49 静けさに潜む刃
「少しは落ち着いたか?」
腕の中でしゃくり上げるセリーヌの背をさすり、リュシアンは穏やかに声をかけた。
戦いの緊張がほどけ、彼自身も竜臨活性の力を解いている。
その様子を眺めながら、地の民クロヴィスは退屈そうにあくびを噛み殺した。
炎の神器である斧の先端を地面に向け、柄頭に肘を預けただらしない姿勢。長の目に触れれば、間違いなく叱責されるだろう。
「こいつらを見てると、セリーヌの婚姻の儀が保留だなんて、とんだ茶番だぞ。おまえらから、しっかりと長に言い聞かせておけよ。頼むぞ」
投げかけられた言葉に、コームは満足そうにひとつ頷いた。
一方、隣のジャメルは口を結んだまま、表情を動かさない。
「皆の協力があったとはいえ、結果的に災厄の魔獣へとどめを刺したのは彼らです。ディカ様にも、改めて進言させて頂きます」
「コーム。ユリスを一緒に連れて行くのを忘れるなよ。若いが、あいつも神官を任された身だ。説得力が増すってもんよ」
クロヴィスは鼻を掻き、笑みを深くした。
「戦いは終わったし、祝宴だな。夜中だろうが関係ねぇぞ。外の世界の酒も旨いんだろ。上等なのを存分に振る舞ってほしいもんだ」
「なぁに? お酒がどうしたって?」
輪に近付いてきたシルヴィが、即座に反応する。
亡者兵も消え、辺りはすでに落ち着きを取り戻していた。
そのシルヴィは、セリーヌを抱くリュシアンの姿に眉をひそめる。
嫉妬していないと言えば嘘になる。だが、ふたりを応援すると決めているのも事実だ。リュシアンの本心を知っているからこそ、踏み込む余地がないこともわかっている。
「ちょっと、リュシー。酷いんじゃない? 来てくれるのがもう少し遅かったら、全滅してたのはこっちだったわよ」
気を紛らわせるつもりが、口調は思った以上にきつくなった。
胸に立った小さな波紋が、静まらぬまま広がってゆく。
「すみません。これでも急いで来たんですよ。テオファヌが転移魔法陣を大陸のあちこちに仕掛けてくれていて、それを使えたおかげで短時間で移動できました」
「転移魔法陣? そんなものがあるの?」
「人ひとりがやっと通れる大きさなんで、他の竜は使えないそうですけどね」
「そんな便利なものがあるなら、早く言ってよ」
唇を尖らせるシルヴィに、リュシアンは苦笑を返した。
「普段は封印されているそうです。今回は非常事態だからと」
「それなら仕方ないか……後でテオファヌにも御礼を言わないとね」
「高級料理の食べ放題で手を打ちました」
「あら、随分と良心的じゃない」
「ですよね。それで、みんなを守れた」
そこへ、ユリスと絢爛の剣豪アクセルが歩み寄ってきた。
アクセルの装備は各所が傷付き、激戦の名残を色濃く残している。
「アクセルも無事でよかったわ」
「俺はな……」
シルヴィの笑顔に、アクセルは渋い表情を返した。
「うちのパーティは全員無事だが、抱えてる仲間の何人かは命を落とした。剣神の強さは派手すぎたぜ……正直、撤退してくれて助かった」
疲労は隠せない。それでも、瞳の輝きは失われていない。
リュシアンを視界に捉えた瞬間、内に秘めた闘志が揺らいだ。
「おっと……こんな時でも仲睦まじい姿を見せつけるとは、お熱いねぇ……俺は絢爛の剣豪、アクセル・ヴァランタンだ。ようやく会えたな、碧色の閃光」
「こんな状態ですみません」
握手に応じようとしたリュシアンから、セリーヌは慌てて離れた。
シルヴィが間に入り、簡単な自己紹介が交わされる。
「セリーヌ、感極まるのは仕方ないとしても、大衆の前でみっともない姿を晒さないでくれ」
足早に近付いたユリスが、小声でたしなめた。
「申し訳ございません」
「でも、無事でよかった。どうなるかと心配したよ……通話石を持ったリュシアンさんが血相を変えていたから、ふたりでテオファヌ様の所へ走って頼み込んだんだ」
「ありがとうございます。ですが、クロヴィスさんやジャメルまで……長に咎められたのではありませんか?」
「口うるさく言われたけど無視したよ。島を飛び出して、継承者全員で来たんだ」
「それでは……自分のことを棚に上げ、わたくしをたしなめたのですね」
セリーヌが頬を膨らませると、ユリスは顔を引きつらせた。
「それだけ心配だったんだよ……だけど、ようやく悲願を果たせたね。父さんも母さんも、きっと喜んでる。姉さんは、俺たち守り人の誇りだよ」
弟の顔に戻ったユリスは、胸の内をそのまま言葉にした。今は、この喜びを分かち合いたかった。
「ようやく涙が収まったというのに……また泣かせることを言わないでください」
感情を隠すように、セリーヌははにかんだ笑みを見せる。
「それはそうと、イリスさんはどちらに……」
周囲を見回したセリーヌの腕を、ユリスがたまらず掴んだ。
「落ち着いて聞いてほしい……申し訳ないけど、魔導師の女性を救うことはできなかった。俺が容態を確認した時には、もう……」
言葉の続きを聞く前に、セリーヌは口元を押さえた。
喜びの涙に、悲しみが重なる。
数年分の涙を一気に流し切るような泣き方だった。
ユリスはその体を抱きしめ、悲しみの半分を引き受けるよう努めた。
そこへ、風の移動魔法を纏った三人が合流する。
風の民ウード、雷の民バルテルミー。そして、ふたりに支えられたレオンだ。
「俺は、もう大丈夫だから」
レオンは腕を振り払い、距離を取った。
弱った姿を見せることを何より嫌う男だ。ましてや、リュシアンに情けない姿を見られるわけにはいかなかった。
勝ち残った戦士たちが集う中、王国軍の者たちも次々と起き上がる。
リュシアンとクロヴィスに叩き伏せられた面々だ。
レオンは、魔導師モニクの件を告げねばと焦った。
だが、リュシアンは王国軍団長エヴァリストを睨み、足早にその場を離れる。
「魔獣は俺たち冒険者が討伐した。城に戻って、ヴィクトル王にしっかり伝えてくれ。怪我人は、大司教や司祭にしっかり治してもらうんだな。あんたら王国軍が囲い込んでることは知ってる。俺たちは、助祭をかき集めるのが精一杯だったんだ。苦労したんだぜ」
事実、マリーの存在は大きな助けとなっていた。彼女が調合した秘薬がなければ、被害はさらに広がっていたはずだ。
大司教ジョフロワに頼まれて秘薬をいくつか譲ったと聞いていたが、冒険者の中から王国軍への不満が出ていることも知っている。
エヴァリストを始め、部隊長たちは反論することなく立ち去ってゆく。
その様子を見届けながら、ただひとり、動いた者がいた。
機会は、今しかない。
ひとりになったリュシアンに近付いていったのはジャメルだ。
左手の籠手に触れ、仕込んだ革袋の存在を確認する。
躊躇はなかった。
振るわれた左腕から、黄色い粉が舞う。
島に群生する毒草を煎じた粉末だ。
目に入れば、激しい痛みに襲われる。
「くそっ……なにを……」
リュシアンは背を丸め、呻いた。
「死んでくれよ」
背後を取ったジャメルが、左腕で首を締め上げる。
右手の短剣が、静かに喉元へ迫った。





