれている。彼女の父親であるルイゾンさんからも、くれぐれもよろしく頼むと念押しされている身だ。
謝礼を払うと言われたが、さすがにそんなものを貰う訳にはいかない。護衛はきっちりやるし、危険な目に遭わせるつもりもない。
「最低でも三日前には出発の予定を知らせる。当日も迎えに来るから安心してくれ」
「リュシアンさんが守ってくれるなら安心です。よろしくお願いします。ところで、ナルシスさんからその後、連絡はありましたか?」
「いや、なにも。何か聞いてるのか?」
困った顔で、おさげ髪へ指を絡める。
「みなさんが霊峰へ向かっている間に、ナルシスさんが持っていた最年少の昇級記録が塗り替えられてしまったんです」
「あぁ……あいつもセリーヌの昇格を手伝ったり、俺に付きまとったり、冒険者活動は疎かになってたからな」
そもそも本気で最速記録を維持したいのなら、毎日、依頼をこなすくらいの気概がなければ無理な話だ。
「で、その相手に会ってくると意気込んで、出掛けてしまったというわけなんですよ」
「なるほどな。で、相手はどんな奴なんだ?」
「ラファエル=マグナという二十歳の男性です。与えられた二つ名は、漆黒の月牙」
「大層な二つ名だな。でも、ナルシスごときが会いに行って、どうするつもりなんだ?」
あいにく聞き覚えのない名前だ。シルヴィさんなら知っているだろうか。
そう思って振り向くと、当の本人は僅かに離れた所で、通話石を握りしめている。
「悪い。何やら、新しい動きがあったみたいだ。そろそろ行かないと」
「あの……シルヴィさんに伝えて欲しいんですけど、あの方は、紅の戦姫と呼ばれる冒険者たちの憧れなんです! その……余り、印象を損なうようなことは控えてくださいと」
片手を上げてそれに応える。確かに、憧れの人物が持つ裏の顔を露骨に見せられては幻滅されても仕方ない。これだから、シルヴィさんとして付いて来いと言ったのに。
その当人は、イヤに真剣な顔をしている。
「メイドごっこはもう終わりね。二、三日中に、フェリクスが戻って来るわ」
ついに、あの人が帰ってくるのか。





