07 黒幕との邂逅
結局、戦士の姿を頭の中から消し去れず、一睡もできぬまま夜が明けた。
抜け殻のように荷台の片隅へ背を預け、移りゆく景色を呆然と眺めているだけ。何かをしようという気力も沸かない。
空が明るくなってきた頃にはアルバンの体調も回復。話へ加わるだけの活力を取り戻していた。しかし下手な情報を渡すこともできず、当たり障りの無い話を続けながら、馬車は街道をひた走った。
すると、横になっていたアルバンが慌てたように身を起こし、御者台へ近付いていった。
「定時連絡は?」
モーリスは、胸元から出した懐中時計を覗く。
「もう七時になるのか。そろそろマズイな」
「ちょっと待て。何の話だ」
慌ててふたりへ近付き、話に割り込んだ。
「本隊へ定期的に連絡をする決まりなんだ。AかBの役目だが、代わりにやるしかない」
「だから、待てって言ってんだろうが」
まさかそんな決まり事があったとは。だがこれは、逆に使えるかもしれない。
「連絡は一切入れるな。万が一、通信が入ってきても無視するんだ」
『え!?』
ふたりの驚く声が重なった。
「放っておけば、向こうも異変に気付くだろ? こっちは全滅したと思い込む。加護の腕輪は、絶対に回収だったよな?」
「確かに、その通りですが……」
困惑しながら、アルバンが答えた。
「腕輪の回収に誰かが行くとなれば、敵の戦力を裂く好機だ」
「なるほど、さすが碧色さん」
「どのみち、アルバンが目を覚ましたら馬車を捨てて、馬で行くつもりだったんだ。荷台を隠して、更に時間を稼げば……」
「ちょっと待った!」
異論を唱えたのはモーリスだ。
「確かに名案かもしれない。でも、俺とアルバンまで死んだとなれば、捕らわれているリーズはどうなる。最悪、すぐにでもお払い箱なんじゃないのか?」
「確かに、モーリスの言う通りかも……」
明るくなったはずのアルバンの顔が、にわかに曇ってゆく。
「ってことは、正面突破だけか?」
こうなると非常に厄介だ。こちらの動きは、かなり制限されてしまう。
「僕とモーリスで街へ戻って、あいつらの気を引きます。碧色さんは死角から忍び込んで、人質を助けてください」
「死角があれば、の話だけどな……」
俺の言葉に、モーリスが苦笑を浮かべた。
「でも、それしかないんだろ? しかも、俺とアルバンが行くのも不自然過ぎる。街へ戻るのは俺一人でいい」
そうして、魔導通話石を起動させた。
報告の内容は単純。グラセールからジュネイソンの中間にある宿舎。そこで俺を見付けたが、返り討ちに遭い取り逃がした。戦いの末、AとB、アルバンが命を落としたというものだった。
『てめぇだけ、おめおめと生き残ったわけか? つくづく使えねー奴だな』
「申し訳ありません」
奥歯を食いしばり、必死に怒りを噛み殺すモーリス。その肩は小刻みに震えていた。
『まさか逃げ出したわけじゃねーだろうな? 壁になるために、てめぇらを同行させたんだろーが。この役立たずが』
この声の主こそが一団を仕切る、Gと呼ばれる男性剣士らしい。この会話だけで、生かす価値もない奴だと確信した。
『ちょっと黙れ』
すかさず沈黙が降りた。鳴り響くのは、馬の足音と車輪の回る音。
『てめぇ、馬車で移動してんのか? なんで馬だけで移動しねーんだ』
「これは、その……」
焦り、言いよどむモーリスを見て、こちらにまで緊張が伝わってくる。呼吸をしただけで気配を悟られてしまいそうだ。思わず息を止め、モーリスの横顔を黙って見守った。
『誰かいるのか?』
この男、頭の悪そうな話し方だが鋭い。
「いえ、自分の勝手な行動です。馬車は高価ですし、馬たちだけでも連れ帰ってやろうと」
上手い。咄嗟に機転を利かせたか。
『はぁ? てめぇの脳は腐ってんのか! 馬車なんていくらでも買えんだよ。このグズ! まぁ、そこまで来てんならもういい。さっさと戻って来い! いいか。日没までに戻らなけりゃ、リーズをぶっ殺すからな!』
語気荒く、通信は強制的に終了した。そして安堵と同時に、止めていた息を大きく吐き出す。本当に、生きた心地がしなかった。
「なるほど。確かに凄まじい奴だな……まぁとりあえず、ジュネイソンまでは落ち着いて行くとしよう」
先へ進むに連れ、左方へ広大な森林が見えてきた。その先には壮観な山脈が連なり、遙か先へと続いている。
幌から身を乗り出し、圧巻の眺めに感嘆の息を漏らしてしまった。
「がううっ!」
絶景の開放感と爽やかな風を受け、ラグも大きな叫びを上げている。
「すげぇな……この山脈、ジュネイソンの先まで続いてるんだよな?」
「カスティエン山脈ですね。水源も豊富な土地だと聞いています。ジュネイソンの側には、オーヴェル湖という巨大な湖もあるそうです」
「オーヴェル湖?」
隣で解説するアルバンへ問い返した。
「ジョネイソンの住民たちは、その水源を生活用水に利用していたそうです。湖へ流れ込む巨大な滝が有名らしいですよ」
「巨大な滝? 初めて聞いたな」
「それについては、僕たちよりマリーさんの方が詳しいと思います。興味があるのなら、聞いてみたらどうですか?」
別に、滝を楽しむような趣味はない。曖昧な返事をして話を打ち切った。
そのまま街道を進み、時刻は正午。俺たちは馬車の中で食事を摂ることに。
荷台の片隅には荷物入れの籠が設置されていた。六人分の外套の他、飲み水の入った水袋や缶詰などの食料が備えられている。しかし、食べ過ぎて戦えないなど愚の骨頂。依頼前は空腹を満たす程度の軽食というのが我流だ。しかもこの馬車は敵の物。おいそれと手を出すなど無警戒にもほどがある。
アンナと分かれる際、びゅんびゅん丸から外しておいた革袋。そこから干し肉とドライフルーツを取り出し、空腹を満たした。正直、それほど食欲も湧かなかったが、この後の戦いのために栄養補給は絶対だ。
自分自身へ言い聞かせ、無理矢理に飲み下す。しかしそれは、口へ運んだ水袋と同じように何の味も感じなかった。
「久しぶりに腹一杯食えるな。おい、アルバン。おまえもどんどん食え!」
「そんなに食べられないって」
対してモーリスは、これまで虐げられてきた鬱憤を晴らすように次々と缶詰を平らげている。どうやら、一団の連中に食事量まで制限されていたらしい。
モーリスの見事な食べっぷりを見て、ラグは物欲しそうに凝視していた。
だから、おまえは食えねぇだろうが。
そうして十五時を過ぎた頃、眼下に広がる盆地の先へ、ジュネイソンの廃墟が現れた。
「ここからは別行動だ」
アルバンと共に馬車を降り、木々に囲まれた廃墟へ視線を凝らした。
朽ち果て、一部しか残されていない建物も見受けられるが、五千から八千人規模といったところだろうか。
ふたりの話では、街が襲撃された際には魔獣の群れも放たれていたという。それを裏付けるように、森に最も近い建物は跡形も無く崩れ、中心部へゆくほど原型を留めた物が多い。それら残された建物の中で一際目立つのが、尖塔を持った大きな寺院だ。そこが一団の根城になっているのだという。
だが、これほど大きな寺院も珍しい。それほど怪我人が多発したとも思えないことから、礼拝の盛んな地域だったのかもしれない。
「ジョフロワとマリーが心配だな。今すぐにでも乗り込みたいところだけど、こういう場合はやっぱり、夜が定石か」
シルヴィさんとレオンの動きも気になる。俺たちが遠回りをしていた分、ふたりが先行していてもおかしくない。既に終わった後ならば、本当に助かるのだが。
でも、事情を知らないふたりが乗り込み、ニコラとカロルまで始末してしまったとしたら、それこそ後味の悪い展開だ。そういう意味でものんびりしていられない。
胸ポケットへ移した魔導通話石を確認する。うまく連絡がつくといいのだが。
「夜まで待つのは妥当だと思いますが、Gは用心深い男です。モーリスが戻り次第、次の手を打つと思います」
「次の手?」
その声に、アルバンの顔を伺う。
「いつでも踏み込めるよう備えるべきです。ここは水源が豊富なこともあり、緑豊かです。木々に身を隠し、あそこを目指せば……」
指さすその先には、森から街中へ続く、太い用水路が流れていた。
「用水路を挟んで並木道が続いています。うまく身を隠せるかと。最悪、水路の中を泳いで進むという手もあります」
「泳ぐって、この装備だぞ。俺は魔力障壁があるからなんとかなるけど、おまえはそれもない上に軽量鎧だろ。溺れるじゃねぇか」
「最悪、と言ったじゃありませんか。でも、そうなれば鎧を捨てるだけです」
それだけの覚悟があるということか。俺としても泳いで進むのは避けたい。
「話はまとまったか? 後はお互い、うまくいくように祈るだけだな」
御者台に座るモーリスの声が届く。
「モーリスも気を付けて」
「大丈夫だ。リーズを助けて、三人で街へ戻るって決めただろ。絶対に諦めるなよ」
「分かってる。絶対にやり遂げる!」
知り合ったばかりのふたりだが、こんなやり取りを見せられると、絶対に死なせたくないと思ってしまう。
再び、人間相手に刃を向けなければならない。挫けてしまいそうなその心も、解放を望む二人の生き生きとした顔に、多少なりとも救われている気がした。





