38 異様な存在感
「アンセルムさんの遺体は、北方の洞窟で氷漬けになって安置されている……それが、どうしてここにあって、動いとるんだ」
拳聖マルクにはすべてが信じられなかった。
幻視の魔法に掛けられているのかと疑ったが、この場の全員が同じものを見ているという紛れもない事実。加えて、自身の認識に間違いがないという確信も持っていた。
前方に現れた剣神は生気を全く感じない。生身の人間ではなく、自動的に動く人形のようだと感じていた。
冒険者や王国軍も、突然の乱入者に戸惑っている。いかにも怪しい男性剣士に、どう対応していいのかわからずにいた。
不幸中の幸いともいえるのは、ブリュス・キュリテールが先程までの集中攻撃によって追い詰められていることだ。
翼は完全に破壊され、回復までに相当な時間を要するのは明らかだ。
尾に付いた大蛇は頭蓋骨を砕かれ、地面を引きずられている。
左肩の虎頭は顎を残して吹き飛ばされ、右肩の黒豹も後頭部を割られて絶命した。
中央の獅子だけが抵抗を見せているが、右目は潰れ、視界を大幅に制限されている。
背中の棘に攻撃魔法を吸収されてしまうため、魔法を控えて戦えば勝利は目前に迫っているとみて間違いなかった。
マルクがアンセルムと認識した男性は、背負っていた物々しい大剣を手にした。
これに反応したのはシルヴィだ。
「聖剣ミトロジー……剣聖ヴァレリーの屋敷から消えたはずよね……」
火災に巻き込まれて亡くなった、ふたりの剣聖を思い浮かべていた。
聖剣が本来の所有者に返ったわけだが、シルヴィにしてみれば、アンセルムは語り継がれる物語の主人公でしかない。聖剣ミトロジーはフェリクスのものであって、彼が剣聖と呼ばれる象徴だと認識していた。
フェリクスの形見を盗まれた。
シルヴィの心には、怒りと不快感が激しく渦巻いていた。
「ふたりの剣聖を消したのがアンセルムさんで、剣を持ち出して屋敷に火を放った、なんて言うんじゃねぇだろうな……まさかな」
側で身構える絢爛の剣豪アクセルは、自らの言葉を必死に否定した。
「あり得ないわよ……事故現場からは、ふたりぶんの装備がなくなってるのよ。ひとりで持ち出せるとは思えない」
シルヴィが闇夜を仰ぐ。そこには、大鷲型魔獣の群れが不気味に滑空を続けていた。
そうして異様な存在感を放つアンセルムは、ブリュス・キュリテールからも不審な相手だと認識されていた。
魔獣は、冒険者や王国軍に体当たりを仕掛け、一同を撥ね除けた。
中央の獅子頭が、アンセルムを目掛けて魔力球を吐きかける。
それが開戦の合図となった。
一抱えもある巨大な魔力球が迫り、剣神アンセルムは駆け抜け様に大剣を振り抜いた。
魔力球はふたつに引き裂かれ、剣神の体を押し出すように後方で破裂した。
「本当に、アンセルムさんなの?」
賢聖レリアは声を震わせてつぶやいた。
幻ではない。実体を伴って確かに存在し、全盛期と変わらぬ剣裁きを見せ付けてきた。
剣神は爆風の後押しを受けて駆け出る。
進む先には、王国軍の団長であるエヴァリストの姿があった。
「突然湧いた奴に、魔獣の首を取らせるか!」
戦鎚を手に駆けるエヴァリストだが、臙脂色の全身鎧も相まって、機敏さが足りない。
すぐさま剣神に追い付かれたが、驚愕の事態はその時に起こった。
剣神はエヴァリストを追い抜きながら、手にした大剣を横薙ぎに振るう。
片腕で軽々と振られた斬撃が、エヴァリストの脇腹を直撃。軍団長はその場に倒れた。
重量鎧の腹部が破壊され、内臓に達するほどの傷を負っている。
魔導武具は製造の際に多量の魔力が練り込まれる。含有する魔力量が多いほど高位となり、攻撃補助、属性防御など付加も様々だ。
その効果のひとつに、重量軽減という付加がある。聖剣ミトロジーは大剣だが、片腕で振り回すことが可能だ。そんなとてつもない性能を有する装備品もいくつか現存する。
魔法の力が弱まった現代では魔導武具の完全な再現は困難とされ、性能や装飾の美しさも相まって、希少性は飛躍的に高まっていた。
「どうなっとるんだ……」
呆気に取られるマルクを余所に、弓兵隊長アグネスと魔導隊長メルビンが、倒れたエヴァリストに駆け寄ってゆく。
一方の剣神は、何事もなかったように魔獣を目掛けて突き進む。
※ ※ ※
「あんなもんを運ばされたが……」
怒りに身を任せ、デニスは巨大な拳を大きく振り上げた。狙うは、眼下のレオンだ。
「俺は雑用係じゃねぇっ!」
巨大な岩を思わせる塊が襲い来る。
レオンは落ち着き払って軌道を見極め、即座に後方へ飛び退く。竜臨活性の効果も加わり、デニスから充分な距離を取って着地した。
「ギルドの職員も、金色の猿型魔獣は北方へ消えたと言っていた。剣神アンセルムの棺を盗み出すことが目的だったか……」
次々と襲い来る巨大な拳を避け、レオンは吐き捨てるように言い放つ。
「あんたたちのやり方には反吐が出る」
「なんとでも言え。反吐どころか、全身の血を吐き出すまで徹底的に殴ってやるよ」
「口だけのぬるい攻撃だ」
大型の猿型魔獣と化したデニスの攻撃でも、レオンを捉えることはできなかった。
風竜の加護を受けて俊敏さを増した今、六凶星のひとりといえども、レオンの相手を務めるには不十分だと思えた。
振るわれる拳と吐き出される火球を難なく避け、レオンは敵の体へ斬撃を刻む。
レオンにばかり気を取られれば、死角からジェラルドの双竜剣による連撃が襲い来る。
ナルシスは傷付いたエドモンを保護し、早々に戦場を離れた。その穴を埋めるように、冒険者や王国軍が援護を続けている。
いいように振り回され、デニスの苛立ちは最高潮に達しようとしていた。
「小蠅はさっさと消え失せろ。早くしねぇと、アンセルムに獲物をかっ攫われちまうだろうが。俺の楽しみを邪魔するな!」
デニスの怒声が断崖を渡ってゆく。
※ ※ ※
「まさか……」
セリーヌは驚きに目を見開いた。その反応は、彼女の側にいる老剣士コームも同じだ。
「あの人のいかさまみたいな強さ、何なの。そもそも、敵? 味方? どっちなの?」
魔導師イリスは本来の目的を果たそうと、セリーヌの支援に駆けつけた。
騎兵隊長であるガブリエルを救護していたイリスだが、彼の愛馬は即死だった。
ガブリエルが秘薬を所持していたことが幸いだったと安堵したのも束の間。化け物じみた剣神の強さを目の当たりにさせられていた。
ブリュス・キュリテールは左前足を間接部で切断され、横倒しに崩れていた。他の部位を含めた再生時間を考えれば、戦闘続行が不可能であるのは明白だ。
セリーヌたちが驚いたのは、剣神の技術だ。
魔力の付与で軽量化された大剣とはいえ、魔獣を斬り付け、返す刃で同じ場所を斬るという凄まじい剣術だった。
大木のようなブリュス・キュリテールの脚でも耐えきれなかったほどだ。
「なんだ!?」
戦局が決しようというその間際、周囲に集っている冒険者や王国軍がざわめいた。





