05 勝者こそが正義
アルバンは俺の胸の内を覗くように、鋭い視線を向け続けてくる。
俺の大切な物は何だ。そのためになら全てを投げ打ち、悪魔にもなれるほどの物とは。胸の奥がひどく痛む。まるで古傷を引っかかれているように、痛みは疼きを増している。
甘い。そうなのかもしれない。思い返せば、ドミニクたちとの戦いから既に始まっていた。情けがやつらを取り逃がし、結果として報復という新たな危険を生んでしまった。でも、それだけじゃない。寺院での戦いも、俺が魔導師たちを完全に制圧していれば、大司教が攫われることはなかった。
結果的に俺の覚悟が半端なせいで、みんなを危険に晒している。人を斬りたくないなどという偽善的な綺麗事で、全てから逃げているだけなんじゃないだろうか。人を斬ることと魔獣を斬ること。その差は一体、何だ。
「悪かった。ここからは俺も本気だ」
足下へ降ろしていた視線を上げた時、アルバンの体へ残された変化に気付いてしまった。
「おまえ、左腕を……」
二の腕が切り裂かれ、指先から赤い物が滴り落ちている。
「あ、これですか。弓矢使いが投げてきた短剣を、避け損ねてしまって」
直後、体が大きく傾き、地面に両膝を突いてしまったアルバン。恐らく、あの短剣にも毒が仕込まれていたのだろう。倒れそうになる体を右腕で支え、苦しげに喘いでいる。
直撃を受けたナルシスが動けなくなったほどの毒だ。腕を切り裂かれただけでも確実に体を蝕まれているはず。
「悪い。俺が払い落としていれば……」
「碧色さんのせいじゃありませんよ。弓矢使いが解毒薬を持っているはずですから、遺体を探ってみます。とは言っても、しばらく動けそうにありません。モーリスを助けてやってください……」
「分かった。そっちは任せろ」
即座に、あの二人を追って走った。頼りなさそうなモーリスの反応を思うと、うまく時間を稼ぐ方法がないのだろう。
俺にとっての大切な物。アルバンの言葉が蘇り、宿舎の方向へ走りながら、フェリクスさんの顔が頭を過ぎった。
“所詮、人なんて自分勝手な生き物だ。剣を持った相手と対峙すりゃ、良く分かるさ”
あれは、一緒に酒を飲んだ時だったか。
“誰だって自分が正しいと思い、自分が思う正義のために戦う……勝者こそが正義。負ければ悪。単純明快さ”
その言葉は、確かに印象的だった。
“誰だって死にたくないし、正義のために全身全霊を掛けて戦うよな? その時にはもう、命を捨てる覚悟で臨んでる。おまえさんみたいに、命を取るなんてできないよ。なぁんて言ってるようじゃ、まだまだヒヨッ子だ”
思い出しただけで腹が立ってくる。
“相手を圧倒して、二度と刃向かえないほどの恐怖を植え付ける。それほどの力でも持たない限り、そんな甘い考えは捨てちまえ”
あの時は分からなかったんだ。その言葉が持つ本当の意味を。けれど今なら分かる。これからは、ここからは、そんな綺麗事だけでは前へ進めない。あいつともう一度、肩を並べて歩いてゆくためにも。
視界の先では、暗闇の中へ浮かぶ宿舎の形が微かに見て取れた。明かりは夜行性の魔獣をおびき寄せてしまうため宿舎には窓がなく、中で魔力灯を灯して過ごすのが通例。建設場所も高台に建てられる場合がほとんどだ。
「がうっ!」
俺が見付けるより一足早く、ラグが遠目に二人を発見してくれた。
物音を警戒しているのか、二人も遠巻きに施設の周りを伺っていた。大木の陰から後ろ姿を確認し、スリングショットを構える。
つがえるのは、黄色い雷属性の魔法石。弓矢使いの耐性を思い返すと、大型で強力な石を使うしかない。後は、モーリス次第だ。
「碧色どころか、アルバンもいやしねえ。嘘じゃねぇだろうな? ぶっ飛ばすぞ」
戦士の声には苛立ちが滲んでいる。
「本当にいたんですよ。アルバンの奴が追跡していったのかも」
「かもじゃねぇ! 確かな知らせを持って来い。良いところだったのによ」
怒りのやり場を失い、モーリスの頭を勢いよく叩く戦士。その言葉に、メラニーの姿が浮かんだ。
「おい!」
叫ぶと同時に木陰から飛び出した。この呼び掛けが始まりの合図だ。
驚き振り向く戦士。その体がこちらへ完全に向き直る前に、隣に立つモーリスが動き出していた。
あいつに持たせたのは、氷の魔法を封じた青い魔法石。それを、戦士の顔面へ押し付けるように突き出す。
砕けた魔法石から冷気が広がり、男の頭部を凍り漬けにした。窒息死は難しいが、二十秒は凍結を持続できる。
「地獄に墜ちろ!」
俺の放った雷の魔法石が、男の腹部へ炸裂した。こいつの顔を凍結させたのは、電撃の痛みによる叫びを封じるためだ。
その体を、幾筋もの青白い光が蛇のようにのたうち回り、天を仰ぎながら痙攣する戦士。並の魔獣ならこれで倒せるだろうが、こいつはそうもいかないだろう。
よろめきながらも、こいつも倒れない。それどころか、電撃の痛みと氷の窒息から逃れようと、激しく暴れだしたのだ。
男の豪快なひじ打ちが、モーリスの顔面を強打。大きく後ずさったあいつは、仰向けに転倒してしまった。
「ちっ」
舌打ちが漏れ、即座に竜骨剣を抜いた。電撃で痺れてもおかしくないはずが、ここまで動けるとは予想外だ。
戦士を目掛け、正面から突進。俺を迎え撃つように、頭上から唸りを上げて戦斧が襲う。
咄嗟に横移動で飛び退くと、戦斧の刃先は勢いよく大地へ食い込んだ。
がら空きになった敵の首筋へ狙いを定める。もう、今の俺にためらいはない。
「うらあっ!」
踏み込みと共に、横薙ぎに繰り出した斬撃。しかし、大地から引き上げられた戦斧によって、甲高い金属音と共に弾かれた。
体勢が乱れ、慌てて後退する。剣同士ならいざ知らず、さすがに斧には力負けしたか。
剣を引き戻し、素早く体勢を立て直す。それと同時に、男の頭部を覆っていた氷は制限時間を迎え、途端に消え失せてしまった。
「やってくれたな」
斧を上段へ振り上げた男。怒りを滲ませ、間合いへ踏み込んで来た。
俺の胸元を狙った横薙ぎの一撃。咄嗟に地面へ伏せ、それをやり過ごした。
「ふっ!」
腕立てをするように、両腕の反動で素早く飛び起きる。
攻撃を振り切り、相手の半身はがら空きだった。この好機は逃せない。
敵の背後へ回り込み、顔面を狙って仕掛けた。それは地面へ伏せた際、左手へ握った砂。勢いよく飛び散ったそれが、見事に敵の視界を潰した。
「くそっ!」
右腕一本で振るわれた戦斧は大きく空振り。敵の背後からその様を一瞥し、素早く魔剣を身構えた。
ゴクリと喉が鳴り、手には汗が滲む。それでも俺はやらなければならない。ここから先へと進むために。
「覚悟!」
取り乱した男の耳に、その言葉が聞こえていたかはわからない。だがそれは、自分自身への決意として向けたものかもしれない。
相手の背を狙い、思い切り大地を蹴り付けた。その刃先が相手へ届いた直後、わずかに押し戻されるような抵抗。しかし驚くほど滑らかに、純白の刃は男の体内へ飲み込まれていった。まるで刃自身が血を求め、相手の中へ潜り込もうとでもするように。
やはり、これは魔剣なのだろう。斬れ味は神竜剣をも凌ぐほどだ。
男の足下からは魔力障壁が失われた警告音。刃を引き抜くと、傷口から吹き出したおびただしい血が、地面を赤く染めてゆく。
これが現実だ。相手の命を奪うという行為。体へ吹き掛かってきた相手の血は魔力障壁に遮られ、瞬間的に蒸発してゆく。
だが次の瞬間、戦士は目を見開きながら振り返り、恐ろしい形相で睨んできた。
「碧……しょくぅ……殺す!」
獣のように歯を剥き、怒りを滲ませ戦斧を振り上げる男。
「うわあぁぁっ!」
恐怖に駆られ、咄嗟に振り乱した剣。無我夢中の一閃が、男の右手首を斬り飛ばした。
「だりゃあぁっ!」
戦斧が地面へ落ちると同時に、剣を構えたモーリスが踏み込んでいた。その一撃が男の喉へ食い込み、致命傷となった。
それはほんの数秒だったのか、それとも数分だったのか、俺とモーリスは抜け殻のように無言で立ち尽くしていた。
足下には物言わぬ男の遺体。そこに広がった血だまりもまた、紛れもない現実。
「ははっ。ついに、ついにやってやった! こいつを殺してやった!」
モーリスは喜々とした顔で、遺体の顔を激しく踏み付けた。
「今まで散々、コケにしてくれやがって。思い知ったかよ! おい!」
その様を目にして、不快感がこみ上げた。
「やめておけ。死んで当然の相手だろうと、死んだ後まで罵倒するなんて気持ちの良いもんじゃねぇ」
剣を収めると、なんともやりきれない気持ちだけが残った。そうして、モーリスと共に男の遺体を担ぎ、アルバンの待つ馬車へと向かった。





