03 アンナの名案
「ここまで来れば、とりあえず大丈夫だろ。少しは時間を稼げるはずだ」
街道を大きく逸れ、木々が鬱蒼と茂る森の奥へ逃げ込んだ。大木に阻まれ周囲の状況把握は困難だが、今はそれでも構わない。
偶然見付けた小川のほとりで下馬すると、びゅんびゅん丸は耐えかねたように清流へ鼻先を近付けた。水をがぶ飲みする音を聞きながら、周囲を警戒しているアンナを伺う。
「どうにか振り切れたからいいものの、なんで魔法石を使わなかったんだ」
「え?」
なぜか、キョトンとしているアンナ。
間抜け面というよりも、呆れているようなその表情は……
「リュー兄。それ、本気の顔だよね?」
「なにが?」
そして盛大な溜め息が。
「街で火の手が上がったのは、リュー兄が放った魔法石のせいでしょ。衛兵の撃退に魔法石なんて使ったら、私が犯人です、って言ってるのと同じじゃん」
「あ……」
「まったく……勢いだけで突っ走るから、そういうことになるんだよ。もっと慎重にね!」
「悪い……」
まさか、こいつに説教されるなんて。
「そういう所は全然変わってないね。アンナがいなかったら絶対に捕まってるよね〜。まだ、完全に振り切ったわけでもないしさ」
「そうだな。鉱石や魔法石の産出地ってことで重要な拠点ってわけか。思いのほか、手練れが揃ってたな」
馬上で狙いが付けにくいとはいえ、アンナの攻撃を凌いだ馬が五騎。どうにか振り切ったが、まだ諦めていないだろう。
「あの五人、なかなかの腕前だよ。特に先頭の人。腕章が見えたから衛兵長だと思うけど、油断できないかも」
「連射したらどうだ? おまえの夢幻翼、魔力の矢だから打ち放題だろ。確か、大型の魔力石を装填すれば百発はいけるって……」
「そういうことは良く覚えてるんだね」
「まぁな。羨ましい武器だと思ってたから、より鮮明に記憶してただけなんだけどな」
「魔力石って高いから、節約してるんだよ。連射なんて軽々しく言って欲しくないなぁ」
「確かに……」
俺も、竜の力が不足した際には魔力の供給に使わせて貰っている。貴重さも良く分かる。
「でも、節約なんて言ってたら、いつまで経ってもジュネイソンへ着けないね……」
「やっぱり戦うしかねぇのか。できれば誰も傷付けたくねぇんだけどな」
「そうだ。一つ、名案が浮かんだよ!」
大きく手を打つアンナ。その音に驚いたびゅんびゅん丸とラグが、同時に顔を向ける。
「アンナがびゅんちゃんに乗って、衛兵を引き付けるの。リュー兄は先へ進んで!」
「囮になるつもりか? どうやって?」
「アンナに任せて」
すると、辺りで枯れ木を拾い始めたアンナ。手頃な物を十字に組み上げ、こちらを見る。
「ナル君と野宿したんだよね? びゅんちゃんの鞍に括り付けてある荷物袋に、外套も入ってるんでしょ? それ、一枚ちょうだい」
枯れ木へ外套をかぶせると、あっという間に即席人形が完成した。
「なるほど。こいつを俺に見立てるわけか。おまえ、やるな!」
「でしょ? もっと褒めて! アンナは褒められて伸びるタイプだから。無事に逃げ切ったら、甘いもの追加してよね」
「おう。好きなだけ食え」
満面の笑みを浮かべるアンナを見ながら、思案を巡らせる。後は逃げる場所だ。
「とりあえず、ヴァルネットの街を目指せ。フェリクスさんに会えれば庇ってくれるだろうし、ダメなら衛兵長のシモンだ。万一、捕らえられたとしても、話はまともに聞いてくれる人だ。悪いようにはしねぇだろ」
「衛兵長のシモンさん?」
「大森林で会っただろ? 俺の名前を出してもいい。とぼけるようなら、この呪文を使え。あいつの目を見て、ドンブリって言うんだ」
「ドンブリ? なにそれ」
「奴の精神を崩壊させる、滅びの呪文だ」
即席人形と共に、びゅんびゅん丸へ跨がるアンナ。それを見守りながら、真っ白な白馬の体をそっと撫でた。
「おまえも主人が心配だろうけど、もう少し力を貸してくれ」
びゅんびゅん丸は、十六才の祝いに父から買い与えられた馬だとナルシスは言っていた。それからはずっと、あいつが面倒を見ているらしい。言わば、兄弟のようなものだ。
「リュー兄も気を付けてね。独りぼっちだし、寂しくても泣いちゃダメだからね」
「泣くわけあるか! さっさと行け」
呆れ顔で言い放つと、歯を見せて笑いながら手を振ってきた。木々の間から差し込む西日が、その姿を優しく照らしている。
これでアンナが捕まらない限りは衛兵の追撃を免れることができる。
シルヴィさんとレオンも気掛かりだ。エドモンたちも街へ潜り込めただろうか。不安だけが募る。
☆☆☆
薄闇を切り裂くように衛兵の警笛が響く。
しかし、足代わりとなるびゅんびゅん丸を失ったのは痛手だった。グラセールからジュネイソンの廃墟へも、馬車で一日半程度の距離がある。敵の待つ廃墟へ着くのが遅れるほど、大司教とマリーの命が危険にさらされる。
街道に沿って移動しながら、彼らの顔が浮かんでは消えてゆく。それにしても、ふたりを攫った理由がわからない。マリーの外見と癒やしの力が目当てなら納得できるが、そこに大司教の必要性が見出せない。
「やっぱり金か」
マリーの存在が公にされていない以上、大司教は未だに奇跡の力を行使する聖人。解放を理由に交渉すれば、教団から多額の身代金を取ることは容易だろう。
「じゃあ、どうして俺が?」
そう思った所で、視界に飛び込んできた一つの建物。野営施設だ。
申し訳ないとは思いながらも、やはり移動行程を考えると気持ちが折れてしまう。休ませている馬を一頭借りるだけ。そう、ほんの数日、借りるだけだ。
辺りを警戒しながら馬車置き場へ近付くと、運良く二台が停まっていた。側には、六頭の馬が繋がれている。
「ほんの一頭だけですから……」
そう思いながらも心が痛い。たった一頭と言えど、この馬車を利用している人々が迷惑を被ることに変わりはない。もしかしたら、旅路を急いでいる人がいるかもしれない。
「ごめんなさい」
手綱へ腕を伸ばした時だった。
「ちっ!」
不意に背後へ生じた気配。咄嗟に横手の茂みへ飛び込んだ。前転で身を起こし様、腰に下げた魔剣へ慌てて手を伸ばす。
影はふたつ。体格的に男だ。どちらも鎧に身を包み、剣を持っている。どう見ても、馬車の利用者でないのは明らかだ。
「がるるるる……」
ラグの威嚇を聞きながら、呼吸と体勢を整える。状況的にこちらが不利だが、ふたりならどうにか対処できる自信がある。
待ち伏せされていたのか。気付けないとは、俺も相当焦っている。
相手は衛兵なのか。それとも。
「私たちに戦う意思はありません。あなたは碧色の閃光ですよね? まさかあいつの言った通り、本当にここへ来るなんて……」
戦う意思はない。その言葉を体現するように剣を収め、両手を挙げる男。
「ほら、おまえも」
そいつに促され、もうひとりの剣士も渋々といった調子でそれに習った。
とりあえず、“今は”問題なさそうだ。茂みの中から立ち上がり、油断なくふたりを見る。
俺とほぼ同年代だろう。端正な顔立ちの男と、不機嫌で無気力そうな男。
「私の名はアルバン。こっちはモーリス。あなたと同じ冒険者です。今は、あいつらの言いなりに成り下がっていますが」
「おい。本名を晒す奴があるか!」
モーリスと紹介された無気力そうな男が声を荒げた。
「黙ってろ。碧色さんの信頼を得るには、正直に話すしかない」
「あいつら? 誰のことだ?」
「あ、説明が足らずにすみません……大司教様と少女を攫った、一味のことです」
「てめぇらも、その一味の仲間なんだろ?」
手を挙げるふたりを観察するも、加護の腕輪が見当たらない。意図的に外しているのだろうが、それもそのはず。身元が割れ、犯罪に荷担したと知れれば、冒険者ギルドから即座に除名処分だ。精々、ランクBといったところか。制圧するのは容易い。
「仲間を人質に捕られ、嫌々従っているんです。霊峰アンターニュでの戦いについては聞き及んでいます。是非、あなたの力をお借りしたいんです!」
「話が見えねぇ。俺はてめぇらを、どうやって信用しろっていうんだ?」
誠実そうな顔をしていても、実は。なんて奴はゴロゴロいる。冒険者が相手ならば尚更だ。そう簡単に気を許せるはずがない。
「向こうに、一味のメンバーふたりがいます。彼等を仕留めた後で、全てをお話ししますから」
「アルバン。本当にあいつを頼るのか?」
「他に手はないじゃないか!」
言い争うふたり。どう見ても、面倒なことにしかならない気がする。





