09 逆転への好機
ニコラは、どうやって俺たちの位置を割り出したのか。こいつが知っているということは、相手側にも筒抜けなのだろうか。
「アルバン君、聞こえているなら返事をしてよ。早くしないと、Gを倒す機会がなくなっちゃうんだよ」
隣で身を潜めるアルバンを伺うと、力強い顔付きで一つ頷き返してきた。
「ニコラ、僕だ。他に誰かいるのか?」
「良かった。無事だったんだね。誰もいないから安心して」
弾んだ声は、本気で仲間のことを心配していた様子が窺い知れる。
「どうして俺たちの居場所が分かった?」
「その声は、碧色の閃光さんですか? モーリス君から全部聞きました。僕がこのまま、二人を誘導するから」
「モーリスは無事なのかい?」
アルバンが心配するのも納得だ。定時連絡を聞く限り、取って食われそうな相手だ。
「大丈夫。Gの命令で、カロルとCとMを連れて、馬車で見回りに行ってる。寺院に残ってるのは、GとDだけ」
先程の馬車が、まさにそれだったか。
「Dは魔導師だったよな?」
俺の言葉にアルバンが頷く。
女性魔導師なら切り抜けるのは容易いだろう。モーリスは思った以上の働きだ。
「なるべく遠くまで馬車を走らせるって言ってたから、今のうちだよ」
ニコラの言葉を受け、アルバンは覚悟を決めた顔でこちらを見てきた。
「逆転への好機はここしかありません」
ニコラに先導を頼み、並木の陰を移動。そのまま崩壊した街中へ進む。先を行くその背を見ながら、不意に疑問が浮かんだ。
「ニコラ。おまえだけなら、このまま逃げることもできたんじゃねぇのか?」
「うん。そうなんだけど、カロルを置いてなんていけないよ。彼女は、僕が付いていないとダメなんだ!」
不意に感じた違和感。何かがおかしい。
「モーリスの話じゃ、彼女はGになびいたんだろ? カロルとは縁を切るって、凄ぇ怒ってたんだぜ」
「あ、碧色さん。ちょっと……」
アルバンに遮られた直後だ。足を止めたニコラに険しい形相で睨まれる。
「あれは絶対に嘘なんだ。嘘に決まってるんだ! 僕たちを騙して、Gの命を取る機会を窺ってるだけなんだよ!」
「ニコラ、落ち着くんだ!」
アルバンがすかさず割り込み、必死になだめてくれた。どうやら俺は、触れてはいけない所へ不用意に飛び込んでしまったらしい。
ようやく落ち着きを取り戻したニコラは、再び寺院へ向けて動き出した。
「碧色さん、気を付けてください。彼の前で、カロルの話は禁句なんです」
「そうなのか? 悪かったな……」
謝りながらも、なんだか腑に落ちない。だが、ここまではすこぶる順調だ。このまますんなり終わればいいのだが。
「碧色さん、気を付けて。地中や建物の陰に、Gが仕掛けた罠があります。魔法石が埋められていたり、無人の弓矢や投石機。縄で吊された斧が振り子のように向かってきたり……」
「とことん陰険な奴だな」
言葉を交わしながらも、ニコラの手招きに従い、建物の陰を移動してゆく。
警戒心が強く、勘が鋭い男。今回の相手は一筋縄ではいかない。
街の中心部へ進むにつれ、目に付くのは崩壊した木造家屋。かつては賑やかな街だったのだろうが、その面影は微塵もない。街の中央を流れる用水路は濁り淀み、緑豊かであったろう木々たちはことごとく薙ぎ倒されている。
アルバンとモーリスの話では、街が滅んだ原因は魔獣の襲撃ということで処理されているらしい。だが、マリーはこの光景を目にして、何を思うのだろうか。直接に手を下したわけではないが、この事態を引き起こした大司教はどう償っても許されない。
そうしてついに、寺院の崩れた門が見えた。
「ようやく来たか……」
カルキエの街を出て約三日。Gたちを衛兵に引き渡して濡れ衣を晴らせば、俺の逃走劇も終わりを迎える。
建物の陰から門を伺っていると、数歩先に立つニコラが声を上げた。
「Gは寺院の中にいるよ。Dが中庭にいるはずなんだ。僕が注意を引くから、碧色さんが息の根を止めてください」
「俺かよ!?」
よりによって、女を斬る羽目になるとは思わなかった。拒絶反応を示すように、闘争心が萎えてしまう。
「がう、がうっ!」
俺を奮い立たせるかのように、ラグが必死に呼びかけてくる。
「僕からもお願いします。万が一、仕留め損ねるようなことがあれば、僕たちでは返り討ちにされるのは目に見えていますから」
「どいつもこいつも情けねぇ」
そこには俺も含まれているのだが、こうなればやるしかない。女と言えど敵だ。情け容赦を見せれば、こちらが危ない。
アルバンの顔を見ながら溜め息を吐き、鞘に収めた魔剣の柄を強く握りしめた。
「僕が正面から入るね。二人は横から」
「分かった。じゃあ、行くぞ」
ニコラと別れ、崩れた石造りの外壁へ身を寄せた。それをなぞりながら、寺院の横手を目指して進んでゆく。
それにしてもかなりの広さだ。建物自体は大司教のいた霊峰の寺院と同等だが、緑豊かな敷地は建物の四倍程度か。植栽の隙間から見える敷地内は、中央に噴水が確認できた。さすがに今は枯れ果てているようだが、この街が活気に満ちていた頃は、礼拝に訪れた人々の憩いの場だったのだろう。
「この先に、外壁の崩れた場所があります」
アルバンの誘導に従い、壁を越え、身を低くして植栽を掻き分ける。辿り着いたのは中庭の先、寺院の横手に当たる場所だった。
道を引き返すように、建物に沿って中庭を目指す。するとそこには、俺たちに背を向けて立つ女の姿。
こちらからでは顔が分からないが、腰まで伸びる黒髪と、黒を基調とした法衣は確認できる。向かいにニコラがいることから、あれが魔導師のDで間違いないだろう。
「一気に決めてやる」
足下から手頃な石を拾い上げ、ベルトに差したスリング・ショットを引き抜く。
「くらえ……」
歯を食いしばり、ゴム紐を目一杯に引き絞る。つがえた石は勢いよく飛んだ。
「痛っ!」
石が魔導師の右腕を直撃。不意の激痛に驚いた女は、魔導杖を取り落とした。
混乱した女は完全に反応が遅れている。剣を手に駆ける俺を見て、慌てて杖を拾おうとしているが手遅れだ。
刃の切っ先を女へ向けて飛び込む。この一撃にためらいや迷いは一切なかった。
こちらを見て驚きに見開かれた瞳。きつめの印象を受ける顔立ちだが、理知的な雰囲気を持った美人だった。
そのまま刃が女の胸を貫くはずが、異変は突如訪れた。
まるで俺の動きを読んでいたように、女が横へ飛び退いた。それと入れ替えに、眼前へ大量の黒い粉が振りまかれたのだ。
「げほっ!」
それを思い切り吸い込んでしまった直後、呼吸が苦しくなり、その場へ四つん這いにくずおれていた。
喉が焼けるように痛み、目が霞む。揺られたように視点が乱れ、定まらない。
「がううっ!?」
すぐ側でラグの情けない悲鳴が上がり、その気配は忽然と消えた。俺が状態異常になったせいで、存在を維持できなくなったのだ。
「碧色さん!?」
アルバンの声が遠い。そこへ、女とニコラの笑い声が聞こえてきた。
「こんなにうまく行くなんてね」
地面を見つめる眼前に、革袋が落とされた。
「G特製の即効性毒粉塵。美味しかった? 三十分は動けなくなるんだって」
「ニコラ。僕たちを騙したのか!?」
アルバンの険しい声が飛んでいる。
「裏切ったのは君たちじゃない。裏切り者には制裁をって、Gにいつも言われてるでしょ。僕はそれを実践しただけ」
どうにか顔を上げると、視界を遮るように黒の法衣が割り込んできた。
「碧色ぅ。よくもやってくれたわね」
魔導師に右手を踏みにじられているが、全身を襲う苦痛が勝り、痛みをまるで感じない。
「ニコラ、こいつを特等席へ運んで。アルバンは見世物への出番だよ」
「見世物?」
いぶかしむアルバンの声。
すると女は、顎で中庭の先を示した。
「連れてきな」
女の言葉を待っていたように、寺院の陰からゆっくりと歩み出してきたふたつの人影。
それを信じることが出来ない。なんとそこにいたのは重量鎧の剣士と、両腕を縛られたモーリスだったのだから。
「碧色、アルバン。すまない」
「どういうことなんだ!?」
アルバンの声は驚きに震えている。
「裏切り者二人による決闘。あんたたちには命を懸けて戦ってもらうからね。勝者には賞品を……なんだと思う?」
女魔導師の意地の悪い声が不快だ。
「勝者には、リーズを与えるってさ。Gは寛大だよ。あの子と一緒に、晴れて解放してくれるっていうんだからね」
ふざけた規定だ。目の前で、史上最悪の決闘が始まろうとしている。





