05 師匠と呼ぶな
「初めまして。イヴォン・デカルトです。師匠にはいつもお世話になってます」
イヴォンはヘクターを押しのけた。必死の主張で、シルヴィさんへ握手を求める。
「よろしくね」
妖艶な微笑みに、何度も頭を下げるヘクター。だが、その目は彼女の胸に釘付けだ。
マルティサン島の民族衣装は露出が少ない。加えて襲撃を受けた際、十代から四十代の島民はほぼ、捕まったか、亡くなった。イヴォンも年頃の女性に興味津々というのはわかる。
「あの……ヘクター・アルベールです……外の世界に来るのは初めてで……」
「うぶな反応が可愛い。お姉さんの好みかも」
「師匠! 助けてください!」
握手をしながら仰け反るヘクターが、顔だけをこちらへ向けてきた。
「別に、取って食われるわけじゃねぇから」
「あら。取って食べちゃうかもよ」
左手の人差し指を口元へ添えたシルヴィさんが微笑むと、イヴォンが前に出た。
「待った! そこはぜひ俺と。デカルトって名前の通り、あそこもデカいんで!」
「馬鹿野郎」
イヴォンの後頭部を引っぱたくと、握手を解いたシルヴィさんが吹き出した。
「面白い子たちね。それにしてもリュシー、いつの間に弟子なんてとったのよ」
「勝手に師匠って呼んでくるんですよ。諦めて放っておくことにしました」
「ちょっと、ちょっと。俺は無視ですか。師匠は娼館に連れて行ってくれないし、マリーちゃんも相手にしてくれないしさぁ」
そのマリーは、軽蔑した目でイヴォンを見ている。性的欲求を剥き出した本性を見せられ、失望と嫌悪が全身から滲み出ている。
マリーとイヴォンの視線を遮るように、アンナが立ち塞がった。無言で歩み寄り、イヴォンの整った顔を見上げる。
「君がイヴォンね。ユリリンから話は聞いてるよ。ちょっと顔がいいからって、調子に乗らないでよね。マリーちゃんは、レン君と相思相愛って決まってるの。きっぱり諦めて」
「なになに。なんで俺、初対面の女性に怒られてんの。なんか悪いことした?」
両手を広げ、天を仰ぐイヴォン。そんな彼を見て、溜め息をついたユリスが口を開く。
「イヴォンは大人しくしていてくれ。話が進まない。ちなみに、君が興味を向けているシルヴィさんも、師匠と崇める方の大事な人らしい。問題を起こせば、島に戻れなくなるよ」
「おい、おい、おい……」
イヴォンは恐怖に駆られた顔で俺を見てきた。黙らせるならここしかない。
「まぁ、そういうことだ。大人しく居間にでも座って、俺たちの話を聞け」
イヴォンとヘクターが並んで腰掛けるのを見届け、改めてシルヴィさんへ目を向けた。
「シルヴィさんに確認しておくことが……」
「なぁに? リュシーが知りたいことなら、何でも教えてあげる。胸囲、腹囲、腰囲は前に教えた気がするけど」
インナーで隠された豊満な胸を下から持ち上げてみせるが、そういうことじゃない。
「あのですね……俺が聞きたいのは、ヴァルネットの街にマリーの工房を用意するって話と、みんなの引っ越しの進捗状況です」
「そんなこと? つまんないの」
シルヴィさんは黒髪を掻き上げ、食卓の椅子へ腰を降ろした。
「マリーの工房なら、アランさんの敷地の隣に建ててる最中よ。あと二ヶ月もあれば完成するんじゃないかしら。そうそう、リュシーのお父様だけどね、アランさんの工房で一緒に働くことになったみたいよ」
「親父が? まぁ、アランさんを弟子だって言ってるくらいだし、丁度いい組み合わせなんじゃないですかね」
「そう言うと思ったわ。でね、マリーの工房の完成を待って、みんなでまとめて引っ越す予定を立ててるの。次に会う時は、ヴァルネットの街で集合になると思うわ」
「わかりました。すべて順調ですね」
「当たり前でしょ。あたしに任せなさい。マリーの冒険者ランクだってAになったのよ。期日までにはSにして、セリーヌに引き継がせるってことでいいのよね」
「よろしくお願いします」
頭を下げると、艶っぽい笑みが返ってきた。
「で、マリーのプロムナ生成はどう?」
壁にもたれて腕を組んでいたレオンが、唐突に口を開いた。興味も示さず置物のようになっていたが、マリーが関わると別らしい。
急に話を振られたマリーは緊張した面持ちで、背筋を真っ直ぐに正した。
「はい。結局、サミュエルさんの縁に頼る形になってしまいましたけど、改良版の制作者に教わって試作を進めています。このままいけば、改良版よりも更に効果の高い秘薬を作れそうなんです。親衛隊のお姉様たちとデリアさんも手伝ってくれていますけど、大量生産できないのが課題ですね」
「助けが必要なら遠慮なく言って。協力は惜しまないから」
「はい。ありがとうございます」
顔を赤らめて頭を下げるマリーを見て、隣のアンナは満足そうに頷いている。
「ご両人。いい感じじゃないですか」
「茶化さないでくれるかな。俺は当たり前のことを言っているだけなんだけど」
「そうですか。そうですか」
憤然とするレオンを横目に、アンナは満面の笑みを浮かべた。
「アンナさんも変にからかわないでください。レオン様も困るじゃありませんか」
マリーはますます顔を赤くして、アンナの肩にしがみついている。
レオンは当たり前のつもりでも、俺たちにとっては異常だ。いつもは素っ気ない男が、ここまで他人に感心を持つのは珍しい。
「サミュエルって言えば、私が出した課題にも色々と知恵を絞ってくれてるみたい。次に来る頃には成果が現れてると思うから、リュシーも期待してていいわよ」
「そうなんですね」
その名を出されると複雑だ。
シルヴィさんの課題ということは、娼館の売り上げ向上に貢献して欲しいという注文だろう。それが成功してしまえば、シルヴィさんは本格的に、サミュエルさんとの付き合いを考えることになるだろう。
シルヴィさんにとって悪い話ではないが、自分の中で煮え切らない部分がある。
しかし、ユリスからも釘を刺されている以上、俺がけじめを付けるべき問題だ。
「それからこれも」
シルヴィさんは食卓の端に手を伸ばし、事前に置かれていたものを手に取った。
「サミュエルに貰った革帯だけど、教皇に強化してもらった改良品が完成したの。結界革帯オーレリアンっていう名前にしたそうよ。試したけど、結界の強度はランクB程度ね。強い魔力を封じようとすると、仕込んだ魔力石が耐えられなくて、砕けちゃうんだって」
「今の物に比べたら劇的な進化ですよ。腕輪の魔力結界と合わせれば、かなり強化できる」
「確かにそうなんだけど、あたしを縛るのに使ってくれてもいいのよ。たまにはそういう行為もされてみたいわ」
「はいはい。却下します」
「お願い。ちょっと試すだけでいいから」
体をしならせているシルヴィさんに、ユリスが遠慮がちに声を掛ける。
「その改良品を見せてもらえますか」
「ユリスも好きねぇ……真面目そうな顔をして、興味津々ってわけね」
インナーの胸元に人差し指を掛けたシルヴィさんを、ユリスは冷めた目で見ている。
「俺に色仕掛けは通用しませんよ。冗談は不要なので、革帯を見せてください」
姉が大好きなユリスだ。並大抵の女性では、こいつを堕とすのは難しいだろう。
ユリスは革帯を眺め、ひとつ頷いた。
「島で採れる魔力石を使いましょう。竜術を封じれば、もっと強力な物が作れますよ」
ここに新たな発明家が現れた。





