08 覚醒の余韻、そして異物
凄まじい威力。
聞き覚えのない魔法だった。
呆然と立ち上がると、杖を握ったセリーヌが駆け寄ってくる。
「取り乱してしまい、申し訳ありません」
息は乱れているが、戦えるだけの力は残っているようだ。
彼女を気遣う余裕もないまま、視線を魔獣へ戻した。
敵も先程の氷結魔法で凍えていたらしい。
激しく体を振り乱し、付着した霜を振り払っている。
全身に漲る怒りが、肌を刺すように伝わってきた。
いかに強靱な魔獣でも、いつまでも吐息を吐き続けられるわけじゃない。
肺の空気を使い切った今が好機だ。
「セリーヌ。もう一度、魔法を頼む」
再び魔獣へ駆け出す。
背後から、セリーヌの詠唱が流れ始めた。
彼女の周囲の空気が、ひときわ強く揺れる。
魔力を感じ取れない俺ですら、何かが震えたとわかるほどだ。
恵みの証、母なる大地。
生命の証、静寂の水。
躍動の証、猛るは炎。
自由の証、蒼駆ける風。
美しい声が夜気を震わせる。
爪を避けながらも聞き惚れてしまい、魔獣の動きすら遅く感じた。
敵も魔力が尽きたのか、ただ力任せに振り回しているだけだ。
力の証、蒼を裂き、
轟く雷、我照らす。
詠唱が終わる。
背後の気配が一変した。
別人になったかのような、揺るぎのない存在感だ。
「地竜裂破!」
轟音と共に地面へ巨大な亀裂が走り、一直線に魔獣へ伸びてゆく。
左前脚が飲み込まれ、魔獣が大きく体勢を崩した。
「よし!」
剣を水平に構える。
刃は体内の魔力を吸い集め、碧色の輝きをさらに強めてゆく。
凝縮された魔力球が脈動を始めた。
竜の力を再現したかのような、荒ぶる力。
狙うは、右の頭だ。
「竜牙天穿!」
突き出した刃の先端から、碧色の魔力球が解き放たれる。
馬車すら飲み込む大きさだ。
疲弊した魔獣に、避ける暇はない。
直撃。
右頭は吹き飛び、盛大な血しぶきが夜へ舞い上がった。
「もうひとつ」
残る左頭が牙を剥き、俺を噛み砕こうと迫る。
だが、その前にセリーヌが走り込んでくる。
「竜牙天穿!」
眩い閃光。
反射的に腕で顔を覆った。
耳元で爆発が轟き、衝撃に体を持って行かれそうになる。
どうにか踏みとどまった。
光が収まる。
そこに残っていたのは、左半身を消し飛ばされ、内臓を撒き散らした魔獣の残骸だった。
これほどの力は、見たことがない。
彼女の魔法はどこか異質で、特別で、美しい。
「お怪我はありませんか。まさか、あなたも竜臨活性を使えるだなんて。驚きました」
「竜臨活性?」
見ると、セリーヌの髪と瞳も鮮やかな黄金色に染まっている。
先程の詠唱の効果だろうか。
「知らずに使っていらしたのですか。その力は、紛れもなく私と同質のものです」
「同質ってことは、この力について何か知ってるのか!?」
問い返したが、セリーヌは魔獣の死骸を見据えたまま動かない。
釣られるように視線を向け、背筋が凍った。
絶命したはずの左頭が、こちらをじっと見ている。
「まさか、この子がこうも簡単にやられるとは。ひとまず、おめでとうと言っておこう」
男の声。
だが、喋っているのは魔獣の口だった。
死肉の隙間から、漏れるように響いてくる。
「どうなってやがる……」
「この体を操っている何者かがいます」
セリーヌの声も険しい。
だが、正体は掴めていないようだ。
「てめぇは何なんだ。出て来い。ぶった斬ってやる」
生気のない狼の口から、忍び笑いが漏れる。
「穏やかではないな。だが、君たちの魔力。ぜひとも欲しい力だ」
背筋へ冷水を浴びせられたような不快感。
やり場のない怒りに、拳が震える。
「あなたの目的は何なのですか」
セリーヌも同じだろう。
杖を握りしめ、魔獣の顔を睨み据えている。
「この子の力試しに付き合って頂き感謝する。お陰で、こうして君たちと知り合えた。私のことは……終末の担い手、とでも覚えておいてもらおう」
理解できない。
理解する気もない。
今はただ、こいつを引きずり出し、ランクールの人々の前で土下座させたい。
それだけだ。
「てめぇの勝手で、この街の人がどれだけ苦しんだと思ってんだ」
不意に、兄の言葉が脳裏をよぎる。
『魔獣に苦しめられている人たちもたくさんいる。みんなが手を取り合うべき時に、人同士が争うなんて悲しいじゃないか』
街で見た光景が次々と浮かぶ。
泣き叫ぶ子供、それを抱きしめる母親。
炊き出しに奔走する者、救護に走る者、壊れた家屋を直す者。
多くの命と夢と希望が奪われた。
そのすべてが、顔も見えないこいつの遊びだとしたら。
「てめぇだけは……絶対に許さねぇ」
「んふっ。冷静が肝要。次はもっと面白いものをご覧に入れよう。蜘蛛に囚われた森。そこを探してみることだ。では、ご機嫌よう」
「待て!」
叫びと同時に、赤い目から光が失われた。
魔獣の巨体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「魔力が消えました……どうやら逃げられたようです」
セリーヌの声が、夜へ溶けていった。
「くそっ」
怒りのままに剣を振るう。
風の刃が、魔獣の顔を正面から裂いた。
狼の額から溢れた髄液が、大地へじわりと広がる。
見えない悪意に世界が侵食されているようで、胸が焼けるほど苦しい。
「ふざけんじゃねぇ!」
どれほど叫んだだろう。
気付けば息が切れ、セリーヌが小さく息を吐く音が聞こえた。
彼女はナルシスへ魔導杖を向けている。
青白い光。
癒やしの魔法だ。
やがて光は消え、セリーヌの体からも黄金色の輝きが失われた。
彼女の力ない笑みに応え、釈然としない思いを無言で分かち合う。
「じきに目を覚まされると思います」
「ありがとう。何から何まで悪いな」
戦いは終わった。
だが、大事な謎が残っている。
竜の力。その正体を突き止めてみせる。
「なぁ、セリーヌ。この力のことだけど……」
彼女は周囲を気にするように近寄り、口元を手で覆った。
「安心してください。誰にも申しません。見付かれば大騒ぎになりますから。ですが、私など、竜臨活性を使うだけでもためらってしまうのに」
「敵を倒すのに、ためらってる場合じゃねぇだろ」
釣られて小声になってしまう。 秘密を共有しているようで、胸が落ち着かない。
「竜眼を使えば問題ありません。今回の対処は任せてください」
「竜眼? なんだそれ」
セリーヌは、きょとんと首を傾げた。
「仰っている意味がわからないのですが」
「だから、この力について教えてほしいんだ」
「おかしな方ですね。今さら、何を知りたいと仰るのですか」
からかうような口調。 本気なら、この力は彼女の世界では一般的なのかもしれない。
「俺がこの力を得たのは二年前だ。説明もなく、突然、一方的に与えられた」
「一方的に……」
怪訝な色が浮かぶ。
「おかしいか。この力って、生まれつきのものなのか」
警戒されている。
このままではまずい。
「あのさ……どうやら、記憶をなくしちまったみたいでさ」
「それは……災難でしたね」
胸が痛む。
だが、今は割り切るしかない。
「だから、一から教えてほしい。何か思い出せるかもしれない」
祈るように見つめた。
セリーヌだけが、この謎を解く鍵だ。
その先に、兄の姿さえ見え始めている。





