04 帰る場所と、踏み出す理由
「ひとまず解散だ。遅れるなよ」
「ありがとうございます。それにしても……店員さんなのに、ずいぶんお詳しいのですね。先程の剣さばきも見事でしたし。あなたこそ、冒険者になられた方がよろしいのでは?」
「は? ああ……まぁな……」
ここまで一緒に動いてきて、さすがに気付くだろう。
思わず、残念すぎる美女だなと思ってしまう。
「服装は店員だけど、これでも冒険者なんだよ」
シャルロットが腹を抱えて笑い出した。その無遠慮さが、妙に腹立たしい。
「すみません。戦う店員さんだったのですね。大変失礼いたしました」
「もういいって。それじゃ、また後でな」
追い払うように手を振ると、セリーヌは丁寧に会釈をして立ち去った。
と思ったら、なぜかナルシスまで後を追っている。
付きまとい確定だ。
過ちを犯す前に、衛兵へ突き出すべきかもしれない。
ともあれ、ようやく解放された。
激しい疲労とともに、女将さんに叱られる未来を想像しながら、大衆食堂へ戻った。
※ ※ ※
住み込みで働かせてもらっている大衆食堂、勇ましき牡鹿亭。
その店舗二階に、ベッドと机だけが置かれた、俺の小さな部屋がある。
夕刻の混雑時間を控えてはいるが、冒険者としての活動を優先する約束だ。これまで文句を言われたことはない。
魔獣の返り血で汚れた服を脱ぎ、冒険用の厚手服に着替える。
深緑を基調とした装いに袖を通すと、自然と背筋が伸びた。
ベッドに腰を下ろし、枕元に立てかけてある一本の長剣へ視線を向ける。
「がうっ」
左肩を定位置にして着地してきたのは、世界でいちばん大切な相棒。小型竜のラグだ。
「おまえ、どこにいたんだよ?」
気まぐれな竜は俺の声を無視し、古びた剣に向かって吠えている。
この相棒の姿が見えるのは、俺だけだ。
竜の亡霊に取り憑かれているような感覚。
あの日から、ずっと続いている。
兄の行方と同じく、未解決のまま胸に刺さった謎だ。
「全部、この剣から始まったんだよな……」
剣へ右手を伸ばすと、甲に刻まれた黒い痣が目に入る。
竜を象ったその痣は、一方的に刻まれたものだった。あの日を境に、俺の人生は大きく変わった。
「この力の謎も……いつか解けるのか?」
古びた長剣。消えた宝玉。
そして、俺の運命を変えた謎の竜。
「唯一の手掛かりは……行方不明の兄貴だ」
兄が生きている。そう信じる根拠は乏しい。それでも、望みだけは捨てない。
冒険者として活動していたはずの兄は、荷物を残したまま失踪した。
手掛かりを求め、俺はこの街へやって来た。
「絶対に、捜し出してみせる」
立ち上がり、窓の外に広がるヴァルネットの街並みを見渡す。
商業都市として名高い、人口三万の大型都市。多種多様な人々が行き交っている。
肩に乗るラグも、同じ景色を眺めていた。
「夜は酒も出す繁盛店だ。人が集まれば、情報も集まるはずなんだけどな……」
ぼやきながら、シャルロットの顔が浮かぶ。
「ギルドでも親父さんに記録を探してもらったけど、登録は解除されてた。残ってたのは、宿の台帳の署名だけ……」
兄の荷物を運んできた商人の話では、人手を点々と渡ってきたらしい。
台帳の日付を逆算すると、この街から手配された可能性が高い。
「どうして、見付からねぇんだ……」
「きゅうぅん……」
ラグまで情けない声で鳴いた。
家に戻れない理由があるのか。
それとも家業を継ぎたくないと、逃げているのか。
真面目な兄が音信不通というのは、どうにも腑に落ちない。
「……もうすぐ、約束の一年か」
ランクLの、あの人の姿が脳裏をよぎる。
『一年後だ。おまえさんに会いに来る。それまでに全部片付けておけ。絶対、俺の野望に協力してもらうからな』
普段は気さくでも、締めるところは逃さない剣士だ。
多大な恩もある。逃げ切れる自信もない。
再会までに、なんとしても兄を見つけなければならなかった。
重圧に身震いすると、個性の強すぎる三人の仲間たちの顔が浮かぶ。
『また、あたしの体を見てたでしょ?』
スケベで酒好きな女戦士。
『よっ! さすがムッツリスケベ!』
天真爛漫な弓使いの少女。
『小型テント、貸すっスよ。有料で』
金に汚く、物ぐさな小太りの魔導師。
一年離れただけなのに、驚くほど恋しい。
「って、浸ってる場合じゃねぇな。今は目の前のことだ」
意識を現実へ引き戻す。
長剣を手に取り、鞘から抜いた。使い込まれた柄とは対照的に、刃だけは今も鋭さを失っていない。
剣を腰に提げ、革袋をベルトに括り付ける。
加護の腕輪を填めただけの軽装だが、これで十分だ。
「……っと、そうだった」
黒いバンダナを取り、腕輪を隠すように巻く。
ナルシスに知られると、面倒が増える。
「がうっ」
「わかってる。ちゃんと連れて行くって」
他人には見えず、触れることもできないラグ。
普段はこの部屋で留守番をさせているが、どうやら数十メートル以上は離れられないらしい。
それと、この街に来てから気になっていることがある。
「俺の故郷じゃ、竜は神の使いだった。なのに、王都に近いほど魔獣扱い……どういうことなんだか」
「がうっ」
ラグも心外だと言わんばかりに吠える。
理由はわからない。誰に聞いても、返ってくる答えは同じだった。
支度を終えて廊下に出ると、横合いから来た人影とぶつかりそうになる。
「おっと、びっくりしたじゃないかい、リュシアン」
「うおっ……イザベルさんか」
ぽっちゃり体型にショートヘア。勇ましき牡鹿亭の女将、イザベルさんだ。
兄探しで金欠になり、路頭に迷いかけていた俺に、住まいと仕事を与えてくれた恩人でもある。大らかな人柄は、店でも評判がいい。
「やっぱり行くんだね。あのエリクって子の頼み、放っておけないよねぇ」
「あの涙を見せられたら、さすがにね……」
すべてお見通しだと言わんばかりに、イザベルさんが歯を見せて笑う。
「偉いよ。それでこそ、あたしの息子だ。ちゃちゃっと片付けてきな」
「ぐはっ!」
豪快な背中叩きに、思わず前のめりになる。
子宝に恵まれなかったイザベルさんと、店主のクレマンさん。ふたりは俺を実の息子のように扱ってくれる。 家を飛び出した身の俺にとって、ここはもう帰る場所になっていた。
「じゃあ、行ってきます」
「土産話、楽しみにしてるよ」
店の裏口から街へ出る。日は傾き始め、まもなく街を覆う防御壁の近くへ差し掛かる時間だ。
魔獣から街を守るための壁。魔力で構成されたほぼ透明な結界で、閉塞感はない。
二年ほど前から突如凶暴化した魔獣たちに対抗する、数少ない防衛手段のひとつだ。
「夕食時か……腹も減ってきたな」
「がう、がうっ」
食べられないくせに、ラグが同意してくる。
街はまだ活気に満ち、夕飯の支度に追われる人々が食材を求めて行き交っていた。
人垣を抜け、中央広場へ向かう。
噴水を囲むように、各地へ向かう乗り合い馬車の停留所が並んでいる。
「いたな」
ランクール行きの停留所。そのベンチに、美人魔導師が腰掛けていた。彼女の姿を見て、ラグも興奮気味に吠え立てる。
「先程は、ありがとうございました」
俺を見るなり立ち上がり、深々と頭を下げてくる。 つい胸元へ視線が向いてしまうが、その柔らかな佇まいは女神のようですらあった。
魔獣との戦いで見せた気迫が本性だとすれば、昼間の姿は演技だろう。愚か者を装う必要はないはずだが、他人の懐へ入り込むための策だとしたら、相当な策士だ。
「そんなに畏まらなくていい。座っててくれ。それで、荷物はそれだけか?」
昼と同じ服装に、胸の前で大事そうに抱えた杖が一本。俺以上に軽装だ。
「宿に置いてきましたが……不都合でしたか? 着替えも、お風呂も、一晩くらいなら我慢できます」
いや、そういう問題じゃない。
「魔物に合わせた罠とか、傷薬とかさ」
「なるほど……」
「何しに行くつもりなんだ?」
「すみません……すみません」
ベンチに座ったまま頭を下げるたび、豊かな胸元が否応なく主張してくる。
悪くない。いや、むしろ良すぎる。
かつて仲間たちにムッツリスケベと呼ばれた理由を、今になってはっきりと自覚した。





