27 奇跡の少女と女神様
「素晴らしい。完璧だ!」
無駄に元気になってしまったナルシス。満面の笑みで、マリーの両手を固く握っている。
「だから、ほどほどでいいって言ったんだ」
瓦礫へ腰掛け治療を眺めていた俺は、その光景につぶやいた。
アルバンの報せで戻れば、馬を操るのは疲れ切ったエドモンだった。後ろには、青白い顔で負ぶさるナルシス。ジュネイソンの入口で合流するなり、マリーはその場で治療を開始。その間に、アルバンが皆を集めてくれた。
さっきまで死にそうな顔をしていたナルシスだが、それだけマリーの癒やしの魔法が効果絶大ということだ。他の面々も二人を囲むように集い、側で朝食の準備が始まっている。
「助かったっス。オイラの癒やしの魔法じゃほとんど効果がなくて……馬も操らなくちゃいけないし、本当に大変だったっスよ」
アルバンとモーリスが用意してくれた缶詰を頬張り、泣き出しそうな顔でぼやくエドモン。それどころか無事に来られたことが驚きだ。駆けつけてくれたのは有り難いが、魔獣に遭遇しなかったのは不幸中の幸いだ。
「エドモン君も、本当にありがとう!」
歯を見せて爽やかに微笑んでいるいるが、年下のクセに偉そうな所は相変わらずだ。どうやら、誰に対してもこんな感じらしい。
「ホントっスよ。やっと毒抜きの治療を終えたのに、すぐに追いかけるって言うんスもん……オイラまで倒れるかと思ったっスよ」
いや。それだけ食べられれば、倒れる心配は皆無だろう。むしろ、俺たちが食べるだけの量が残されるのか。そっちの方が心配だ。
ラグもラグで、エドモンが平らげた空き缶へ鼻を突っ込んでいる。
「どうせなら、その辺に置いてくれば良かったんだ。合流しても、死にかけじゃ戦力外だ」
ナルシスは肩まで伸びる金髪を振り乱し、険しい視線を向けてきた。
「戦力外だと? 今すぐ取り消し、速やかに謝罪したまえ。この細身剣が奏でる串刺しの刑で、君の胸を貫くことになるぞ」
「あぁ。怖い、怖い。俺が悪かったよ」
「ぐぬぅ……リュシアン=バティストめ」
歯噛みをして悔しがっている。自分の力量をわきまえ、かかってこないだけ立派だ。
「ところで、びゅんびゅん丸はどこだい」
「悪い。衛兵に追われて、アンナが囮になってくれてな。今はあいつが乗ってる」
「僕の馬を又貸ししたのか!? なんて奴だ」
「仕方ねぇだろ。それしかなかったんだ」
「びゅんびゅん丸に何かあれば、許さないぞ!」
その怒声を掻き消すようなエドモンのゲップが聞こえた。嫌悪感を露わにしたのは女性陣だ。初対面のマリーとリーズは何も言えずにいるが、シルヴィさんは違う。
「ちょっと、エドモン。いっつも言ってるけど、もっと品行方正にできないの。魔導師のクセに、体も心もだらしないんだから」
「品行方正って、酒グセが悪くて露出狂の姐さんに、とやかく言われたくないっスね〜」
さすがに笑いを堪えられなかった。
「エドモン。あんた、大司教様の所へしばらく弟子入りさせてもらったら。その腐った性根を叩き直してもらいなさい」
殺意を秘めた切れ長の目に睨まれている。エドモンはその視線から逃げるように、慌ててこちらを向いてきた。
「皆さんも大変だったみたいっスね。肝心な時に側にいられず申し訳ないっス……それに、相手の大将まで自害するなんて驚きっスよ」
「まぁ、誰も予想しねぇ結末だよな」
ニコラとカロルは埋葬したが、Gと、首を噛み切られたMの遺体は馬車へ積んである。用心深いGが万一を見越して、廃墟のひとつで馬を生かしておいてくれたのは幸いだった。お陰で問題なく馬車を使うことができる。
大人数の賑やかな朝食。アルバン、モーリス、リーズは積もる話があるのだろう。俺たちから僅かに離れ、三人で食事を摂っている。
そうして食事を終えると、隣にマリーを座らせた大司教が口を開いた。
「皆さんには命を助けられ、多大な恩を受けました。これも、女神ラヴィーヌの思し召し」
胸の前で両手を組み、祈りを捧げる。息を吐きながら目を開けた。
「厚かましくもお願いがあります。マリーを、あなたがたの旅へ加えて頂けませんか」
「は!?」
「昨晩、彼女とは話が済んでいます。これは本人も望んでいることです」
驚きに言葉が出ない。マリーを自由にしてやれとは言ったが、俺たちに付いてくるとは。
「でも、寺院の勤めはどうするんだ」
「問題ありません。代わりの司祭もいます。今までのような奇跡の癒やしはできませんが、自分にできる最大限のことをするだけです」
それは本当に穏やかな笑みで。大司教の中で、何かが吹っ切れたのかもしれない。
「マリー、おまえはまだ若い。自らの見聞を広めるためにも世界を見る必要がある。幸い、ここにいらっしゃる皆さんは腕が立つ」
そして不意に、険しい顔付きへ変わる。
「それに、やつらの仲間がいないとも限りません。正直、寺院の力ではこの子を守り切れるかどうか……あなた方と共に行くことが、彼女のためにもなると思っています」
大司教の言葉に続いて、晴れやかな笑みを浮かべたマリーが、熱い眼差しを向けてきた。
「私を……仲間に迎えて頂けますか?」
そんな綺麗な瞳を向けられると、断るに断れない。だが水竜女王と約束した以上、俺としてもその方が助かるのは事実だ。
「ありがたい話だけど、俺たちは冒険者なんだ。命の保証はできねぇ。寺院に置いておくのが不安だっていうなら、他にもやりようはあるだろ。まぁ、ヴァルネットへ戻れば、俺が仕切る宿に空き部屋もある。寺院で雇って貰えば仕事にも困らねぇだろうけど……」
「ナルシスさんの話によれば、魔導師の女性が抜けてしまって困っているとか。私で力になれることがあれば是非。というより私が、あの方にもう一度、お会いしたいんです」
「は?」
「あの方はきっと、女神様の生まれ変わり……ラヴィーヌとセリーヌ。似ていると思いませんか。これはきっと、偶然でなく必然」
似ているのは音だけだ。あんなとぼけた女神がいたら、この世は既に終わってる。
「女神様は寺院で、私にこう仰ったんです。最後まで力になれなくてごめんなさい、って。凄く寂しそうな顔でした……」
訴えるようにつぶやきながら、純白の法衣の胸元を強く握りしめる。
「本当に救いを求めていたのは、私でなく女神様なんです。あの方にもう一度、会わなくてはならないの。胸の中がどうしようもなく騒ぐんです。だから、お願いします!」
「わかっ……」
返事の途中、隣に座っていたシルヴィさんが腕を絡めてきた。
「一つだけ条件があるわ。リュシーは私のものだから、絶対に手を出さないこと。もし何かあれば、その時は覚悟して頂戴ね」
すると、マリーは柔らかく微笑んだ。
「心配無用です。正直に言って、私の好みとはかけ離れていますから」
「そう。ならいいの。歓迎するわ」
俺が引きつった笑みを浮かべていると、マリーが駆け寄ってきた。
「早速ですけど、お願いがあります。女神様がお使いになられていた、冒険者用の腕輪を預かっているそうですね」
「あぁ。あるけど、それがどうした」
俺が座る外套へ身を乗り上げ、四つん這いになって迫ってくる。
顔が近い。綺麗に整った小顔に、酷く焦ってしまう。
「女神様が戻るまで、私に貸してください。変わりの魔導師として、皆様に従事します」
「魔導師って……治癒以外の攻撃魔法は使えねぇんだろ?」
「ギルドから派遣されてきた魔導師の方々に教わったので、少しは。エドモンさんとレオンさんにも教わって、頑張りますから」
その勢いに気圧されてしまう。こんな美人魔導師なら大歓迎だが、命の危険が心配だ。
「でもなぁ……」
「いいんじゃない? どのみち登録も解約するつもりだったんでしょ? この娘に有効に使って貰った方が得策じゃない」
呑気なことを言うシルヴィさん。というか、いい加減、離れてくれないと恥ずかしい。
「それってつまり、セリーヌだと偽って冒険者活動するってことですよね。よくよく考えたらマリーも十七歳だし、登録不可能だ」
「それなら問題ありません。私、次の月で十八になりますから。冒険者活動も、ギルドでの手続きは皆さんにお任せします。後ろで顔を隠して、黙って見ていますから」
「これだけの治癒魔法の使い手だ。そこまで言われると何も言えねぇよ」
「やった! これで女神様を探せる」
飛び上がって喜ぶマリーを、大司教は穏やかな眼差しで見つめていた。
「その聖者の指輪は餞別に贈ろう。立派になって戻る日を待っている」
「ありがとうございます」
両手を組んで華やかに微笑んでいるが、これは大司教の前で見せる仮の姿だということも良く分かっている。女って怖い。
二人を眺めていたら、昨日の疑問が浮かび上がってきた。シルヴィさんを振り解き、改めてマリーの体越しに大司教を探した。
「ジョフロワ、教えて欲しい。大司教のあんたなら知ってると思うんだ……」
この国から竜の信仰が失われた理由。彼ならきっと、有力な情報を持っているはずだ。





