06 碧色の閃光、そして異変
「肉と血の臭いで、魔獣をおびき寄せようという魂胆だね。君もなかなかやるじゃないか」
ナルシスの感心したような声に、視線だけを向けた。
「随分と上から目線だな。おまえはどんな策を見せてくれるんだ?」
「僕が用意したのは……これさ」
この街へ来た時から担いでいた大きな袋を、得意満面で撫でる。
「中身がわかるかい? 大量の匂い袋さ。開封すれば、魔獣が好む香りが放たれる。金に物を言わせて買い込んできたんだ」
わざわざ金を強調するところが、実にえげつない。
「牛を一頭買って囮にしたいところだけれど、生憎、この街に残った家畜は少ないだろう」
「びゅんびゅん丸が囮でいいだろ」
「なんてことを言うんだ!」
声を裏返らせる様子が、実にからかいがいのある男だ。
「武器も道具も、成果を出すためなら出費は惜しまない。それこそが、最年少最速での昇格を記録した秘訣さ」
「なるほどな」
鼻につくが、実力主義の世界ではこういう男が成功する。 セリーヌ同様、パーティを組んでいないのは、たぶん性格の問題だ。
「ナルシスさん、酷いです!」
セリーヌが憤慨し、腰の袋へ手を伸ばした。
「あなたが牛を一頭買われると仰るのなら、私はこの街を買い上げて、家畜たちを守ります」
「話の規模がとんでもねぇ……」
天然の優しさは、ときどき想像の斜め上へ振り切れる。
肉塊を蒔き終える頃、ナルシスが匂い袋を開封した。
すぐに、森の闇がざわめく。影が滲むように現れ、ルーヴの群れが姿を現した。
「すげぇな……四十頭はいるぞ」
前脚を持ち上げれば成人男性ほどの高さ。押し倒されれば、まず助からない。
「ルーヴは三、四頭ごとで狩りをするんだ。囲まれると厄介だが、動きに気を配れば昼間のカロヴァルほどの脅威じゃねぇ」
群れの中央には、一回り大きな個体。
あれが、リーダーだ。
警戒しながらセリーヌを見る。
殲滅も重要だが、彼女を守ることが最優先だ。
「防御壁を背にして戦え。俺とナルシスで斬り込む。セリーヌは魔法で援護を頼む」
言い終えた瞬間、ナルシスが声を張り上げた。
「ふたりとも、伏せるんだ!」
俺たちと魔獣の中間に置かれた匂い袋。
殺到したルーヴたちが食らい付いた瞬間、爆ぜた。
熱風が吹き抜け、夜空が炎に染まる。
数頭が悲鳴を上げ、高々と宙に舞った。
「こんな罠まで仕掛けてたのか」
「涼風の貴公子、参る!」
細身剣を構え、ナルシスが飛び出す。
「ったく、先走り過ぎだ」
セリーヌに良い所を見せたいのだろう。
長剣を抜き、俺も続いた。
煙が邪魔だ。二段構えの罠は評価するが、視界を奪われる。
「がうっ」
ラグが上空へ舞った瞬間、右手の紋章が疼いた。
見えない力が腕を包み、剣身が魔力を帯びる。
青緑の淡い光。
碧色と呼ばれるそれが、闇夜を切り裂いた。
爆炎を突き破って飛び出したルーヴを、次々と斬り捨てる。
碧色の軌跡が夜に残り、流星のように走った。
碧色の閃光。
この光が、俺の二つ名の切っ掛けになった。
「リーダー魔獣はどこだ?」
煙と炎で完全に見失っている。
「倒したか、爆炎で吹っ飛んだか……」
逃げた可能性は低い。
ルーヴは、群れを重んじる。
「串刺しの刑!」
ナルシスの突きが、迫る一頭の眉間を貫いた。
「腕は悪くねぇ。名前だけどうにかしろ」
背後からの殺気。
爆炎に紛れた数頭が、セリーヌへ突進していた。
「くそっ!」
胸が縮むような焦りが走る。
彼女の力は未知数だが、放ってはおけない。
ナルシスは自分のことで精一杯。
守ってやれるのは、俺だけだ。
だが、セリーヌは乱れなかった。
杖を掲げ、静かに詠唱する。
「煌熱創造!」
炎の渦が解き放たれ、広範囲を焼き尽くす。
圧倒的だった。
「やっぱり規格外だ……」
無詠唱で、この威力。
天然の天才魔導師という評価でも足りない。
「斬駆創造!」
真空の刃が掠め過ぎ、俺の背後で魔獣の悲鳴が上がった。
「リュシアンさん、集中してください!」
「悪い」
守るつもりが、守られてどうする。
「一気に畳み掛ける」
剣を構え、ルーヴの群れへ突進する。
横から飛び掛かってきた一頭を避け、反撃の一閃で胴を裂いた。
こうなれば俺の独壇場だ。
闇夜に碧色の煌めきが踊り、魔獣は次々と倒れていった。
※ ※ ※
「これで終わりか?」
ラグが左肩へ戻ってくる。動く影はない。
「相手はルーヴだ。こんなもんだろ」
剣を収めると、ナルシスが呆然としていた。
「いつの間に終わったんだい? この僕でさえ、まだ数頭しか倒していないのに」
乱れた金髪を整え、間の抜けた顔をさらす。
「死骸を集めて、焼いてしまおう」
せめてもの機転を利かせたつもりだろうが、悪手だ。
「ダメだ。ルーヴの毛皮は高値で売れる。街長へ渡せば、復興費用の足しになる」
「ぐぬぅ。その手があったか……」
「リュシアンさん、さすがです」
セリーヌの微笑みに、少し誇らしくなる。
「でも、リーダー魔獣を見付けねぇと……死骸の回収がてら、街の人に探してもらうか」
ひとりつぶやいていると、セリーヌの表情が強張っていることに気付いた。
「どうした?」
「静かに。山の方から、強い魔力と獣の声が……」
魔力を持たない俺には捉えられない。耳を澄ましても、何も聞こえなかった。
「気のせいじゃねぇのか? 風の音とか」
「姫を疑うのかい? 僕には聞こえるとも」
「幻聴だ。すぐに寺院で診てもらえ」
付きまといに効く薬も必要だろう。
口では軽く返したが、胸の奥がざわつく。
「がるるる……」
次の瞬間、ラグが唸った。
遠吠え。大気を震わせる、異質な波動。
山鳥が群れをなして飛び立ち、夜空へ消える。
地上へ広がる死の影から、少しでも離れようとするかのように。
続け様、乾いた音を立てて木々が倒れた。
天災とも呼べる破壊の嵐が、こちらへ迫ってくる。
「おふたりとも、気を付けてください」
セリーヌの緊張した声。
山と平地を隔てていた最後の木々が薙ぎ倒される。
生木の折れる音が悲鳴のように響いた。
そして、巨影が姿を現す。
ルーヴに似た魔獣。
だが、大きさは三倍以上だ。
「なんなんだ、あの魔獣は……しかも、頭がふたつ。ルーヴ・ジュモゥってところか?」
冗談のつもりで名付けたが、誰も笑わない。
「ルーヴたちも、あの大型に餌を奪われて、人里へ来たのか?」
剣を握り直す。
遠目でもわかる。あれは危険度が段違いだ。
深く呼吸し、心を落ち着ける。
次の行動を頭の中で組み立てていると、ナルシスの引きつった顔が視界に入った。
「一端、退くべきじゃないかな」
「退けるかよ。後ろには守るべき街がある」
退くという選択は、あり得ない。
兄だったら、そんな判断は絶対にしない。
敵を見据えると、涙を流して懇願してきた男の子の顔が脳裏を過ぎった。
あんな子どもまで悲しませる魔獣を、これ以上野放しにはしない。
「男なら、大事な物は自分の手で守らなきゃダメなんだよな……」
「え? なにか言ったかい?」
「なんでもねぇ」
思わず苦笑が漏れた、その時だった。
「魔獣……巨大な四足魔獣……二年前の……あの気配に似ている……」
セリーヌの顔は青ざめ、震えていた。
その瞳は、目の前の魔獣ではなく、過去を見ている。





