32 ひとりではない
地面に手を突いて上体を起こしたセリーヌは、炎に包まれた林の光景に息をのんだ。
林の一部が根こそぎ薙ぎ払われ、倒れている人陰も多い。その脅威を誇示するように、ブリュス・キュリテールの咆哮が轟いた。
「こんなことで……負けはしません」
自らへ言い聞かせるように心を奮わせた。体の痛みも忘れ、胸を張って立ち上がる。
そうして腰の革袋へ手を伸ばし、閃光玉をいくつか取り出した。
※ ※ ※
「くそっ……」
苦しげに呻いたレオン。その手から、愛用の魔法剣が抜け落ちた。足下へ落ちた剣は、主人を呼ぶように乾いた音を立てる。
右腕を押さえ、しゃがみ込むように膝から崩れ落ちた。竜臨活性が解け、銀色に染まっていた髪が黒色を取り戻してゆく。
すぐ側に、ブリュス・キュリテールの巨体がある。ミツ首のひとつである虎の頭に睨まれ、その場を動けずにいた。
しかし、虎の顔も左目を失っている。レオンも黙ってやられてはいない。
「力を解いたのは、温存してるだけだから」
精一杯の虚勢を放つレオン。それを魔獣が理解しているのかはわからない。
レオンと虎頭の間に一触即発の空気が満ちている。左目を奪われた魔獣も、レオンの力を測りかねているのは間違いない。
ブリュス・キュリテールへ突進したのは、レオンだからこそ成せた瞬時の判断だった。
風の属性を持つ竜臨活性。その瞬発力と機動力を活かし、魔力球へ飛び込んでいた。
咄嗟の機転が功を奏し、レオンの放った突きが虎の左目を捉えた。痛みに呻いた魔獣が顔を逸らし、魔力球の着弾点をいくらか逸らすことに成功していた。
しかし、魔力球の威力は並々ならぬものだった。王国軍の重装隊と歩兵隊が控えていた地点を直撃し、二部隊の被害は甚大だ。
魔導隊も先程の戦いで多くが食い殺され、王国軍の戦力は六割ほどにまで減っている。
レオンも自分のことだけで精一杯だった。離れた仲間の安否を気遣う余裕はない。
魔力球が掠めた右腕は熱を持ち、激しい痛みをもたらしていた。可能ならば肩から切り落としてしまいたいとさえ思うほどの苦しみと衝動を抱え、魔獣と睨み合っている。
神竜ガルディアから授かった鎧でなければ、レオンの半身は失われていただろう。事実、魔力球の直撃を受けた重装兵は、鎧の欠片すら残さず消滅してしまった。
大きく陥没して形を変えられた地形が、威力の凄まじさを物語っている。
レオンが次の一手を決めるためには、早急な治療が必要だった。
「来ないなら、俺から行こうか?」
奥歯を噛みしめ、レオンが煽る。
差し迫る絶望を肌で感じ取っていたその時、林の向こうでまばゆい閃光が弾けた。
誰かが閃光玉を使ったのは間違いなかった。魔獣を誘い込もうと、自ら囮になっている。
「誰が……」
レオンの言葉を待たず、ブリュス・キュリテールは光に誘われ駆け出した。
緊張から解き放たれたレオンは、安堵と共に深い息を吐き出していた。そうして、近くにうずくまる魔導兵の男性を睨んだ。
「籠手を外したい。頼めるかな」
言葉を投げると、腰の革袋をあさった。そこからプロムナの入った小瓶を取り出し、コルク栓に噛み付いて封を解く。
希少な品だと勿体ぶっている場合ではなかった。すぐにでも傷を癒やし、魔獣を追わなければならない。
鎧の下に着ていた冒険服も、二の腕の部分が焼き消えていた。そこを狙って秘薬の半分を振り掛け、残りは口に含んで飲み干した。
※ ※ ※
「ここで決着を着けます」
燃え盛る林から駆け出してくる巨体を睨み、竜臨活性の力を纏ったセリーヌは身構えた。
彼女を支えようと、賢聖のレリアと魔導師のイリスも杖を握りしめて構えた。
「セリーヌさん、強力な魔法の連続使用にはくれぐれも気を付けて。さっきみたいに倒れられたら、助けられるかわからないわよ」
レリアがすかさず注意を促す。
そこには嫌味など微塵も感じられない。セリーヌの力を認め、必要不可欠な存在だと認識しているからこその警告だ。
「大丈夫です。マリーさんから、特製の気付け薬も頂きました。今はとても調子が良いのです。おふたりこそ、くれぐれも無理をしないようお願い致します」
セリーヌは、迫る脅威に目をこらした。
数時間前に風の竜術で破壊した翼も、根元が再生されている。完全再生は時間の問題だ。
ブリュス・キュリテールを追って、騎兵隊長のガブリエルが駆けてくるのが見えた。
彼を支援するように、林のあった方角から大量の魔力灯が降り注いで辺りを照らした。
まだ、破壊されていない投石機がどこかに残っているのだろう。
ひとりではないという心強さに後押しされ、セリーヌの体にも活力が漲る。
「参ります」
裂帛の気合いと共に、セリーヌが駆けた。
矢継ぎ早に光の竜術が繰り出され、魔獣の進行を阻むべく連続爆発を起こした。
黒豹の頭も魔力障壁を展開するが、セリーヌの力がそれを上回った。障壁を打ち砕き、魔力の爆発が魔獣を滅多打ちにする。
その隙にガブリエルが追い付き、魔獣の背後を狙って突きを繰り出した。
だが、魔獣の尾にも大蛇の頭がある。攻防一体の効果を併せ持つ毒霧が拡散され、一同の侵攻を阻んできた。
「斬駆創造!」
イリスの放った風の魔法が拡散し、毒霧を瞬時に押し流してゆく。
毒霧という盾を失い、再び姿を現す魔獣。それと合わせるように、王国軍の部隊長たちが追い付いてきた。
魔導隊長メルビンが風の移動魔法を操り、重装隊長アドマーと弓兵隊長アグネスを連れている。最後尾には、軍団長であるエヴァリストの姿もある。
続々と戦士が集う中、拡声魔法を展開したレリアが声を張り上げる。
『毒霧の連続使用はないはずよ。大蛇が喉を膨らませた時と、毒の牙に注意して』
部隊長が魔獣を取り囲み、次々と攻撃を仕掛けてゆく。その合間を縫うように、軍団長エヴァリストが魔獣の死角から仕掛ける。手には強力無比な戦鎚が握られていた。
「ワンコロ。餌の時間だ」
勢い任せに振り抜かれた一撃が、左肩に乗った虎の顔を左方から殴り飛ばした。
折れた牙が飛び、魔獣の巨体がわずかに体勢を崩した。それでも反撃とばかりに左前足を振るってきたが、エヴァリストはそれを難なく躱してみせた。
「右手に水。左手に土。双竜術、深喰底無闇」
三本の脚で体勢を保つ魔獣を狙い、セリーヌは土の竜術を解き放った。
魔獣の右前足の大地だけが泥沼と化し、敵の巨体を地中へ引きずり込んだ。
前のめりになったブリュス・キュリテールは三つの頭を地面にぶつけ、激しく藻掻く。
「空駆創造」
レリアの声が響くと同時に、その体は魔獣の上へ跳び上がっていた。
「もう一度、翼を破壊して!」
賢聖の声に導かれるまま、セリーヌは魔獣を狙って駆けた。
大蛇が反撃に動いたが、重装隊長アドマーがしがみつき、体を張って動きを封じる。
「左手に光。右手に光。双竜術、光激爆無還」
魔獣の背が破れ、おびただしいほどの血が噴き出した。
魔獣が怒りに吠えた時、その背に着地したレリアは、ひとつの魔力石を握りしめていた。
「これでも食らいなさい」
傷口を抉るように腕をねじ込み、魔力石を魔獣の体の奥深くへと埋め込んだ。





