04 品位と威厳の欠片もない
「おぉぉ。ここが歓楽街か……興奮してきた」
鼻息を荒くして街並みを眺めるのは、水の民の神官イヴォンだ。ユリスから歓楽街の存在を聞き出したらしく、興味津々だ。
「ヘクター、見ろよ。あそこで客を呼んでる姉ちゃん、裸同然だぜ。おっぱい見えそう」
対して、おどおどと警戒しているのは、炎の民のヘクターだ。イヴォンに肩を抱かれ、いかにも困った顔を見せている。
「婆ちゃんが、綺麗な女性には気をつけろって。特に、外の人間は信用しちゃダメだって」
「は? こんな所まで来ておいて、なに言ってんの。ってか、おまえの大好きな師匠に聞いてみ。ガンガン攻めろって言うぜ」
強気なイヴォンの目と、泣き出しそうなヘクターの目に、じっと見つめられている。
俺を巻き込まないで欲しい。
「イヴォン。興奮するのは勝手だけどな、入店は二十歳以上だ。残念だったな」
「そこはほら。師匠の力でなんとか」
「諦めろ。それに、おまえまで師匠なんて呼んでくるんじゃねぇ。ヘクターの師匠呼びは、炎の民のよしみで許してるだけだ」
「え〜。頼むよ、師匠……」
慰労会から三日後、ユリス、ヘクター、イヴォンの三人を連れ、アンドル大陸に戻ってきた。一番の目的は、俺とレオンの冒険者登録を更新するためだ。
マリーを迎えに行く前に歓楽街を見たいとイヴォンがごねたため、ふたりの変装用の服を買ったついでに寄り道をしている。
「このままじゃ島に帰れねぇよ。一度でいいから、女性の柔肌に触れてみたいんすよ」
「時々、島で水の民の幼子と遊んでやってるそうじゃねぇか。充分だろ」
「子どもの柔肌じゃなくて!」
イヴォンは怒りに任せて地団駄を踏む。
ここまでくると美男子も台無しだが、顔が良くて女好きという明け透けな性格は好感が持てるし、面白い奴だとも思う。
「外の世界に来た思い出を作りたいんすよ。童貞神官なんて思われたくねぇし、そんな人にはついて行けないなんて水の民に言われたら、落ち込んで立ち直れないっすよ」
「え。皆さん、ついてきてくれないんですか」
「ヘクター。こいつの勝手な思い込みだ」
素直で人の良いヘクターは、すぐに騙されてしまいそうだ。十六歳になったばかりだと言うし、顔にもあどけなさが残る若造だ。
「とにかく、歓楽街は見せてやったんだ。これを思い出にして、あと二年がんばれ」
「そりゃないっすよ」
うな垂れるイヴォンの姿に、ユリスが盛大な溜め息を漏らした。
「神官として、品位と威厳の欠片もないな。君に負けた水の候補者たちが不憫だ」
「なんとでも言えよ。俺は実力で勝ったんだ。神官の座を返還するおまえとは違うんだよ」
「言ってくれたな、イヴォン。三年後には必ずセリーヌに勝つ。あの島に新たな風を呼び込むのは俺の役目なんだ」
「ご大層な目標があって何よりだ。今を大事にする俺は、目の前の快楽を選ぶね。おまえも精々、今を楽しめよ。神官の座を返還したら、軽々と外には出られないだろうからな」
「島からの外出はそんなに大変なのか」
火花を散らすふたりの会話に疑問を挟む。
むっとした顔のユリスが、こちらへ視線を向けながら口を開いた。
「長はまず島を出ません。神官やその候補者、他には職人と呼ばれる技術者たちが対象ですね。以前にも話した通り、外の世界を学び、流行や文化を島へ取り入れるためです。神官や技術者ならともかく、候補者が外出となれば事前に長への許可取りが必要なんです」
「イヴォンとヘクターの許可取りを、ユリスがやってくれたんだったな」
「そういうことです」
「そろそろいいかな。次へ行きたいんだけど」
耐えかねたようにレオンが割り込んできた。無駄を嫌うこの男は、我慢の限界らしい。
「そうだな。マリーの所へ向かおう」
俺としても、この場所は早く離れたい。
ただでさえ街の中に知り合いが増えてしまった。リュシアン・バティストが歓楽街をうろついていた、などと噂をされても困る。俺の品を下げるだけでなく、周りにも余計な迷惑を掛けてしまう。
マリーとは別行動を取ることになったが、彼女はシルヴィさんとアンナの三人で、貸家に住むことにしたと聞いている。
人混みを縫い、夕闇が覆う街並みを進む。聞いていた場所を訪ねると、小綺麗な二階建ての木造住宅が何件も並んでいた。
※ ※ ※
「野蛮人からも何とか言ってよ」
再会して居間へ通されるなり、鬼気迫る顔のマリーが抗議の声を上げてきた。その顔には疲れが見え、美少女が台無しだ。
イヴォンもイヴォンで彼女を口説こうと近付くが、マリーは露骨に煙たがり、取り付く島もない。原因はシルヴィさんだ。
「片付けるってことを知らないの? 武器や鎧はその辺に置きっぱなしだし、装備だけじゃないのよ。下着だって平気で脱ぎ散らかしてあるんだから。信じられない」
流れる黒髪を両手で掻き毟っている。
「食事も食べればそのまま。お酒の瓶だってあちこちに転がってるし。アンナさんが片付けを手伝ってくれるからいいものの、ふたりだけだったら気が狂ってるわ」
「まぁ、まぁ。マリーちゃんも落ち着いて。あれがシル姉だから。慣れるしかないって」
「アンナさんは平気でも、私は違うんです。レオン様からも言ってくださいよ」
「あの人は……自由人だから」
レオンの的確な言葉に吹き出してしまった。そこを、マリーからすかさず睨まれる。
「笑ってる場合じゃないのよ。あなたに生活費を支援してもらっている立場だから我慢してるけど、ひとりで暮らした方が気楽よ」
喚くマリーに近付いた俺は、声を潜めた。
「オルノーブルの地下での一件、覚えてるだろ。シルヴィさんが、メイドとして働かされていた過去も……あの人も基本は綺麗好きなんだけど、整理整頓するっていう行動が当時を思い起こさせるらしいんだ」
「でも、自由でいいってことにはならない」
鬱憤を晴らそうと抗議を続けるマリーの背後へ、気配を殺した陰がにじり寄っていた。
「この前だってそう。プロムナの試作品を、お酒と間違えて飲まれそうになったんだから」
「揉まれそうになった? この胸を?」
背後に迫ったシルヴィさんが、純白の法衣の上からマリーの胸を鷲掴みにしていた。
「え!? ぃゃん……」
何が起きたのかわからないマリーは驚きに目を見開き、羞恥に顔を赤くした。
「ちょっと。やめてください!」
背中を丸めて逃れようとするが、シルヴィさんはしつこく食い下がる。
「少しだけだから。若い女の子からしか得られない栄養素があるの。マリーの胸は張りがあって形も良いし。野いちごは……ここね!」
「ちょっと。摘まむのは反則だからぁ!」
マリーは必死になって拘束を解いた。
「ここに滞在している間にマリーの胸を更に大きく成長させるのが、あたしの目標なの」
「シルヴィさんなんて大っ嫌い!」
胸を押さえてしゃがみ込むマリーを、アンナが必死になだめている。
いつもこんな感じなんだろうか。
「楽園はここにあったのか……」
目を見開いたイヴォンは鼻息を荒くして、どこか遠い世界へ旅立とうとしている。
「はぁい。あたしの可愛いリュシー。三ヶ月もほったらかしで、寂しかったのよ」
鼻の頭を人差し指で突かれたが、今日も下着同然の黒いインナー姿を晒している。
イヴォンの視線がその体へ釘付けになり、ヘクターは目のやり場に困っている。
彼らの反応を見て、以前ともに戦った、アルバンとモーリスを思い出してしまった。
「ユリスはお久しぶりだけど、こっちのふたりは新顔ね。はじめまして」
自己紹介をしながらも、シルヴィさんは品定めをするようにふたりを眺めている。





