33 数打ちゃ当たる
闇夜を仰ぐようにミツ首をもたげ、ブリュス・キュリテールが激痛に吠えた。
魔獣の体長を考えれば、レリアが与えた一撃など針に刺された程度に思えた。しかし、これは賢聖が用意していた秘策だ。
「何が起こったの?」
イリスは、レリアを背に乗せたまま暴れる魔獣を窺いながら、セリーヌに駆け寄った。
作戦を事前に聞かされていたセリーヌは、視線を魔獣から外さずに口を開く。
「レリア様が手にされていた魔力石は、特別製なのだそうです。彼の魔獣が持つ再生速度を遅延させる効果が望めるのだとか……体内に埋め込むと、電撃に打たれたような痛みが全身を巡る、というご説明でした」
セリーヌの説明が、魔導隊員の拡声魔法に乗って拡散されてゆく。
「だったら、いくつも仕掛ければいいのに。博打だって、数打ちゃ当たるものよ」
「高度な技術と希少な薬剤が必要だったため、ひとつ作るのが精一杯だったそうです」
「ありゃ。そういうことなの? 軽々しいことを言うものじゃないわね」
それ以上はセリーヌの言葉が続かなかった。
レリアは魔獣の背から振り払われ、人形のように宙を舞っていた。その右腕は、肘から先があり得ない方向へねじ曲がっている。
「レリア様!」
セリーヌが声を上げると同時に、獅子と虎の頭が、レリアを狙って口を開いた。
「風竜斬駆」
セリーヌは決死の思いで風の刃を解き放つ。
獅子の頭が吐き出した魔力球を相殺したものの、虎の頭が吐いた球までは壊せなかった。
こんな所で、賢聖を失うわけにはいかない。
この場の誰もが同じことを考えていた。
魔力球がレリアを捕らえる寸前、それを狙って一筋の影が飛び込んだ。
投げ込まれたのは、ガブリエルの槍だ。その騎兵隊長も、騎乗した愛馬と共に爆風に弾き飛ばされてしまった。
そして、先を争って飛び込んでいた拳聖のマルクが、レリアの体を抱き止めながら地面を転がった。
セリーヌが安堵したのも束の間、ブリュス・キュリテールの後部で、大蛇が威嚇の声を上げた。見れば、重装隊長のアドマーが未だに大蛇を抑え続けてくれている。
「アドマー、退避しろ!」
軍団長のエヴァリストがたまらず叫んだ。
目の前で、騎兵隊長のガブリエルが襲われた。この上、重装隊長まで危険に晒せないという焦りが滲み出ている。
歩兵隊長のランベールがいないことも不安を駆り立てている一因だった。滝の側に残り、負傷者を救護しているのか。それとも既に。
考えたくもない想像が膨らみ、エヴァリストの心を乱す。軍団長に就いて初の大戦。被害を抑えて結果を残すことが彼の望みだ。
「団長! 俺がこいつの喉を抑えている間に、叩き潰してください」
迷っている暇はなかった。戦鎚を手に、エヴァリストはすぐさま駆けた。
しかし、冷静さを取り戻したブリュス・キュリテールの反応がそれに勝った。重量鎧で武装しているアドマーの体を、後ろ足で素早く蹴り付けていた。
魔導隊長メルビンの攻撃魔法、弓兵隊長アグネスの矢を受けても怯まない。黒豹の頭がアドマーを見据え、後ろ足を持ち上げた。
「右手に氷。左手に氷。双竜術、絶対零度檻!」
セリーヌの手元から氷の魔法が顕現。魔獣の後ろ足へ吹雪のように吹き付けた。
渾身の一撃が、敵の後ろ足を氷付けにするはずだった。しかし、吹雪の流れはセリーヌの意に反し、魔獣の背中へ引き寄せられる。
驚くセリーヌを尻目に、魔獣は全体重を乗せてアドマーを踏みつけた。
重装隊長のくぐもった声を掻き消すように、鎧同士がこすれる不快な金属音が漏れた。
物言わぬ金属の塊。その隙間から、赤いものが漏れ出して地面へ広がってゆく。
「一体、なにが……」
困惑するセリーヌは魔獣の背に変化を見付け、アーモンド型の目を見開いた。
背骨に沿って、棘のような突起物が二本突き出している。それが氷の竜術を吸収するように受け止め、凍り付いていた。
「あの姿は……」
マルティサン島が襲われた時でさえ見せたことのない形態だった。その対処法に戸惑い、セリーヌの判断が遅れた。
呆然とするセリーヌの心を置き去りに、エヴァリストが怒りに吠えた。
魔獣へ果敢に挑んでゆく軍団長の姿で我に返ったセリーヌは、心を奮い立たせた。
「レリア様とガブリエルさんの安否確認を。ふたりにもプロムナが支給されております。すぐに手当てを」
「私が行くわ」
イリスがセリーヌの側を離れた。入れ替わるように近付いてくる人陰がある。
シルヴィと、老剣士のコームだ。更には、アクセルが引き連れる冒険者の一団もいる。
レリアと隊長数名が戦線を離れたものの、ブリュス・キュリテールも翼を失い、左肩の虎顔は片目を潰されている。再生速度の遅延を加味すれば、戦況は五分五分だと思えた。
燃え盛る林の中からも、冒険者と王国軍が姿を現している。皆を巻き込んでしまうことを心苦しく思いながらも、このまま数で押し切れば、という希望があるのも事実だ。
セリーヌも次の攻撃に向けて身構えた。無闇に飛び込むことはしない。皆が攻めている間に、魔獣の隙を突こうという判断だった。
ブリュス・キュリテールも、自身へ向かってくる戦士たちの姿に気付いた。
威嚇するように、三つの頭と大蛇が吠える。すると、背中に生えた棘に変化が起こった。
セリーヌの竜術を浴びて凍結していたはずが、氷結の檻が粉々に砕け散った。代わりに、電撃のような光が体内から幾筋も迸り、棘の先端へ収束を始めていた。
「皆さん、何かの攻撃が来ます!」
セリーヌの警告を追い越すように、凶悪な破壊力を持った光が溢れた。
※ ※ ※
「雷?」
天が怒りの咆哮を上げたのかと錯覚するような轟音だった。大気が激しく震え、治療院の窓が怯えたように振動を起こした。
負傷者の治療を続けていたマリーは手を止め、窓から見える闇夜の景色に目を投げた。
「魔獣の……攻撃なのでしょうか?」
救護を手伝っていた助祭のブリジットも、憂いを帯びた不安げな表情を見せる。
「ナルシスさんも……大丈夫でしょうか」
祈るように手を組んだブリジットの近くには、慌ただしく働く三人娘とデリアがいる。
「ブリジット。心配なのもわかるけど、私たちにできるのは手を動かすことだけよ。ひとりでも多くを戦地へ戻せば、わずかずつでも勝てる見込みは上がっていくんだから」
セシルはそれだけを信じて、黙々と救護を手伝っていた。妹のデリアと違い、癒やしの力など使えない。そのことが、たまらなくもどかしくもあった。
「セシルさんもそんなこと言ってるけど、ジェラルドさんが心配でたまらないって、顔に大きく書いてありますよ」
「クリスタ、無駄口を叩かないの」
「いゃん。セシルさんが怖い〜。クリスタさんも煽らないでくださいよ〜。今、セシルさんにここを離れられたら、手が足りませ〜ん」
ソーニャは血に染まったタオルの山を運びながら、場を和ませようと微笑んで見せた。
「リューちゃん、間に合ったのかな?」
デリアのつぶやきに、マリーが息をのむ。
誰もが不安を抱えながらも、今できることに集中していた。そうすることで、耐えがたいほどの負の感情を紛らわせていた。





