29 朝陽を見せぬために
「それで、この後の具体的な作戦は?」
マリーは、シルヴィとセリーヌのやり取りを聞き、不安を隠せない表情を浮かべた。
その空気は、彼女ひとりのものではない。
誰もが同じ思いを抱いていることは明白で、助けを求めるように、視線は自然とシルヴィへ集まっていった。
「あたしも、リュシー頼みのところがあったから……今までも、どうにかやってこれたし。リュシーがいるから、きっと大丈夫だって」
だが、その言葉は、思っていたほど軽くはなかった。
口にした瞬間、胸の奥で、何かがかすかに軋んだ。
きっと大丈夫。
その言葉に、どれほど自分が縋ってきたのか。
今になって、それを突きつけられたような気がした。
リュシアンがいれば、何とかなる。
彼がいれば、判断を委ねられる。
彼がいる限り、自分は前に立たなくていい。
無意識のうちに、そんな場所へ退いていたのではないか。
視線を落としたまま、シルヴィは小さく息を吐いた。
弱音を吐くつもりはない。後悔するつもりもない。
だが、ここに彼はいない。
その事実が、今になってはっきりと重さを持ち、肩にのしかかってくる。
気持ちを奮い立たせ、シルヴィは仲間たちを見回した。
「まずは、ブリュス・キュリテールをこの地域に押しとどめる。王国軍が周囲に防御石を設置してくれてるわ。結界を破って範囲外に逃げられても把握できるし、アンナには発信器を打ち込むよう頼んである。ギルドの通信網を使えば、魔獣のおおよその位置も特定できる」
その説明に、苦い顔を見せたのはマルクだった。
「随分と消極的だな。リュシアン君が来れば、必ず勝てるという確証はあるのか」
「それは……」
詰め寄られ、シルヴィは言葉を失う。
苛烈の拳聖の視線に気圧されたこともある。だが、それ以上に、必ず勝てる保証がないという事実が重かった。
一縷の望みに賭けるように、リュシアン・バティストという存在にすがっている。
その構図が、否応なく露わになる。
「幸い、ここにはセリーヌ君とレオン君がいる。ふたりをどう活かすかが戦いの鍵だ。俺は、そう踏んでいるぞ」
「そうですね。マルクさんの言うとおりです」
シルヴィは頷き、セリーヌへと視線を向けた。
当の本人は、揺るぎない瞳で、未だ見えぬ魔獣の気配を追っている。
「レオンさんを呼び、すぐにでも魔獣を追撃するべきです。彼の者に、朝陽を見させるつもりはありません」
「リュシアン殿を待たずに、攻め込むと?」
「構いません」
コームの問いに、セリーヌは力強く言い切った。
「言いたいことは分かりますが、私情を挟んでいる場合ではありません」
ふたりにしか理解できないやり取りだった。
リュシアンとセリーヌの婚姻を島の長たちに認めさせるには、力と影響力を示す決定的な成果が必要となる。
ブリュス・キュリテール討伐は、そのための格好の材料だ。
そして本来、それはリュシアンによって成されるべき偉業だった。
「承知しました。セリーヌ様がそう仰るのであれば、私から申し上げることはありません」
「彼の者を討ち果たすのは、わたくしの悲願です。コームの懸念については、別の方法を考えます。いずれにせよ、わたくしに影響力が備われば、長たちの意見などねじ伏せてみせます」
「頼もしい御言葉です」
我が子の成長を見せられているかのようで、コームは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
セリーヌ様なら、必ずやり遂げる。
そんな確信が、自然と胸に満ちていく。
その時だった。
セリーヌへ近づく女性の姿を捉え、コームは咄嗟に身を固くする。
「セリーヌ」
声を掛けたのは、ひとりの魔導師だった。
その姿を認め、セリーヌは思わず目を見開く。
「イリスさん。体調は、もうよろしいのですか」
「ええ、ありがとう。あなたがくれた貴重な秘薬のお陰で、もうすっかり」
イリスの声音は淡々としている。
そこに親しみや友愛はない。むしろ、挑むような気迫が漂っていた。
「ごめんなさい。あなたの力を見くびり、戦いぶりに呆然として油断した。醜態を晒したお詫びに、気合いを入れ直すわ」
結い上げた髪を左手で掴み、右手で短剣を抜く。
迷いのない一閃。金色の髪が切り捨てられた。
「なんということを……」
言葉を失うセリーヌを前に、イリスは勝ち誇ったように微笑んだ。
肩まで短くなった髪を気に留めることもなく、左手に握った髪束を突き出す。
「私も冒険者の端くれよ。次に同じことがあれば、見捨ててくれて構わない。戦って死ぬ覚悟はできてる。あなたへの認識も改める。この戦いに勝つため、全力で支援するわ。改めて、よろしく」
頭を下げたその手の中で、炎の魔法が顕現する。
髪束は、瞬く間に燃え尽きていった。
その光景に、セリーヌもまた背筋を正す。
「こちらこそ。何としてでも、勝利を掴み取りましょう」
焼け落ちた髪のように、細く、頼りない力と絆が、かろうじて繋がっている。
運命と呼ぶには心許ない。
だがそれらは絡み合い、やがてひとつの大きな流れを形作ろうとしていた。
リュシアンとセリーヌに導かれた者たち。
団長エヴァリストや隊長に率いられた者たち。
それぞれの思惑は重なり合い、ブリュス・キュリテール討伐という一点へ収束していく。
「では、参りましょう」
※ ※ ※
時刻は、すでに二十三時を回っていた。
セリーヌとレオンを先頭に、シルヴィ、マルク、レリア、イリス、コームが続く。
その後方には、四百名にも及ぶ冒険者たちの列があった。
「皆さん、お気を付けて」
本部の救護室。
マリーは窓越しに、戦地へ向かう背中へ祈りを捧げる。
この部屋にも負傷者は次々と運び込まれている。
マリーや三人娘、デリアに加え、助祭ブリジットの呼び掛けに応じた五十名ほどが慌ただしく立ち働き、回復次第、戦線へ戻す体制が整えられていた。
セリーヌたちが滝へ向かう道すがら、多くの王国軍兵士の姿があった。
休みなく道を切り開いてきた彼らから、疎ましげな視線を向けられる。
だが、それを気に病む余裕はない。
滝へ近づくにつれ、傷つき、塞ぎ込む兵士の数は増えていった。
「癒やしてあげたいなんて、半端な優しさは捨てろ。力も薬も温存するんだ」
黙々と歩くレオンが、隣のセリーヌへ忠告する。
「はい。承知しております」
ふたりはマリーから、追加生産されたプロムナをひとつずつ受け取っていた。
秘薬は大量生産できるものではない。並々ならぬ苦労の末に運び込まれた、貴重な品だ。
後続の冒険者たちには自由行動が命じられている。
ランクLに至った猛者も少なくない。
半端な制限は、彼らの持ち味を殺すだけだ。
先を急ぐ一行を見送るように、後方のひとりが呟いた。
「さて……僕たちは、どうしましょうかね」
ジェラルドは独りごちる。
背には、父ガエルから授かった二本の魔法剣。左右の腰には竜骨剣を二本。
そこへ、白馬びゅんびゅん丸が並び立った。
背に跨るのは、ナルシスとエドモンである。
「遊撃隊は後方支援に徹するべきでしょう。この僕の剣技を披露できないのは残念ですが……世界は、僕の活躍を待っているというのに」
「ナルシスの旦那、もう少しでランクSだったじゃないっスか。どうして、あそこで失速したんスか」
「そこは……やむにやまれぬ事情というものがあってね」
エドモンの問いをかわしつつ、ナルシスはジェラルドへ視線を向けた。
自分たちを探し出し、パーティを組まないかと声を掛けてくれた男。
彼を差し置いて、ランクSになる未来は想像できない。
ジェラルド・バティストとは、そういう男だ。
付き合いの浅いナルシスでさえ、それを理解していた。





