36 火凶星の遊戯
猿型魔獣は、全身に炎をまとっていた。
誇示するような火勢が巨躯を包み、巨大な篝火が歩いているかのように揺らめく。熱量は濃く、空気そのものを焦がしてゆく。
「おい。あいつらの間抜け面、見えるか。笑いすぎて腹がよじれそうだ」
金色の体毛を持つ猿型魔獣が背を丸め、肩を震わせる。
十メートルを超える体躯がわずかに動くだけで、燃える山が揺れた錯覚が走った。
魔獣が言葉を操る。
その異様さが、戦場の緊張を別の形へ歪めていく。
猿型魔獣の耳元に、一頭の大鷲型魔獣が浮かんでいた。
背には、黒装束の男がひとり立っている。
「デニスさん。目立つ行動は避けてくださいと、何度もお伝えしたはずですが」
頭巾に覆われ、露出しているのは目元だけ。
それでも、声色には呆れと苛立ちが滲んでいた。
「うるせぇ。俺に指図するな。結界は破った。文句ねぇだろ。それに、ブリュス・キュリテールを見ろ。どう見たって瀕死だ。俺が助けなきゃ死んでた」
「私はブリュス・キュリテールの奪取へ向かいます。この場は任せました」
「待てよ、セヴラン。俺は後始末か。俺たち六凶星は並列だろ。風凶星は、そんなに偉いのか?」
吐き捨てるような声音。
不快感を隠そうともせず、デニスは鼻を鳴らした。
「態度で言やぁ、鳴り物入りのあいつの方が、よほど気に入らねぇがな」
「今は言い争っている場合ではありません。作戦は動いています。あなたが派手に暴れてくれれば、強敵を引きつけられるでしょう」
「ここを片付けたらすぐ行く。俺の獲物、勝手に始末するなよ」
「お願いしますね。火凶星のデニス殿」
セヴランの物言いに、猿型魔獣と化したデニスは露骨に顔を歪めた。
足下には、冒険者や王国軍の戦士が幾人も倒れ伏している。
大鷲型魔獣が羽ばたき、セヴランを乗せたまま上空へ消えた。
デニスは息を吐き、視線を眼下へ落とす。
もはや、自身の命を脅かす存在は見当たらない。
全身を覆っていた炎の力が収束し、熱が引いていく。
「だとさ。そういうわけで、おまえらみたいな小物と遊んでる暇はねぇんだ」
相対するのは、竜骨剣を両手に握ったジェラルドだ。
背後に、細身剣を構えるナルシスと、魔導杖を構えるエドモンが控える。
三人とも疲弊は明らかで、立っているだけで精一杯に近い。
ナルシスが乗ってきたびゅんびゅん丸は、断崖のさらに奥へ逃がしてある。
白馬の背には、全身の骨を砕かれたアンナが横たえられていた。
※ ※ ※
『これ、マリーから。あなたにも渡してほしいって』
ジェラルドたちが作戦本部を訪れた際、救護を手伝っていたセシルが近付いてきた。
秘薬のプロムナを手渡しながら、エドモンを見つめる。
『マリー嬢が、オイラにも?』
言葉が追いつかない表情。
セシルはその反応に、困ったように微笑んだ。
『顔も見たくない、なんて言ってたけどね。私はふたりの間に何があったのかは知らない。けどね、あなたが心を入れ替えてみんなのために尽くしてくれるならって、マリーは自分の感情を抑えて貴重な薬を提供してくれたの。彼女の想いを無駄にしないで』
エドモンは薬瓶を強く握りしめる。
セシルはジェラルドに向き直った。
『無理しないで。危険だと思ったら、すぐ引いて。お願いだから』
『大丈夫。わかってるから』
ジェラルドはセシルの肩に手を置き、柔らかく笑った。
『必ず戻るよ』
その言葉は、自身へ言い聞かせるようでもあった。
※ ※ ※
そうして、エドモンの秘薬はアンナに使われた。
最善の判断だったと、彼は迷いなく受け入れている。
「さっさと殺すつもりだったが……せっかくジェラルドがいるんだ。気が変わった」
次の瞬間、デニスは跳んだ。
ジェラルドの頭上を越え、林を薙ぎ倒し、エドモンを両腕で掬い上げる。
反撃に転じようとしたふたりを、再び跳躍で置き去りにした。
「そう焦るんじゃねぇよ」
歯を剥き、デニスはエドモンの右腕を掴み上げる。
力が込められ、骨が耐えきれず悲鳴を上げた。
杖が手を離れ、地を転がる。
「この程度で喚くなよ。さっきの小娘の方がよっほど根性があった。腕を折られても、脚を潰されても、睨み返してきたぞ」
言葉に、異様な熱が混じる。
「あれは良かった。俺も傷を負ったし、背筋が冷えた。興奮しすぎて、人型に戻って犯してやろうと思ったくらいだ。邪魔が入らなけりゃな」
デニスは断崖の窪みに腰を下ろす。
「人型?」
ジェラルドとナルシスが視線を交わす。
「おまえらはこの姿しか知らないからな。俺は獣人だ。マルセルって爺の人体実験に志願して、魔獣になる力を手に入れた」
左手でエドモンを押さえ、右手で頭部を掴む。
少しでも力が入れば、命は潰える。
「俺のことはいい。少し話に付き合え。動くな」
周囲を見渡し、言い放つ。
「余計な真似をすりゃ、この小太りの首が折れる」
困惑する反応を眺め、デニスは口角を吊り上げた。
「神竜剣を狙って、妙な連中が接触してきただろ。あれが何者か、知ってるか?」
「どうして今、その話を」
「興味があってな。神竜剣がおまえの人生を狂わせた。違うか」
「それは確かにそうだろうね」
「俺は、接触してきた相手の正体を知ってる。まぁ、元同業者だから当然だけどな」
「同業者というのは?」
前のめりで食い付くジェラルドに満足し、デニスの鼻息が荒くなる。
「闇ギルドだよ。俺もそこの出身でな。でもな、おまえを追ってたのは並の連中じゃねぇ。ある所から命を受けた、特別班だ」
「闇ギルド? 誰が、何のために……」
「頭を働かせろ」
いぶかしむジェラルドとナルシスを眺め、デニスは右手の人差し指をこめかみに添えた。
「王国の連中だよ。表立って動けないあいつらは、闇ギルドを頼ったってわけだ」
「王国が!?」
ジェラルドの息が詰まる。
「マルセルの爺さんの細工で、王国はブリュス・キュリテールを横取りされた。竜の情報も集まらず、相当焦ってたんだろうなぁ」
猿型魔獣の口から、忍び笑いが漏れる。
「おまえが神竜剣を手に入れた事件を切っ掛けに、王国も守り人の存在を知ったわけだ。生き残った守り人は他にもいてな。そいつらを保護して、拷問を加えて吐かせたのさ」
「なんてことを……」
「今のヴィクトル王は平和主義を掲げる穏健派だが、古くから残る宰相には血の気の多い奴も多い。その一派が、拷問で得た情報を元に竜の力を求めて動いた結果だ」
「そんな馬鹿な話が……」
「嘘じゃねぇ。真実なんだよ。いいか、ジェラルド。おまえには、この国に復讐する資格がある。おまえが望むなら、俺たち六凶星と終末の担い手が、喜んで力を貸してやるよ」
デニスはエドモンから手を離し、ジェラルドへ手を差し出した。
「俺たちと一緒に来い。この国をぶっ潰すんだ。世界を変える手助けをしてやる」
「世界を……変える?」
覚醒の時を迎えたかのように、ジェラルドの目が見開かれた。





