10 巨大な赤竜
「参ったわ。どうして俺を?」
氷上へ座るドミニクが困惑の声を上げた。
「あんたの手下に言われただろ。頭の命を助けてくれって。それを無下にできるわけねぇだろうが」
その背を蹴りつけ、氷の上を滑らせる。ドミニクの体は瞬く間に遠ざかり、縛られて寝転ぶブノワへ激突した。
ドミニクは許せないが、手下どもがあいつを助けたいと願っていたのも事実。彼等がこんな状態になった今、その願いを叶えてやるのがせめてもの手向けだ。しかし、俺の怒りも完全に消えたわけじゃない。罪はきちんと償ってもらうし、制裁も終わっていない。
「しばらく寝てろ!」
倒れたままの彼等へ、雷属性を持った中サイズの魔法石を投げ付けてやった。
悲鳴を上げて失神したふたり。仮に目を覚ましたところで、痺れた体では逃げることもできないだろう。
右方では、シルヴィさんが賊の残りふたりを。左奥では、レオンが魔獣ベルヴィッチアを押さえてくれている。これで残るは正面の神殿にいる仮面の男だけ。
「思い知らせてやるよ」
次の詠唱を始めているあいつを睨み、剣を正眼に構えた。体の奥底から溢れる力を意識しながら、それを剣先へと注ぎ込む。直後、刃は碧色の光に包まれる。
俺たちの想いを喰らい、どこまでも大きく、強く膨れあがれ。その力を振るい、この場へ存在する悪意の全てを打ち砕け。
「竜牙……」
必殺の魔力球を解き放とうという矢先、それは突然に起こった。
なんと、剣先で膨れ上がった光が突然に萎み始めたのだ。まるで力が外部へ漏れ出しているように、弱々しい光へ変わってゆく。
「冗談だろ!?」
慌てふためきながらも、再び力を絞り出す。この機会をふいにはできない。
「くそっ。竜牙天穿!」
ヤケになりながらも、どうにか魔力球を解き放つ。だが、その光は弱い。通常の半減に等しい一撃が、仮面の男を狙って空を裂く。
その直後、攻撃を見越していたように、奴も杖を振り上げた。
「魔壁創造!」
杖の先端を中心に、魔力結界が顕現。ドーム状に広がった半透明の黒い光が、男の全身を包み込んでいた。
「突き破れ!」
たまらず後を追って駆け出していた。あんな魔力球では奴にとどめを刺せるかわからない。
直後、魔力球が結界へ到達。力がぶつかり合い、甲高い音と光が弾ける。
威力が低減されているとはいえ、あれを受けるとは奴の魔力もかなりのものだ。さすがに言うだけのことはある。
そして事態は予期せぬ方向へ展開した。結界は粉々に砕けると同時に魔力球を反射。仮面の男は後方へ吹っ飛び、弾かれた魔力球が左方で暴れていたベルヴィッチアの本体を直撃したのだ。
魔力球は魔獣が持つ八つの捕食器官のふたつを消し飛ばし、本体の一部を抉った。ちょうど大きな口の側。人間で言えば、喉から胸元の辺りだろうか。
洞窟が震える程の盛大な悲鳴を上げ、苦しげに悶える巨大魔獣。その動きに合わせ、傷跡から体液が溢れ出している。
「は!?」
思わず、驚きに目を見開いた。
傷口から溢れたのは体液だけじゃない。大きな塊が飛び出し、地面へ向けて落下。それに気付いていたレオンが、駆け込みながら地面すれすれで受け止めた。
落下物の正体は、魔獣の唾液まみれになったナルシスだ。魔力障壁が残っていれば、唾液を防ぐこともできただろうに。
「そいつは無事なのか!?」
「大丈夫。息はある」
こちらへ顔は向けないまま、素っ気ない返事をするレオン。
だが、ナルシスを助けられたのは思いがけない誤算だ。ひょっとしたら、セリーヌもまだ助かるかもしれない。
そんなわずかな希望を見いだした時だ。
「熱っ!」
右手に強烈な熱気を感じ、手にしていた長剣を取り落としてしまった。
「どうなってんだ?」
純白の刀身は赤い光に包まれ、脈動するように拡大と縮小を繰り返す。まるで生きているかのようだ。そして、剣から立ち昇って来たのは炎。それが怪しく揺らめき、俺を取り巻く碧色の光を吸収して肥大してゆく。
一体、何が起こっているのだろうか。
「は?」
その光景に言葉を失った。
ゆっくりと上昇を続けていた赤い炎が急激に膨れあがり、ベルヴィッチアと同等もある、巨大な赤竜へ変貌したのだ。
「炎でできた竜、なのか?」
長剣を拾いながら赤竜を見上げた。炎の身体は次第に鮮明になり、全身を覆う真っ赤な鱗まで確認できる。その姿は炎の力を自在に操ったと伝えられている、火竜種の伝承画に酷似していた。
「リュシー、あれはなんなの!?」
「俺が聞きてぇよ」
取り乱し、シルヴィさんへきつい口調で返してしまった。こちらへ合流したということは、賊どもは片付いたのだろう。
確かに、突如こんな怪物が現れれば驚くのも無理はない。
「まさか竜なの? 伝説の存在と戦えるなんて、身体の奥の方がジンジンしちゃう……もうたまんない! ゆっくりじっくり逝かせちゃうんだから」
突然、何を言い出すのか。尻込むのかと思いきや、戦おうとするなんて。
当の赤竜は魔獣を見据えて動かない。敵か味方か、それすらも判然としない。
「敵と決まったわけじゃない。無闇に刺激すると何が起こるかわかりませんよ」
「もう。焦らさないでよ」
頬を膨らませ、艶めかしい仕草で腰をしならせる酒好きの戦闘狂。俺の苦手な所はまったく変わっていない。
深紅に染まった斧槍と防具。二つ名、紅の戦姫の由来でもあるのだが、案外、酒に酔った赤ら顔から来ているんじゃないかと勝手に思っていたりする。
その時、視界の端で何かが動いた。慌てて視線を向ければ、魔力球の威力で吹っ飛んだ仮面の男が身を起こしている。
「怪物の動きに注意してください。俺は、先にあいつを黙らせる」
竜の力はもうしばらく続くはずだ。それを裏付けるように、強化された脚力が瞬く間に敵との距離を詰める。
「煌熱創造!」
仮面の男が即座に魔法で応戦してきた。一抱えもある火球が迫ってきたが、石段を風のように駆け上がりながら剣を一閃。
掻き消され、散り散りになった炎。花びらのように周囲へ拡散しながら、大気へ溶けるように消え失せた。
「終わりだ、インチキ導師」
「こんな現実など、あるはずがない」
狙い澄ました斬撃が、男の持っていた魔導杖を直撃。澄んだ音を響かせ、杖は床を滑るように転がってゆく。
「私は断じて認めない!」
男は往生際悪く、それを拾い上げようと、なり振り構わず走り出す。
「あきらめろ」
素早く足を掛け、男を転倒させる。続け様に細身の背中を踏み付け、喉元へ剣の切っ先を突き付けた。
「勝負ありだな。観念しろ」
「おのれ。碧色の閃光……」
直後、男の左手へ魔力の淡い光が宿った。魔導触媒もなしに魔法を使うなど、聞いたこともない。
「零結創造!」
だが、現実に眼前で魔力が迸り、氷の魔法が襲ってきた。わずかに判断が遅れていれば全身が凍り漬けにされていた。しかし竜の力は魔法の顕現速度を上回り、冷気の渦をかいくぐりながら男の脇へ回り込んでいた。
上段から振るった一閃が、逃げる男の背中を斬り裂く。だが、さすがに魔法を避けながらの攻撃では無理があった。とても致命傷と言えるものではない。
「逃がすか!」
再び剣を構えた時だった。
「リュシー、横へ飛んで!」
背後からの鬼気迫る声に、咄嗟に右へ飛び退いた。直後、俺と仮面の男を隔てるように、一筋の熱線が目の前を駆け抜けていった。
そして、熱線から吹き上がる業火。全てを焼き尽くすような荒ぶる灼熱の炎だ。
加護の腕輪に刻まれたラインが黄色へ変わっている。側にいるだけで魔力障壁が削られるとは、どれほどの威力なのだろうか。
すると、柱の数本を失った神殿が崩れ始めた。仮面の男を確認する余裕もないまま、落石を避けて神殿を飛び出した。
「くそっ!」
あの男に止めを刺し損ね、悔しさと怒りが込み上げてきた。その原因である赤竜は中空へ浮かび、鋭い牙の並んだ口を大きく開いていた。喉の奥へ燻る残り火がはっきり見える。
熱線はベルヴィッチアを狙ったのだろう。魔獣の体は炎に包まれ、そのまま横一線に吐息を吐き出した結果がこの有様というわけだ。
「やっぱり敵なのか?」
強烈な熱線で岩肌と神殿の一部が融解。同時に、洞窟内を襲い始めた激しい地響き。どうやら今の一撃で崩壊が始まったようだ。
その不安を現実とするように、ベルヴィッチアの根元が陥没し、大きな穴が開いた。
土砂の落下と共に、なぜか盛大な水しぶきが返ってきている。崩れた先に湖面が見え隠れしているということは、恐らく地底湖だ。
幸い、いち早く崩壊の危機を悟ったレオンは、ナルシスを連れてその場を離れている。今は、出口の側でシルヴィさんと一緒だ。
「外へ避難してください。籠の荷物とふたりの賊もお願いします!」
大声で叫び、イチかバチかの賭けに出ようと、崩れた場所を目掛けて走った。





