25 泣き言を言うな
「まずい」
魔法剣を構え直したレオンは、大蛇を狙って駆け出していた。
双竜術の連続使用がセリーヌの体に多大な負担を掛けているのは間違いなかった。
加えて、極度の緊張を強いられるこの状況だ。余計な力が入りすぎ、展開に対しての適切な力の配分ができていなかったのだろう。
「疾風……」
風の魔法を纏って跳び上がった所で、魔獣の中心にある獅子と目が合った。
気付いた時には手遅れだった。吐き出された魔力球を受け、地面を転がっていた。
風の魔法が盾代わりとなり、神竜の加護を受けた鎧を着ていたことも功を奏した。大きな怪我もなく、すぐに身を起こしたものの、セリーヌの救助は絶望的だ。
リュシアンの存在がない今、セリーヌの力が要であるのは間違いない。彼女まで欠けてしまえば決定打を失うことになる。
歯を食いしばって立ち上がったレオンを、獅子と虎が見据えていた。
驚きと恐怖で立ちすくんでしまい、セリーヌと大蛇の行方も見えない。
レオンが絶望を全身で感じてしまったその時だ。混戦を続ける人垣を飛び越え、ひとつの陰が横手から割り込んできた。
「天地崩壊!」
黒の胴着姿が特徴的なその男は、苛烈の拳聖こと、マルクだ。
魔力を纏わせた拳が振るわれた。仰け反る大蛇の姿が、レオンの視界へ飛び込んだ。
「合成魔法、灼熱暴風」
随意の賢聖と呼ばれるレリアが、炎の渦を顕現させて魔獣を足止めする。その隙を狙い、王国軍と冒険者が攻撃を仕掛けてゆく。
落下してきたセリーヌを受け止めたマルクは、レリアと共にレオンの下へ駆けつけた。
「次の策はあるのか?」
「いや。残念ながら……想定外のことばかりで、対応が追いついていない」
レオンの言葉に、マルクとレリアも落胆の色を見せた。王の左手と称される彼らでさえ、最強の魔獣に手をこまねいているのが実状だ。
しかし、それはブリュス・キュリテールにとっても同じだったようだ。
レリアが放った炎の渦を隠れ蓑とするように、王国軍や冒険者の人垣を飛び越えた。そうして、一目散に林へ向けて走り出していた。
「逃げるつもりか」
レオンは驚きながらも言葉を絞り出した。
あの魔獣に、逃走という選択肢があることが意外だった。
殺るか、殺られるか。ふたつにひとつの戦いを想定していたレオンにとって、それは信じがたい光景だった。
「逃げられないわよ。魔導隊が数人がかりで結界を張っているもの」
レリアは力強い眼差しで、魔獣の後ろ姿を追っていた。
いかにブリュス・キュリテールといえども、防御結界を打ち破るのは困難だという確信を持っている目だ。
「相手も消耗しているのは間違いないわね。一気に畳み込む好機よ」
興奮した面持ちのレリアは、素早く戦場へ目を走らせた。そうして、近くを走っていたひとりの女性剣士の腕を掴んだ。
加護の腕輪が示すランクはSだ。女性剣士は腕を掴んできた相手がレリアであることに気付くと、驚きで目を丸くした。
「セリーヌさんはこの人に保護してもらうわ。私が支援魔法で強化するから、レオン君とマルクで魔獣を追撃して」
マルクに抱えられたセリーヌは竜臨活性が解け、完全に気を失っていた。顔は血の気を失い、唇も青ざめている。
戸惑う女性剣士がセリーヌの体を支えると、大きな衝撃音が戦場に轟いた。
魔導隊が張り巡らせていた半球状の結界に、ブリュス・キュリテールが激突したのだ。
意表を突かれた魔獣は一歩後退した。しかし、すぐに気を取り直し、両前足で引っ掻くように結界へのしかかった。
ブリュス・キュリテールの力に抗えず、魔力結界は呆気なく崩れ去る。
「うそ……そんなことって……」
想像を超える魔獣の力を目の当たりにして、レリアは言葉を失った。
「レリア、行くぞ。追撃するんだろう」
駆け出したレオンに気付いたマルクが、慌てた様子で相棒に声を掛けた。
「そうね。ごめんなさい。だけど、ここからじゃ追いつけない」
「王の左手が泣き言を言うな」
ふたりは風の魔法を纏ってレオンを追った。竜臨活性の恩恵を受けたレオン速度は、ふたりの動きを遙かに上回っている。
「レオン君、凄いわね……」
呆気に取られるレリアだが、その目は徐々に小さくなってゆく魔獣の姿を追っていた。
王国軍の精鋭部隊とランクL冒険者たちは、驚きと安堵の交じった目で成り行きを見守っている者がほとんどだ。敵の脅威を目の当たりにして、積極的に挑もうという者は少ない。
『野郎ども。魔獣を逃がすな!』
軍団長である、エヴァリストの怒声が戦場へ拡声された。
王国軍にとっては、ブリュス・キュリテールと同等の脅威を持つのだろう。弾かれたように魔獣を追う者たちが現れた。
『歩兵ども。備えやがれ! やるぞ!』
エヴァリストの呼び掛けに、周囲から大きな声が上がった。
「なにをするつもりだ」
マルクが眉をひそめると、謎解きだと言わんばかりに掛け声が上がった。
夕闇の中で、綱を引く兵士の姿がぼんやりと見て取れた。その動きに合わせ、地中から柵状に連ねられた鋼鉄の槍が飛び出した。
結界と同じく、周囲を取り囲むように鋼鉄の罠が張り巡らされていたようだ。
その一撃は見事に魔獣の不意を突き、左の後ろ足を貫くことに成功していた。
魔獣は悲鳴を上げながらも、鋼鉄の柵を引き千切った。後ろ足と柵を引きずったまま、尚も逃走を続ける。
『第二波、構えやがれ!』
エヴァリストの声と重なるように、ブリュス・キュリテールの雄叫びが大気を震わせた。
すると、周囲で交戦していた他の魔獣たちがすぐさま反応した。ブリュス・キュリテールを守ろうと集まり、壁を形成してゆく。
「迂闊に近づけないな」
レオンは苦い顔で歯噛みした。
こんな罠が用意されているなど聞かされていなかった。王国軍との連携の悪さが露呈したわけだが、実践の場で妨害となるとは思いもしなかったことだ。
レオンとマルクが壁役となる魔獣たちと交戦を始めた頃、第二波の鉄柵が持ち上がった。
しかし、一度目で完全に警戒されていた。
ブリュス・キュリテールは怪我を負いながらも柵を飛び越え、林の中へ消えてゆく。
『動ける人は、アンナに付いてきて』
小柄な体型を活かし、壁役の魔獣を身軽に乗り越えたのはアンナだ。魔導弓を手に、いち早くブリュス・キュリテールを追っていた。
神眼の狩人という二つ名の責任を果たすべく、魔獣の行方を突き止めるという決意までも背負って走る。
『アンナ、くれぐれも無理はしないで。敵の行方を確認するだけで充分だから』
妹分を気遣うシルヴィの声は優しい。そうして、数名の冒険者がアンナを追ってゆく。
『この壁をどかしてくれ』
レオンの叫びに応じて、王国軍と冒険者も魔獣の群れに突き進んでゆく。
激闘は混迷を極め、戦いの行方さえも夜の闇へと飲み込まれてゆくようだった。
彼らを照らす月は雲に隠され、道なき道をゆく先に、何があるのかも窺い知れない。





