07 矛と盾の古狼亭にて
マルティサン島へ連れて行って欲しいと懇願する兄のことは、ユリスに任せた。幸い、宿にはイヴォンとヘクターもいる。守り人の未来を担う三人に知恵を絞ってもらえばいい。
宿を抜け出した俺は、レオン、シルヴィさん、アンナを連れて、飛竜で移動を開始した。
目的地は王都だ。三ヶ月越しで、国王との謁見が控えている。
ユリスたちを宿へ残したのは、このためでもある。苛烈の拳聖であるマルクさんと、随意の賢聖であるレリアさんとも合流予定だ。守り人の存在はまだ伏せておきたい。
※ ※ ※
その日の夕刻に謁見を終えた俺たちは、王都の端に近い飲食店へ移動していた。
頭上の看板には、矛と盾の古狼亭とある。年代物の酒や熟成肉を取り扱っており、玄人向けの高級店として知られている。
跳ね橋の側にある、剣と盾の若獅子亭が有名だが、あそこは兵士がいないとも限らない。しかも、襲撃を受けた際に若獅子亭の店舗は大きく損壊し、未だに改装の途中だ。
マルクさんとレリアさんを迎えた六人で、個室内の大きな円卓を囲んで座っている。上等な葡萄酒と、お勧めのつまみをいくつか注文し、慰労会は始まった。
「それにしても驚いた。フェリクスとヴァレリーの知らせを受けた時も度肝を抜かれたが、それと同等か、更に上を行く驚きだぞ。まったく、この国はどうなっとるんだ」
葡萄酒を一気に飲み干したマルクさんは、苦みが足りないと、早々にエールを注文した。ジョッキを満たす黄金色の液体を上機嫌で煽り、口元に付いた泡を手の甲で拭う。
王との謁見だというのに、前と変わらず黒の胴着とサンダル姿で現れた。いつもこの格好だというのだから、確固としたこだわりがあるのかもしれない。
隣の席に座るレリアさんは、マルクさんの様子を横目に見て、呆れた顔を見せた。
「口ではそう言いながら、マルクのことだもの。内心では面白がってるんでしょ」
こちらも以前に会った時と同じく、薄紅色の法衣を纏っている。薄化粧をして、耳飾りと首飾りで彩っている。
「がっはっはっ。何でもお見通しだな」
豪快に笑うマルクさんを見ながら、弟子たちも大変だろうなと、妙な気を遣ってしまう。今回も十人を引き連れてきたが、彼らには別室で食事を楽しんでもらっている。
「あのヴィクトル王が、我々に頭を下げたんだぞ。前代未聞じゃないか。それこそ、フェリクスにも見せてやりたかったよ」
「笑い飛ばすなんて不謹慎よ。それだけ真剣に過去を清算したいと思ってるんでしょ。先代の罪を自らの非と認めて謝罪するなんて、なかなかできることじゃないわ。マルクは自分の弟子に、間違ったことを謝罪できる? お山の大将を気取ってるんじゃないの」
レリアさんはグラスの中の葡萄酒に目を落とした。古城の壁に染み込んだような深紅の雫は、王が流した血の涙にも思える。
「相変わらず、遠慮のない物言いだな。研究室に籠もる堅物の割に、口が達者だ。今は俺の話は置いておけ。リュシアン君の言うとおり、陛下の話がすべて真実かということだ」
「疑ってるの? 嘘や偽りはないって、私は信じてるけど。陛下の悪い噂は聞かないし、臣下や民の信頼も厚い。誠実な方に見えるわ」
レリアさんの目が、こちらへ向けられた。
「君から見た陛下はどう映った?」
「物腰が柔らかく、温厚そうな方でした。レリアさんの言うとおり、誠実な方なんだと」
「そうよね。何より笑顔が可愛いの。草花を愛でるのがお好きで、庭園に出て、ご自身で水やりをされることもあるそうよ」
「草花を愛でるというのは良い御趣味だと思いますけど、王を相手に可愛いって……」
「それくらい構わないでしょ。陛下の笑顔に女心をくすぐられちゃうのよね」
「陛下でさえも研究観察の対象というわけか。おまえの貪欲な好奇心にはいつも驚かされる」
マルクさんは小皿から取ったチーズを囓り、こちらに目を向けてきた。
「それにしたって、君たちもよくこの情報を嗅ぎつけたもんだ。まさか、王国が合成魔獣を作っていたなんてな……」
「偶然もありますけどね。フェリクスさんとヴァレリーさんの一件の犯人を追っているうちに、芋づる式に辿り着いたというか」
このふたりも未だに慣れず、相対すると緊張してしまう。レオンは変わらずだが、シルヴィさんは明らかに酒量を抑えている。アンナに至っては置物のように静かだ。
「フェリクスとヴァレリーも、アントワンが率いるパーティの怨恨として処理されたそうだな。加護の腕輪の位置情報で、アントワンたちはクレアモントの地中に埋まっていることが確認されたらしいな。遺体を回収できないのは心苦しいが、あの騒動に君たちも絡んでいるのか」
「えぇ、まぁ……アントワンたちを追いましたが、彼らは先行パーティに始末されていました。その先行パーティと抗戦になった騒ぎが、先日の崩落事件に繋がるわけで……」
クレアモントでの騒動は、王国側にも把握されていた。しかし、国としても公にすることは避けたい。
結果、クレアモントの廃墟は厳重な警戒下に置かれた。フェリクスさんとヴァレリーさんの襲撃事件は、アントワンが犯人ということで一応の終結を迎えている。
「前に、終末の担い手という一味の話をしましたよね。彼らが、このアンドル大陸を混乱に陥れようとしているのは確実です」
蝶の仮面を付けたユーグ。その師だと言っていた老魔導師のマルセル。そして、黒装束に身を包んだセヴランという男。次々と彼らの顔が浮かび、ラファエルの姿がよぎった。
「これは俺の想像です。フェリクスさんとヴァレリーさんは、終末の担い手にとって都合の悪い情報を手に入れたのかもしれません。その結果、命を狙われることになったのだと」
「どうだろ? そんな情報があったら、私たちにも共有してくれると思うんだけど。ヴァレリーは素っ気ない性格だから仕方ないけど、フェリクスが一緒にいたんだから」
レリアさんはすねたようにつぶやき、葡萄酒をひとくち含んだ。その顔には、言いようのない寂しさが滲んでいる。
「仲間なんだし当然ですよね……ただ、事態を重く見たフェリクスさんが敢えて伝えなかった、っていう可能性もありますよね」
その一言で、場の空気が明らかに変わった。
「正直、何を信じていいのか俺にもわかりません。だけど、ブリュス・キュリテールと終末の担い手を壊滅させることが、俺のやるべきことだと思ってます。王とこの国の行く末なんて、その後に考えればいいんです」
「リュシアン君の言うとおりだな。我々にできることをひとつずつこなすだけだ。ブリュス・キュリテールとの戦いには、俺たちも参加させてもらうつもりだ。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします。おふたりの力、頼りにしています」
席を立ち、慌てて頭を下げた。テーブル越しとはいえ、マルクさんに頭を下げられるとは思ってもいなかった。
「謙遜するな。今じゃもう、リュシアン君の方が実力は上だからな。老兵は後方支援に徹しようと思っているところだ」
「そう言いながら、楽をしようとしてるだけなんじゃない? 弟子の手前もあるんだし、決めるときはビシッとしなさいよ。拳を出さない拳聖なんて、牽制にもならないわよ」
「レリア。もう酔ったのか?」
「冗談でしょ。葡萄酒の五杯や六杯で、私を潰せると思ってるの?」
葡萄酒のように円熟した妖艶な笑み。それがこちらへ向けられている。
「久しぶりにリュシアン君にも会ったんだし、優秀な研究材料として、その体を調べ尽くしてみたいわ。身体強化の能力だっけ。その根源はどこから来ているのかしら?」
「レリアさん、それはちょっと……」
ひきつった笑みで手を伸ばすシルヴィさんの目が怖い。そんな光景に、俺も言葉を発することができなかった。
淑やかな見た目の割に、遠慮のない人だ。





