28 聖女様が台なし
「ご心配とご迷惑をおかけいたしました」
ランクS冒険者の知らせから程なくして、会議室にセリーヌが姿を見せた。老剣士のコームが付かず離れずの距離に控え、聖女と慕われているマリーの姿もある。
その三人から距離を置き、会議室を覗き込むふたつの人陰があった。
「ジェラルドさんはどこかしら? 疲れてるだろうから、愛情を込めた手作り弁当を……」
「クリスタさん、ずるいですよ〜。手作り弁当なんていつの間に作ったんですか」
クリスタが抱える包みの正体を知り、ソーニャはたまらず批難の声を上げた。
「見付けた。あんたたち、いい加減にしなさい。さっさと救護室に戻るわよ。手当てを待ってる冒険者がたくさんいるんだから」
腰に手を当てたセシルが廊下に威風堂々と立ち、ふたりを険しい顔で見据えている。
「でも、セシルさんだってここまで来てるじゃないですか〜。ちょっと顔を見たらすぐに戻りますから。先に戻っててくださいよ〜」
「そうはいかないわよ」
セシルの言葉が終わらないうちに、クリスタとソーニヤは会議室に忍び込んだ。それを追ったセシルもまた、ジェラルドを見付けるなり、獲物へ襲い掛かるように迫った。
そんな三人娘と入れ替わるように、シルヴィが颯爽とセリーヌに近付いてゆく。
「体調は大丈夫なの?」
シルヴィの言葉に、セリーヌは穏やかに微笑んだ。顔にも血の気が戻り、運び込まれた時とは別人と思えるほどに回復している。
「はい、すっかり。マリーさんに頂いた、プロムナと気付け薬のお陰です」
胸に手を当てるセリーヌに、マリーがすかさず寄り添った。
「とはいえ、女神様も無理は禁物ですからね。恐らく、双竜術の連続使用による過度の負担が原因です。体力と精神力が枯渇してしまったんだと思います。気をつけてください」
「申し訳ありません。注意します」
「いえ、とんでもない。私ごときが差し出がましいことを言って申し訳ありません。ただ、女神様のお体が心配で……万が一のことでもあったら、私はもう生きていけません」
マリーは抱きつきたい気持ちを抑えつつ、訴えるように言葉を紡いだ。
「それもこれも、あの野蛮人のせいですよ。魔導師が危険を冒して前線で戦わなければならないとは言語道断です。やはり、あの人には女神様を任せられません」
「マリーさん、落ち着いてください。覚悟して臨んだことです。何の問題もありません」
美女と聖女のやり取りに、コームも心配でたまらないという顔を見せている。
「マリー殿、もっときつく注意して頂きたい。私が言っても聞く耳を持たず……周りからも言い聞かせて頂きたい」
「コームさん、違います。女神様は何も悪くありません。すべて、あの野蛮人の責任です」
聖女という敬称も忘れたマリーは、リュシアンの顔を思い浮かべて怒りに震えた。
「あの人がきちんと訓練を終えていれば、女神様が御無理をされることもなかったんです! 野蛮人が到着したら、散々こき使って……」
「はいはい。マリーも落ち着きなさいね」
呆れ顔のシルヴィが、彼女の肩を抱いた。
「ゆっくり息をして、深呼吸……」
シルヴィは声を掛けながらも、純白の法衣の上からマリーの胸を鷲掴みにした。
「ちょっ……何をするんですか!?」
驚いたマリーは目を見開き、胸を隠した姿勢でシルヴィから距離を取る。
「怒ってばかりじゃ可愛くないわよ。手近な椅子に座って、みんなの話を聞きなさい」
「私が怒ってばかりなんじゃなくて、シルヴィさんが私を怒らせるんじゃないですか」
「ほら。聖女様が台なしよ」
シルヴィの囁きを受け、マリーは周囲へ顔を巡らせた。皆の視線が集まっていることに気付くと、慌てて縮こまってしまった。
「あぁ。そういうことか」
エヴァリストは大きな声を上げ、椅子から立ち上がってセリーヌを捉えた。ゆっくりとした足取りで彼女へ近付くと、臙脂色の鎧が動きに合わせて重々しい音を立てる。
「ただのお嬢さんだと思っていたが、王都の防衛戦で救護に奔走された御令嬢か。その節は多くの兵や民が救われた。皆を代表し、この場で礼を述べさせて頂く」
「え、あの……」
エヴァリストが深々と頭を下げると、セリーヌは困惑した顔を見せた。
「女神様……」
マリーは慌ててセリーヌの背に手を添えた。
あの時、救護に奔走したのはマリーだ。セリーヌの加護の腕輪を借り受け、成り済ましていたことを知られる訳にはいかない。
そこでようやく、セリーヌも事情を察した。
「どうかお顔を上げてください。わたくしは当然のことをしたまでです。今もこうして、皆が力を合わせて乗り越えるべき局面が訪れております。共に励みましょう」
「いや。俺の真意はそこではない」
顔を上げたエヴァリストは、挑むように険しい顔でセリーヌを見据えていた。
「御令嬢は支援に専念して頂いて結構。むしろ、そちらにこそ力を貸して頂きたい。あの魔獣は、我々王国軍が責任を持って葬る」
「そういうわけにはまいりません」
セリーヌは即座に反論してみせた。
「彼の魔獣は、わたくしが長年追ってきた宿敵なのです。その恨みを晴らすためにも、他のどなたにもお譲りすることはできません」
そのやり取りに、冒険者たちからも不満が湧いた。王国軍は引っ込んでいろ。魔獣を狩るのは俺たちだ。思い思いの言葉が飛び交い、室内は騒然とし始めた。
シルヴィがその場をなだめ、エヴァリストの正面に立った。大柄なその姿を見上げ、紅の戦姫と臙脂の軍団長が睨み合う。
「そんな大きなことを口にして大丈夫ですか? 後になって、手を貸してくれと泣き付いてきても払いのけますけど。それに、討伐は自由競争ですから。誰が狩っても文句なし。構いませんよね?」
「無論だ。俺は納得していないが、おまえたちが参戦することは王も認めていらっしゃる。王国軍の引き立て役として励んでくれ」
きびすを返したエヴァリストは、冒険者たちからの険しい視線に晒された。
しかし、それを物ともしない。臙脂色の鎧はすべてを撥ね除けるように彼を守り、ゆったりとした足取りで会議室を出て行った。
「嫌味な人ですね」
マリーは出入口の扉を睨み、消えた人影に尚も敵意を向け続けている。
「手柄を求めるのは誰も同じだ」
「気にしないことよ」
拳聖マルクと賢聖レリアにとっては見慣れた光景だ。さらりと受け流しているが、それはシルヴィにとっても同じことだった。
「そうだ。あなたに聞きたいことがあったの」
何事もなかった顔で、セリーヌを見る。
王国軍は眼中にないという雰囲気に、マリーとセリーヌは肩透かしを受けた気分になる。
「わたくしに聞きたいこととは……どういった御用件でしょうか」
「レオンから聞いたんだけど、あの島と連絡が取れる魔導通話石を持ってるんでしょ。リュシーが今、どんな状況か知りたいの」
「そういうことでしたか。通話石なら確かに持っております。お待ちください」
セリーヌは腰に下げた革袋のひとつを探る。
「あら?」
慌てた様子で、それとは違う袋を探る。左右に下げたいくつかの袋を確認するが、目的のものを見つけ出せずにいた。
「確かに、この袋の中に……」
「セリーヌ様、まさか」
後ろで見守るコームも、気が気でないという顔付きに変わっていた。
神器である神竜杖も失った。これ以上、セリーヌの信頼が損なわれるようなことがあれば、長たちに対して顔向けができなくなる。
セリーヌは深刻な顔でコームを見つめた。
「先程の戦いの最中に紛失した恐れが……」
「何と……神器に匹敵する貴重な品ですぞ」
「探し出す方法はないの?」
シルヴィの問いに、セリーヌの顔が曇る。
「通話石ですから、リュシアンさんが持つ片割れがあれば反応を辿れます」
「そう……現状はお手上げってわけね」
「誠に申し訳ございません。リュシアンさんがこちらへ向かってくださっているとしても、飛竜でも二日を要する距離です。戦いに加わって頂くのは難しいかと」
シルヴィは絶望的な顔で溜め息をついた。





