22 包囲の夜、集う牙
『怯むな。攻め立てろ』
重装隊長アドマーの号令が、拡声魔法に乗って戦場を貫いた。
配備された歩兵は五百。そのうち二百が重装兵で、百名規模の魔導隊が支援に就く。残る三百の歩兵は到着途上で、前線は決して盤石とは言えない。
伏せるブリュス・キュリテールへ、重装兵が盾を重ねて距離を詰める。
「ひょっとしたら……」
セリーヌのつぶやきを拾い、老剣士コームが目を向けた。
「何かお気づきに?」
「魔獣の動きが鈍い。翼の再生に時間を要しています。治癒には行動制限が必要なのかもしれません」
「なるほど。動きを止め、治癒に専念せねばならぬと……それが正しければ、数で押す王国軍の戦い方は理に適っておりますな」
「このまま押し切れれば良いのですが……翼が戻れば上空へ逃げられ、魔獣の独壇場。レオンさんも機を待っているのでしょう」
混戦下では接近も攻撃も慎重を要する。味方の射線を外す配慮が、ひとつの動作ごとに求められていた。
戦斧と槍がうねり、重装兵は爪撃にも踏みとどまる。大盾で受け、利き手で打つ。側面と背後を騎兵が抉り、離隔から魔導兵が圧を重ねる。理想に近い布陣だった。
一方、魔獣も手を緩めない。中央の獅子と左肩の虎が魔力球を吐き、右肩の黒豹が魔力結界を張る。
応酬ののち、臀部と大蛇の再生はほぼ整った。
毒霧が散布され、包囲は裂ける。
魔獣は軽々と跳躍し、後方の魔導隊へ向かった。
軽装の魔導兵は格好の餌となる。三つの首と大蛇が連なり、次々に呑み込まれる。
悲鳴と混乱が走り、隊は統制を失った。
「このままでは……」
踏み出しかけたセリーヌの肩に、コームの手がかかる。
「戦況が再び動きます」
魔獣へ、魔力の矢が降った。
人体をすり抜け、魔獣のみを捉える特製。数本が命中し、ブリュス・キュリテールは距離を取る。
『遅れました。結果で取り返します』
弓兵隊長アグネス・ジュノーの声。朗らかな笑顔が脳裏に浮かぶ。
『男だらけの世界で活躍して、のし上がっていくって大変なのよね……でもね、困難なだけやり甲斐もあるって思うわけ。陛下のために尽くしたい、国民の役に立ちたい、って思っちゃうのよね。尽くす女なのかな?』
しなやかな体躯は野生の牝鹿をセリーヌに連想させた。くりっとした大きな目は獲物をどこまでも見通せそうだとも思えたし、大きな口でよく喋り、よく笑う。非常に快活な女性だと好感を持っていた。
弓兵隊の攻撃に続き、隠匿された投石機が岩を放つ。
『皆さ〜ん、巻き込まれないよう注意してくださいね〜』
歩兵隊長ランベール・クンデの緩い声が拡散される。
『歩兵隊員は各隊の支援を頼みますね〜。衛生兵は消耗品の補充に、負傷者の救護と手当て、戦場に絶えず目を配ってくださいよ〜』
緩い口調と裏腹に、指導には厳しく余念がないという隊員の話を思い返していた。
『血気盛んな人たちばっかりなんでね〜。俺が後ろでしっかり見てないと、何をしでかすか気が気じゃないんですよ〜。ほんとに困ってるんですよね〜』
へらへらと緩く笑う三十五歳の男性だったが、奥底に秘めた強さを感じ取ってもいた。それだけの強さと信念がなければ、隊長など務まらないだろうとも思えた。
「王国軍は揃いましたね」
セリーヌは戦場を見渡す。軍団長の姿は見えない。だが、五人の隊長が信を寄せる人物は、どこかで檄を飛ばしているはずだ。
視線を落とし、横たわるイリスを確認する。
「コーム。イリスさんを安全圏へ。目覚めても、災厄の魔獣と戦うのは不可能です」
「同意しますが、セリーヌ様を残して離れるわけには」
「衛生兵へ引き渡すだけで十分です。あなたの剣が必要です」
「承知しました」
役目を得た老剣士の背に力が宿る。イリスを背負い、林へ消えた。
「ここからが始まりですね」
日が沈み、闇が降りる。空に瞬く星々の力は弱く、地上へ光をもたらす存在はない。
篝火が点り、魔力灯が投げ込まれ、地表を照らす。
散乱する遺体を夜が覆い、光は必要最低限に抑えられた。
目を覆いたくなるという意味では、夜の世界にも救いはあるのかもしれない。
「あの魔獣にとどめを刺すのは、わたくしの役目です」
コームが離れたのは幸いとも思えた。
無理に魔獣へ近付こうとすれば、止められるのは目に見えている。
イリス支援も失われたが、代替は利く。報酬を示せば、応じる魔導師はいる。
そう考えた時、リュシアンの顔が浮かんだ。
『ちょっと感じは悪いけどさ、最後は金だ。報酬はきっちり払うって伝えれば、大抵の冒険者は首を縦に振るはずだ』
腰を落とした瞬間、咆哮が走った。衝撃波が広がり、周囲の者が弾かれる。
耳を塞いだセリーヌのもとへ、遠方から応える遠吠えが重なった。
驚きに、アーモンド型の目が見開かれる。
「囲まれている? まさか……」
周辺に魔獣が集結している報告はあった。
だが、この局面で包囲に転じるとは、想定を超えていた。





