46 決壊の兆し
「なんなんだ、こいつらは。俺たちの相手は災厄の魔獣のはずだろ。それとも、俺の目がおかしくなったのか?」
戦斧を肩に担いだ地の民のクロヴィスは、首を回して身体をほぐした。
周囲には、すでに三人の隊長が倒れている。この場の戦力差は明白だった。
六十を超えてなお、狩りと稽古で鍛え抜いてきた鋼の肉体は健在だ。
地竜の加護を受けた 竜臨活性、そして竜術。そのすべてが、王国軍の隊長格を凌駕している。
「災厄の魔獣の首を狙っているのは、俺たちだけじゃないってことですよ」
リュシアンの掌底が、軍団長エヴァリストのこめかみを捉えた。
ただの掌底ではない。炎纏・竜牙撃を乗せた強烈な一撃。
加減を誤れば、首の骨ごと砕いていたはずだ。
王国軍最強と謳われたエヴァリストは、脳を揺さぶられ、うつ伏せに崩れ落ちた。
「そういや、セリーヌとの婚姻を争ってたんだったな。俺が災厄の魔獣を屠れば、婚姻の儀は成立ってことでいいか?」
「勘弁してくださいよ。婚姻の儀は中止のままですし、ユリスが勝手に言ってるだけです。この戦いだって、長たちの制止を聞かずに飛び出してきたじゃないですか」
リュシアンは苦笑し、戦斧を構え直すクロヴィスに並んだ。
「なんだ、小僧。守り人の力は不要だって言いたいのか」
「そうは言ってません。ここは、ひとりでも多くの力が欲しい局面です」
王国軍に足止めされ、余計な時間を費やした。
その事実が、リュシアンの内側で静かに燻っている。
ブリュス・キュリテールに外見上の変化が見られないことだけが、せめてもの救いだった。
「ほんの冗談だ。ほら、セリーヌも来たぞ。決着の時だ」
クロヴィスの視線は、すでに魔獣へ向いている。
だがリュシアンの意識は、否応なく引き戻された。
セリーヌが、無事だった。
その事実に安堵し、再会の喜びが胸の奥で弾ける。
一瞬、歓喜の雄叫びを上げそうになるほどの高揚。
喜んでいる場合じゃない。
浮ついた心を叩き落とすように、闇凶星マルセルの奇声が戦場を裂いた。
※ ※ ※
時は、わずかに遡る。
老剣士コームと老魔導師マルセル。
熟練同士の戦いは、なおも続いていた。
「まったく、しつこい奴らだ」
マルセルは顔を歪め、吐き捨てる。
放った攻撃魔法は竜骨剣に斬り裂かれ、電撃も氷結も足止めにはならない。
距離を取れば詰められ、間合いを誤れば斬られる。
そこへジャメルが加わり、執念深い老剣士がふたりになった。
致命的ではない。だが、他へ回す余力は確実に削られている。
「剣神はどうした」
滑るように後退しながら、マルセルは戦場を見渡す。
亡者兵も黒装束も、ほぼ壊滅。
セヴランの撤退を受け、残る黒装束たちにも逃走の兆しが見え始めていた。
頼みの綱だった剣神アンセルムは、冒険者たちに囲まれ、包囲を抜けられずにいる。
さすがに、力を使いすぎたか。
傀儡である剣神の力は、マルセルの残存魔力量に依存している。
亡者兵の召喚と攻撃魔法を重ねた代償は、確実に積み上がっていた。
「役立たずどもが……」
鬱屈が爆発し、マルセルは声を張り上げる。
「もうやめだ! 魔獣を連れ帰ろうなどと考えたのが、そもそもの過ちだ!」
怒りに任せ、左手がブリュス・キュリテールを指し示す。
老魔導師の異変に、コームとジャメルの反応が一拍遅れた。
「闇竜魔貫」
一筋の光線が放たれ、魔獣の背を貫く。
胸を抜け、光は消えた。
その一撃が、崩壊の引き金だった。
傷口から血が噴き上がり、砕けた石片までもが押し出される。
破片をいち早く見つけたのはセリーヌだった。
「あれは……レリア様が埋め込んだ……」
「レリアさんがどうしたって?」
問い返す間もなく、クロヴィスを含めた三人は走り出していた。
距離を詰めながら、リュシアンは悟る。
セリーヌの体力も精神力も、限界が近い。
「レリア様の御力で、再生速度を抑えていたのです。その枷が……外れてしまったのだと思います」
「それはつまり……」
答えを待たず、魔獣が吠えた。
堰を切った水のように、禍々しい力が全身から溢れ出す。
失われていた四肢が再生し、魔獣は再び大地に立ち上がった。
左肩の虎は顎を残して消えていたが、再生は鼻先まで進んでいる。
背の翼と尾の大蛇が再生するのも、時間の問題だ。
「俺の手で、もう一度叩き潰せるってわけだ」
虚勢だと、リュシアン自身が一番わかっている。
それでも、ここで怯むわけにはいかなかった。
「俺とクロヴィスさんで追い詰める。セリーヌは、次の一撃に全力を」
「はい。リュシアンさんを信じます」
足を止め、セリーヌは背中を見送る。
今は、お二方を信じる以外にありません。
腰の革袋から大型の魔力石を取り出し、魔力の回復に集中する。
次の一手のために。
「付いてこい、小僧」
「クロヴィスさんこそ」
武器を構え、ふたりが斬りかかる。
魔獣は苦しげにえずき、身体を震わせた。
中心の獅子頭と、右肩に乗る黒豹頭が、一抱えもある大きな魔力石を吐き出す。
魔力球を封じるために黒装束たちが飲み込ませたものだが、リュシアンたちが知る由はない。
そこから先は、周囲の戦士たちが踏み込めないほどの激戦だった。
吐き出される魔力球をかわし、振るわれる爪を避ける。
巨体の突進をやり過ごし、戦況は目まぐるしく移ろう。
加護の腕輪と結界帯革による二重の魔力障壁。
さらに神竜鎧を纏うことで、リュシアンの防御力は飛躍的に高まっていた。
余程の一撃を受けない限り、致命傷にはならない。
油断も慢心もない。
斬撃を刻みながらも、決定打が見えなかった。
炎竜セルジオンの力をもってしても、あと一押しが足りない。
クロヴィスだけでなく、竜臨活性を纏った守り人全員の攻撃が揃えば、あるいは。
あとひとつ、何かが足りない。
その穴を埋める術を求め、リュシアンは戦いの中で足掻いていた。
神竜ガルディアとの訓練が、完全な形で終わっていれば。
だが、無い物ねだりをしても仕方がない。
「は?」
激闘の最中、リュシアンの視線が、ある一点に縫い止められた。
ここに、あるはずのないもの。
あり得ない存在。
混乱と同時に、確信が走る。
これだ。
最大の切り札が、そこにあった。





