08 いつも笑顔でいてほしい
兄をマルティサン島へ連れて来たことで、俺が初めて訪れた時と同様の混乱が起こった。それでもユリスが場を収め、長たちに丁寧な説明をしてくれたのは本当に助かった。
プロム・スクレイルと、そこから作られる秘薬プロムナ。これらがもたらす恩恵を兄とユリスは切々と説き、どうにか認めさせた。
結果、兄は半年間の滞在を許され、グランド・ヴァンディの山頂で共に過ごすことになった。プロム・スクレイルを育てながら訓練もこなしてみせるよと、やる気になっている。
プロムナの生成に関しては、災厄の魔獣との戦いが終わった後だ。折を見て、マリーが指導に訪れる約束で話はまとまった。
それでも兄の一番の関心は、竜で間違いない。神竜ガルディアや竜王を目の当たりにして、卒倒しそうなほど興奮していた。
「あなたがセリーヌさんですか。話には聞いていましたが、リュシアンが夢中になる理由が良くわかりますね」
「リュシアンさんが私のことを?」
なぜか、セリーヌに睨まれている。
「私の良からぬ噂を話されたのですか」
「なんでそうなるんだよ」
「私のことを天然だなんだと、いつものように仰っているではありませんか」
「俺は陰口が嫌いなんだ。そういうことは本人に直接つたえるよ。セリーヌのことを悪く言う奴がいたら、俺が許さねぇからな」
「そういうことであれば、私から申し上げることはなにもございません」
セリーヌが押し黙ると、兄は堪えきれない様子で笑い声を上げた。
「仲がいいんだね。何だかんだと言いつつ、お互いを信頼しているのが伝わりますよ」
なんだか無性に恥ずかしくなってきた。
「兄貴、そういうのはいいから。さっさとプロム・スクレイルの栽培に精を出してくれ」
「そうだね。邪魔者は退散するとしよう」
洞窟内にあてがわれた自室へ向かう兄から目を逸らし、周囲の光景を眺めた。
「継承戦が終わったとはいえ、訓練施設に残ってる守り人も多いんだな」
「そうですね。村へ戻れば農業や工業といった仕事が待っておりますが、狩猟にいそしむ者も少なくありません。結局は体が資本ですから、鍛えるに越したことはないのです」
継承戦は、以前に会った顔ぶれが順当に勝ち残った。イヴォンとヘクターの他は、バルテルミーとウードとクロヴィスだ。確かに、婚姻の儀で勝ち残ってきた面々なのだから、現時点で最強の民ということになる。
レオンも島へ戻るなり、早々に風竜王の所へ向かった。遅れを取り戻すと言っていたが、休む間もなく訓練を始めるつもりだろう。
「三人との依頼消化はいかがでしたか」
「なんの問題も不満もねぇよ。優秀すぎて、シルヴィさんやアンナの出番がほとんどなかったくらいだ。イヴォンとヘクターは、次回も連れて行く約束をしたところだよ」
「私もそろそろ外の世界を見に行きたくなってまいりました。訓練の終わる日が待ち遠しくてなりませんが、災厄の魔獣との戦いが迫っているのだと思うと、怖くもあります」
肩を落としたセリーヌは、遠くに目を向け瞳を揺るがせる。その不安を少しでも取り除いてやるのが俺の役目だと思えた。
「大丈夫だ。俺たちは確実に強くなってる。それに、セリーヌのことは俺が絶対に守る」
「ありがとうございます。そう言って頂けるのは非常に心強く、安心できます」
「それに、アンドル大陸では冒険者の選抜も始まる。腕利きが集まれば、前回のようにはならないさ」
「あの……冒険者でもない私はどうなるのでしょうか。当日に割り込むようなことは、皆様に申し訳ないのですが」
「そのために、マリーに腕輪を預けたんだろうが。当日までにはランクSになってるだろうし、腕輪を返してもらうだけだ。主催である俺たちのパーティは、選抜も免除だからな」
「マリーさんにも負担をかけてしまいますね。秘薬を作るだけでも大変でしょうに」
「それがさ、女神様のためならどんな試練にも耐えて見せます、って頑張ってくれてるよ。秘薬作りも協力者がいるし、セリーヌは訓練の仕上げに専念してくれれば大丈夫だ」
「承知しました」
セリーヌの微笑みに癒される。彼女には、いつも笑顔でいてほしい。
「そういえばさ、ラモナ島って聞いたことないかな? セリーヌでなくても、他に知っている人がいると助かるんだけど」
「私は聞いたことがありませんが……その島に何かあるのですか」
「ラモナ島っていう言葉だけを託されたんだ。アンナにも調べてもらったけど、瘴気が漂う薄気味悪い島だっていうんだ。凶暴な魔獣もうろついてるって話だったけどな……どうでもいいことを伝えてきたとは思えないんだ」
「その方は今、どちらに?」
「崩れた施設に生き埋めにされて、亡くなったよ。情報を確認することはできねぇ」
「そうですか……私に神官の権限が戻れば、使いの者を島の探索に向かわせましょう。飛竜で空から調べれば、違うこともわかるかもしれません」
「そうしてもらえると助かるよ」
「それはそうと、リュシアンさん……」
セリーヌは急に声を潜め、注意深く辺りの様子を伺いながら小走りで移動した。
「こちらへ」
手招きをされ、神殿の陰へと呼ばれる。
「どうしたんだよ」
訪ねると、セリーヌは口元に人差し指を立て、静かにするよう促してきた。そんな仕草も可愛らしくて、ずっと眺めていたくなる。
「リュシアンさんに召し上がって頂こうと、街へ下りた際にお菓子を作ってみたのです。他の方々の手前、こっそりとしかお渡しできずに申し訳ありません」
セリーヌは小さめの革袋を差し出してきた。
「確かに、俺にとっては全員が恋敵みたいな状況だからな……継承戦も終わったし、婚姻の儀の問題が再浮上してもおかしくねぇな」
「私にはもう、リュシアンさん以外に考えられません。今更、婚姻の儀などと……」
耳まで赤くして、恥じらう姿がいじらしい。
「うれしいこと言ってくれるよな。この場で押し倒したいくらいだ」
「それはなりません。困ります」
「軽い冗談だろうが。笑って流してくれよ」
「また、そのようにからかうのですから……」
はにかみながら胸を叩かれたが、その力は驚くほど弱々しい。
こうしてじゃれ合う時間は貴重だ。早く島を出て、気兼ねなく顔を合わせることができるようになればいいのに。
「ありがとう。ありがたく頂くよ」
革袋は大きさの割にずっしりしている。
「開けてもいいかな」
「どうぞ。そのために作ってきたのですから」
中には、小さな丸い物体がいくつも入っている。どうやら飴玉のようだ。
「飴玉を作ってくれたのか?」
「蜂蜜を固めて作った新作です。すみません、ちょっと失礼して……」
セリーヌは革袋の中からひとつをつまみ上げ、俺の口元へ差し出してきた。
「どうぞ、お口を開けてください」
そう言われては断れない。促されるまま口を開けると、飴玉を押し込まれた。
蜂蜜の甘さが舌の上に広がる。
「そのまま噛み砕いてみてください」
蜂蜜の殻は簡単に砕け、中から柔らかい食感が伝わってきた。口当たりがよく、崩れるようになくなってしまう。
「お味はいかがですか?」
「うん……やさしい甘さで、美味しい」
「よかった」
満面の笑みを見せられると、なんだかこちらが恥ずかしくなってしまう。
「新作の蜂蜜ボンゴ虫です」
「結局、ボンゴ虫かよ!?」
なんだか騙された気分だ。





